欲せよ 望めよ 愛せよ!
 世界はふたたび君たちのものとなった
                    ヘルマン・ヘッセ















 ――かくして。
 飛行機は見事に墜とされた。


 時間を遡行しよう。煙を吐いてぐんぐん落下する飛行機がまだ無事に操縦さ
れていて、一路ヴァチカンへ突き進んでいた頃。
 時間的には午後六時三十八分。
 そう、墜落したのはシエルとダークマン、そしてキャルが乗っていたあの飛
行機である。
 飛行機にトラブルらしいトラブルは一切なかった。空港から出発する際に機
体のチェックは綿密に済ませていたし、吸血鬼信奉者が飛行機に爆弾を仕掛け
たということもなかった。
 現にヨーロッパに辿り着くまでは、全くもって順調に飛行していたのだ。

 では墜とされた原因は何かというと、それは至極単純な事実だ。
 撃墜。
 つまり、“撃ち墜とされた”のだ。
 そして今回の場合に限って何が彼等の乗っていた飛行機を撃墜したのかは問
題ではない。
 問題は“誰”がこの飛行機を落としたかだ。


 シエルが「夕食にしましょうか」と提案し、キャルとダークマンが賛同した。
 以下は、彼女が機内食として選択したメニューである。
 カレー。
 カレーライス。
 カレーパン。
 カレーピザ。
 カレーラーメン。
 カレーサンドイッチ。
(サンドイッチにカレーを塗りたくっただけ)
 しかもそれぞれ甘口と辛口にきっちり分かれている。さらにカレーとカレー
ライスがきっちり区分されているあたり、シエルのマニアっぷりがよく表れて
いると言えるだろう。
 キャルは甘口のカレーピザを食べたところで降参し、ダークマンはカレーパ
ンを一口齧っただけで、残りを食べるのを諦めた。
 という訳で残りのカレーは全てシエルが綺麗さっぱり見事に食い尽くした。
 ダークマンとキャルは呆れた様子で、彼女の健啖ぶりを見守っていた。
 勿論、飛行機を発見した空を飛ぶ吸血鬼には、彼女達が何をしていようと関
係がなかっただろう。彼に与えられた任務は飛行機の撃墜であり、第七聖典を
所持する第十三課の双璧、シエルの抹殺である。
 飛行機を操縦していた機長と副長が、まずそれに気付いた。
「機長! あれ、見てください、あれ!」
「な……なん……なんだぁ!?」
 彼等の操縦する飛行機前方をカーブを描いて飛翔する小型の飛行機。否、飛
行機ではない、一見すると複葉機のようにも見えた。が、複葉機のようなクラ
シックな乗り物だとは思えないほどの飛行を繰り返しながら、その飛行物体は
真っ直ぐ彼等の操る飛行機に向かって突き進んでくる。
 二人が視認できる距離にくると、彼等の頭は完全に発狂しかかった。
「ば……化物!」
 その化物の翼に装備されたガトリングガンは、非現実的な光景に発狂しかか
った二人の脳味噌をコクピットに撒き散らした。

