園児の血

  第三回

  *タッチ・ザ・ラヴゥ*

 

今日も園のなか。まだ、ここの空気にはなじめねえ。

、、、なあ、愛ってなんだい。

園のはじにそびえる銀杏の樹は答えない。

俺は半ズボンのポッケに手を突っ込んで、

口の中の消しゴムを強く噛んだ。

 

副園長先生に怒られている。

消しゴムは食べ物じゃない、と。

知ってるよ、噛んでるだけさ。

副園長は、丸坊主。

背の高い、黒縁眼鏡の男だ。年の頃は30代前半と言ったところか。

普段からテンションが高く、やたらと園児達の中に入ってきては、

遊びの中心になりたがる。

まあいいさ、私生活は寂しいんだろ。園児達ぐらいは相手になってくれるさ。

「それからタカシ君、ポケットに手をつっこんじゃ駄目だよ。

転んだ時危ないでしょ」

でもよ、俺に説教するのはいただけねえな。あんたは俺のパパじゃねえ。

「いや、これはポケットの中のハンカチとティッシュが落ちないように、

押さえてるだけです」

「、、押さえなくても落ちないよ」

「心配なので」

副園長は黙った。

「では、私はこれで」

俺は傷心の副園長を後ろに、園庭のはじのブランコへ向かった。

じゃあな副園長、可愛い園児が癒してくれるさ。

 

ブランコは、6人乗りで、ゴンドラの形をしている。

「乗せろよ」

園児が十数人ブランコに群がっていた。

コウジの姿も見える。

コウジはブランコの骨組みの上の部分に、しがみついていた。

そこに乗ってても、ゆれないのに。

ゆれなきゃブランコじゃないのに。

「よう、あんたかい。

判るだろ、ここは満員だぜ」

コウジは水色に塗られたブランコの骨を抱きかかえながら、

必死の形相で無理に笑いながら俺に言った。

「ああ、そのようだな」

俺は苦笑し、その場を去った。

 

俺は園庭をぶらつく。

砂場か。

どうも好きになれねえ。

うんこ座りしてると、うんこしたくなるし。

ふと、うんこがしたくなった。

やべえ、いつものやつがきたぜ。

園の中を覗き込む。

幸いほとんどの園児が園庭に出て遊んでるようだ。

二階の奥のトイレなら誰にも目撃されずに入れるだろう。

クラトの奴にでも見つかったら、俺の園児ライフは閉ざされる。

俺は、何食わぬ顔で園内に滑り込んだ。

 

園内は静まり、園庭の喧騒が遠くに聞こえる。

俺は下駄箱の前の階段から二階に上った。

冷たい空気がお腹を冷やす。

やべえ。

園服の裾を握り、みょうに正しい姿勢になって俺は、

トイレに駆け込んだ。小股の早足で。

 

うんこを無事済ませ、園服で手を拭きながら歩く俺の目に、

窓から園庭を眺める女の姿が映る。

女はクッション製の柔らかく大きい正方形のブロックの上に背伸びして、

窓の縁に手を掛け園庭を見ていた。

窓から射し込む光に少しまぶしそうに眉をしかめ、

それでも口元に笑みのような表情をたたえて、

女は園庭を見ていた。

 

廊下には俺達しかいない。

俺はその姿をずっと見ていたかったが、

引かれる様に女の方に向かって歩いた。

女が俺を振りかえる。

、、、ヤスヨだ。

ヤスヨはオカッパをかきあげて、俺を斜めから見た。

俺が早足でヤスヨに近づく。ブロックから飛び降り、ヤスヨが逃げる。

なぜ逃げる。

俺がヤスヨを追いつめる、ヤスヨはするりと俺のわきを抜ける。

必死の俺を見て、ヤスヨが笑う。

俺も笑った。

二人はブロックを挟み、一つのブロックに二人で手をついて、

見詰め合った。

「、、、ヤスヨ」

「え」

「あなたは」

「、、タカシ」

俺は乱れたオカッパを整えながら答えた、

目はヤスヨを見る事が出来ない、自分の髪先を見ながら。

ヤスヨが笑う。俺も笑った。

 

二人はしばらく話をした。

ヤスヨは園になじめず、友達もまだ出来ないと言う。

先生の手で無理矢理、園庭に連れ出されたが、

すきを見てここに逃げてきたようなのだ。

俺達は友達になれた。

 

ベルが鳴り、御遊戯の時間を告げる。

俺達はとりあえず別れ、

御遊戯の時間が終わり、

お母さんが迎えにくるまでの間、一緒に遊んだ。

 

お母さんの群れがやってくる。

帰りはお母さんが迎えに来てくれる、

何人かの園児は園バスに乗って家の近くまで帰るのだ。

俺のお母さんが来た。

俺のお母さんは、今のところ一匹狼らしく、群れていない。

ヤスヨのお母さんも来た。

ヤスヨのお母さんは小さな群に属しており、

俺は自分のお母さんがその群に属してくれる事を祈った。

 

ヤスヨが行ってしまう、彼女は去りぎわ俺を見た。

左手をお母さんに引かれ、名残の目線を俺に送った。

またな、俺のジュリエット。

 

大きいため息をつき、

俺は俺の傍らで俺の手を握っているお母さんを見た。

お母さんはでっかいおばさんと何か話している。

黒い服を着たでっかいおばさんは、化粧臭かった。

話しの内容は盗めない、

大人の人間が話す言葉は俺達のそれとはまったく異なるものだ。

とにかくそんなおばさんと話すより、ヤスヨのお母さんと同じ群に入ってほしい。

二人の大人の会話を見上げていると、

彼方からコウジと、コウジの手を引くお母さんが俺達の方に向かってきた。

「、、おう」

「どうした大将、

顔色がさえねえな」

「ちょっとな」

「、、女かい」

コウジの言葉に、息を呑んだ。

「図星みたいだな」

「、、だまりな」

「ふ、まあいいやな。

それより、このでかい化粧臭いお母さん誰だと思う」

「このでかい化粧臭いお母さんの事か。

誰のお母さんだ」

俺達はそれぞれのお母さんに手を引かれ、

でかい化粧臭いお母さんを見上げる。

俺達の横をクラトが、

通り過ぎる。

「ま、まさか」

クラトはでかい化粧臭いお母さんの手を握った。

「よう、チビども」

俺はでかい。しかしクラトよりは小さかった。

そして何より、本当に小さいコウジは結構本気でへこんだ。

俺だってへこむぜ。

これが俺のお母さんが属する群じゃねえだろうな。

 

俺の予感は当たった。

 

 


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