昔の更新情報とできごと

2001年9月23日〜2003年7月29日

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2003年7月29日  夜、帰宅すると娘が寄って来て言いました。「お父さん、明日お母さんがアマゾン展に連れて行ってくれるんだって。いいでしょ。だけどね、お母さんがね、『お父さんは嫌いだから絶対に行っちゃだめ。』だって。」最近母子だけで外出する理由がついに明らかになりました。妻は私がどんなに近くにいても、私に喧嘩を売るとき以外には直接私に話すことはもうありません。今回も娘がメッセンジャーをしてくれました。
 私の独立記念日はもうすぐです。
2003年7月26日 鳥の写真は「今年撮れなくても来年があるさ...。」でチャンスを逃してもあまり焦らないのだけれど、子供の写真は今撮らないと、来年はそれなりに変わってしまう...来年もきっと可愛いこと間違いないのだけれど、今の姿は今撮らないと...ということで、注文してしまいました...高価なレンズ。でも、明日は父さん抜きで遊びに行くそうな。盆休み初めも父さん抜きで外泊だそうな。このレンズ使って我が子を撮るチャンスはまだ残っているのだろうか?
 我家の周りのヒグラシは毎夕、正確に6:20に谷底で鳴き始め、6:40に我家の窓のすぐ前の枝で鳴き始めます。かなり正確な体内時計かまたは照度計を持っているようです。
2003年7月21日 この3連休(土曜は午前出勤したので正確には2.5連休)は家の掃除以外するつもりはなかったのに、終わってみると何にも片づいていない。妻が例え普通の人であったとしても、こりゃ激怒して当然。アッテンボローの哺乳類のTV番組見ました(録画は忘れました)。アメリカのナキウサギが出ていたけれど、声の音質が北海道のものとは全然違う。私には北海道の方がソプラノ、アメリカはアルトのように感じました。
2003年7月20日 お気に入りリンクに佐野高太郎氏のHPを追加。
この3連休は家の掃除だけやっています。ものすごく乱雑な部屋は極度に乱雑な部屋になりました(N殿の日誌の表現を無断でパックっています。ごめんなさい)。妻が他の部屋を掃除し、不要なものを私の部屋に押し込んだからであります。
 兎に角、この3連休で私の部屋を掃除して、他人に見せられるレベルに上げなければ、離婚は免れないでしょう。あともう1日しかありません。
2003年7月18日  「ロマンスってなあに?」下の娘が聞いてきた。「男の子が女の子を好きになったり、女の子が男の子を好きになったりすることだよ。」と教えると、「じゃあ、お父さんとお母さんのロマンスは失敗したね。」と上の娘がすかさず言ってきた。「お父さんとお母さんの仲が良かったら今頃どんな風になっていたかな?」続けて娘が聞いてきたが、父母とも答えることができず、しばらく沈黙が流れた。
 久しぶりの更新です。夏の夜の恐怖の実体験「イノシシ」追加。笑うなよ。
2003年7月17日  木曜日は娘達の水泳教室の日。下の娘は5月にはあれ程行きたがったのに最近は行こうとしない。本日も午後半休を取って娘をプールに連れて行こうとしたが結局失敗した。下の娘は結局1回もプールに入ることなく、水泳教室の脱会手続きを取った。入会金に月会費2ヶ月分すべてが無駄になった。小さな子供との付き合い方は本当に難しい。極めてデリケートな心を持っている。上の娘は水泳にのめり込んでいて、七夕の時には私には「見るな!」と言っていたが、「オリンピックに出られますように!」と大志を抱いていた。
 私はと言うと、昨日、バタフライ飛び込み無しで25m 21秒を達成。6月15日は25秒だったので、1ヶ月で4秒短縮。他人と比べれば大した記録ではないけれど、自分自身と比べて向上していることが実感できることがうれしい。いい年した中年男が水泳を習い始めて1年5ヶ月。未だに頭打ちにならないで何かしらが向上している。水泳は奥が深く、独りでやっていてもなかなか向上しなかったのに、プロのコーチに教えてもらうとたった一言のアドバイスで飛躍的に向上するところがすばらしい。(コーチの皆様、本当に有難う。)下の娘にもこの楽しさを覚えて欲しいのだが...。
2003年7月13日  最近の日曜は昼まで寝ている妻子を残し、午前中は独りプールへ行くのだが、今朝は先週、娘にプールへ連れて行けと言われていたのでその約束を守ろうと、娘達が起きてくるまで待っていた(そのため、いつもの水泳教室に参加できなかった)のだが、気まぐれな娘達は今日はプールに行きたくないと言う。
