紡がれる思い出
ガタンゴトン、ガタンゴトン――
マリアは車窓を流れていく風景を眺めていた。
小気味よいリズムとともに汽車が進むにつれ、秋の深まりが感じられる。
「もうすっかり秋だね。」
大神の言葉に、マリアは視線を車内に戻した。
彼は四人掛けのクロスシート、自分の向かい側に座っている。
平日ということもあってか、乗客は疎らだ。
「本当ですね、木々もすっかり色づいて。
銀座からそれほど離れていないというのに、なんだか不思議です。」
それは日本が平野の少ない山がちな地形であるためだと、大神は答えた。
標高が上がると気温も低くなるので、平野部に比べると秋の訪れも早くなるのだ。
「さすがに詳しいですね。
そういえば、隊長の故郷の紅葉も見事だとか。」
感心するようなマリアに対し、少し懐かしそうな顔をしながら大神は答えた。
「うん、栃木の山の中。
見頃はもう過ぎた頃かなぁ。」
二人の向かう先は、帝都の西方にある高尾山。
今回は帝国歌劇団の女優としての仕事に、大神が付き人として同行していた。
仕事とはいえ、二人きりの小旅行、嬉しいようでお互い少々気恥ずかしい。
11月中旬の紅葉の中を汽車は西へ進む。
のどかな車窓の風景を見ていると、先日の陸軍クーデターなどなかったかのように思える。
そもそも、この仕事の依頼が舞い込んできたのは約一ヶ月前のことだった。
秋公演の千秋楽も無事に終えた、休演期間中のある日のこと――
「グラビアですか?」
雑誌の取材の依頼があると聞き、支配人室に呼び出されたマリアは、その内容に驚かされた。
いつものようなインタビューではなく、写真中心の特集だという。
かえでの説明によると『帝都グラフ』は近日創刊される、政治家から職人まで帝都で活躍する様々な人物を写真入りで紹介する月刊誌であるらしい。
その創刊号・巻頭グラビアにマリアを載せたいのだという。
巷で人気の帝国歌劇団スタアの特集は目玉記事でもある。
季節柄、紅葉を背景にしたいということなので、帝都を少し離れて高尾山で撮影は行われる。
撮影時期は約一ヶ月後、期間は二日間。
既に本人の返事待ちという段階である。
「あとはお前さん次第だが、どうする?」
マリアが承諾すると、米田は同行する付き人に大神を指名した。
マリアも、同時に呼び出されていた彼も、これには驚いて顔を見合わせる。
米田によると、その時期に付き人として同行できるものが他にいないのだという。
椿は風組の任務で出張中だし、かすみも由里もそれぞれ普段の事務処理のほかにクリスマス公演の準備が入るため、劇場を離れることが出来ない。
「しかし、マリアはともかく隊長である自分が部隊から離れるのは難しいのではありませんか?」
大神の意見ももっともであるが、これにはかえでが回答した。
「黒鬼会の動きは一時に比べると静まっているようだから、大丈夫だと思うわ。
あの辺りなら、何かあっても翔鯨丸で迎えに行けるしね。
華撃団としても問題はないわよ。」
それならば、ということで大神も了承した。
では、と支配人室を出ようとする二人の背中に、米田はおおっと、と付け加える。
「わかっとるだろうが、二人で行くことは花組の他の奴らには黙っとけよ。
大騒ぎになっちまうからな。
…それから念のため言っとくが、変な真似はするんじゃねぇぞ。」
後の一言に大神はずっこけ、マリアは真っ赤になって硬直した。
かくして、1泊2日の出張は決まったのである。
汽車に揺られること約二時間。
高尾駅に到着すると、出版社からの迎えだという二十代半ばくらいの女性が待っていた。
「はじめまして。『帝都グラフ』の記者・高梨やよいです。」
彼女は簡潔に挨拶を済ませるとこれからの予定を説明した。
このあと車で撮影現場に向かい、着き次第撮影が開始される。
山の天気は変わりやすいため、晴れ間が出ているうちにできるだけ撮影しておこうという考えらしい。
ほどなく、車は一軒の宿に到着した。
どうやら出版社が手配した今夜の宿のようだ。
高梨によるとこの旅館から撮影現場まではほんの目と鼻の先で、衣装替えやメイクもここで行われるとのことだ。
撮影スタッフも同宿らしい。
車から降りると衣装担当のスタッフが既に待機していた。
マリアはすぐに打ち合わせに入ったので、大神は二人分の到着手続きを行う。
通された部屋に荷物を置き、先に現場へ向かうことにした。
大神が現場のスタッフにひととおりの挨拶を済ませた頃、着替えを済ませたマリアが衣装係を伴って現場に現れた。
驚いたことに彼女は渋めの黄・茶系の縞模様の紬を纏い、芥子色の帯を締めている。
あまりにも意外だったその姿に大神はすっかり言葉を失っていたが、打ち合わせ済みの撮影スタッフたちでさえ、すっかり見とれてしまっているのだから無理もない。
撮影は快調に進む。
カメラマンの指示に合わせてマリアがいろいろなしぐさをする様子を、大神は後方で眺めていた。
最初は着物特有の所作に戸惑いがちだった彼女も、撮影が進むにしたがって自然に動けるようになっていった。
それにしてもマリアと和服とは、あまり考え付かない取り合わせだったが、不思議と似合っている。
今彼女が着ているような色合いの着物は顔色が暗く見えてしまうので、年齢よりも老けて見られがちなのだが、彼女の抜けるような白い肌と金髪のおかげか、暗さはまったく感じなかった。
むしろ、マリアが着ることで着物の色合いも引き立っているようにさえ見える。
