日録●太田代志朗●2012年 

5月30日(日) 雨の公園で。
午後の公園にでていると雨に降られる。
雨が降るが、青空から明るい陽が差し込み、緑林が鮮やかに萌える。
木陰にやどっていると、少女たちがその雨の中をどしゃぶりになって遊び回っている。

5月があと1日で終わる。感染、変異株、ワクチン、五輪・・・・。
書庫にはいって整理、某全集処分。葛饅頭で一服。


5月28日(金) 晴時々曇。
緊急事態宣言、まん延防止等重点措置の延長。
校友K、M君等と旧交を温めてくる。
紫陽花が咲き乱れ、杜鵑がしきり啼いている。
身体は日に日にガタガタになっているが、いっぱいの”気”をもらう。
さもありなんが、懸案の京都遊行のスケジュールがまとまらない。


5月26日(水) 晴れ。皆既月食。
陽ざしいっぱいの早朝に起きだしている。
犬がいればすぐウォ-キングになるが、それができなくなっている。
車の1年点検、AQUAの運転5年になり走行距離19.400km。免許返納は23年後か。
午後、自治会の皆さんと岩槻小学校の下校時の校門パトロール1時間。
あの朝日「社説」が東京五輪中止を要請。ーー夜、2階から見るぼんやり欠けている月。


5月25日(火) 晴れ。
雨がつづき鬱々としていたが、朝から晴れあがる。
翠の風が吹いていくが、無聊の日々。
閉じこもりで身体が重く鈍く、益々の老残をかこむなりや。
高齢者はコロナにかかったら終わり、助からないと。

「漆黒の京嵐ーー高橋和巳没後50年」短歌40首なる。
約100首から絞りこみ、新たに加えたりの絶唱。


5月21日(金) 小満ーー天地がみちあふれる時節。
近畿、東海が大雨で土砂災害。当地も雨が激しくなる。
デスクを離れ2階のベランダに出てひと呼吸、大きく手を振ってみる。
鉢植えのマツリカやクンシランが雨に咲いている。

「図書新聞」に谷知子・島村輝編『和歌・短歌のすすめ新撰百人一首(花鳥社) 
フェリス女学院大学(文学部日本語日本文学科)による古代から現代までの精選百首。
春先に紹介された一書で、須佐之男命から始まる歌を楽しく読んだ。


5月19日(水)
 気ぶっせな日々、梅雨のようで。
西日本で大雨の恐れ。当地でも毎日、雨が降ったり止んだり。
ここのところ5時に起床、目覚めが早くなり、すぐPCにむかう。
約3時間ーー執筆,推敲。文章は幾重にも変幻していく。

小庭のオオデマリが昨年は4月に咲いていたが、まだ開花しない。
腰部はその部分にあたると痛みがはしる。完治を願いリハビリを続けている。
あいや、ウォーキング、ストレッチ、素振りもできなくなった!?
「白く塗りたる墓」を読み、メモをとる。


5月17日(月) ワクチン接種予約。
小雨が降ったり止んだりの1日。九州北部にはや梅雨入り。
ワクチン接種は6月2日予約となる。ネット入力はお手上げで、倅にやってもらった。
「黄昏の橋」解題10枚できる。


5月14日(金) 全国的に感染拡大。
朝からからっと晴れ、爽やかに緑が美しい。
PCはサポートを受けて余計なサイトを削除、快適な環境になった。
ああ、京の千登利亭の鯖すしが食べたい。
某老作家の老いて生甲斐、その潔さにうたれる。
脳梗塞で入院中も一編書き上げ、目下毎日2キロ散歩、スクワット100回と。


5月12日(水) 時々曇。
天気が崩れ明日は雨のよう、
小庭の甕にメダカが元気に泳いでいる。
風知草が揺れ、雪の下が咲き乱れている。
朝のリハビリを受けてくるが、きょうは体調よくなく食欲なし。
バッファローの外付けハ-ドデスクにドキュメントのバックアップ。
ホームページビルダーの消失したサイトの復元は絶望的だが。

ロックダウンぐらいしないと収まらない。それでも五輪か。
わが国のコロナ死亡者1万人を超えた。重症者は入院先もなく怖い世の中になった。


5月10日(月) 晴れ。
朝9時過ぎにF院整形外科でりハビリ。
終わって帰路に城址公園に寄りベンチでぼんやりしている。
菖蒲池の蓮の花が満開繚乱、緑の風が気持ちよく流れている。
「日本の悪霊」「堕落」「散華」解題30枚、収める。



