明冶神宮外苑―
その名の通り、明冶天皇が崩御した後にその偉業を称えて作られたものだ。
同時期に造営された内苑が和風庭園であるのに対し、外苑は洋風庭園である。
そこから青山方面に伸びる銀杏並木は秋の黄葉が見事で、帝都の新名所となっていた。
日鉄・中央線の信濃町駅から徒歩五分ほどのところにある。
帝劇からだといったん有楽町駅に出て東京駅で乗り換えとなるので、少々遠回りだ。
地下鉄がこの辺りまで延伸する計画があり、開通すれば銀座から一直線で来られるのだが。

マリアは銀杏並木に面したベンチに座り、行き交う人々を眺めていた。
傍らには昨日買ったプレゼントの包み。
勿論大神が来るのを待っているのだ。

(隊長、来てくれるかしら…)

風も少なく、柔らかな陽射しが心地よい。
こんな日にコートを着るのはもったいないと思った。
そんな彼女の服装は、ボトムこそいつもの紺色のフレアーパンツである。
だが上半身は、白いハイネックセーターの上に臙脂系の格子柄のストールを羽織っていた。
この時期の彼女にしては、珍しく薄着である。
こうして通りを眺めていると、実にいろいろな人がいるものだ。
スケッチや写真を取る者、落ち葉と戯れる者、ベンチで昼寝する者などなど。
通りに面したカフェも大勢の客で賑わっていた。
誰も声や音を出さないわけではないのだが、辺りには不思議な静けさが漂っている。
この場所にいる誰もが、この静けさを楽しんでいるかのようにも見えた。

どの位時間が経ったろうか。
日が少し陰って来て、幾分か寒くなった。
待ち人はまだ現れない。
隊長は手紙を読んでくれただろうか?
マリアは少し不安になってきた。
昼食後大神の部屋を訪ねてみたものの、思ったとおり部屋の主は不在だった。
そこで、自室を出る前にしたためた手紙を机の上に置いてきたのだが…。
もしかしたら大神は来ないかもしれない。
彼とて忙しい身である。
手紙の存在すら気づかない可能性もあるのだ。
これまた彼女には珍しい、分の悪い賭けである。
それでも、マリアはここで大神を待っていたかった。
この風景を彼と一緒に見たかったのだ。

(もう少し待ってみよう…)

肩に掛かったストールを一度はずし、腕までしっかりと巻きこむ。

それからもうしばらくの時間が過ぎた。
日が傾きかけたと思ったら、辺りはあっという間に暗くなり始める。
秋の日はつるべ落としとはよく言ったものだ。
通りを行き来していた人々も一人、二人と家路についていく。
それでもまだマリアはベンチに座ったままだった。
もう帝劇に帰らなければならない時刻である。
それなのに何故か立ち上がろうという気がおきない。
自分がこんなに諦めの悪い人間だったとは、彼女自身思っていなかっただろう。
やがて、通りのカフェが閉店する頃になると、残っているのはマリア一人になった。

(時間切れ、のようね…)

どうやら自分は賭けには向いていないらしい。
慣れないことをするものではない、とマリアは溜息をついた。
やはり大神は来なかった。
突然思い立ってやったことだから仕方がない、わかってはいるが少々残念である。
もう帝劇へ帰ろう。
カーディガンは帰ってから渡せばいい。
黄葉を一緒に見ることは出来なかったけれど、またいつか機会もあるだろう。
そう自分に言い聞かせ、ようやく重い腰を上げた。
駅に向かって歩き出そうとしたそのとき、

「マリア〜!!」

後方から自分を呼ぶ声がした。
振り返ると、大神が息を弾ませながら走ってくるのが見える。
やがてマリアのもとまでたどり着くと、ようやく荒い息を整え始めた。
右手にはなにやら紙の包みを、左手には何故か自分のコートを抱えている。

「どうして…」

マリアは頭の中が真っ白になった状態で、呆然と立ち尽くしていた。

「だって、手紙に書いてあったじゃないか。ここで待ってる、って。」

三時半ごろ、大神は伝票整理の仕事を終えた。
事務室を出たところで紅蘭に会い、一緒にお茶を飲もうと誘われる。
紅蘭は午後の舞台設営が中止になったので、空いた時間で天武の整備をしていたそうだ。
一緒に仕事をするはずだったマリアは、用があるらしく外出した、と彼女は言う。
紅蘭と別れて部屋に戻ると、机の上に手紙が置いてあることに気づく。
曰く、『神宮外苑近くの、銀杏並木でお待ちしています。 マリア』
手紙には簡単な地図が添えられていた。

(何だってぇ〜!?)