 ガクン、と機体が突然揺れた。
「じ、地震?」
 キャルが思わずそんなことを呟く。確かに地震のようにぐらぐらと機体が揺
れる、シエルは矢のように走ってコクピットを一目見て、すぐに諦めた。
「……ダメです、脱出しましょう!」
 そう言って、パラシュートを三つ抱えて二つをキャルとダークマンに放り投
げた。
「その左の紐を引けば、パラシュートが開きます!」
「パイロットは!?」
「とっくにくたばってます! 私達もさっさと飛ばないと仲間入りしちゃいま
すよ!」
 キャルは降下訓練で何度もパラシュートを使用したことがあるので、別段慣
れてはいたが、こういう危機的状況でのパラシュート降下はさすがにない。
「さあ、早く!」
 シエルが飛行機の扉を強制レバーで開く。続いてキャルが頷いて飛び出そう
としたその時。
「待て! 待つんだ!」
 ダークマンが二人を制止した。
「待つって……待てる訳ないだろ!?」
「そうですよ!」
「いいから待て! ……シエル、パイロットは死んでいたんだな?」
 シエルは頷く。
「どういう風に?」
「どういう風にって……躰中に大穴開けてましたけど」
「撃ち殺されたんだな?」
「だと……思います」
「じゃあ、撃った奴はどこにいったんだ?」
 その間も飛行機はどんどん地上に向かっている、幸い地上は田舎の草原その
もので、墜落した飛行機が二次的な災害を起こす心配はなさそうだ。もっとも
今はそんなことを考えていられる余裕はなかったが。
 シエルは後部座席に走ると、山のような荷物から特大のケースを引っ張り出
してきた。ケースを開くと、中からパイルバンカーのような武器――言わずと
しれた第七聖典――が現れる。
「私が先に降り……!?」
 パラシュートを担いで、シエルがそう叫んだ途端、飛行機後部が轟音と共に
切り裂かれた。
「な……!」
 穴だらけのチーズと化した飛行機の後部が、まるで生き物のように悶えて引
き千切れた。
 凄まじい勢いの突風が三人の躰に叩きつけられる。
 立つことは勿論、悲鳴を上げることすらままならない。
 ――不味いな、このままでは全員仲良く地面とキスだ。
 勿論三人とも、地面の求愛行動に殺されてしまうだろう。
 考えている暇はない。
 ダークマンは二人と第七聖典を抱え上げると、飛行機の傷口から一気に身を
躍らせた。
「きゃあああああああ!」
 心の準備を行っていなかったシエルが思わず叫んだ。
「全員、パラシュートを開け!」
 叫ぶなり、空中でダークマンは二人をなるべく飛行機から遠くへ放り投げた。
 パラシュートを開くまではまだ余裕があったが、シエルはほとんど無我夢中
で左の紐を引いて、しっかりと第七聖典にしがみついていた。
「バカ、早すぎるよ!」
 キャルがそう言うが、シエルはパラシュートによってあっという間に空高く
昇っていった。
 二つに分かれた飛行機は爆発することなく、そのまま地面へ真っ逆様に墜ち
ていく。既にそれらはキャルやダークマンの遥か下を突き進んでいた。
 ――落ち着け。
 パラシュートを開くタイミングまで、あと十秒はある。キャルは左紐を引い
てこの状況から解放されたくなる欲望を堪えながら、地面を見た。
 宵闇で何も見えないが、なだらかな起伏がなんとか判別できる。恐らくは草
原だろう。
 自分ならば、怪我一つせずに落下できそうだった。
 ダークマンはどうだろう? 彼の方を見るが、パニックに陥っている様子は
ない。彼はスカイダイビングの経験者なのだろうか? とてもそうは思えない
けれど。
 ともかく、冷静ならばそれに越したことはない。
 問題は、シエルだ。
 空を見上げる。シエルの姿は暗闇に紛れて全く見えなかった。

 スカイダイビングしたのは生まれて初めてなのだから、パニックに陥っても
仕方ないではないか、とシエルは自己弁護していた。
 パラシュートを開いたことでパニックは収まったが、それでも意外なくらい
速い。このまま地面に着地したら、両足が折れることは覚悟しなければならな
いかもしれない。
「やだなー……」
 ロアが滅んだことによって、不死身の躰こそ失われてしまったが、折れたく
らいなら、まあ一時間も放っておけば再生法術で治癒できるだろう。
 だからと言って両足を折られたくはない、一瞬とはいえ痛みは躰全体に響き、
大変に辛い。
 以前テレビで見たスカイダイビングの風景、特に着地のシーンを必死に思い
出す。日本でよく見ていたテレビの番組ではアイドルやらお笑い芸人やらをく
くりつけたインストラクターがまるで空中の階段を降りるような見事な着地を
見せていた。
 ――ともかく、このバカみたいな体勢を直しましょう。
 手で空気を掻き分けて、足が地面を歩けるように体勢を立て直す。だが、何
しろ第七聖典というお荷物を抱えているため、それだけでも一苦労だった。
 必死の思いで体勢を立て直し、第七聖典をしっかり両腕に抱え込む。
 ようやく一息つくことができた。
 とは言え、地面に上手く着地するにはまだまだ安心できない。それにまだ飛
行機と撃ち落とした謎の“何か”だって――。

