過去の日記(2005年)

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2005年
12月29日
 本日は仕事納め。割り込み仕事が山ほど来て、仕事を納めることができなかった。で、明日も延長戦。は〜ぁ。
2005年
12月25日
 昨日か今日、自分の子供達を誘ってスキーに行こうと思い、昨日家に電話した。すると娘は、「今日はクリスマスの買出しがあってお母さん一人じゃ荷物持てないからだめだよ。」「じゃ、明日は?明日は天気が良いからスキーに行ったら気持ちがいいよ。」「明日は皆でケーキ作るからだめだよ。」そして電話の向こうで母親にお願いする娘の声が聞こえた。「お母さん、ケーキ余っちゃったらお父さんにあげていい?」いつもだったら独りで行くのだが、独り寂しくスキーに行く気が無くなった。独り寂しくクリスマスイブのご馳走を作り食べた。
 本日は予想通りの好天。家の掃除をしていると、70を過ぎた両親から電話が入った。「今、長野県のスキー場にいる。雪は多くてふかふかで気持ちがいいぞ!」あ〜ぁ、行けば良かった。夕方、”余りもののケーキ”を食しに旧自宅へ向った。誰もいなかった。ケーキもなかった。自宅に戻って独り寂しく夕食を作って食べ、娘達に電話してみた。「今日は天気が良かったからケーキは明日作ることにして、お母さんといっしょに京都に遊びに行っていたの。」寂しくつまらない週末だった。
2005年
12月18日
 朝起きて外を見ると予想どおりの銀世界。積雪3cm。家からマラソンスタート会場まで歩いて行ったけれど、ランニングシューズの底に雪はどんどん張り付いて、まるで下駄を履いているかの様。スタート時刻は午前11:00。気温0℃、運良く北風は弱く、走るのに邪魔なほどではなかった。初めの5kmは気持ち良く、他の人を抜きながら快調に走れたが、ここからの登りで一気にバテた。その後はどんどん抜かれ続けた。8km地点位から両手足の指がしびれて来た。循環器系の異常だろうか?不安を感じたが、後から思えば、ただ指が冷えきっていただけだった。靴も雪が解けて濡れてビショビショ。霜焼けにならない方がおかしい。標高差40mの急坂も歩かずに走り続けられたが、歩くのとあまり変わらない位までスピードが落ち、虎の着ぐるみに抜かれ、美女のサンタさんにも置いて行かれた(サンタさんにはついてゆこうと頑張ったんだけれど)。会社では仕事にとても厳しい先輩のMさんが途中待っていてくれてカロリー補給飲料を手渡してくれた。とても嬉しかった。有難うございました。
なんとかマラソンは完走しました。まだ生きております。一応目標達成。今日はお祝いに独りで豪華な夕食です。
2005年
12月17日
 今日は北風強く、広告用の旗が倒れているところが多かった。北に向うと走るどころか、歩くのも嫌になるほどだった。場所によっては昼過ぎでも雪が積もっていた。明日はもっとひどくなるらしい。明日はマラソン。折り返し点まで、この北風に向って走らなければならない。その後はきついアップダウンになる。おまけにこの寒さ、どんな格好で走れば良いのか?検討が付かない。兎に角、明日の目標は完走よりもまず生き抜くこと。だめだと思ったら諦めよう。でも諦めても収容バスが来るまでの間、寒いんだろうなぁ。
 今晩は栄養づけに、初めて牡蠣飯を作ってみた。水カップ1、昆布、カツオだし適量、醤油、みりん、酒、各大さじ1で先ずシメジ50gを煮て、牡蠣120gを入れ、4分煮た。その煮汁で米1合を炊飯器で炊き、炊き終わったところに牡蠣とシメジを混ぜた。結構うまかった。
これが最後の晩餐になりませんように!
2005年
12月14日
 今日は会社の歓迎会があったので早く帰ることができた。1次会が終わったらすかさずプールへ。水泳のレッスンを受けた。最後にバタ足25m×2回。今日は足が攣らなかったもののバテた。プールサイドに上がると体が重く、ヨタヨタとしか歩けなかった。こんな状態でマラソンまであと4日。
2005年
12月12日
 魚を食べていて思い出す、皮はコラーゲンで出来ている。骨もコラーゲンにカルシウムが沈着したものだ。最近話題に良く上がるコラーゲン。分子量が大きいので皮膚からは殆ど吸収されませんとの飲み薬の宣伝。多分正しいことを書いている。牛乳にはコラーゲンは全く含まれていませんとも書いていた。これも多分正しい。それでは疑問が一つ。何故、約1年母乳しか飲まない赤ちゃんは大きくなるのでしょうか?赤ちゃんは骨も皮膚も増えている。どうして?コラーゲンは体内で合成できるからでしょうか?こんなことは宣伝には書いてなかった。どうしてなんでしょうかねぇ?
2005年
12月11日
 今日は僕にとって12月の2大イベントの一つ、もちつき大会。今年はいつもと違って、多くの客人が来られたため、餅のつき手は余るほど多かったが、それでも3臼ほどつかせてもらった。餅つきは鬱憤晴らしにちょうど良い。パーン、パーンと勢い良くつくと気持ちが良い。年に1回、この時だけに会う、威勢の良いおっちゃん達にも会えて嬉しかった。また来年、と言いたいところだが、多分今度会えるのは5年後だろう。その時にもまた今日のように会うことができますように!来週はもう一つの大イベント、ハーフマラソン。まずは生き抜くことができますように!
