梅原猛■不条理な悲劇の歌


 太田代志朗は、立命館大学時代の私の教え子である。
彼は哲学科へ入ってきたわけであるが、すでにそのときかなり成熟した文学青年であった。その頃、立命館大学に作家の高橋和巳氏も中国文学の講師として勤めていて、彼が青春時代やっていた同人雑誌『対話』を復刊しようとしていた。そして、私にも入れと言ってきたのでメンバーの一人になったが、そこに若い同人を加えたものであった。その若い同人の一人が太田代志朗であった。

 太田代志朗の美意識は、私はやはり三島由紀夫の美意識に近いと思う。
絢爛たる言葉を使い、おどろおどろしげな世界を歌う三島美学である。正直いえば、私は、この美学を半ば認めつつ半ばかなわないなと思っているのである。それは中世的ともいわれるが、私は中世はそんなものではないと思っているのである。したがって、太田代志朗のつくる短歌はうまいと思ったが、どこか三島的な作りものであると思っていた。

 ところが、太田代志朗はひどい悲劇を経験した。
 その悲劇は言葉に余るが、まったく人生にはこんなことがあってもいいかと思うような不条理な悲劇である。この悲劇を歌った太田代志朗の歌は絶唱である。他の歌の場合には余計な装飾で、わざとらしい技巧と思われるものがこの歌では見事に生きている。

歌集『清かなる夜叉』栞 1990年11月

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