おふくろの味?
9月も後半になると、ぐんと秋めいてくる。
空は高く澄み渡って、通り過ぎる風に湿気を感じない。
長袖を着ていてもそれほど暑くなく、むしろ半袖を着ている方が肌寒く感じる日の方が多い。
大帝国劇場では秋公演「青い鳥」が上演されている。
この演目の稽古中は帝国華撃団としての出動が頻繁にあったこともあり、ギリギリまで主役の二人が役作りに苦しんでいたようだ。
それでも何とか初日を開けることができ、中日を過ぎた今日はちょうど休演日に当たっていた。
「どれもおいしそうですね。」
八百屋の店先に並ぶ秋の味覚を眺めながら、嬉しそうにマリアが言う。
梨、栗、葡萄、などなど、秋は大地の恵みが最も多い季節でもある。
「本当にいい季節になったなぁ。」
大神も同調する。
過ごしやすくなった気候のおかげで、ようやくマリアも元気になったようだ。
その彼女が休演日を利用して、久しぶりに料理を作ることになった。
二人はその材料の買出し中である。
もともとはマリアひとりでボルシチの材料を買いに行くはずだった。
アイリスが秋の果物のケーキを食べたい、とせがんだのでそれも作ることになり、増えた食材を持つ人員が補充されることになったのだ。
はじめはカンナが行く、と自ら申し出たが、カンナが行ったのではあれこれと目移りして収拾がつかなくなる、というすみれの発言により、その申し出は却下された。
そしてカンナの次に力持ちの大神が借り出され、現在に至る。
いとおしげに果物たちを見つめるマリアの様子に、大神は彼女の意外な一面を見たような気がして、思わず口を滑らせた。
「それにしてもマリアって意外と食いしん坊だったんだね?」
一瞬言葉に詰まった様子だったが、ふふっ、と笑ったあとでマリアは答えた。
「…食いしん坊かどうかはわかりませんが、旬を味わうのは好きですね。
…私の故郷では、ここほど秋を楽しむ余裕はありませんでしたから…」
シベリアでは夏が駆け抜けると短い実りの時期を迎え、すぐに凍てつく季節がやってくる。
帝都に来るまでの彼女にとって、秋は厳しい冬の前触れであった。
楽しむ暇などあるはずがなく、むしろ恨めしい存在であったに違いない。
悪いことをいってしまったような気がして、大神はしゅん、とした表情になった。
まるで、叱られた後の子供のように。
「そんな顔をなさらないで下さい。
私は大丈夫ですから。
さぁ、材料の買出しもすみましたし、そろそろ帝劇に帰りましょう。
では、こちらの荷物をお願いしますね。」
大神は当然のように三つある買い物袋の中から一番重いものと次に重いものを手にした。
「よいしょっと。じゃ、帰ろうか。」
それぞれ夕食の材料を手に、帝劇へ向かって二人で歩き始める。
買い物から帰った大神は、厨房でマリアの手伝いをしていた。
ボルシチを作りながら同時にアイリスのリクエスト――相談した結果、モンブランに決まった――を作るのは大変な作業である。
ケーキはともかくボルシチなら何度か一緒に作ったことがあったので、そのまま手伝うことにしたのだ。
それに、手伝っている間は少なくともマリアの傍にいられる。
そんな計算も少々働いていた。
料理をするときの彼女は、ジャケットを脱いでフリルをあしらった白いエプロンを纏っている。
普段着にシンプルなものを好む彼女にしては珍しいと思ったが、似合っているので何も言うことはない。
デザインのせいか、普段よりも表情が優しく見えるのも大神には嬉しかった。
少しでも長くこの姿を見ていたいというのが、正直な気持ちである。
「では、今日の調味料を言いますね。
大匙でそれぞれトマトペーストが3、ワインビネガーが2、脂身3、トマトケチャップが1、それと塩コショウ2ふりです。
よろしくお願いします。」
大神が作り慣れているせいもあってか、マリアは的確に指示を出しながらも、自らの手は休むことなく動かしている。
いつもながら器用だなあ、と大神は思った。
「あのさ、ひとつ聞いてもいいかな…」
はい何でしょう、とマリアはようやく手を止めて振り返った。
「どうしていつも調味料の分量が違うんだい?」
これは大神がボルシチを作るのを手伝うとき、いつも疑問に思っていたことだ。
材料や使用する調味料はいつも同じなのに、その配合は作るたびに異なる。
「ああ、そのことですか。
ボルシチは日本で言うと味噌汁みたいなものなんです。
それぞれの家庭ごとに独特の味があって、具に入れる野菜も家によって違ったりするんですよ。
私はいろいろな人に作り方を習いましたから…。」
マリアは少し遠い目をしたあとで、革命軍時代の話を始めた。