2005年
12月10日
 今日も水泳。まずフィンをつけて850m泳ぎ、バタフライを習って、水中でダンベル運動をして、最後にクロール1500m マジで泳いで31’20”。9月と比べると2’10”短縮。
夕食はたまには和食でと思ったのだが、和食のレパートリーは非常に乏しい。煮魚ですら作り方を全く知らない。そこでまず本を買い、それを見ながら料理した。メバルをしょうゆ大さじ4、酒カップ1/4、みりん大さじ1、砂糖大さじ3、水カップ2にショウガをスライスしたものを入れて煮た。結構簡単に出来てうまかった。この本、うまそうなものがたくさん載っているからしばらく魚料理が続きそう。
2005年
12月9日
 今日も残業。ただし、夜の水泳教室には間に合う時間に仕事は終えた。今日は泳げる。プールまで急いだ。長いこと会っていない受付嬢に会った。「お久しぶりですね。」彼女の笑顔は変わっていなかった。良かった。急いで着替えてプールへ行った。おかしい。時間になってもコーチも生徒も来なかった。プールサイドに貼ってある時間割を見た。ショック。12月から10時の教室は無くなっていた。
 僕の姿を見つけてコーチがやってきた。僕が病気になって来れなくなったのとほぼ時を同じくして、水泳友達のNさんもIさんもバッタリ来られなくなってしまったそうだ。
 皆さん、どうされましたか?もしこの日記を見られたらご連絡ください。皆さんがご健康でいらっしゃいますように!もしご病気ならばすぐ良くなりますように!お祈りしております。
2005年
12月8日
 最近職場ではやたらと頭痛がする病気(風邪?)が流行っていて、今日も僕の周りで3人が休み。頭痛は強烈に痛いらしい。こんなものをうつされませんように!昨日に引き続き、今日も会社帰りにバブルリング、いやバタフライを泳ぎに行こうと思ったが、上司に残業を命ぜられ午前様。明日こそは...。
2005年
12月7日
 いよいよ待ちに待った復活の日。会社が終わると夕食を急いで作り、食べてからプールへ。
 深いプールは気持ちが良い。まずプールの底まで沈んでこの前子供に教えてもらったバブルリングを作ってみた。完璧だ。美しい。水泳仲間を呼んで見せた。「子供がやって見せたら可愛いけれど、いい歳した大人がね〜ちょっとねぇ〜。」反応は最低だった。
 久しぶりに水泳のレッスンを受けた。50mクロール、その後25m背泳×4回、その後バタ足で25m。たったのこれだけ泳いだだけなのに両足共攣ってしまった。信じられない。水泳を終えて家に帰ってきた今でも少しふくらはぎが痛い。これだけ長いこと運動していないとこんなになってしまうのか?こんな状態でハーフマラソンまであと11日。大丈夫かなぁ?
2005年
12月6日
 「咳が出なくなった。もう走っても良いかもしれない。」先週そう思って走ったら喘息のようになってひどい目に遭ってしまった。だから警戒していた。この3日間咳は出ていない。今日ならば走れるかもしれない。会社の帰りに走ってみた。時々休みながらゆっくり走ったが、家について暖かい空気を吸っても、もう咳が出ることはなかった。明日こそ水泳を始めるぞ。日曜日の子供との水泳を除いては、もう24日も泳いでいない。長かった。久しぶりに泳げると思うと嬉しい。
2005年
12月4日
 子供の希望にしたがって、今日は子供達とのデートの日。初雪の降る中、子供達を迎えにR山を越えた。午前中は「人と自然の博物館」、午後からはスパへ。屋外温泉プールで泳いだが、娘がバブルリングを作ると言う。水底に寝そべって口から泡を出すと、それは浮き上がるにつれ広がった。EUの国旗のようにいくつかの小さな泡が丸く並んだ。自分でも真似てやってみた。何回かやってみると、非常にきれいな輪が出来た。細く、きれいな不思議な輪ができた。瞬間的に「オー」の発音をして直ぐ口を閉じる(ポンと言うつもりでやると良い)と簡単にできた。ポンポンポン。3連続して輪を作ったり、ポンポン細くて大きな輪を作ってそれがゆっくり浮上する中を太くて小さな輪が追い抜いていったり、手品のようなことが簡単に出来た。「お父さんって、天才とちゃうか!?」子供に尊敬された。
2005年
12月3日
 本日は水泳仲間の忘年会。いつも運動している人(スポーツマン(ウーマン))は、普通の人とは違って、明るくて爽やかな人が多いと思う。今日も楽しかった。皆さん有難う。長いこと病気のため泳いでいなかったから、皆に会ったらメチャクチャ泳ぎたいと思ったのだけれど、明日は久しぶりに我が娘達とデートの約束(最後にデートしたのは10月16日だから1ヶ月半振り。どこに連れて行ってあげようかな?)。来週は餅つき大会で、再来週は恐怖(最近運動できなかったので下手に走るとそのまま天国まで走って行って(逝って)しまいそうな予感がしているので本当に恐怖)のハーフマラソン。次の日曜日マスターズ練習会参加は早くてもクリスマス。師走は本当に忙しい。
2005年
12月1日
 今朝も咳はしなかった。もう完治したかと思った。マラソンまであと17日しかない。急に走ったらろくでもないことが起こりそうな気がした。半月以上も殆ど運動していなかったので、今走っておかなければ。今走らなくてはいけない。そこで夕方会社を出るとわざと遠回りして帰宅した。多分2kmは走ったと思う。順調に走れた。走っている時には一回も咳は出なかった。家に着いた。治った、良かったと思った瞬間、咳が出始めた。咳は全く止まらなくなった。喉が強烈に痛かった。喉の前と後ろがくっついて吐きそうになった。それでも咳は止まらなかった。マラソンまであと17日、それまでに治るのだろうか?