 シエルの背後に光が煌いたかと思うと、右肩に灼熱の塊が叩き込まれた。
「!?」
 激痛が躰中を疾走する。右肩だけでなく、左足、背中、喉、ありとあらゆる
ところに。
 絶叫しながらも、振り向きながら片手で第七聖典を構えた。
 マズルフラッシュが連続して瞬く、こちらに銃弾を撃ち込み続ける何者かの
姿を、シエルの目がとうとう捕らえた。
「レッド…………バロン!」
 それは全身が血のような色に染め上がった、巨大な悪魔だった。日本の狛犬
のようによく使われるガーゴイルの石像がそのまま動いている。
 ガーゴイルの石像と違うのは恐らく二メートル以上はあると思われるその巨
体と色、何よりも両翼と一体化したガトリングガンとそこから垂れ下がる弾帯
だ。
 生きながらにして伝説となり、吸血鬼となってからは闇の空にその名を轟か
せた紅の男爵(レッドバロン)。
 真の名はマンフレート・フォン・リヒトホーフェン。
「このっ……!」
 シエルは無我夢中で第七聖典を放った。第七聖典は転生を弾劾するという吸
血鬼に対する究極の殲滅兵器とでも言えるべき存在だが。


 ――当たらなければ、ただの器物に過ぎない。


 戦闘機では絶対に有り得ないような横っ飛びを行って、撃ち込まれた転生の
弾劾文をあっさりと避けると、アトランダムな横の移動を繰り返しながら、シ
エルへとぐんぐん迫ってくる。
 全身が痛む、が、治療にかける時間はない。ヴァチカンの再生技術に望みを
賭けるしかない。
 痛みで意識を失わないようコントロールしながら、第七聖典を四方八方に撃
ち続ける。
 射撃術を吾妻玲二か、エレンあたりに学んでおけばよかった、と心の底から
シエルは後悔した。まさか死ぬまでにこういうドッグファイトを体験するとは
思わなかった、日本に戻ったらゲームセンターで特訓しよう。
 そんな馬鹿な考えが頭に浮かんだとき、シエルの命綱であるパラシュートの
紐が銃弾で切り裂かれた。
「……え?」
 今や引力から抵抗する術を失った彼女の躰の落下速度が、ゆっくりと増して
いく。
「あ、あはははは」
 痛みと、状況が複雑に絡まり合って、シエルは思わず乾ききった笑いを見せ
た。
 どん、と速度が増した。躰が引力に引っ張られる。ジェットコースターを兆
倍過激にしたような状況に、シエルは失神したくなった。
 だがこんな彼女を、尚もリヒトホーフェンは追撃してくる。
 落下するシエルにガトリングガンの狙いはつけにくいらしく、両足の鉤爪
で引き裂こうと彼女に迫る。
 ――上等じゃないですか……。
 シエルは躰をぐったりとさせて目を閉じた。
 失神した、と見て取ったらしいリヒトホーフェンは余計な動きを一切止めて、
真っ直ぐ彼女に向かう。
 落下の恐怖と、リヒトホーフェンへの恐怖と必死で戦いながらシエルは尚も
動かないという行動を取り続ける。
 そしてリヒトホーフェンの鉤爪が彼女の腹部を捕らえようとした瞬間。
 シエルの目が見開かれる。
 リヒトホーフェンが彼女の眼に気付いて、一瞬硬直する。
 袖口からするりと飛び出した黒鍵を、思いきりリヒトホーフェンの胸板に叩
きつけた。
 彼の躰が爆発する。
 リヒトホーフェンは獣の悲鳴をあげて逃げ惑った。シエルは下品にも中指を
おっ立てて「ざまあみやがりなさい!」と叫んだ。
