革命軍に入隊した頃、マリアは9歳だった。
まだ銃を持ったこともなかった彼女は、はじめのうちは主戦場へ出るよりも諜報活動や食料調達を任されることが多かった。

最前線で戦う同志たちのために、マリアは夕食の支度をしている。
厳寒の中で作戦を遂行する彼らにとって、ボルシチは身体を温めるのに欠かせない料理であった。

(…よし。あとは味付けをするだけね。)

野菜の煮え具合を確かめていたところへ、伝令を終えたイワンが顔を覗かせた。

「やあ、マリア。そっちはどうだい?」

あともうちょっと、そう答えながら手早く調味料を入れていく。
その様子を見ていたイワンが、慌ててマリアの動きを止めた。

「おいおい、そんなに脂身を入れちまうのかい?」

「だって、ボリスがその方がおいしくなるって…」

ここへ来て最初にボルシチを作ったとき、手伝ってくれたのがボリスだった。
彼はマリアが母から教わった配合よりさらに脂身を多く入れるよう指示した。
そのときはそんなものなのか、と思っていたのだが。

「いや、脂身はそんなに入れなくていいんだ。
むしろ塩をもう少し…うん、こんなものだな。」

つかつかとなべの傍へやって来たイワンは、塩の入った皮袋を手にすると、匙を使って無造作に塩を加えていく。
その量はマリアが想定していたものよりはるかに多かった。

(どうなっても知らないから…)

マリアは心の中で溜息をついた。



「おい、今日のボルシチは少し塩辛くないか?」

戦いから戻り、食事をとっていた仲間たちの誰からともなく声が上がった。

(やっぱり…)

マリアはイワンの方をちらりと睨み付けた。

「ああ、俺が塩足したの。
やっぱりこのくらい塩味がないと。」

そう言いながら、イワンはおいしそうにボルシチを食べている。

「俺はもう少し塩は少ない方が好きだな。それより脂身をもっと入れたほうが…」

「バカ、脂身なんか多くしたら、せっかくの味が台無しだろうが。
トマトペーストだよ。」

「何言ってるんだ、ワインビネガーだろ。」

あちらこちらで味付けについての言い合いが始まった。
振って沸いたボルシチ論議、もはやマリアに彼らを止める術はなかった。

「隊長、どうしましょう?」

マリアは困ったような表情で隣に座っている隊長、ユーリの方を見やった。
こんなとき頼りになるのは彼しかいない。
彼はしばらく黙っていたが、やおら立ち上がると場にいた一同を一喝した。

「いいから黙って食べろ。」

短い言葉だが、彼の発言には重みがあった。
途端に一同は我に返る。
ここは戦場、自分たちのおかれている現状を考えれば、食糧に注文をつけている余裕はないのだ。
急に場が静まり、皆が黙々と目の前の食事を平らげて行く。
食後、片づけをしながらマリアは先ほどの騒動について責任を感じていた。
自分がいつもと味付けを変えなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。
それにしても、皆があそこまで自分の味にこだわる理由が彼女には理解できなかった。

「どうした、さっきのことを気にしているのか?」

背後からかけられた声に、マリアは振り返った。

「隊長…」

何故かこの人物には自分の考えていることを見透かされてしまう。
彼女には不思議でならなかった。

「まあ、あまり気にするな。
ボルシチは家庭の味の代表みたいなものでな、家の数だけ味があるといわれている。
俺たちの同志には親を亡くした者が多いから、お袋の味を懐かしく思うのは仕方ないことかもしれん。
…そうだな、もし味の好みを言ってくるものがいたら、できるだけ希望を取り入れてやってくれないか。」

ときに厳しく、ときに優しく、自分たち隊員を見守ってくれる隊長。
大人数の寄せ集め部隊を率いるだけの人望が、彼には備わっていた。
この人なら付いていける、いつの日かこの背中に追いつきたい、いつかこの人の役に立てるようになろう。
マリアは幼い心に固く決心する。

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