2005年
11月30日
 今朝、久しぶりに気持ちよく起きた。この2週間、いつも夜中に咳き込んで眠れなくなっていたので、朝までぐっすり眠れたのは本当に久しぶりだ。普通に呼吸できるだけで嬉しい。長かった風邪もようやく終わりが近づいた。
2005年
11月28日
 某局で放送していた、きんぴらごぼうの長さ=平均4.6cm=口を開けた時の口の幅の長さなんだと。自分の指で4.6cmの長さを作ってみた。4.6cmというとこれっぽっちだ。これが口の横幅の訳がない。それでは自分の口の横幅は...。あだ名があだ名=ガマグチヨタカだけに、もしかして...、測ってみると6.4cm。やっぱりデカかった。平均的日本人の約1.4倍。と言うことはもし縦にも同じ比率で開いたとすると、面積は1.42≒√22=ちょうど2倍。恐るべし!我ながら凄い!自分のアダ名に合点。ガッテンガッテン。
2005年
11月27日
 独り寂しく夕食を作っていて、昔のことを思い出した。家を追い出されてしばらくして我が子に電話した時のこと。「お母さん、最近ちゃんとご飯作ってくれてるか?」「うん、作ってくれてるよ。ただ、ハンバーグとキャベツの千切りだけはお父さんの方がずっと美味しいよ。お父さんのキャベツの千切りは細くて軟らかくって良かったよ。」この言葉を思い出しながらキャベツの千切りをしているとつい力が入った。もっと鍛錬しなければ、もっと繊細に、もっと早く。ダダダダダ...、もっと早く...ダダダダダ。いつの間にか自分の限界に挑戦していた。あまりに早く包丁を動かそうとして動きが雑になった。ベロン。間違って自分の親指の皮を削いでしまった。傷は意外と深く、血が多く出てきた。凄く痛そうだったが、まるで他人の指みたいに全く痛みを感じなかった。包丁を使う前に野菜を冷水で洗っていたので、手が冷たく冷えきっていたためだろう。とにかく、止血のため、バンドエイドをきつめに巻いた。キャベツの千切りから自分の皮を取り出し、先月知った柿の薄切りを混ぜてみた。結構いける。今度子供にご馳走する機会があればやってみよう。
 子供から電話があった。「来週はお母さん独りで出かけるから、おとうさんといっしょに遊べるよ。」という訳で来週は我が子とデート。早速ご馳走しようかな。風邪の方は大分良くなって声が出るようになった。今度こそ全快までもう一歩。
2005年
11月26日
 昨日医者に行ってからずっと寝ている。夜寝ながらTVを見ると、潜水(息をしないで水平にどこまで泳げるか)をしていた。
日本記録は105m、4位は75m、この番組の出演者の人も75mだった。僕は何メートル行けるのだろうか?全快したらやってみよう。
深夜咳き込んで眠れなくなった。まだまだ治るまでには時間がかかりそうだ。
2005年
11月24日
 日曜に治りかけと思ったのは大きな誤算。その後病状は悪化したのだが、今日まで来客対応で会社を休む訳にはいかず、無理して出社を続けてきた。忙し過ぎて医者にも行けず、こんなに体調が悪いのに深夜残業で午前様。声は潰れて殆ど出なくなってしまった。会う人は皆「エクソシストみたい。」と言って驚く。夜は咳が止まらず、寝付けない。朝は目覚まし時計に気づかず、遅刻ぎりぎりに気づいてこの呼吸器の状態なのについ走ってしまった。気管支炎なのか肺炎なのか判らない。これはマジでヤバイ。お客さんが帰られるとほぼ同時に早退して病院へ向った。ところがその医院は木曜定休日。別の医院へ行こうと思ったが一旦帰宅するともう疲れて行く気がしない。どうせ抗生剤も咳止めもあるし、病院には明日朝行くことにして、本日はお休みなさい。
2005年
11月20日
 注文していたCDが届いた。先々週盗まれてしまったCDに入っていたお気に入りの曲=フライディナイトファンタジーを含む刀根麻理子のベストアルバム。アルバムの解説を読むと、この曲は彼女自身の作詞だった(なんて才女なんだろう)。また、骨髄バンクのボランティアに奔走している彼女の近況も書かれていた。インターネットで検索してみると、確かに骨髄バンクのチャリティを呼びかける彼女のメッセージがあった。声の美しい人は心も美しいのか。最近新譜が出ていなかったから少し心配していたけれど、元気なだけでなく、社会に貢献する素晴らしい活動をされていることを知って、とってもうれしくなった。ガンバレ刀根麻理子!
僕はまだ骨髄バンクには登録していない。すぐ登録しなくっちゃ!
 喉が痛くなくなって声が出るようになった。深呼吸しても咳が出なくなった。緑っ鼻も出なくなった。全快までもう一歩。
2005年
11月19日
 仕事が溜まっているので休日出勤しようと朝早く目覚ましをかけていたが、朝起きると強烈に喉が痛い。止むを得ず、今日は一日寝ておりました。風邪をひいて今日で5日目。いい加減に治らないかなぁ。
2005年
11月17日
 粘り気のある緑っ鼻がドバァと出るようになった。しばらくバタフライもお休み。ストレス溜まるなぁ。
2005年
11月16日
 今なら、厳冬期ではないので、日本アルプスでもまだそれ程苦労しなくても登頂できる(厳冬期と比較しての話で、夏山と比べたら天国と地獄。雪山は危なく苦しいけれど、一度でも行ってしまうと悪魔に乗り移られたように行きたくなってしまう。行ったことがない人は決して行かないことをお勧めする)。長期で海外出向となると、まだ登っていない山に行きたくてしょうがない。それで今週末も登ろうと思っていた。ところが...、今週出勤すると同僚2人が風邪で休んでいた。風邪をうつされてなるものか!絶対に山登り行くんだから...。と思っていたのだが、昨日の晩から喉がいがらっぽくなった。今日になると喉は痛くなった。完全に風邪をひいてしまった。これでは行けそうもない。残念!
2005年
11月13日
 土曜日は知人の結婚祝い会。各自一品手作りのご馳走を持って集合とのことだったので、得意の自称ブイヤベースを作って持参。簡単に作れてなおかつ好評だったので、この作り方は近いうちにこのHPにアップしようと思う。どこかの店でお金をかけて行うよりもこんな風に作って持っていった方が面白い。日曜は子供が母親といっしょに出かけてしまったので、いつものとおりの水泳訓練。最近あまり泳いでいないせいか、やけにバテる。もっと泳ぎこまないと...。
2005年
11月10日
 ついに私も国外追放が確定した。某国への転勤の内示をもらった。一抹の不安はまだ幼い子供達を日本に残して行くことだけだった。子供に話した。「おとうさん、海外出向になっちゃったよ。」「ヤッター。」子供の反応は意外にも明るかった。「夏休みになったら遊びに行くからね。」この言葉を聞いて吹っ切れた。出向前に会社が費用を出して某国語を習いに行かせてくれるとのこと。第三外国語、今度こそものにするぞ!いざ行くと考えると心が高鳴ってくる。面白そうな未来がある。
2005年
11月9日
 筋肉痛3日目、まだ足がガクガクしていた。先週は結構忙しかったので水泳にはいけなかった。一昨日はあまりの筋肉痛のため休んでしまった。昨日はプールの定休日、今日こそは行こうと思っていたが、まだ筋肉痛は治っていなかった。どうしようか迷ったが行くことにした。22時、会社が終わってプールまで直行。一番好きなバタフライのレッスン。足ヒレをつけてゆっくり泳いだ。ストロークをできる限り大きくして手をかく回数を減らす。初めは25m8ストローク。コーチが言った。「あと2回減らしましょう。」水の中に突っ込む時、深く潜り過ぎないように前の方に手を伸ばす、できるだけ遠くに体を伸ばす。気持ちがいい。呼吸はできるだけ頭を上げ過ぎないように気をつける。水に突っ込んだ後はできるだけ遠くに体を伸ばす。遠くへ、遠くへ。すぐに7ストロークになった。顔を上げ過ぎたり、深く突っ込み過ぎたり、なかなか理想的には泳げない。結局6.5ストローク。目標の6ストロークには達しなかったが、気持ちが良かった。いつの間にか筋肉痛もなくなっていた。やはり水泳は素晴らしい。
2005年
11月8日
 車上荒らし。盗まれたのはCDだけでよかったとはいえ、どうしても失いたくなかったCDが盗まれてしまった。19年間も車に載せていたCD。あの澄み切った歌声が聴けなくなるなんて...。19年も昔のCDが今売っている訳が無い。世界一美しい歌声と私は思っているのだが、全くマイナーな歌手。この数年TVもCDも見たことがない。あの人はどうしているのだろうか?まだ歌手しているのだろうか?