仕方がないので、家で掃除(とはいっても掃除苦手の私には他人から見て何の変化もない程、全く片付けることができなかった)。午後からは妻子達は例によって買い物に行くという。行き先を尋ねると娘が「秘密。」といい、それでもしつこく尋ねると妻が「答える必要はない。」とけんか腰に怒鳴ってきた。何故こんな簡単な事も教えてもらえないのか?こんなことで喧嘩を売ってくるのか?私には全く理解できない。「晩飯は作っておけ。」との言葉を残し、妻達は外出して行った。
 暇になった私はすぐさまプールに向かい、800m泳ぎ、晩飯の食材を買出し、料理し、妻子の帰宅を待ったのである。
 夕食後、郵便物の不在通知を受けていたので、郵便局に引き取りに行こうとした。よく見ると妻の分の不在通知も入っていたので、「これももらいに行って来ようか?」と聞くと、妻から「これもっていかないと受け取れないかもしれないから...。」と身分証になるものをうけとったのだがその時の妻の喋り方は優しかった。それを見ていた娘が小さい声で私にささやいた。「お母さんが喧嘩以外でお父さんに喋ったの久しぶりだね。」思えば、喧嘩以外で妻と喋ったのは2003年2月8日に妻達を空港まで送っていった時、別れ際に妻から「ありがとう。」と言われたのが最後であった。
 話は変わり、この1年半、妻は私の洗濯物をすべて洗濯機から放り出して洗濯し、私は妻の目を盗んでは私の洗濯物を洗濯機に入れてしまう「カッコウ式洗濯術」を身につけていたのだが、妻から苦情が...。「私達の洗濯物にアンタの入れるのやめてくれる。」妻がこういういやらしい仕打ちを私にしてきたのは、私がスイミングプールに通いだした2002年2月28日だったから、私はてっきり妻が報復のために仕掛けてきたものとばっかり思っていたのだが...。「アンタの洗濯物は臭いんだよ。アンタのものといっしょに洗うと全部臭くなるんだよ。このパジャマだってね、アンタがいっしょに洗うから臭くなっちゃったじゃない。もう一度洗い直しなんだからね。こういうこと、もうやめてくれる。」休日には自分の1週間分の洗濯をするのだが、ついでに妻子の分もいっしょに洗ってやって、感謝されると思っていたのに...。
 私は今後、例え妻と仲直りしたとしても、自分の衣服は金輪際洗ってもらえないことを認識したのである。
2003年7月12日 まずはクイズ。下の物体はなんでしょうか?

これは今日の昼飯の食材キュウリであります。
ゴーヤと見間違う程の太さ(6cmはある。写真の部分はもっと細い部分ですが)、また、キュウリのいぼいぼがこんなに尖がっているなんて初めて知りました。
キュウリを畑からとってすぐに食べたのも実は生まれて初めて。みずみずしくてとてもうまかったです。
今日は近所の子供達を連れて、農作業に行ってきたのです。先月田植えした苗は順調とは言えず、近頃の日照不足に病気気味でした。大雨の中、シートをフライ状に張って子供達の居場所を確保。昼飯は上の写真のキュウリ、同じく畑から抜いた大根、それに子供達がすべて自分達だけで、大人の手は借りずに作ったカレー。とてもうまかった。子供達の素敵な笑顔も本当にすばらしかった。(肖像権の問題で、子供の写真をここに紹介できないのは残念ですが)
2003年7月10日  今日は23時に帰宅した。まだ下の娘(小学1年生)は音楽の練習をしていた。もうやめて寝るように言うと娘は妻のところに行き、「もう寝てもいい?」と聞いていた。この年齢の子供は1日10〜11時間は寝なければならないのに...。
 上の娘は約1年半スイミングプールに通っている。それにつられて私もプールに通って1年4ヶ月が経った。5月初めに下の娘もプールに行きたいと私にせがんできた。下の娘は上のとは違ってあまり運動が好きな方ではなかったので、水泳でもやらせるとちょうど良いと思ったので、すぐにスイミングスクールに申し込んだ。妻に相談なしに...。娘はとっても喜んで本当に幸せそうだった。妻が帰ってきてこのことを話すと大激怒となった。「アンタなんてことするの!小学校に上がって環境が大きく変わっている時にそんなことして疲れて病気にでもなったらどうするつもり?」妻だけでなく、姑(おばあちゃん)も同意見だった。結局5月から始めることはできず、2ヶ月遅らせて7月から通うことになった。こんな心配する位だったら、毎日もっと早く子供達を寝させるべきなのに!
