日録●太田代志朗●2009年 

11月30日(土) 立命大・校友会の忘年会。
夕刻より立命大東武ライン校友会の忘年会。
春日部のやまや新館の大広間。

旧交をあたため、現役はじめ年金組も元気。
各自の近況やキャンパスの話題で盛り上がる。

それぞれ京都以来の生きこし、過ぎこしがある。
病母・病妻看護中の者もいるが、100名山登頂達成を祝う者あり。また風力発電事業をおこして多忙のS君(社長)、照明ハロイン事業で3日後ニューヨークへ発つとのT君(副社長)。そしてベンツを乗り回すM君から磁気バンドをもらい、Kとは隅田川添いに吾妻橋から永代橋へのそぞろ歩きを約束した。

最後に元ラグビー部の猛者の音頭により、校歌、応援歌、寮歌をうたって1本〆。
二次会はヤキトリ屋。年末の野田パブリック・けやきコースのラウンドに期待。


11月29日(金) 晴れ。
晴れ。何日かぶりの陽ざし。青空、紅葉、ウォーキング&素振り。
神戸の東口昌央氏より貴重な資料データ送っていただく。
サポートを受け、PCの大量のファイル原稿をCD-Rに書き込む。
*なるほどこれが「Cドライブ」から、フォルダは「Dドライブ」で保存ということか。


11月27日(水) 小雨、曇天、冷え込み。
朝の小雨がぱらつく公園は人も少なく、ウォーキング3.500歩。
日に日に冬の冷え込みも厳しくなり、4時前にはすっかり暗くなっている。

夜、何気なくかけたBS朝日「人生、歌がある」は音楽プロデューサーの酒井政利特集。
布施明、ジュディ・オング司会で、それぞれ人気歌手による懐かしい歌。
思えば、酒井さんに会ったのは久保田早紀の「異邦人」を、三洋電機の亀山太一氏(副社長)が企画戦略していた頃で、そこに多彩な人が入り乱れた。激動の歌謡界を向こうに酒井さんはいつも温容な人柄で、一緒に富士山麓を一泊旅行したこともある。
TVは最後に酒井さんを真ん中に山口百恵の「いい日、旅立ち」を全員合唱。

亀山さんはよく大阪のミナミやキタ、それに黒門市場の寿司屋に連れていってくれた。伊東静雄の門下生で、明石長谷雄の名前で詩集『冬たんぽぽ』(思潮社)がある。


11月25日(月) 落ち葉の絨毯。
朝早く武州古城下はしっとりと物静かに、川辺一帯が深い霧につつまれていた。いつもの公園が幻想的で、紅葉が辺りを色鮮やかに染めあげていた。
愛犬アンが木陰から今にも出てきそうで、落ち葉の絨毯を踏んでいく。喪中はがき多く茫漠の一日。

・落日へなんぞ男の息荒き
・枯木の葬列 イツマデモ立ツテオレ
・老残の無音の鐘を撞き鳴らす
                 ーー宮澤赤黄男


11月23日(土) 雨の一日。
昨日からの雨で冷え込み、セーターを1枚余計に着込む。
家人の開炉の手伝いで、茶室押し入れの整理。炉ごころ、松風竹の音。
眼鏡が壊れ、近くの眼鏡市場に発注の薄型レンズの眼鏡(乱視など)をうけとる。

紙の本を向こうに古井由吉、松浦壽輝らオンライン試し読みする。
三島由紀夫研究会メールマガジンがまもなく配信停止になるという。

11月20日(水) 晴れ。朝から強風。
どこへ行く気もなく、何することもなく、ゴロリと寝転んで本を読んでいる。
図書館で10冊ほどかりだしてきた山田稔エッセイ集
さすが名文家の文章は、読む者の心をひろく豊かにしてくれる。

その中ではっと息をつめた一節。
京都のサンスクリット文献学者の告別の辞が紹介されている。
「多年の呼吸障害の末に、本日十三時十四分、彼岸に旅立ちました。思い残す所の無い一生でした。・・・なお葬送あるいは追悼の行事は、一切これを望まずと遺族に申し伝えてあります。では、一足お先に・・・・」(山田稔著『こないだ』(編集工房ノア:2018)。
ちなみに、涸澤純平著『遅れ時計の詩人
ーー編集工房ノア著者追悼記』概読


11月19日(火) 晴れ。市民健診。
さいたま市健康診査(胃・肺・大腸ガンなど)をM記念病院で受ける。
8時30分~11時まで、混雑する病院の各科を回る。
目下、血圧、喘息に留意しているが、老身の剛健(?)を喜び感謝している。

きょうも穏やかな日和。夕風が流れ、川辺の町がひっそり暮れる。
日本近代文学館の会報に澁澤龍彦の書簡が紹介されている。
その解説・調査も精緻で、鎌倉の文学青春群像が脈々と伝えられている。