インターネットで検索してみると、ベストアルバムが昨年発表されていた。まだ購入可能だった。おまけにこのアルバムにはどうしても欲しかったあの曲が含まれていた。欲しかったけれども入手できなかった別の曲も含まれていた。直ぐに注文した。ラッキー。盗まれたお陰で、もっと欲しかったアルバムを入手できた。転ばされたら、前よりもっといいものを掴んで起き上がるのさ。
2005年
11月7日
 予想どおり、今日は強烈な筋肉痛。おまけに両手の指10本全部が軽い凍傷。体はボロボロだけれど、CD盗まれて腹立たしいけれど、心は穏やか。残照の大天井岳、シルエットの北鎌尾根が脳裏に浮かぶ。今回出逢った主な鳥獣:ニホンザル、ノウサギ、マヒワ、キクイタダキ、カヤクグリ、イワヒバリ、ホシガラス+シークレット1種。
2005年
11月6日
 快晴の中、常念岳(標高2857m)に登頂してきた。あの素晴らしい風景は多分生涯忘れないでしょう。但し、標高差600mも続く岩稜帯はきつかった。打撲と筋肉痛で明日は仕事になるか???(歳を取ると筋肉痛は翌々日に出るので厳しいのは明後日か?)
 腹が立つのは登山口に置いておいた車が車上荒らしに遭ってしまったこと。今のところ、盗まれたのはCD 10枚だけみたいだけれど(貧乏人の登山家は車の中には高価な物は置いていないのさ)、そんな軽微な窃盗でも我が国の警察はちゃんと指紋採集までしてくれたぞ(親切で勤勉なおまわりさんに感謝)。残念なのは金銭的価値は低いだろうけれど、もう入手不可の古いCDを失ったこと。好きな曲だったのに!
やい犯人、君の指紋はお上のデータベースに入力された。そのCDは売らないで返すか捕まる時まで取っておきなさい。さもないとつかまった時にCD買取屋さんに売れる金額より高い金額が請求されるぞ。窃盗癖のある君は必ずいつか捕まるんだから...。
2005年
11月4日
 4連休取得には失敗したものの、今日から3連休取得に成功。目的地は変更したものの、久しぶりの高地に行ってきま〜す。
2005年
11月2日
 ある日のこと、夕方用があって早く帰らなければならなかった。「え〜、もう帰っちゃうんですか!あの仕事はできたんですか?」「まだです。でも明日10時までにはやります。今日は忙しいんで、お先です。」「そんなに早く帰っちゃって本当にできるんですか?」「できますとも〜。できなかったら皆に焼肉おごってやりますわ。そんじゃお先に!」という風に帰ったのだが、次の日出社すると上司の置手紙が...。「出社したら最優先でこの文書を作成して置くように!」この割り込み仕事のお陰で焼肉を同僚におごる羽目に陥った。それで今日は焼肉屋へ。皆自腹でないととんでもない高級霜降り和牛を平気で注文する...。(まあたまにはいいや、いっちゃえいっちゃえ。)大判振る舞いをして今までに食べたことがないような焼肉を食べた。うまかった。財布の中はか〜らっぽ。
2005年
11月1日
 今度の金曜日は休みにして4連休を作って山登りに行こうとしていたところ、結局休日出勤でまたもや不発。残念!
2005年
10月29日
 昨日、近隣に出張。あるレストランで食べたサラダ。柿のサラダだった。サウザンアイランドソースと柿はとても良く合った。これはいいことを知った。 この時に同僚に教えてもらったおいしいケーキ屋さん。今日行ってみると店の外まで続く長蛇の列。長時間かかったのには閉口したが、時々店員さんが「試食です。」と言ってケーキを配ってくれたのがうれしかった。試しに5個ほど買って帰宅。(本日賞味期限のケーキ、一人で5個も食べてどうすんねん。)我が街には不思議なほどケーキ屋さんが多い。
2005年
10月27日
 今日は会社の帰りはわざと遠回りして走って帰った。足取りも軽く、息もそれほど切れなかったが足の裏が少し痛くなった。先週の土曜日にランニングシューズを買った時の店員の言葉を思い出した。「マラソン用の靴はどれが良いですか?」「日頃よく走っている人はこのように軽くてクッションの薄いものを好まれますね。まだ経験の少ない方には厚めのものがよろしいとおもいますよ。」「どうしてよく走っている人は薄いものを好むんですか?足を痛めたりしませんか?」『薄めの方がよく路面を捉えるようですね。足の筋肉が鍛えられていれば痛めることはありませんよ。」私の場合、簡単に足の裏が痛くなった。明らかに練習不足だ。今年のハーフマラソンは完走できるのだろうか?決戦の日まであと52日。
2005年
10月26日
 下痢と腹痛と吐き気が4日続いて、今日も吐き気がしていたのが、夕方になると突然治ってしまった。治ってしまうと今まで1日1膳お粥だけの食事だったこともあり、急に食欲爆発モード。今度は食べすぎで腹がいて〜ぇ!
2005年
10月23日
 深夜、急に腹痛がした。今まで経験が無い強烈な痛み。あまりの痛みに、トイレの中で意識が薄れてゆく。こんなところで倒れたら孤独死。そうはなりたくない。救急車を呼ぶべきか?こんな汚い部屋に救急隊員が来たらビックリするだろうな。はずかしいな。最近、本来必要もないのに救急車を呼び、本当に必要な人が手遅れになるニュースを見た覚えがあった。むやみに救急車を呼んではならない。が、そんなことより、自分の汚い部屋を他人に見られる恥ずかしさの方が先に頭をよぎった。痛みはさらに激しくなった。救急車を呼ぶべきか?グルルルルルル・・・・腹の中で大量にガスが移動するのが判った。痛みはこの所為だ。出てしまえば治るに違いない。痛みに耐えて4時間。トイレから外に出るともう朝になっていた。その後寝直し、起きるともう夕方。腹痛は我慢できる程度には回復したがまだ完全に直った訳ではない。自分のためにお粥と擂り下ろしりんごを作った。掃除をする気力は無かった。最低の週末だった。ニュースを見ると白山と男体山で初冠雪。
2005年
10月16日
 今日は上の娘を連れて恐○博物館へ。下の娘は「お母さんを独りにしたら可哀想でしょ。」という訳で今日も姉妹別行動。我が娘達はいつも交代で私と「遊んで」くれる。両親想いの娘達にはいつも申し訳ないと思うのだが、こればかりはどうしようもない。一人ずつでもできるだけ思い出になることをしてやりたい。博物館上空ではハヤブサが輪を描いて帆翔していた。
2005年
10月15日
 イルカと泳いでから1週間経つと言うのに心の中はイルカ、イルカ、イルカ。イルカと泳ぎたい〜と思いながらも今日もまた仕事。明日は我が娘と少し遠くの博物館までデート。早く寝なくっちゃ。
2005年
10月11日
 ミナミハンドウイルカとランデブーしてきました。イルカには癒されました。明日からまた嫌な仕事だけれどがんばらなくっちゃ。それではおやすみなさい。
2005年
10月6日
 明日からイルカに会いに行きます。3連休の天気はとても悪そう。それでも行ってきます。鮫の餌食にならなかったら来週更新します。
2005年
10月3日
 今週末の3連休は一人旅ではこの10年で一回も使ったことが無い大金を注ぎ込んで8種目の鯨・イルカ類に会いに行こうとしていたのだが、3日とも天気が悪そう。キャンセルしたらキャンセル料がもったいないし、...どうか波だけは高くなりませんように!
