永田和宏■静かな熱血漢


 私が京都に住むようになったこともあって、太田代志朗とは会うこともなく何年かが過ぎたが、彼が福島泰樹とともに、『月光』を創刊して以来、再び太田は相見ぬままいつも視野に存在する歌人となった。太田代は現代短歌、未だに私の中で一つになりにくいイメージだが、今回の歌稿を読みつつ、なるほどかつて色濃く彼の中にあったロマンにおいて、彼が短歌につながっているのだと改めて思い至った気がする。私自身は、余りにロマンに勝って作品よりは、

 ・スーパーで独活(うど)野蜀葵(みつばせり)購ひぬ茂吉を読みし春が暮れゆく

 などの、日常のつきすぎて恐らく太田の気にそまないであろう作品を好む。しかし、

 ・爛漫の春の棺の釘音の遠くにひびくかなし夢はも
 ・若き香のしたたる運動靴(シューズ)の紐を解くその瑠璃色の雨の夜明けに

 などを読むとき、歌集全体を覆っている、精いっぱいのヴォルテ-ジ゙の高い言葉使いの背後に、太田の悲痛な声が紛れるなく聞こえてくるのを感じる。第一歌集に挽歌を収録しなければならなかった友人の不幸を、なにより耐えがたいものと思うが、静かな熱血漢、太田代志朗はいま、鎮魂のためのもの狂いに、彼の作歌」のすべてを賭けているのかもしれない。


『清かなる夜叉』栞 1990年11月

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