 彼は悪鬼の表情でギロリとシエルを睨んだが、彼女が第七聖典を構えるのを
見て、すぐに冷静な顔つきに戻ると彼女に背中を向けて何処かヘ飛び去ってい
った。
 どんなにシエルにダメージを与えようが、吸血鬼は彼女が持つ第七聖典の直
撃を受ければ即時に消滅する。彼はその威力と、自分の身体ダメージを考慮し
て避けられないという可能性の高まりを感じ、撤退した。
 急いで片付けなければならない問題が去ったことで、シエルはほっと一息つ
き、急いで片付けなければならない二番目の問題を考えることにした。
「どうしようもない……」
 数秒考えて諦めた。
 思いきりどうしようもない。いくら彼女といえども、空を飛ぶ秘術はロアの
知識にもなかった。
「……エル……!」
 誰かが自分を呼んでいる。
 ああ、もし天国があるとするならばこれが天使の声なのか――と下らないこ
とを考えながらも、無意識に視線が声のした方へ動いた。
「シエル! 聞こえる!? 聞こえるか!?」
 キャルがぐんぐんシエルに迫ってきていた。
「キャル!」
 キャルはまだ背中のパラシュートを開いてはいなかった。
「こっちに近付けよ! 早く!」
 慌ててシエルはよたよたと空中を両手で掻き分けながら、キャルの元へ必死
で近付く。
 キャルはシエルの右手を握り締めて強引に引き寄せた。
「開くよ、いいね!」
 返事を待たずにキャルはパラシュートの紐を引いた、彼女達の躰が再び上昇
する。だが、キャルは知っていた。あまりにも高度が低すぎる、このままでは
間違いなく地面に激突する。
「シエル! 地面に激突しちゃう、なんとかならない!」
 暴風に声を絡み取られながら、キャルが叫んだ。
「なんとかって、何すればいいんです!?」
 助かるかも、という一瞬の希望を潰されそうなことから、逆にパニックに陥
り始めていたシエルも叫ぶ。
「なんでもいいんだよ! アンタ魔法使いなんだろ!?」
 応じるキャルも、またパニックに陥り始めていた。
「あんな連中と一緒にしないでくださいっ! ……こ、こうなったら!」
 シエルは袖口からもう一本の黒鍵を取り出した。
 ぐんぐん降下する、黒く塗り固められた地面が見える、キャルは覚悟を決め
て目を閉じたがシエルは瞬き一つせず、それを迎え撃った。
 手を勢いよく後ろに伸ばして、二人の躰が地面に叩き付けられるより一瞬だ
け速く、黒鍵を地面に突き刺す。火葬式典の呪刻を施された黒鍵は突き刺さっ
た先端から爆裂し、衝撃でほんの一瞬、ほんの数センチ二人の躰が上昇した。
 それでも地面に叩き付けられることは避けられなかったが、致命傷とは成り
得ない。二人して、長閑な草原にごろごろと転がる。
 動きが止まる。
 キャルはようやく目を開いた。耳元で虫が綺麗な声で鳴いている、雨でも降
っていたのか、地面は濡れそぼっていてひんやりとしていた。
「……死ぬかと思った」
 実に分かりやすい感想だった。
「わ、私も……死ぬ……かと……思いました……」
 ぜぇ、ぜぇと荒い呼吸を繰り返しながらシエルもキャルの感想に賛同する。
 ――ああ、良かった。本当に良かった。
 かつてヴァチカンの虜囚となって殺されることを繰り返していたとき、誰か
が「地上から五千メートルくらい上の空から落としたらこいつも死ぬかもしれ
ない」などと思い付かなくて本当に良かった。

