福島泰樹----修羅の花


 太田代志朗の作品を称して、ためらわず修羅の歌、夜叉の文体と私は言おう。闇の向うに揺らぐ花々を欣求し、熱き泪を滴らせ、溢れせしめた文体だ。文体とは吐く息、吸う息からなるおのれの生の総体、生き様に謂ではなかろうか。であるから、歌人はその息遣いにこそ精神のすべてを集中しなかればならない。そして、古典の美と悲劇に雪崩れ込んでいったことも、劇作家ならではの試み、すなわちその非在のドラマの彼方におのれの生の軌跡をデフォルメする、と同時にその生の苦悩を古典の世界の彼方に韜晦し、その来し方の秘密をいささかなりとも隠蔽し、虚構化せんとするところに起因しているのではないだろうか。
 いずれにしろ、太田代志朗の文体は、救抜を求める葛藤の文体である。兄事してやまなかった高橋和巳とその苦悩において通じあっているのかもしれない。

・さはれ無上涅槃を念(おも)ふな春は生(あ)れつぐ闇にさやぐ花夜叉
・とつくにの夜叉にしあらば花踏みて流刑のかたにわれをゆるせよ
・清かなる夜叉にしあらば醒めゆきて花幾千の夢にまぎれよ

 清かなる夜叉たらんことを希う、わが月光の同志太田代志朗に再びわが青春の歌、伊東静雄、「八月の石にすがりて」の一節を誦することにしよう。われも亦・・・・

 雪原に倒れふし、餓ゑにかげりて、
 青みし狼の目を、
 しばし夢む。


『清かなる夜叉』解説

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