2005年
9月25日
 待ちに待った3連休。今シーズン最後の観鯨を目論んでいたのに、台風に阻まれてあえなく中止。鯨君、また来年。
 高山の天気も悪そうだったので、ご近所の公園を我が娘とデートしただけ。テレビを見ると、小学生が黒部五郎岳(?だったと思う)に登り、日本百名山を踏破したニュースが...。高山の天気は良いではありませんか!行けば良かった。残念!
 水泳の練習1500mクロール33'30"これだけ遅いと疲れも感じなかったから次回はもう少しピッチを上げてみようと思う。
来週(10月2日)の情熱大陸はネイチャーフォトグラファーの内山りゅうさん。期待です。
2005年
9月18日
 世間は3連休というのに、昨日も仕事、明日も仕事。来週の3連休こそは!
このHPの題名と違って今年の夏は高山には一回も登りませんでした。その代わり、海で逢った生き物に感動してしまったので、頭の中は海のことばかり。もうそろそろ改名した方が良いかも。注文していたカメラの防水パック本日入手。潜水訓練も最近は25mしかできなくなっていたのが37.5mまで戻ってきました。学生中の55mと比べると、これはやっぱり歳のせい?
2005年
9月11日
 我が娘達のコンサートに出かけた。「子供の頃も今も人前では上がってしまいコチコチになる私」の子供なのに、二人とも堂々として、上がった仕草は全く無かった。演奏もうまかった。大したものだ。二人とも素晴らしかったぞ。(我が子へのメッセージ)
 イシイルカを追加。
2005年
9月4日
 今週末は台風が来ているため、観鯨は来週以降に延期。来週はご近所の共同清掃を休まなければならない。ずる休みをしたと思われるのはいやなので、今日は家の周りの草取り。汗びっしょりになりながら草を抜く。「ご苦労様。」近所の主婦が挨拶しながら横を通り過ぎた。随分きれいになったからこれで来週は休んでも文句は言われまい。来週末は9月11日。11日、何か用があったような気がした。11日、何だったけ?子供が言っていた言葉を思い出した。「お父さん、絶対に聴きに来てね。」そう、来週は我が娘達のソロコンサートが夕方あったのだ。これを差し置いて観鯨に行ったら娘達はがっかりするに違いない。という訳で、来週午前中はやっぱりご近所の共同清掃、午後は我が娘達のコンサートに行かなくては...。観鯨はそのまた来週、いけるかな?
2005年
8月29日
 ニタリクジラのページの構成を変更、写真を追加。
2005年
8月28日
 WさんのHPを見るとバンディング批判の記述が...鳥のため、がんばっておられます。ここにリンクされたHPのバンディングの惨状の数々、その中でもどうしても納得できない記述があります。日本野鳥の会諏訪支部の「次の見回りは1時間後なので...」=1時間放置したようです。一方、エアビーパル819号(2005.8.3版)には「網の見まわりも10分〜15分おきにし宙吊り状態の時間を最短にしなければなりません。」との記述があります。大分支部にいたっては、「いつものようにバンディング調査に向かったところ、張っている2枚の霞網のうち、1枚は盗まれもう1枚は使用不能なほど破損していることに気がついた。」この人は何時間霞網を張ったまま放置していたのでしょうか?記述からすると1日以上放っておいたように推測します。これはもう論外です。酷過ぎます。Wさん頑張って!
 本日もニタリクジラに会いに行きたかったのだけれど、夏休み最後の日曜日とのことで、船の予約は満杯でした。来週こそは...。
2005年
8月15日
 ニタリクジラのページを追加。お気に入りにクジラとイルカの図鑑を追加。岩本久則さんのHPへリンク。
 ついに本日で盆休みも終わり、明日からはまた、いやないやなお仕事が始まります。お〜ぉ、憂鬱。
2005年
8月11日
 ニタリ鯨に会ってきました。前回の鯨はどこまでも澄んだ紺碧の黒潮の中を音も無く悠然と泳ぐ、言わば、静の鯨に感動しましたが、今回は鰯の群れを捕食する、凄まじい動の鯨に驚愕しました。この素晴らしい瞬間を目撃してしまうと、小さなことで悩む人間社会のことなど、もうどうでも良いように思えてきます。新しい境地に到達したような気がしてきます。それから、マンタは飛びました。昔、久則さんかGoichiさんのHPにマンタは飛ぶか飛ばないかの議論がありましたが、マンタは飛びました。(飛行や滑空ではなくジャンプですが)マンタはジャンプしたり、水面にヒレをだしてバチャバチャ水面を叩くような行動を頻繁に取りました。マンタはあまりに多く、見つけても、船長さん達は「あれはエイじゃき。」と言って見向きもせず無視するほどマンタは山ほどおりました。無視しようとする船長さんに無理やり頼み込み、バチャバチャ水面を叩くヒレのところに船を近づけてもらい、マンタと確認しましたので、間違いありません。さすが黒潮ど真ん中です。
最後に、土佐の○○さん。泊めていただいて本当に有難うございました。先月、ほんの少しお会いしただけなのに、娘共々、突然上がり込み、ヨサコイ見物案内はさせるは、何も手伝いもせず3食喰いまくるは、本当にずうずうしい限りでした。関西にお越しの際は、家が小さくてお泊めすることはできませんが、誠心誠意歓迎いたしますのでどうぞご連絡ください。
2005年
8月7日
 先週の鯨があまりにも素晴らしかったので、大伸ばしにした写真を持って、我が娘達を誘いに行くと、上の娘は大喜びで行くというのに下の娘は行きたくないと言う。残念ながら一人だけ連れて行くことにしたが、土日月火、用事があって行けないと言う。それで水曜日からまた土佐に行くことになった。前回の鯨の写真は水上のものはうまく撮れたものの、水中の写真は水面の反射が大きすぎて全く写っていなかった。70mmでは近すぎて全身を入れることができなかった。一眼レフカメラも偏光ミラーなので、ファインダーを通してでは水中は殆ど見えなかった。そこで、偏光フィルターを買い、旧式のFE、FE2を用いることにした。25歳のFEは長いこと使っていなかったので、サービスセンターで点検してもらうこととした。カメラ4台、レンズ多数を持って久しぶりにサービスセンターに向かうと、「只今のローパスフィルターの清掃待ち時間1時間30分」との表示があった。昔は無料だった清掃は有料になっていた(点検はまだ無料)。おまけに今日中に作業完了させることはできないと言う。昔は遮光モールドの交換くらい、ただで直ぐにしてくれたのに、そんな簡単な修理もできないようで、サービスの悪化甚だしい。ローパスの清掃でてんてこ舞いのようで、その余波を銀塩も浴びてしまったようだ。私の場合、一眼レフデジカメは経済的に難しいと思っていたが、もっと大きな問題があることが判ってしまった。掃除嫌いで埃まみれの家に住む私にはこれは絶対に取り扱えない代物のようだ。残念!
