松岡達
松岡達宜■朱雀門、手負い討ち死にしける由


去る歳月を惜しむかのように、連日、酒宴ばかりに付き合わされ、鍋料理もすっかり飽きてしまい、束の間の休息と思いながら、ぼくはいま、十年来の行き付けの飲み屋のカウンターに凭れて、たったひとりの舞踏会の態で、太田代志朗兄から贈られた歌集を読んでいる。太田兄に纏わる資料をいただきながら、一向に返礼を書かなくてはという想いに自分に重々気がついている。返礼を書かなくてはという想いに先取りされながら、書かない自分に苛立っている。
――えい、しゃらくさい。新年のカレンダーをひっぱがして、スクリーンのような白紙に書き殴る。ついでに、飲み屋の女将の、亭主の忘れ形見のモンブランを借りて、岩波版国語辞典も借りて、おぼつかぬ師走の風が吹き抜ける酒場から、太田兄に向けて、今年、最後の風信を書き送るのだ。
代志朗が書き殴った、雪の降る日の葉書、垂直に立った樹木の一首。

・朱雀門手負ひ討死にしける由 雪振りしかばひとり酒のむ

郵便夫の手違いか、あるいは迷い込む雪の仕業か、はたまた・・・・。
雪の日の葉書の文字は花の雪の形になって滲んでいた。迷い込む<朱雀門>とは、いったい何。手負いの獅子とは。雪の日の葉書を始めと太田代志朗の、幾つかの風信群はいつでも、ぼくをカスバの回廊に引き込み、不安にし、心を躍らせる。何故なら、あたかも、<政治>という外套を纏いながら<文学>の暗い燎野を声を低めていく歌人の貌は、相対的に若いぼく(ら)が<政治と文学>という命題(シエーマ)をいい加減にも、酒場談義へと埋葬してしまい、みずからのド頭のなか、蝶をピンで止めて停止している自己了解の生活的安穏の暗箱から、突如として登場する刺客だ。その風姿はある不確かな、それでいて確かな実像をともなっている。


それは太田代志朗が高橋和巳の直系の志を継ぐものというものでなく、あるいは、一九六〇年代の、「安保」「日韓」等の激動期に試みられた太田兄の文学、芸術の諸行為でも、多分ない。それとは違った位相でぼくは太田代志朗を思っている。
結論からいえば、歌集『清かなる夜叉』一巻に収められた<太田代志朗>という表現者の、現在的な登場の意味とは<断念>ののちの、深い憂愁をともなった<転生>の物語(ロマン)であるということだ。

一九七〇年、熱い風が吹いている。
ご多聞にもれず、ぼくの胸部もまた、溶鉱炉のように炎が燃えていた。打てば響くような鉄の匂いの、思春期のルサンチマンが渦巻いていた。


(歌誌『月光』1990年5月号)

▲INDEX▲