11月17日(日) 晴天。秋が深まる。
朝の公園ウォーキング。風あり冷たく、紅葉が美しい。
湿った落葉の一面を山茶花の落ちた花びらが色赤く彩っている。

玄関脇の夏椿が枯れ、その根っこを掘り出そうとするがビクともしない。
盆栽(山田香織教室)で松の手入れを終えた家人が、草花の冬支度にかかる。

過日京都の山田稔さん(作家)に電話したのだったが、有難くもおハガキ頂戴。
立石伯さん(文芸評論)からメール。心がそがれることが多いが、励まされる。
田中寛氏(大東大教授)からは「電子書籍化は感慨無量のもの がおありかと思います」と。
富士正晴記念館に、同人誌「VIKING」コピーの依頼状投函。


11月14日(木) HPアクセスに127.700、ありがたく御礼。
晴天。明け方の目覚めが早いまま、PCを開きひと仕事終える。
北陸在住の旧友・山田順三君より加賀丸いも(根上特産)を贈らる。


11月10日(火) 晴天。朝のウォーキング6.500歩。
元荒川にかかった橋上から富士山、日光連山を眺望。
初冬の武州古城下に枯葉が舞っている。夜、満月煌々。

・山茶花に告げて帰らやゆらゆらと悪事にさやぐわれの一日 
・老いたれば急ぐことなくさみなしにあはれ義などと申し茫漠。
・ゆくかたの悪王子町の日が昏れて密儀のはての文書(ふみ)を燃やしぬ
・何もない何もなければ天来の落花(はな)にまぎれて流れゆくはや
・薔薇、砂漠、愛、出奔、涙のエロスーー悪業ゆえの夢の叛きよ


11月9日(土) 晴れ。初冬。
ぐっすり眠り、気持ちよく起床。立冬が過ぎ、朝晩の寒さが身にしむようになった。
行楽日和にうきうき、紅葉の明るい公園をウォーキング5.000歩。
さゝま(神田の和菓子処)の松葉最中、老舗の美味しさで一服。
山田登世子著『涙のエロス』、『リゾート世紀末―水の記憶の旅』をネット購入。


11月7日(木) 足利城ゴルフ倶楽部で。
晴天。風もなく穏やかな1日。9時20分OUTスタート。
18H、P72、6.700Y。紅葉が色づく手ごわい戦略的コース。1番(482Y、P5)から乱れ3パット。
距離もあり、ハザードやアンジュレーションに苦しむ。老兵のこれが現実だろうが、ワン・オン・チャレン(OUT8、180Y、PAR3)はグリーンをこぼれ2オン2パットでボギー。

昼食にとんかつ。かつを入れるが、バックナインも容易でなく狙い所が難しい。スコア102(53:49)、オリンピックもがっぽりとられる。
帰路の高速道は日が暮れ、羽生PA(鬼平江戸処)でひと休み。
EGA11月例会(森脇、丸野、中西、太田)、口撃に笑い転げるいつもの車中談義。


11月6日(水) 東京・神保町に出る。
晴天。JRお茶の水駅を下り、駿河台から古本街を抜ける。抱えた資料が重い。
午後1時、小学館を訪ね、デジタル編集部の松本さん、浅野さんと打ち合わせ。
校合などの件で混乱していたが、それも”はやとちり”だったようで解決、安堵。
電子書籍、デジタルコンテンツの制作プログラミングを前に緊張。

当初からいわれていた”長丁場の仕事”の最終確認。一応のメドもつく。
さて、これから老学なりのフィジカルトレーニング。何より体力保持。


11月5日(火) 晴れ。早朝の小公園をウォーキング。
文化の日の3連休が終わった。穏やかな秋の陽ざしがあふれている。
昨日からPCの画面に悪性ウイルスが張り付き、何もできずダウン状態だった。
ウイルスバスタークラウドのサポート&スキャナー小1時間。やっとの復調、再発信。


11月3日(日) 人形供養祭。
城址公園で人形供養祭。読経のもとに古い人形がお焚きあげされる。僧侶の読経のもと参加者が焼香し、冥福を祈る。
恒例のお茶会は立礼で、家人と一緒においしくいただく。

小庭の侘介椿がたくさん蕾をもっている。
何事も億劫になった。落花流水、しばし流されつづけよう。
いや、これも生来のものぐさーー夜に、雨降る。


11月1日(金)  霜月。晴れ。
早朝起床。4時間(7時~11時)打ち放しの650発。老骨は元気にクラブを振った。
ドライバーは距離より方向性、ミート率の高いショットを祈願!?
EGAオープンも1週間後、コースにはいつも魔物がひそんでいる。
いや技量30%、ペーソス・哲学・ユーモア70%、ーー勇気と希望のラウンドを。

高気圧におおわれた明るい陽ざしに、秋が深まる。
ことし(令和元年)もあと2カ月、どんどん時がすぎていく。
武州小城下に40年余、口切や小城下ならぬただならぬーー蕪村

まだ遣り残していることがいっぱいあるようで、何もすすんでいない。
立冬ももうすぐ、枯葉が積もり、日暮れが早く、酒も弱くなった。
よき思い出づくりこそ人生かーー老後の3K(健康・経済・孤独)とよ。

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