厨房へ辿り着いたマリアは、ようやく息をついた。
まだ心臓がどきどきしている。
まさかあんなことになるとは予想していなかったから。
気を取り直して、水を用意することにした。
水差しに水を注ぎ、製氷機から氷を取り出して入れる。
グラスを二つ用意して、あとは大神が来るのを待つだけだ。
 しかし、肝心の大神がなかなか現れない。
暫く待ってみたが、自分もひどくのどが乾いていたので、先に飲むことにした。
グラスに水を注ぐと、水差しの中で氷がカラン、と涼しげな音を立てる。
半分ほどまで注がれた水を一気に飲み干すと、緊張がほぐれてどっと疲れが出てきた
。先ほどの顛末のおかげでまた汗をかいてしまったが、不思議と気分は悪くない。

 しばらくして、待ちかねた人物が現れた。

「まったく、倒れているのではないかと心配しましたよ。」

 水を注いだグラスを手渡すと、ハハハ、と頭を掻きながら彼は笑う。

「いや、ちょっとしたアクシデントがあってね。か…」

 言いかけて大神は次の言葉を引っ込めた。加山のことは言わないほうがいいだろう。

「それにしても、隊長がこんな時間に入浴なさるとは知りませんでした。」

 困ったようにマリアは言う。
隊長自ら規律を守らないようでは他の隊員に示しが付かない、と彼女は続けた。

「どうも早い時間は入りにくくて…」

 『入浴中』の札を掛けても、よく見ないで入ってくる者もいる。
そういう場合でも何故か先に入っていた自分の所為にされてしまう。
だんだんいたたまれなくなって、誰も入らない時間に入るようになってしまったことを白状した。

「…それに、規律違反はお互い様だと思うけどなあ?」

 大神に返されて、今度はマリアが言葉に詰まる。
決まりごとに厳格な彼女だけに、それを破った後ろめたさがあるのだろう。
しどろもどろになりながらも言葉を継ごうとしている様子が微笑ましい。

「でもまあ、これでまた二人だけの秘密が増えたね。」

 笑いながら言うと、マリアもまた微笑みながら返した。

「ふふっ、仕方ありませんね。
深夜の入浴は黙認しましょう。
でも隊長、例の“札”だけは忘れずに掛けて置いてくださいね。」

 二人は時間を忘れて笑っていた。
厨房の時計が一時を告げるまで。

「さて、そろそろ寝ようか。
いい加減休まないと明日に響くし。
あ、もう今日なのか…。」

 グラスを洗ってから戻るので先に戻っていてほしいというマリアを残し、大神は厨房を後にしようとした。
が、入り口のところで急に思い立って、振り返った。

「マリア、今度一緒に入ろうか?」

「なっ!?」

 途端にマリアの顔が真っ赤に染まる。

「ハハハ、冗談だよ。それじゃ、おやすみ!」

「た、隊長!? もう、いい加減にしてください!」

 怒ったような彼女の声を背中に受けながら、逃げるように大神は去っていった。
 後に残されたのはマリア一人。まだ頬が紅潮している。

「もう、隊長ったら…」

 洗い終わったグラスを拭きながら、一人呟く。
さっきの大神の一言には意表を突かれて、手に持っていたグラスを落としそうになってしまった。
からかわれて思わず怒ってしまったけれども、胸の奥がなんだか温かい。
 花組隊長である彼は、戦闘時においてはどんな危機にも決して諦めない勇敢な姿、平時には隊員たちの鍛錬やプライベートに付き合ってくれる隊員思いの優しい姿を見せる。
だが時折、少年のような悪戯っぽい面を見せることがある。
それは自分だけが知っている姿、そのことがマリアには誇らしかった。

(ああ、帰ってきたんだわ…この帝劇に。大神さん、あなたのもとに。)

 手早く後片付けを済ませ、部屋に戻ると、不意に眠気が襲ってきた。
久しぶりにぐっすり眠れそうだ。
ベッドに入り、愛しい人の名を口にする。

「おやすみなさい、大神さん…。」

 幸せな気分に浸りながら、マリアは急速に眠りに落ちていった。


 パタン…
 マリアの部屋のドアが閉まる音を確認して、大神は少しだけ開けていた自室のドアを閉めた。
先に戻っては来たものの、片付けを任せてしまったことを申し訳なく思い、起きて待っていたのである。

(さっきのマリア、かわいかったなあ…)

 ベッドに入りながら、真っ赤になって照れている姿を思い出す。
 花組副隊長として、いつも毅然としている彼女。
歌劇団では男役をこなし、またリーダーとしてみんなをまとめあげる彼女。
実際はとても女性らしくて、時折かわいらしい一面すら見せることがある。
そんなところに大神は惹かれていた。
困ったように照れる姿が見たくて、ついからかってしまう。

(それにしてもマリア、本当につらそうだったな。
何とかしてあげなく…ちゃ……。)

 考えているうちに、大神もまた眠りに落ちていった。

 帝都の夜は更けていく……。


あとがき
管理人のマリアSSの記念すべき1作目です。
慌てるマリアが書いてみたかったのですが、うまく表現できているでしょうか?
「お風呂ネタ」で18禁を想像された方、ごめんなさい。
私にはまだ18禁ネタを書く技量はないんです。いつかはチャレンジしてみたいんですが・・・

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