 一人、何事もなかったかのように無事に着地していたダークマンが二人に駆
け寄ってくる。
「……生きてるか?」
「……しばらく死んでる」
「ひ、飛行機は危ないです……これからはヴァチカンまで陸路を行こうと思い
ますけど……どう思います」
「賛成」
「賛成だ」
 キャルもダークマンも一も二もなく頷いた。
「……ん?」
 ダークマンがふと後ろを振り返った。彼等の後方十メートルという極めて間
近な場所へ、空から飛行機の残骸が落下してくる。
「……まずい、耳を塞げ」
 キャルはいち早く反応したが、シエルは考え事をしていたため、ワンテンポ
二人より遅れた、そのせいで超重量の鉄塊が地面に激突する轟音を思いきり聞
いてしまっていた。
 耳を抑えていても否応なく、音の衝撃が掌と耳の間のわずかな隙間から入り
込んで鼓膜を響かせる。
「……みっ……耳を塞いでいてこうなんだから……」
 キャルが横たわるシエルを見た。
「まあ、当然だな……」
 シエルは昏倒していた。
「どうしようか」
 ふむ、とダークマンは顎に手を当てて考える、落下した後で起こり得る爆発
音が聞こえない。となると、飛行機の燃料に火が付いて爆発……という映画で
お馴染みの状況には陥らなかったようだ。
「とりあえず、あの残骸から装備品を引っ張り出してこよう。
 もしかしたら生き残ったものがあるかもしれん」
「シエルは?」
「しばらく寝かせておいてやれ」
 それは彼女を放っておくと同義ではないか、とキャルは思ったが口には出さ
なかった。今は一刻も早い装備品のサルベージが優先事項だ。
「……爆発しないかな?」
「しない内に何とかするんだ、急げ」
 数千メートルを落下した鉄塊の元へ、二人は急いで走り出した。後ろ
でシエルが呷いたが気にも留めなかった。


                ***


 武器の取引というものは、いや、どんな普通の商取引というものでも、お互
いがお互いを信頼することによって初めて成立するものだ。
 玲二はウェイターのしみとしわだらけのうなじにデザートイーグルを突きつ
けながら冷静にそう告げた。
 少年を甘く見た結果だった、値段を吊り上げようとした瞬間腕を捻られ壁に
叩きつけられた。
 無論、普段の玲二はこんなことはしない。惚けたウェイターを鋭く睨み、銃
に手をやりつつも、円滑に交渉を進めようとしたはずだ。
 しかし、今は時間がない。
 うだうだと交渉している暇など存在しないのだ。
 ウェイターは威嚇の唸り声、あるいは隣室で待機しているボディガードを呼
ぼうとしたが、そうすればこの少年は躊躇なく自分の首を吹っ飛ばして驚いて
飛び出したボディガードをも射殺し、その銃声にレストランの客がパニックに
なったところを見計らって悠々と脱出するであろうことは、確実であった。
 彼は当面自分の命を永らえる策を実行することにした。
 即ち、彼の指示に全て従う、彼の言うこと全てに頷く。
 ようやく少年が押し当てていた兇器をゆっくりと離した。ウェイターはよう
やく命というものの大切さを思い出していた。彼はそれを二度と忘れまい。
 ウェイターが内線でボディガードに連絡し、彼らは超特急で顧客の注文した
品を個室に運んだ。
 二人がかりで荷物を運んだ黒服のいかつい躰をしたボディガードは顧客の容
姿に目を剥いたが、別に彼が扱う代物だとは限らないと考え直し、無言で荷物
を運び続けた。
 玲二が注文した銃器は以下の通り。
 バーレットM82A1アンチマテリアルライフル。12.7mm×99機関
砲弾を使用する大型ライフルで、コンクリートの壁でも楽に貫通することがで
きる。
 玲二は吸血鬼の肉体再生能力を考えて、対決した際にはこれがとっておきの
一撃となることを予想した、こんな超重量の兇器を抱えて戦闘する訳にもいく
まい。
 アサルトライフルとして、シグ社製のSG551を二丁。SG550を特殊
部隊用に切り詰めた突撃小銃で、耐久性、命中精度に高い評価を受けている。
 H&K−MP5コッファーを一丁。プラスチック製のアタッシェケース内部
に組み込まれ、ケースのハンドルに付いたトリガーで射撃可能なサブマシンガ
ンだ。
 外を出歩くとき、これなら堂々と持ち歩いても構うまい。
「スリに合わないようにお気をつけなさいませ」
 ウェイターがそんな軽口を叩いたが、玲二は彼を無言で一瞥するだけだった。
 最後にM79グレネードランチャーを二丁選び、武器の一つ一つを綿密にチ
ェックし、地下にある射撃場で試射を行い、ようやく全ての武器と弾丸を選び
出した時にはとっぷりと日が暮れていた。
 裏口には既に彼が用意したワゴン車が回されていた。
 そこに荷物の一切合財を詰め込み、玲二はウェイターに別れを告げる。勿論、
ワゴン車に爆弾が仕掛けられていないかというチェックも忘れてはいない。
「車は荷物を運んだら返していただきたいものですな」
 ウェイターが言う。既に先ほど命を落としかけたことなど忘れている。
「明日にでも返すよ」
 ボディガードが懐の拳銃に手を差し入れたが、玲二が睨んだ途端腕の筋肉が
硬直する。
 ウェイターが「よせ」と彼を押し留めた。ボディガードは懐から手を抜いて、
後ろへ退がる。
「……」
 玲二はそのまま車に乗り込んで、発進させた。
「よろしいんですかい?」
 ボディガードが呟く、彼はウェイターが受け取っていた命令を知っている。
 ――威力の高い武器を選びたがる客が来たら値段を吊り上げるか、脅迫する
かして、武器を渡さないように。
「殺しても構わない、ってことでは?」
「その前に私たちが殺されるよ、あのガキがそこらのチンピラに見えたか?
 ワゴンに爆弾が仕掛けられてないか、きっちりチェックしていくような奴だ
ぞ? あの馬鹿でかいデザートイーグルを苦も無く操るような男だ。
 ……ボスには、普通の取引だった、とでも言っておけ」
「しかし」
「お前な、デザートイーグルを首に押し当てられた俺の身にもなってみやがれ」
 しばらくボディガードは沈黙していたが、頷いた。
「黙っときます」
「これで俺とお前は一蓮托生って訳だ」
 ウェイターは能面のような表情をようやく崩した。