「いかがですか? マリアさん、すてきでしょう?」
先ほど自分たちを迎えに来てくれた高梨やよいが、大神に声をかけた。
「ええ。
浴衣姿くらいは見たことがあるのですが、これほどとは…。」
思わず正直な感想を述べてしまう彼に、高梨は笑いながら言った。
「マリアさんには和服も似合うと筈だと常々思っていたんですよ。
今回の企画が通って、本当によかったです。」
高梨は話してみると非常に気さくな人物だった。
彼女は以前から帝国歌劇団のファンで、取材そっちのけで舞台を見に帝劇へ通っていたらしい。
最近マリアの表情が穏やかになってきたことに気がついた彼女は、不意にこの企画を思いついた。
男役をしているだけに女性ファンの多いマリアだが、記者としてはこれを機に男性にも女優としての魅力をもっと知ってもらいたいと思い、この企画を提案したのだ。
撮影に用いる着物も自ら選んだのだという。
ちょうどそこへ、休憩時間となったマリアが戻ってきた。
「マリア、お疲れ様。」
大神が声をかけると、マリアは軽く微笑んだ。
用意されていた折りたたみの椅子に腰掛け、肩から防寒用のショールをはおりながら息をつく。
「和服は以前も着たことはありますが、慣れないと少々苦しいですね。
ところで、その…似合いますか? た…大神さん。」
隊長、と言いそうになって、マリアはすんでの所で言葉を飲み込んだ。
帝国歌劇団のスタアが付き人に「隊長」ではおかしいので、事前に申し合わせてはあったのだが、つい普段の呼び方をしてしまいそうになる。
それに、二人だけのときにしか使わない「大神さん」と言う呼び方を、これだけ大勢の人の前で用いるのが何となく恥ずかしい。
「うん、とってもよく似合うよ。
高梨さんの見立てなんだ…って…ふぁ、ふぁっくしょん!」
話が終わらないうちに、大神の口から大きなくしゃみが飛び出した。
「あら大変。
その格好じゃちょっと寒いんじゃないかしら?」
高梨が心配するのも当然で、銀座よりも確実に気温の低いこの高尾山で大神が着ているものといえば、いつものモギリ服なのだから。
付き人として同行する以上、劇場の制服を着ていたほうがいいと思ったのだが、如何せんこの服にはベスト以外に上着が存在しなかった。
帝劇周辺の街中にいるときならともかく、このような場所で着るには少々無理があるというものだ。
「そのようですね。大神さん、風邪がひどくなると大変ですから、先に宿へ戻って休んでいてください。
高梨さんもいらっしゃることですし、私なら大丈夫ですから。」
マリアがにっこり微笑みながら言ったが、付き人の自分だけが休むわけにはいかない。
大神は少々の抵抗を試みたものの、彼女の笑顔の奥に潜む鋭い眼差しの前には屈せざるを得ず、すごすごと撮影現場をあとにした。
一足早く旅館に戻ると、事情を知った仲居が綿入の半纏を貸してくれた。
それをベストの上から羽織ると座椅子に寄りかかり、これまた仲居が淹れてくれた葛湯を飲みながら、大神は先ほどのマリアの和服姿を思い出してみる。
現場のスタッフたちからも溜息が出るほどに、彼女によく似合っていた。
晴れ着と違って、紬は家庭的な雰囲気を持っている。
仕事を終えて帰宅したら、暖かい食事と紬姿の美人の妻が待っている――大神もかつてはそんな新婚家庭を夢見ていたことがあった。
マリアと親密な関係になってからは考えもしなかったのだが、今日の撮影風景を見ていたら、不意にそれを思い出した。
美人は何を着ても似合うとはよく言ったものである。
和服まで似合うとは反則的な気がしなくもないが、すっかり脱帽である。
それに比べて今の自分はといえば、半纏を着こんで鼻水を垂らしている…まさに月とスッポン、あまりの違いになんだか情けなくなってきた。
「大神さん、よろしいですか?」
部屋の外からマリアの声が聞こえた。
仕事を終えて戻ってきたらしい。
入り口の戸を開けると、そこにはスーツ姿の彼女がいた。
とりあえず部屋の中へ促す。
「隊長、お加減はいかがです?」
マリアが心配そうに尋ねる。
二人だけのときに「隊長」と呼ぶのは普段と逆だが、仕事中にそう呼べないだけに、双方に妙な安心感がある。
「うーん、熱も出てないし、今晩温かくして寝れば明日は大丈夫だと思うよ。」
おそらくはひき始めの風邪であろう。
普段から鍛えている大神だけに、明日には全快しているに違いない。
それを聞いてマリアも少し安心したようだ。
ちょうどそこへ仲居が二人分の食事を運んで来る。
泊まる部屋は別々の二人だが、食事は同じ部屋でとることにしてあった。
「では、いただきましょうか。それで、夕食が済んだら早めに休みましょうね。」
季節の膳を楽しみながら、二人は話に花を咲かせた。
マリアから語られたのは、主に大神が帰ったあとに高梨と話した内容である。
彼女はこの旅館の女将とは親戚であるらしい。
大神は女将はじめこの旅館の従業員がとても親切にしてくれることを話した。
仲居から明日も冷え込みが厳しそうだと聞かされ、着るものをどうしよう、いっそこの半纏でも着ていこうかなど冗談めかして言うと、マリアも堪らず笑い声を上げる。
こんなにゆったりした気分で過ごせるのは、先の事変以来はじめてである。
偶然にもこの時期に仕事が入っていたために、思いがけない気分転換となった。
他のメンバーに申し訳ないと思いながらも、二人はこの仕事に少しだけ感謝していた。