南風のたよりNo13


    南の島の話し、闘鶏 


    5月にドゥマゲッティーに来たお客さんと夕食に街に出かけた帰り道でした。ちようど土曜日で、ドゥマゲッティーの街の大きな闘鶏場の開催日だったので、通りまで大きな歓声が響いていました。そこを食事の後に軽トラで通りかかって歓声を聞きつけた一行が、「いくべしぃー」と言う事で、闘鶏に行ってみました。
    私自身闘鶏場に入るのは2度目でした。しかも、一度目は詳しい地元の人といっしょだったので、実際は今回が初めてのようなものでした。
    闘鶏場の周りにはバイクがずらりと並び、駆け付ける乗客を乗せたトライシィクルが道路を占拠していてなかなか前に進まない、大渋滞が起きています。時折、大きな歓声やどよめきが聞こえて来ます。闘鶏特有のかけ声も聞こえて来ます。闘鶏場の脇の路地には、ずらりと屋台の食堂が並んでいて、酒を飲みながら出番を待つ者や、終わった勝負の感想を語り合う人などが座っています。私達で無くても、地元の人でも慣れていないと入れない、一種独特の雰囲気に包まれた一角です。
    今の競馬場の事は知りませんが、昔、私が草競馬に凝って通った、地方の競馬場の食堂で味わった雰囲気に似ていたような気もします。
    闘鶏場の片隅の小さなテーブルに裸電球が一個、ぼやっと灯っていました。そこでは戦いがすんで傷ついた鳥の手当てをしている人が、針と糸で闘鶏の傷口を縫っていました。手当てのかい無く死んだ鳥は、無造作にぶら下げられて解体場に行くようです。
    さて、我々一行も意見がまとまって入場する事に決定。しかし、通訳兼がイドでついて来ていた地元の若い女性は闘鶏場に入るのを拒否。理由は、こんな所に出入りしていたら「嫁に行けなくなる」とのことでした。闘鶏場とは、一般人はあまり近付かない場所のようです。
    入場券は立ち見席と椅子席に別れていて、立ち見席を「アウトサイド」。椅子席を「インサイド」と呼んでいました。インサイドは言わばボクシングのリングサイドみたいなもので、闘鶏の土俵の直ぐ真ん前です。「立ち見席の写真」
    我々は、料金は高い方が良いだろうと勝手に解釈して「インサイド」に入場。実は、インサイドは、馬券ならぬ闘鶏券を買う人の席だったのです。料金は、入場料が10ペソ位で、インサイドの別料金が7〜8ペソだったと思います。
    我々がインサイドに入って行くと、いろいろな席から歓声とどよめきが上がりました。たぶん、一目で日本人の旅行者と分かる一行が、にこにこと何の心配も見せずに入って来た事に対する驚きだったろうと思います。なぜならば、地元の人の間でも、ドゥマゲッティーの闘鶏場は危険なので注意しろと言われているくらいなのです。時々エキサイトした観客同士の喧嘩や、はては発砲事件まで起こる事も有るのです。私も話には聞いていたのですが、食事の時のアルコールの勢いと、今日は全員で5人もいると言う事で気が弛んでいたのかも知れません。とにかく、入場すると大歓声と歓迎のコールが起こりました。「ビジターが来た、席を空けろ」とあちこちで声がしました。戸惑っていると、土俵の真ん前の一番良い席が空けられ、手招きで呼ばれました。我々は好意に感謝しその席に座りました。
    座って回りを見れば女性は皆無でした。我々の一行には紅一点が居ましたが、彼女以外に女性の客は居なかったろうと、私は思います。我々のガイド嬢が、冷たい目線で私に「車の中で待っています」と言い放った訳は簡単に理解できました。そして、一言小さく「ガーゴ」と言ったのも聞き漏らしませんでした。ガーゴとは、「馬鹿者」と言う意味でした。
    我々は勧められた席に座り、闘鶏の闘い方。賭け方の講釈を聞いていました。親切に分かりやすい英語で、要するに「右」か「左」の鳥に賭ければ良いとの事で、実に簡単明瞭。細かいルールとしては、総ての博打に共通の「締めきり時間」があり、それ以後の賭けは出来ない事。また、左右が揃わないと成立しない事も有る事。儲けは掛け金が倍になって帰ってくる事、などを教えられました。
    闘鶏の戦い方は、鳥は足にナイフをつけています。そのナイフで相手を蹴りつけてダメージを与えます。起きあがれなくなった方が負け、という単純なルールだと説明されました。「天国と地獄の写真」
    我々は、自分達ではマッチメイクができません。相手を探して組み会わせる事が出来ないのです。まあ、花見酒で身内で回しても良かったのですが、それではつまらないので、「予想屋」の手を借りました。彼は自分が勝つと思う方を紹介し、我々が出した掛け金に乗ってくれる相手を探して勝負を成立させてくれました。彼の手数料は2割りです。