5月8日(土) リハビリ続く。
晴れ。小庭にユキノシタ、テイカカズラ、バラ、シラン。
F院整形外科に3日目、リハビリは電気治療10分、マッサージ10分、患部冷却10分。
有難い処置に気持ちがなごむ。老化でどんどん自由がきかなくなっている?!
痛くて夕べも眠れず、思うに自宅転倒した京都の友人KやIはなぜか5月に逝った。
青嵐の時期には何かと因縁がある。畏友林廣茂、古川修よりメール受信。


5月7日(金) 自宅で転倒。
4日の午後、自宅で転倒した。
2階の書庫・書斎はフローリングで、不覚にもそこに滑って右腰を強打した。
何がどうなったのか、寝椅子の位置を変えようと身をかがめた瞬間のことだった。
病院は休みで痛む腰を杖にすがり家の中を移動。その夜は眠れなかった。

休み明けの6日の朝一番、F院整形外科に駆けこむ。
2時間待たされ診察。レントゲンでは幸いにも骨折していなかった。
打ち所が悪く脳震とうでも起していればどうなっていたかと、背筋が凍る。
薬は非ステロイド性の消炎鎮痛剤など1週間分。 リハビリ(電気治療&マッサージ)を受ける。
謹慎・安静にて、ウォーキング&ゴルフは当分お預けだ。


5月5日(水) 高橋和巳没後50年。
三島由紀夫自裁で一つの時代が終わり、そこから新たな70年代が幕開けしようとしていた。憂愁の「邪宗門」をくぐり、「黄昏の橋」をわたり、「遥なる美の国」が紅蓮に燃え上がっていた。
しかし、「連帯を求めて孤立を恐れず」のスローガンもむなしくはためくばかしだった。

その東京女子医大の見舞いには井波律子、古川修といった。
鎌倉の通夜の席で変わりはてた姿に合掌した。埴谷雄高が俯き、井上光晴が声を荒げ、大江健三郎は焼香をすませ帰った。たか子さんに、
「ゴメン! あなたには何もいわないでね」と肩をポーンと叩かれ、その場に泣きくづれた。
野辺の送りでその骨を拾った。小田実がそっと話しかけてくれた。
東京・青山葬儀場の告別式は大勢の人の列で、全共闘が押し寄せるとの報に緊張した。姑息な編集者の擦り寄りにあきれ、金輪際つきあうまいと思った。
翌年アメリカ帰りの林廣茂と鎌倉に行ったが、たか子さんは位牌もない、祷る手立ては何もないと言った。それから3年後だったか。また林廣茂が「行こう、富士霊園に行こう」と誘ってくれ、二人で新宿から高速バスに乗って向かった。
墓前に酒をたむけ、号泣し、へべれけに二人で酔った。

忍ぶ会には、3、4回でかけたが、画策された進行で面白くなかった。
圧巻の作品集、全集と刊行されたが、文学はブンガクに変容し封印された。
われらの未明の決起も、黄昏の嗚咽も、もはや申すべきことなき無念の山河にまみれたか。
いや、愚劣極まる作意による虚構の50年が潰えさったのだ。

献歌
・いささかも慚愧することなきか動乱の夕べ切なく告げし夢はも
・さもあらば怒涛にゆらぎほゝゑみてわれらかくあり未明の決起
・同士に告ぐ書き急ぎてようつし身のあはれきらめけ夢よ山河よ

5月3日(月) 憲法記念日。
晴れ。公園ウォーキング60分。
昨日の雨に濡れた緑がしたたるように鮮やかだ。
風がでてきて、青空の白雲が時々陽ざしをさえぎる。
運動不足で筋力も衰え、このところ両足にアンクルウェイト計4kgをつけた老いぼれの1歩1歩、ゆっくり歩いている。

ビバで購入のミニ物置(135×70×45cm)を組み立てる。
不器用でうまくいかないがドライバーを持って2時間奮闘、何とかできあがる。これで家人の茶事の大切なお炭の整理保管となる。
ーー重症・死者増加、まん延防止地区埼玉、武州小城下に蟄居。


5月1日(土)  皐月。
新緑、薫風の侯ーー早朝5時に起きだし、パソコンを敲いている。
ようやく第一稿ができ、あとはまとめにはいればいい。
昼過ぎに散歩コースを約1時間、風が吹き荒れている。
コロナ禍のGW5連休、公園は家族連れや子供たちで賑わっている。
夜、激しい雨。各地で突風、竜巻、落雷。

日録2010年1月~2021年5月
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