2005年
7月31日
 ニタリ鯨に逢ってきました。予想としてはただ背びれが見える程度と思っていたのですが、鯨君、何を思ったのか大サービス。船の横で一回転ロールしたり(お腹はピンク色でした)、背面で泳いだり、体を傾けて水の中からジッとこちらを見ているのではないかと思えるような態度を取ったり、信じられないようなことが立て続けに起こりました。ニタリ鯨は大きくて、美しすぎるほどきれいな曲線で、神秘的で、かつ可愛い目を持っていて...本当に素晴らしい生き物でした。また、最後まで粘ってくれた星海丸の船長の鳴瀧さん、本当に有難うございました。私は鯨に惚れ込んでしまいました。近いうちにまた行きますので、よろしくお願いいたします。
 なお、このホエールウォッチングの問合せ先は宇佐しおかぜ公園(0888-56-1133)
私の友人の友人のそのまた友人で、全く面識がない漫画家の岩本久則さんのHP http://www24.big.or.jp/~kyusoku/index.htmを参考にさせていただきました(岩本様、無断ではありますが、リンクの許可条件に該当すると思いますので勝手にリンクを張らせていただきました。ご容赦ください。)。
2005年
7月30日
 本当はこの土日で鯨に会いに行こうと思っていたのだけれど、残念ながら休日出勤。22時過ぎに帰宅しました。それでも一度行きたくなったらもう止まらない。やっぱり鯨に会いに行ってきま〜す。ところで師匠、がんばってくださいね。最後の追い込みです。このHPなんて見ている場合じゃありません。とはいっても十分睡眠を取って焦らずにがんばってください。ご健闘をお祈りしています。
2005年
7月10日
 一昨日はボランティアで野外活動をしていた学童保育の子供達をお迎えに...。大雨になってしまったようで、私の車が現地に着くやいなや撤退です。雨に濡れて冷たくなってしまったようなのでそのまま温泉に直行しました。で、ガキ共と入浴していると...目の前にピーナッツの殻のようなものが浮かんでいるではありませんか?よく見ると沢山浮いています。いや、これはキャラメルコーン???こんな所にそんなものがあるはずありません。そうです。これは雲○ではありませんか!!!げげっこれはえらいこっちゃ!どうか犯人は私の連れではありませんように!兎に角、急いで番台さんを呼びました。「ええ〜!えらいこっちゃ!」びっくりしてやってきた番台さんは湯船のお湯をみんな抜いてしまいました。結構良心的な温泉でした。
2005年
6月24日
 南の某国から無事帰ってまいりました。いいや、無事と言うにはまだ早い。マラリヤ汚染地域にて計11箇所も蚊に刺されてしまったので、潜伏期間が過ぎないと無事とは言えません。どうかなんともありませんように!
 この国では現地友人達から大歓迎を受け、休日には美しいジャングルを案内してもらい、海辺ではシーフードのご馳走をいただきました。本当にとても面白く、そして美味しかったです。友人の皆さん、本当に有難う。
ただ、ビックリしたのは、我が国では天然記念物として保護されているあの動物が、この国では庶民の食べ物としてごく普通に食されていることでした。食べてみたけれど、決して美味しいものではありませんでした(海の匂いがしていました)。海老や蟹、スズキはとっても美味しかったのですが...。
2005年
6月14日
 待ちに待った審判の日。一攫千金の野望はやっぱりドリームと消えました。残念!
明日からは某南の国へ出張です。という訳で2週間ほど更新はありません。
準備するものは、水中カメラ、フリッパーに望遠レンズ、...何しに行く???それでは行ってきま〜す。
2005年
6月8日
 会社からの帰り道、いつもの排ガスだらけの国道には嫌気が差していたので、大分遠回りになるが、それと平行に走る遊歩道を通って帰ることにした。
帰り道、街灯の横の電線に鳥影があることに気がついた。その鳥は真っ直ぐ立ち、音もなく羽ばたいた。フクロウの仲間には違いなかった。アオバか???しばらく待ったが鳴かなかった。目を凝らしても姿が判るほど明るくはなかったので諦めて帰宅した。途中何回かこのような光景に出会ったが、種の同定はできなかった。自宅に帰ってパソコンを見ていると、「ホホッーホホッー」かなり近くで鳴いた。まず間違いなくアオバだと思った。懐中電灯を持って外に出ると、運悪く踏み切りの遮断機が鳴り始め、鳴き声が聞こえなくなってしまった。遮断機の音が止んでも、もうアオバは鳴かなかった。外に出たついでに、先ほどの電線の鳥影を見たかったので、そこまで戻ることにした。さっきは何回もであったのに、今度は一回も出逢わなかった。残念!
2005年
5月29日
 本日は明朝までにやらねばならぬ宿題がたんまりと...。これ以外のことをやっている訳にはいかなかったのですが...ついつい水泳の練習に行ってしまいました。期限まであと15時間。もう泳いだ後で体は気持ち良くなって眠たくなっています。やれるかな???
