南風のたよりNo24


    南の島の話し・・・24号 


      消してしまいました

     25号をUPする時にファイル名を間違えて24号にして、本来有ったはずの24号を消してしまいました。なので本物のの24号は期間限定で消滅してしまった訳です。しかし、それほどたいした事が書いてあった訳でも無く、まあ、わざわざ似たような事を書く必要も無いかと思い、新24号をUP致しました・・・それこそどうでも良い事ですね。

    びっくり仰天の医者の技術

    8月4日6時頃、私は勝手知ったる「プロベンシャル病院」にいました。しかもいつもの救急治療室です。3年間で3度目です。
    この日はダイビングの事故で負傷して運び込まれたのです。私としての緊張度は過去最高・・・危険度4を指していました。危険度5になると私は立っていられなくなります。
    細かい事情は省いて・・・顔面と頭部に人が背負ったタンクがヒットしてしまったのです。
    私は腕と左右の指先と肘に痺れと痛みを感じていました。痛みは・・・痛み度4でありました。これが5になると私は失神します。と、言う程痛かったのであります。指先と肘は鳥の羽でなぜられても激痛と言う程でありました。
     ああ、なんと神様は・・・・緊急治療室のいつものベットの上で私は、3年前に出会ったあの「天使のような看護婦さん」に再開したのであります。私の心は、緊急事態にもかかわらず本性を現し、トキメイテいたのでありました。しかし、その看護婦さんは・・・3年の月日が彼女に看護婦の威厳と貫禄と手際の良さを与えていました。たぶん、3年前は新人だったのでしょうね。痛みをこらえつつも私は、あの頃よりは幾分上手になったつもりの英語とビサヤ語で食事に誘ったのですが黙殺されてしまいました。
    以上余談でありました・・・これからが本題です。
    私の前に現れた外科医は年の頃なら35才〜40才。良い男でありました。この病院の医者に共通するのは亜米利加英語がきれいな事であります。彼は英語の得意では無い私に、最大級の分かりやすい英語で問診してくれました。触診と問診の時間は延べにして一時間以上でした。
    彼の診断は首のC-4,C-5に異常有り。捻挫のようなもので神経が圧迫されているので安静を要する。従って入院すべし・・・でありました。しかし、私は明後日にはセブに、そしてその翌日には日本にお客さまといっしょに戻らねばならなかったので、ガンとして入院は拒否。
    彼はとてもシリアスなケースと言う事を承知の上で、貴方がそう言うのなら仕方が無い。しかし、日本に帰ったら一刻も早く病院に行くようにと私に言って釈放してくれました。
    痛み止めの薬をもらって飲むとかなり楽になりました。
     そして日本ですぐに病院に駆け込んで、レンドゲン・CTスキャン・MRI・・・?とにかくいろんな機械を駆使して私を調べてもらったのですが、診断の結果は、触診と問診だけのフィリピン医者の彼のものと同じでありました。
    まあ、日本の医者だってそれ位は出来るのでありましょう。機械が無ければ同じように触診と問診だけでも診断出来るのでありましょうと思うのですが、私は設備の乏しいあの病院の医者の、なんと頼もしい事かと感動したのでありました。
     ああ、それにしても惜しむらくはあの初々しかった看護婦さん・・・失礼しました。


    では、また。

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