松永伍一■猛き相聞



 この『清かなる夜叉』の若武者は骨髄のあたりに遠つ世の男たちの慟哭をいつの日からか蓄財し、かれらの滅びの痛みと妖しいまでの華やぎとを現在と呼応する作者の絶望の上に鎧のごとく蔽った。それはトリックでもなく手馴れたテクニックでもなく、むしろ真っ正面な初な初陣を飾る幸若まいの一節、そのぎこちなさをちらとのぞかせる発汗の儀のように私には映って、ひとしきり爽やかな気分に酔った。(略)
 
 太田代志朗は挽歌をうたいあげる仕ぐさをのぞかせて、歴史からの水脈を自在にくぐりつつ過去と現在の闇の相乗を「清かなる夜叉」となって刺したのである。それゆえに冒頭の一首は妖しい闇のスペクタルを予見させて屹立しているのでないか。

『短歌往来』1991年5月号)

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