時計を見ると、四時を少し回ったところだ。
血相変えて部屋を飛び出した彼だが、今度はテラスにいるカンナに呼び止められる。
もうじき暗くなるのに、マリアが戻ってこないという。
マリアにしては薄着で出かけていくのを見かけたから心配だ、と彼女は言った。
そこで大神はマリアの部屋へ取って返し、彼女のコートを取って来ることにする。
本来留守中の女性の部屋へ入るのはマナー違反だが、事は急を要した。
ワードローブからコートを取り出すと、彼は急いで階段を下り、玄関を飛び出した。
そして蒸気タクシーを捕まえてここまでやってきた、というわけである。

「ごめん、遅くなって…」

まだ少し呼吸の荒い状態で謝ろうとする彼に対し、マリアは俯いたまま首を横に振った。
「いいんです、来てくれただけで、もう…」
嬉しさで胸がいっぱいになってしまった。
何か言おうとすると涙まで一緒に出てきそうで、言葉にできない。
そんな彼女を、大神はやさしく抱きしめた。
突然の出来事にマリアは驚いたが、そのまま大神の肩に身を任せる。

「まったく、こんなに冷たくなって…。」

怒ったように彼が言う。
しかしその言葉とは裏腹に、抱きしめる腕の力は強くなった。
表通りからここまで走ってきたせいだろうか、大神の身体はとても温かい。
彼の心の温かさが身体を通して伝わってくるようであった。

「すみません…」

やっとの思いで言うと、マリアはまた大神の肩に頭をあずけた。

「ここの風景を俺に見せたかったんだね。」

どれくらい時が過ぎただろうか。
マリアが落ち着いた頃合を見計らって、大神は彼女の肩にコートを掛ける。
彼女は俯きながらそれを胸元で押さえると、片方ずつ袖を通した。

「ええ。もう一度だけこの景色を大神さんと見たくて。ですがもう…」

完全に日が沈んで、辺りはすっかり暗くなっていた。
先ほどまで見事に通りを彩っていた黄色の枝も、僅かな街灯に照らされるのみである。

「すまない。俺が気づくのが遅かったから…。」

折角の彼女の行為を無駄にしてしまったことが、大神は悔しくてならない。

「いえ、気持ちが通じただけで十分です。…ところで、その包みは?」

マリアはにっこり笑っていうと、大神が走りながら抱えてきた紙包みを指差した。
今は手近のベンチの上に置かれている。

「ああ、ここまで来る途中に売ってたんだ。少しでも温まるかと思って。」

近寄って手に取り、中を見ると、包みの中身は焼き芋であった。
彼なりの小さな心遣いが、胸にしみる。
だが、彼女は怪訝そうな顔をした。

「こんなにたくさん、ですか?」

入っていたのが一つや二つではなかったからだ。
紙包みの大きさからしても、六個くらいは入っているものと思われる。

「いやその…焼き芋売りのおじさんが、今日はもう店じまいだからおまけ、って…。」

困ったような、照れたような大神の表情を見ていると、だんだん笑いがこみ上げてくる。
ついに堪えきれなくなり、マリアは声を上げて笑い出した。

「あっ、そんなに笑わなくたっていいじゃないか。」

大神がちょっと拗ねたように言うが、彼女の笑いは止まらない。
すみません、そう答えながらも笑い続ける彼女を見て、彼は少し安心する。
マリアの笑顔が見られるなら、道化役も悪くはないだろう。

「では、これは持って帰ってみんなで食べましょうか。」

ようやく落ち着いた彼女の提案に、大神は頷いた。

「じゃぁ、帝劇へ帰ろう。蒸気タクシーを待たせているんだ。」

表通りへ戻るまでの間、どちらからともなく二人は手をつなぎ、歩いていた。
結ばれた手からは互いの気持ちが伝わってくるようにさえ思える。
つかの間の恋人気分、これはもしかしたら去り行く秋がくれた魔法なのかもしれない。

「これ、俺に?」

タクシーの中、マリアがカーディガンの包みを手渡した。

「少しでもお役に立てれば、と思いまして。先週のようなことがあっては困りますから。」

先週の出張の際、大神が薄着をしていて風邪をひいたことについて釘をさす。
大神は恐縮したが、彼女の心遣いをとても嬉しく思った。

「ありがとう。さっそく明日から着させてもらうよ。」

彼としては、本当はすぐにでも着たい気分なのだ。
しかし、行きに身に付けていなかったものを帰りに着るのは不自然極まりない。
花組隊員たちの質問攻めに遭うこと必至である。
想像に容易いだけに、マリアは苦笑を浮かべながら彼に同意した。

「…今年は残念だったけど、来年は二人で見に行こうね。」

帝劇が近づいてきた頃、不意に大神が話題を銀杏並木に戻す。
何故かこのとき、マリアは“来年”はないような気がした。
一昨年の戦いが終わった後、大神には海軍への帰属命令が出されている。
赤坂で黒鬼会との決戦を終えた今、彼が帝国華撃団を去らないという保証はない。
けれど今は、大神はマリアの傍にいる。
それだけで十分だった。
今を大切に生きていくと、そう決めたのだから。

「ええ、そうですね。来年がだめなら再来年でも、もっと後でも。約束ですよ。」

心からの笑顔でマリアは答えた。

戦いがまだ終わっていないことを、このとき彼女たちはまだ知らない。

あとがき
キリリク作品「紡がれる思い出」の続編ということで、秋の装い・第2弾です。
候補に考えていた、もうひとつのパターンがこちらでした。
セーターの上にストールなんてのも秋らしくていいかなー、などと思っていたのですが、書き上がってみればストールよりもコートの季節になってました(汗)
マリアが寒そうだったので、思わず最後でコート着せちゃったりして(^^;)

寒い季節は人のぬくもりが恋しい季節でもあります。
そんなわけで、二人のラブラブ度も少しだけ上げてみました。
まだまだ手ぬるいと自分でも思うのですが、この二人にはゆっくり恋愛をしていってほしいです。
小さな「好き」が日々積み重なって、大きな「好き」になっていく、その過程を表現していけたらいいなあ、と思っていますので。
どうぞ温かく見守ってやってくださいませ<(__)>

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