詩情湛える静かな世界
明石長谷雄を悼む


 七月二十八日、明石長谷雄の訃報に接し、大阪・枚方会館における通夜・告別式に参列した。壇上いっぱいの繚乱の白菊に囲まれ、花好きな明石長谷雄は、その悠揚たるいつもの風姿で静かに微笑んでいた。深い悲しみに包まれ謹んで焼香した。
 
 明石長谷雄、本名亀山太一。一九二五年生まれ。十八歳にして、詩人であった。日本的ナショナリズムという熱い回帰と、昏くめぐりこもる時代の狂気の中で、学業を放棄。「モロッコ」や「哀愁」などの映画をかたっぱしから見る不良の日々を送る。戦雲は日増しに急を告げ、その青春は暗い刑余の憂愁に翳りながら鮮烈の光芒を放つ。
 
 かくて、一九四四年、第一詩集『神々に捧げる歌』を出版、私淑する伊東静雄の献呈。「いつ戦争に召されるかもしれないという不安と期待の矛盾」、遺書のつもりの詩集であった。才気煥発の三島由紀夫が、富士正晴を介して『花ざかりの森』の序文を、伊東に執拗に求めてきていた前後のことである。
 そして、戦争直後の混乱期、百五十篇の詩を書き溜めながら、この美丈夫は詩人としての即席を棚上げにし、実業界に身を投じることになる。
 
 戦後復興から、高度経済成長、バブル混沌期へと続く時代の激流にあって、宣伝・広告・マーケティングの第一戦で活躍。世にいう”亀山学校”で鍛え上げられた屈強のビジネスマンたちは、その仕事の徹底振り、細心の気配り、そして時代の流れを素早く読み取る若々しい感性に脱帽、敬服した。
 
 同世代であり、同門の三島由紀夫が華々しく活躍し、やがて自裁し果てていく絢爛と滅びの凶変を発止と受け止めつつ、その孤独と沈黙こそ、とりもなおさず、明石長谷雄のかかえた凄まじいまでの文学の宿業に灼かれた身の漂流と実存であったのだろう。
 
 激動期を経て四十年余、第二詩集『冬たんぽぽ』(思潮社)が発刊される。忽然たる詩魂のよみがえりのように編まれたが、それこそ、境涯を抉るべく熾烈の詩的精神形成史であり、師にたむける鎮魂の書であった。難病に苦しむ妻へのいたわり、激動混乱期の戦後状況、常に慈しみをもって大切に育ててくれた父母への感謝の作品が胸を打つ。
 
 四年後、『すずめの宿』(思潮社)においては、妻の入院、愛娘の結婚、自分の定年など身近な日常のドラマが主題になっている。また、続く第四詩集『白い靴』(思潮社)は、病身の妻をいたわり、京都・田辺町松ケ丘の新居で「新しい境地への模索」をはじめた珠玉の十三篇。研ぎ澄まされ、選び抜かれた平明な詩句の確かな手触りが、根源の愛のかたちをうたいあげる。
 
 昨年晩秋、病床の明石長谷雄を訪ね、元気になったら、また京都や奈良の町をゆっくり歩きましょうと固く約束したのだったが、今、その詩情湛える静かな世界が、悲しく胸に広がってくる。


『現代詩手帖』2002年10月号

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