    我々の掛け金は、自分達は僅かな額だと思って賭けていますが、「場」としてはけっこう大きかったようで、一人で我々5人分を相手にできる人はなかなか居ないようでした。成立させるのには、予想屋も苦労して居ました。彼は自分が「左」が良いと見ると、我々に「左でどうだ」と聞いて来ます。我々は鳥の見方も知りもしないのに、土俵中央で見合って逆毛を立てて相手を威嚇する闘鶏を見ては「うーん・・左が良さそうだな」などと言われた通りの方に賭けるのでした。予想屋の彼は大きな声で「俺は左だ」と言う意思表示をします。「レフト・・レフト」と叫び続けます。
    発売締めきり3分前になると日本の競馬場の馬券売り場も込み合いますが、ドゥマゲッティーの闘鶏場の盛り上がりも、締めきり3分前頃からが最好調です。あっちこちから「ライト」「レフト」と「??? サイド」のかけ声が怒声となって叫ばれます。このかけ声で自分の賭けの相手を探しているようです。
    我々は座って直ぐから賭けはじめ、もう2ゲームを取って居ました。予想屋氏の腕はなかなからしく、3ゲーム目は分かりづらいので乗ってくる奴がいるだろうから大きく行け、と言って来ました。我々は5人で総額1300ペソを賭けました。1300ペソは4000円弱です。日本の競馬場なら1レースの普通の掛け金としても大した事は無い金額ですが、ここでは結構な額です。受け手立つ人がなかなか現れず、我々のゲームは成立しませんでした。そのうちに土俵の中の人に予想屋氏が大声で何かを言うと、土俵の中から怒ったような声で怒鳴り返して来ました。その途端予想屋氏はにっこり我々に微笑んだのでした。多分、右の鳥の持ち主なのだろうと思います。そして予想屋氏は、多分「お前の鳥が弱っちくて、ゲームが成立しないよ」くらいの事を言ったのでは無いかと思います。怒ったおやじさんが、「んなら俺が受けちゃるわい」と来たのでは無いかと、想像します。
    このゲームは長引きました。お互いに一歩も譲らず、両方が倒れて座り込むシーンが有り、これは引き分けかと思ったりしたのですが、なかなかどうして。行司は鳥のクチバシを突き合わせ、さらなるファイトを命じました。すると鳥は、最後の力を振り絞って飛び上がり、左足に付けたナイフで互いの最後の一撃をくわえました。しかし、これでも勝負はつかず、両者は座り込んで動かなくなってしまいました。鳥の飼い主が何やらかけ声を賭けて居ました。しかし動きませんでした。いよいよ引き分け、と思った時でした、我々の賭けていた左の鳥が突然立ち上がって飛び上がり、一撃を放ちました。これで勝負がつきました。 「死んだ鳥の写真」
    名勝負にわいた場内のざわつきも大分落ち着いたのですが、我々の予想屋はちょと困った顔をしていました。負けた方のおじさんが裏に消えたまま出てこないのです。金が来ない事を心配している様子でした。
    しばらく裏に引っ込んでいたおじさんは、少々赤くなった目をうつろにして現れて、金は無いと開き直りました。そこで怒った予想屋が大声で怒鳴り散らし、私には聞き取れないビサヤ語で喧嘩を始めました。やれやれ、金なんてどうでも良いのにと思っていたら、高い所から土俵中央に金が投げ入れられました。輪ゴムで束ねた500ペソ札がバシッと投げ込まれました。
    おじさんは投げ込まれた札を拾い、客席の上段を見つめて「にやっ」としました。おじさんの友だちのようでした。
    取り組みも進んで、周りの観客が相当に興奮して来ているのがうかがえました。そろそろ潮時かなと思ったので、我々は金をもらい、予想屋氏に少し余計に分け前をはずんで、ここを引き上げる事にしました。
    初の闘鶏に3連勝。儲けた金は私が800ペソでした。5人総勢だと2000ペソ位は儲けたでしょうか。2000ペソは5500円位です。こちらの収入の水準から行けば結構な額でした。
    そう言えば、7〜8年前にセブのカジノのスロットマシーンで大当たりを出して大変な騒ぎになった事を思い出しました。近くに居たお客も、店員も、みんなが口々におめでとうと言ってくれました。手にしたコインはバケツに2杯でした。
    それをペソの札に替え、その後円に替えた金額は、20000円でした。パチンコの大当たりよりも少ない儲けだったのですが、当時は物価がもっともっと安かった事もあって、20000円は使い出がありました。
    闘鶏は見ていて楽しいものか、と聞かれると、答えはなかなか難しいです。目の前で鳥が死にますから、動物愛護派の人には堪え難いものでしょう。しかし、私はあの闘争心に興奮しました。
    もしも見たいと思ったら御案内しますよ。毎週土日開催です。

    ではまた


    では、また。

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