                ***


 石畳のがらんとした部屋に一人。窓はない、そのせいで今が昼なのか夜なの
かも分からなかった。あの鬱陶しくてたまらなかった日光が、なぜかふと恋し
くなった。
 もっともその恋しさは単なる思い出への錯覚なのかもしれない。ここで凍り
ついた時間を過ごす前の、強烈な思い出。それがよかった思い出だろうが、嫌
な思い出であろうが、今となっては何もかもに郷愁の念を感じる。
 部屋の隅に水滴が落ち続けている。
 ぽたん、ぽたん、ぽたん、ぽたん。
 気が狂いそう。
 音それ自体が拷問のようなものだった。音は間断なく彼女の耳に染み込み、
一度として音が止まることはない、その上水滴はきっかり一秒間隔で落ちるも
のだから、この音が否応なしに遅々として進まない時間を知らせてくれていた。
 部屋の隅で目を閉じて視覚情報を遮断し、耳を塞いで聴覚情報を極限までカ
ット、できれば息もせずに嗅覚情報も遮断したかったが、さすがにそうはいか
ず、可能な限り口で息を吸って吐くことで黴臭さから逃れようとした。
 しかし、思考だけはそう上手くいかない。
 否応無しに物事を考える、当然視覚・聴覚・嗅覚・触覚などから与えられる
情報は絶望だけだ、だから過去の思い出だけを考える。
 彼女はそうして日々を過ごしていたが、このところその思い出が日々急速に
色褪せてくるのを感じていた。同時に自身の脳に何か禍々しいものが侵入しよ
うとしていることも。
 それはいわゆる“嫌な予感”を数千倍増幅したような恐ろしいものだった。
 血と炎、苦痛の絶叫と絶望のすすり声、硝煙と屍体の燻る匂い、そういう視
覚聴覚嗅覚のイメージがダイレクトに挿入されてくる。
 それが毎夜毎日、否、まるで先の水滴のような秒間隔で彼女の脳に襲い掛か
ってくるのだ。最初こそ思い出にしがみついて、抵抗していた彼女も今ではそ
のイメージをすっかり受け入れてしまっていた。
 このイメージは紛れもなく、仮想ではなく、現実だ、いつか起こる現実その
ものだ。そう思うと、なぜか楽になった。必ず起こる現実なのだから、自分が
これを止めることはできないのだ。
 諦観は受け入れへと変化する、今では彼女はそのイメージが脳に送られるた
びに、笑っていた。

