カンナと別れて自室に戻った頃、まさに日付が変わろうとしていた。
ドアを閉めると、コートも脱がずにマリアはベッドに倒れこむ。
公演前の見回りは、特に疲れるものだった。

「もう、カンナのおかげで思い出しちゃったわ…。」

 ベッドに横たわりながらぽつりとこぼす。
カンナにしてみれば悪気などなく吐いた言葉だったのだが、それが引き金となって今は触れたくない事実を思い出してしまった。

――……あなたには沖の僧都の稽古をしておいて貰いたいの――

 数日前、支配人室でかえでに言われた言葉である。
年明けの特別公演「海神別荘」では、マリアは主演ではなかった。
公子役は新しく花組に来る隊員が演じるらしい。
まだ決定事項ではないというが、副指令自らがそう言ったくらいだから、ほぼ決まりなのだろう。
 役代わりはともかく、大神の不在中に花組に新メンバーが加わると言うことは、他の隊員たちにとっても衝撃的な事実だ。
まだはっきりしていない話だし、公演前に不要な動揺を与えるわけにもいかないので公表はされていない。
 とにかく今は目前のクリスマス公演を成功させることが先決である。
それで敢えて考えずにいたというのもあったが、新隊員が加入することによって大神の知らない花組になってしまう、彼女にとってはそちらの方がつらかったのだ。
 胸元のロケットの存在を思い出し、鎖をたぐってそっと取り出してみた。シンプルなデザインの金色のロケット――その中ではモギリ服の青年が微笑んでいる。
「大神さん…。」
 その名を口にした途端、胸の奥に締め付けられるような苦しさを覚えた。
今すぐ彼に逢いたい、声が聞きたい。
かなわぬこととは思いながらも、つい願ってしまう。
仲間たちといるときは比較的冷静でいられても、夜一人になると日中抑えている気持ちが溢れ出して止まらなくなる。
ロケットを握り締め、泣きたくなるような切なさに必死で耐えた。

(こんなことじゃダメ…もっとしっかりしなきゃ…)

 自分も早く休んで明日に備えなければいけない。
今大切なのは公演に集中することだ。
分かってはいるのに、気持ちの切り替えがうまくいかなかった。



“プルルルル プルルルル プルルルル…”


 どれくらい経っただろうか、静寂を破る連続音にマリアはハッと身を起こした。

(キネマトロン? こんな時間に誰が…? …ひょっとしたら…いえ、でもまさか…)

 期待と不安が入り混じる状態で、彼女は受信ボタンを押した。

「はい、こちらマリア・タチバナで…」

『マリア? よかった、まだ起きてたんだね。』

 名乗り終わらぬうちに耳に飛び込んできたのは、懐かしい声。
そして受信画面には、巴里滞在中の大神の笑顔が映されていた。

「隊長!?
どうされたんですか?
こんな時間に。」

 こんな時間、そう言ってから帝都と巴里の間の時差を思い出した。
確か巴里では現在夕方の四時ごろのはずである。

『遅くにごめん。
でもきっと今日は起きてるんじゃないかと思ってね。』

 思えば劇場内の見回りも、公演を前に気持ちの昂った隊員たちを静めるのも、元は彼の役目だった。
今の自分と同じ苦労を経験しているのだから、今頃まだ起きているということも予測できるのだろう。

「さすがにお見通しですね。それよりどうかされましたか?」

 マリアは大神が用もないのに軽々しく通信を掛けてくる人物ではないことを知っている。
前に一度だけ通信してきたことがあったが、それはまったくの偶然であった。

『昨日届いたよ、これ。すごく暖かい。どうもありがとう。』

 彼は左の腕首を軽く上げると、反対の手で袖口辺りを軽く摘んだ。

「あっ…」

 画面の向こうで彼が着ているのは、オフホワイトの糸で編まれた縄目模様のセーター。
クリスマスプレゼントに、とマリアが編んで送ったものだ。
実際に送ったのがかれこれ二カ月近く前なので、その後忙しかった彼女はすっかりそのことを忘れていた。