2005年
5月28日
 本日は外国から客人来たり。初めての日本と言えば、やはり京都に行きたいと言われます。そこで私はにわかガイドとなり、京見物をしました...とは言え、私のにとって、街中の見物ほど嫌なものはありません。そこで、ハイキングを兼ねて、鞍○山まで連れて行きました。温帯には来たことがない客人たちは新緑の日本の自然の美しさに大喜び。貴○では河床に作った風流な座敷の上で純和食ランチ。和食は美味くないと言っていた客人も私もこの美味さには感激しました。今度は我が娘達を連れて行こうと思います。
2005年
5月22日
 昨日は学童保育の子供達と遊び、本日はマスターズの水泳大会に出場しておりました。よって、ネタは4〜5月でいくつか入荷したものの、忙しくてまたもやHPの更新はできませんでした。マスターズの記録:100m平泳ぎ1'31"67=自己としては平凡な記録、50mバタフライ39"74=自己新記録(2秒短縮)。自己新記録としてはうれしいけれど、まだ最後に失速していることと、もっと良い記録を予想していたのにそれに届かなかったことには少し不満ではあります...が、久々の記録更新ゆえ、更なる努力を誓うということで良いとしましょう。水泳友達の皆様、コーチの皆様、本日はとても楽しかったです。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。更なる努力の誓いとのことで、早速、腕立て伏せ100回しました。それではおやすみなさい。
2005年
5月14日
 どこに行こう?どこに...?と考えていると金曜日は既に深夜。土曜に起きると既に昼。結局どこにも行けなくなる時の悪いパターンにはまったように思えたが、残雪をバックにしたホシガラスやカヤクグリ...、やはり高山に行きたい。それで土曜の晩に白山登山口に到着。日曜早朝から登り始めようと思っていたのだが、夜半から雨。朝も雨が続き、止みそうもなかった。しょうがないのでそのまま撤退。帰りに京都府まで帰ってくると晴れ間が覗いた。このまま帰るのはもったいない。それで氷ノ山に方向転換。到着するとまた雲行きが怪しくなり、間もなく雨が降り始めた。結局、雨の中を走り回っただけのつまらない週末でした。残念!
2005年
5月13日
 今週末は久しぶりに家の掃除をして、車のタイヤを入れ替えて(まだスタッドレスをはいているのです。先週はアイスバーンの上を走っていたのですから)、写真の整理をしてホームページを更新して...と考えていたのですが、明日も明後日も天気が良いらしい。家の近くの林の青葉が美し過ぎて...、今週末は家にいる場合じゃない。500mmかついで出かけないと...。さあどこへ行こう?
2005年
5月9日
 夜明け前に起床し、日の出を待ち、日が暮れると寝る生活を1週間続けると、普段の生活に戻そうとすると完全に時差ぼけになりました。
それではお休みなさい。
2005年
5月8日
 ナキウサギに会って来ました。雪の降る寒い中、ガレ場の前で計16時間(車中泊も入れると34時間)も待って、やっと会えました。これで国外追放されるまでにやりたかった4つの願いのうち、3つが叶いました。詳しくはまた後ほど。
2005年
5月2日
 4/17, 24と2週間連続で、雷鳥に会いに立山へ。雷鳥の写真を山ほど撮ったが、現像に出したフィルムを取りに行く暇も無く、GW初めの3日間は我が娘達2人を連れて春スキーに。下の娘は今まではいつも「お母さんといっしょにいる」と言って、来てくれませんでしたが今回はやっと来てくれました。「こんなに面白いんだったら前も来ればよかった。」と下の娘の弁。来シーズンはいっしょに行ってもらえそうです。スキー場から下りのロープウェイを待っていると娘が「あの鳥何?」その瞬間、目の前で翻った巨大な鷲の翼下には白い班が...。イヌワシでした。娘は大喜び。まだまだ続くGW、フェリーの予約を済ませ、荷物を入れ替え、また遠出です。
2005年
4月20日
 先週末の話。どうしても雷鳥に会いたくなった。けれど、苦労せずに行ける所には行きたくなかった。そこに行ったらきっとカメラの砲列が取り囲んでいるに違いないと思った。それで人気の少ない山をねらって、まずはあるスキー場へ。既に3月末日で営業終了しているので、止まっているリフト下をひたすら登った。その後、尾根筋に辿り着くまで、ほぼ水平に歩いた。尾根筋を頂上に向って登る。初めはなだらかで、少しずつ急になっていった。雪崩の危険がある時は尾根を登るのは常識だ。だから尾根を登ろうとしたのだが、尾根の南側は最近の強い日差しで既に雪は無くなっていた。尾根の上には大雪。しかも北側に大きな雪庇を形成していた。あの上に立てば雪庇が崩れて転落するのはまず間違いない。だから登るルートは幅3〜4mの細い尾根筋しかなかった。おまけにこの尾根筋は段差が1.5〜2m位の階段状になっていた。荷物を背負ったまま通過するのは困難なことが多く、この階段の上に荷物を放り上げて1段ずつよじ登らなければならないことが多かった。暑かったので、上半身はTシャツ1枚にしたが、バランスを崩して肘が雪にすれると、皮膚から血がにじみ出た。凍って下し金のようになった雪面で簡単に擦り傷が作られた。こうして、瞬く間に時間と体力を消費してしまった。この調子では当日中どころか翌日かかっても山小屋には辿り着きそうも無かった。結局標高差800m登ったところで諦め下山した。翌日、やっぱりどうしても雷鳥に会いたかったので、結局、だれでも行ける立山へ。
2005年
4月17日
 白い鳥に会ってきました。まだ純白でした。首の辺りがマダラの奴も少しいましたが...。詳しい話は後日アップします。心は晴々なれど体はボロボロ傷だらけ。明日は仕事にならんかも。それではお休みなさい。
2005年
4月15日
 今から白い鳥(もうマダラかも)に会いに行ってきま〜す。雪崩にだけは遭いませんように!
2005年
4月10日
 先週突き指をしてしまったので、土曜日はその診察で病院へ。半日潰れてしまったので、折角の快晴だったのに遠くへは行けず。日曜日は先週に引き続き、我が娘達と楽しい思い出を作ろうと約束していたのだが、土曜の夜、娘からの寂しい電話。「お父さん、ごめんね。明日はお母さん達と花見に行くことになったの。だからお父さんとは会えないの。」という訳で、今日は寂しく独りで近くの公園でバードウォッチング。大した鳥には出逢いませんでしたが、エナガが長いこと至近距離に留まり(写真を撮らない時に限って...)、ホオジロが囀り、ウグイスが谷渡りの声を上げ、柳の芽吹きの萌黄色がきれいでした。来週(4/17)は立山アルペンルートが全線開通の予定。どこに行こう?