 その日、とうとう変化が訪れた。
 複数の足音が聞こえる、
 きっと一生開かないのだ、と考えていたドアが突然開かれ、世界が壊される。
 彼女は何故だか腹が立った。
「お目覚めかね?」
 ――嗚呼、待ち望んでいた再会だ。
 目の前にいるのは薄ら笑いを浮かべた吸血鬼だ。古臭い貴族衣装、伸びた白
髪、まぎれなく、長年追い求めていた父親だ。
「……」
 親子の初めての出会いに何か気の利いた言葉を返そうと思ったが、喉が渇い
て上手く喋れない。ぜぇぜぇという呼吸の音を出しただけだろう。
「モーラ、お前はこれから私と共に行かねばならぬ」
 彼の後ろから男たちが次々と乱入してくる、軍人のように固い表情の彼らは
両脇からモーラを抱きかかえた。
「協力してくれるな?」
 モーラの父親は安っぽい笑顔で嗤った。彼女は殺意すら浮かばなかった、た
だようやく慣れてきた絶望的な静寂を壊されることに腹を立てていた。

 モーラを移動させると、男たちもその後に続き、やがて部屋にはナハツェー
ラーが一人取り残された。彼女の壊れた笑顔を見て、とうとう精神崩壊したか、
と不安に駆られる。自殺しようなどという気を起こさなければよいが。
 とは言え、彼女はダンピィル、それも自分の血を受け継いだ強力なハンター
だ、そうやすやすと自殺はできまい。
 ――それにしても。
 運命的なめぐり合わせだと思う、数十人のダンピィルの中から選ばれたのが、
よりによって自分の娘だったとは。
 嘆息。
 天の配剤なのだろう、きっと。

 ――辛いか?
 いいえ、全く。
 ――嘘ではなさそうだの。
 それはそうです、別段愛情も何も存在致しませぬ。
 ――それでいい、御主は私の下僕だ。下僕は私の為に動き回るのが仕事だ。
 左様ですな。
 ――もうすぐだ、もうすぐ我が復活が成る。
 お待ち申し上げておりますよ、カーミラ様。
 ――躰を“あの男”に滅ぼされて幾星霜、これが最初で最後の好機。
 そうですな。この好機、決して逃しませぬ。
 ――ヴァチカンを生贄にして我とカインは復活する。その時は、
 その時は、また以前のように私を傍に置いてくださいますよう。
 ――欲がないの、お前は。
 私の望みはそれだけです。
 ――次に逢う時は、生身の躰じゃ。
 処女の血をたっぷりと用意いたしております。血の風呂でくつろぎ、血を飲
んで喉の渇きをうるおし、血を抜き取られる悲鳴をお楽しみくださいませ。
 ――ああ、期待しておるぞ。お前は、お前は私の善き下僕だ。