「サイズは…大丈夫そうですね。
自分で編んだのは初めてだったので、ちょっと心配だったんです。」

 安心したようにマリアの顔が綻ぶ。

『…それで、マリアへのクリスマスプレゼントなんだけど…』

 大神は申し訳なさそうに言う。
パリシィの怨念によって巴里市街は壊滅的なダメージを受けた。
街は復興が始まったものの、戦いを終えた大神は報告書などの雑務に負われ、クリスマスというイベント自体をすっかり忘れていたのである。
周りの雰囲気がそれらしくなってきて気づいた頃には、すでに後の祭りだった。

『すまない…』

「いいえ。
こうして大神さんと話せるだけで十分です。」

 絶妙のタイミングで通信をくれたことはおそらく偶然であろう。
けれども、今のマリアには何より嬉しいプレゼントである。
 それから二人は帝都や巴里の状況など、他愛もない世間話をした。
もっと他に話したいことがあったはずなのに、こうして通信画面を前にすると思うように言葉が出てこない。

『マリア、その…あまり無理をしないで。』

急に大神が心配そうな顔になった。
マリアの性格からして、隊長代行をこなそうとするあまり自分を押し殺してしまっているのではないか、と彼は危惧している。

「先ほどカンナにも同じことを言われました。
自分ではそんなに無理しているつもりはないのですが…。」

 自覚のない彼女の様子に、彼はやれやれ、といった様子で言った。

『君はもう少し肩の力を抜いたくらいでいいと思うよ。
…でも、そこがマリアのいいところでもあるんだけどね。
俺はそんな君が大好きだよ。』

 大神の言葉にマリアは頬を染める。

『ところで、もうそっちは二十四日だよね?』

 時計に目をやると十二時を二十分ほど回っていた。
ええ、と答えると彼は静かに言った。

『メリークリスマス、マリア
。どうしても君に一番初めに言いたかったんだ。』

 何もプレゼントを用意できなかったからせめて、と彼は付け足す。

「メリー・クリスマス。
巴里時間ではまだ少し早いですが。」

 マリアも挨拶を返そうとして、巴里がまだ23日であることに思い至った。
しかし巴里の日付が変わるのは約八時間後である。
その頃には帝劇は本番に向けて慌しく動き始めており、通信する時間はないだろう。

『さぁ、そろそろ休まないとね。舞台、頑張って。』

「ありがとうございます。
それでは大神さん、おやすみなさい。」

 大神のおやすみ、という言葉を最後に通信は切れた。
キネマトロンを閉じながらマリアは息をつく。
 さっきまで叫びを上げてしまいそうだった心が、嘘のように静まっていた。
短い時間ではあったが大神と話せたことが、こんなにも自分を幸せにしてくれる。
大切な人がいるということに、マリアは深く感謝した。
今は遠く離れて思い悩んだりもするけれど、いつかこの時間を二人で笑い話にすることが出来たら、と彼女は思う。
 寝る身支度をしながら、先ほどのカンナとのやりとりを思い出した。
自分を心配してくれていた彼女。
いや、カンナだけでなく帝劇のみんなが自分を支えてくれている。
言葉に出したりはしないけれど、それぞれのやり方で。
自分は幸せなのだとあらためて感じた。
 ベッドに入ると、ほどなく眠気が押し寄せてくる。
こうして今ここにいる喜びをかみしめながら、マリアは深い眠りについた。

 彼女のクリスマスは始まったばかりである。

                                終

あとがき
遠く距離を隔てた二人のクリスマス、いかがでしたでしょうか。
クリスマスというか「活動写真・前夜」みたいな話になってしまいましたが(汗)
遠距離恋愛の切なさと、それを支える友という感じを出してみたかったのですが、少々欲張りすぎた感が無きにしも非ずです…。
前半のやり取りは“カンナの髪を梳いてあげるマリア”を私が書きたかったので(爆)
大神のいない帝劇でマリアを支えられるのは、やはりこの人かなー、とか思いながら書いてました。
けどこの中ではあまり頼ってないですね。
二人がもっと絡んだお話もそのうち書きたいと思います。
しかし、物語の中では1時間ほどしか時間が流れていないというのに、文章が無駄に長い…。
短くまとめることの出来ない自分の能力のなさが悔やまれます。

ここまでお読みいただきました皆様、ありがとうございました。

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