2005年
4月4日
 いつ日本を離れ、娘達と別れてしまうのか判らない状態になってしまったので、週末が来ればどうしても我が娘達と思い出を作りたい...。という訳で今週末は娘とスキー。上の娘は大乗り気だったものの、下の娘は「やだ、お母さんといっしょにいる。」と言う訳で、今回も上の娘とだけスキー旅行へ。スキー場でびっくりしたこと:@独りでスキーするのは2回目の娘がスイスイ滑って行ってしまったこと。Aスキー場の隣にいた馬の背中に2羽のハシブトガラスが執拗にやってきてタテガミを抜いて行ったこと。毎回、山ほど集めて持って行くので馬の背中は半分剥げていました。これで雪国でも暖かい巣ができているのでしょうね。やはりカラスは賢く、憎たらしい。
2005年
3月26日
さらば日本???
 先週の3連休の3日前の出来事。仕事をしていると突然上司に呼ばれ、「来週から××国へ行ってくれないか?初めは2ヶ月だが、仕事振りが良ければ何年か...。」昔、別の職場で聞いたような言い回しだった。それで3連休も返上し、仕事の引継ぎと引越し準備。したがって今年もまた白い雷鳥には逢えなかったのである。残念。何年も行ってしまうとなると娘達とうまくやれるのか?別れたくないという気持ちと外国の自然を探検したい好奇心が拮抗する。どうしよう?
取り敢えず、スポーツクラブを退会し、銀行の自動振込み等の設定をし、カメラのフィルムを40本買い込み、,引越しの挨拶状を作成し、冷蔵庫の生ものはすべて捨て...。
 ところが、3連休が終わると今度は理由も教えてくれない突然の渡航中止命令。行くのか行かないのか分からなくなった。どっちでもいいからはっきりしてくれ〜!
2005年
3月13日
 来週末は3連休。今年こそ、白い鳥に会いに行きたい。スキーアイゼン等を押入れの奥から探し出し、見つからなかった一人用コッヘルや、食料等を買い、準備完了です。昔はいたニッカーボッカーがきつくって入らなかった(当時の体重48kg、現在64kgなので入る訳がなかった)ので、これを新調するのが登山具店に向った一番の理由だったのですが、ニッカーボッカーは取り扱っていませんでした。山登りの場合、ニッカーボッカーが最も歩きやすいと思うのですが、既に絶滅してしまったようです。ニッカーホースと呼ばれる長靴下はまだ売っていましたが...。山登りや旅行の場合、出発前の準備している時が最も胸が高まります。行くぞ行くぞ行くぞ...! どうか雪崩にだけは巻き込まれませんように!うまく写真が撮れたらこのHPの表紙も久々に更新です。
2005年
3月5日
 今朝出勤途中、道端の田圃の上空に浮かび高鳴きするヒバリを見つけました。昨夜の雪で山は白くなっていて、空気も冷たかったけれど、風も無く、季節は春に向っています。
2005年
2月26日
 昨日某局で放送していたヒレを失ったイルカが人工ヒレをつけてもらう話、感動しました。皆で協力して人工ヒレを開発した話もすばらしかったけれど、最も驚いたのは、ヒレを無くして失望し、泳ぐことを諦めてしまったイルカがヒレをつけて元気を取り戻し、そのヒレを再度失った時、普通だったらまためげてしまうと思うのだけれど、予想に反して、今度は落胆せず、前向きに生きたこと。再放送は3月3日午前1:00(2日深夜)〜NHKだそうです。
2005年
2月20日
 結局6日間熱が出っぱなし、その後も頭痛と咳が昨日まで続き、今日になって初めて咳が止まりました。夕方になっても咳がでなかったので、久しぶりに水泳へ。16日ぶりでした。咳がでないって、喉が引っ掛からないで深呼吸ができることって、なんて素敵なんでしょう。ステーキ用の肉を買って、ケーキを買って、独りぼっちの全快祝いです。
2005年
2月13日
 5日間高熱が出っぱなし、強烈な咳に下痢、今日になってやっと回復してきました。久しぶりにおかゆ以外のものを食べたものの、何を食べても苦味を感じます。
2005年
2月2日
 実は年明けから五十肩のようになっています。16日の水泳大会も肩の痛みを我慢して泳いだのです。先週病院に行ったところ、泳いだ方がよいそうなのであまり痛くないように力を抜いてゆっくり泳いでいます。48時間空けた方が良いそうなので1日おきに泳ぐことにしているのです。昨日は休んだので、今日は泳ぎたくて泳ぎたくて、中毒患者のようでした。仕事で遅くなり、30分しかなかったけれど泳ぎました。泳いだ後は体が熱っているため、コートを着なくても外の冷たさが心地よかったのですが...。5分ほど歩くとさすがに寒くなってきたので、コートを着ようとして手が自分の頭に当たってビックリ。髪の毛がヤマアラシのようになっていたのです。完全に凍ってバリバリになっていたのです。今週の寒さは半端じゃありません。
2005年
1月16日
 本日は新春マスターズ水泳大会。今までまともに50mバタフライが完泳できたことがなかった(いつも途中で力尽き最後まで腕が回せなくなっていた)のが、ほぼ完泳に近いところまできました。今日の結果には満足しています。但し、最後の1かきのタイミングが合わず、かきかけた腕を平泳ぎのように前に出してしまったために失格になりました。こうしたらだめなことを後で水泳仲間に教えてもらいました。残念!幻の41.14秒。 次こそは完泳して、かつ40秒が切れるようにがんばります。
今年の抱負:@試合で100mバタフライ完泳。Aドルフィンキックを完璧にして、イルカと遊泳する(ドルフィンスイム)。Bフルマラソンを完走する(2006年春) それではクイズです。さて、私はこの3つ目標のうち、いくつを達成できるでしょうか?
2005年
1月10日
 年末年始は我が子に寂しい思いをさせないように、スキーに連れて行き、旧自宅に押しかけ、雑煮を作ってやり(我家では雑煮を作るのは私の役割であったので、結局私は妻の作った雑煮は1回も食すことなく、妻が雑煮を作ることができるのかも知らずに別れたのです。子供達は私の雑煮が気に入っていて、昨年に引き続き、今年もリクエストを受けたのです)、...年末年始も成人の日の3連休も我が娘達と楽しく過ごすことが出来ました。憎き妻ではありますが、子供達と自由に過ごさせてくれたことに関しては感謝です。雪国に行くときは常にカメラと望遠レンズを携行したものの、シャッターは一回も切れず、新作は皆無です。