 ぱん、とナハツェーラーの思考が弾けた。カーミラの念話はいつも唐突に、
そして突然にやってくる。だがしかし、彼女の命令には絶対に逆らえない。
 それは血の繋がりというだけの話ではなく、ナハツェーラー自身の意思によ
るものだ。彼女の指示に従っていると、心が安らぎ、気分がリラックスする。
 数ヶ月前まで保身に汲々していた自分が嘘のようだ。今の彼は、ネロ・カオ
スが数百匹の獣を出現させて脅迫しようとも、断じて屈しはしまい。
 彼女が「屈せよ」と言わない限り。
 カーミラを失って数百年、彼は自分で組織を作り上げ、そのトップに立ち続
けていたが、常に不安だった。
 死ぬことへの不安、トップという重圧、隙あらば足を引き摺り下ろそうとす
る仲間たち、孤高を気取るほどナハツェーラーは精神ができていなかった。
 そんな彼に、彼女が実に数百年ぶりにコンタクトを取ってきたのだ。
 彼に疑う余地はなかった、カーミラは自分と彼女の思い出を実に懐かしそう
に語り、中には彼だけしか知りうることの無いエピソードまで知っていた。
 彼女はナハツェーラーの心に叫ぶ。
 ――躰を、躰を、躰をよこせ。
 カーミラの、ナハツェーラーより上の者の命令である。どうして逆らおうな
どという意思が出てこようか。何より、命令するのに疲れていた彼にとって命
令されるという行動は単純で、尚且つ余計な雑念を払って仕事に集中するのに
適していた。
 従わない訳がない。
 カーミラは神に、カインに祈り、それが聞き届けられたのだ。

 だからナハツェーラーは死も恐れないし、自分の後ろ盾の頼もしさもあって、
ライバルやハンターも恐れない。
 何故なら恐れなくていいから。
 保身や死というものを恐れなくていいから。
 ナハツェーラーは動き続けるだろう、カーミラを現世に復活させる、ただそ
れだけの為に。


「準備完了致しました!」
 部下の一人が報告のためにナハツェーラーの元に戻ってきた。
 敬礼。
 ナハツェーラーはモーラを捕らえていた牢獄の、何もない天井を見上げなが
ら呟いた。
「全ての準備が完了したのかね?」
「全て、何もかもが完了致しました。チョッパー及び輸送機に人工皮膚装備の
部隊は搭乗済、全ての部下が貴方の命令をお待ちしております!」
「そうか、ならば……全部隊及びミレニアムに伝えろ!
 出撃開始! 目標ヴァチカン、かの怨敵を殺し尽くせ!」
「はっ!」

 指令を受けた男は通信室に駆け込むと、怒鳴った。
「出撃開始! 出撃開始! 全機発進! あのクソ聖職者どもをファックして
やろうぜ! 吸血大殲(Vampirkrieg)だ!」
 その場にいた全ての吸血鬼、全ての人間から歓声が上がり、拳が突き上げら
れた。一斉に通信室から各機体へ出撃命令が伝達される。
「Vampirkrieg! Vampirkrieg! Vampirkrieg! Vampirkrieg!」
 その度に輸送用ヘリコプター、あるいは輸送機に搭乗していた吸血鬼から大
歓声が上がり、機体が震えた。


「さて……君達はどう出るかな?
 我々は君達を赤子のように優しく扱ったナチスとは訳が違うぞ。
 君達を破壊し蹂躙し凌辱し絶望の淵に叩きこんでから、串刺しにしてやる。
 かつてワラキアであの男がトルコ兵をそうやって殺したようにな」


 蝙蝠、鷹などと組み合わされた飛行型キメラヴァンプ総勢三十体。
 陸上動物であるライオン、虎、熊などと組み合わされたキメラヴァンプ百体。
 動物の遺伝子ではなく、オートバイや大砲などの機械と組み合わされたキメ
ラヴァンプが二十体。
 そして、吸血鬼であると同時に各国の特殊部隊より激しい訓練を受けたイノ
ヴェルチが誇る最強の精鋭部隊“ブラッドパック”が五百人。
 その他イノヴェルチに所属しているものから、雇われたものまで、様々な吸
血鬼、あるいは人間を寄せ集めた部隊が三千人。
 そしてミレニアムからヴェアヴォルフ及び最後の大隊が一千人。
 総勢四千六百五十の化物達が今、ヴァチカンに襲い掛かろうとしている。


 火蓋は切られた。人間と、吸血鬼の最終決戦が今始まる。
「さあ、ヴァチカン諸君――殲争の時間だ」














                           to be continued




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