 待ちに待った7月がやって来た。それで娘にプールに行くように言うと、娘は「行きたくない。」と言った。それで妻がいないところでもう一度聞くと今度は「本当は行きたい」と言った。だが私が同伴しないと行かないと言う。仕方がないので、先週は会社を半休にして娘を連れて行こうとした。ところが娘は鼻風邪をひいてしまい休まざるを得なかった。さすがに2週連続で休む訳には行かず。今週はおばあちゃんと行くように言っておいたのだが、娘は行かなかった。お父さん以外とは行きたくないと言う。来週はまた会社を休んで連れて行こう。
2003年7月5日 今朝は美しい鳥のさえずりで目が覚めました。オオルリだ。窓から外を見ると、100m位離れた電線に止まっていました。
娘を起こし、双眼鏡で見せてやると、「本当だ。青い。双眼鏡なくても見えるよ。」
娘はまた寝てしまい、私はそのまま出勤した。今晩、帰宅すると(本日も例の如く、私がまず仕事から帰ってきて、夕食の準備を完璧にし、しばらくして街で遊んでいた妻子が帰ってきたのであった。)、「お父さん、今日は起こしてくれてありがとうね。オオルリ、とってもきれいだったよ。」この言葉を聴くだけで、私はうれしい。
2003年6月29日 娘達が聞いてきました。「お父さん、お母さんに追い出されたらどこで暮らすの。A達とは会えるの?」我家の離婚問題も終に風前の灯火。東海大地震と同様の警戒態勢に入りました。(もういつ起こってもおかしくない)
 昨日も今日も、妻子は街等に遊びに、私はちゃんと晩御飯作って待っていたのだけれど...。離婚届見せられた暁には思いっきり喜んで見せてやるんだから...。
2003年6月22日 先週末は星野さんの写真展独りで見てきました。やはり、いつ見てもすばらしかったですね。思えば、私も昔、極北に行ったことがありました(アラスカではなく、ラップランドだけれども)。富良野の丘のようにゆったりとした曲線を描く丘を唯独り行くと遠くのスカイラインにトナカイのシルエットが...それに感激して見ているとトナカイの数があっという間に増え、こちらに向って来るではありませんか。いつの間にか私はトナカイの群れの中にいました。トナカイたちは私には全く気を使わず、ツンドラの苔を食べながらまたどこかへ去りました。そよ風のようにやって来てそよ風のように去ってゆく。まるで「風のような物語」。ゆったりとした時の流れ。星野さんもきっとこんな時の流れを感じていたのだろうなと思いました。これらの写真を娘に見せると、「Aも大きくなったら、動物写真家になる!」と娘が言い出しました。
昨日、朝は生まれて初めて田植えをしました。近所のガキたちを連れて行ってきました。指二本で苗を挟んで植えろと言っても子供達はゲンコツで持つため、苗の周りには大きな穴が掘れてしまい、苗はうまく立ちませんでした。うまく育つのだろうか?
午後からはお仕事、今日もお仕事。日本のサラリーマンは辛い。
2003年6月15日  最近熱中しているスイミング。本日、ついにバタフライ200m達成。ホエールスイムも夢じゃない?
 我が女王陛下の命令により、ヒメスズメバチの親子虐殺してしまいました。卵6個、幼虫9匹、女王蜂1匹、計16の命を殺めました。相手が虫とは言え、命を奪うのは気分が悪い。トックリは非常に軽かった。写真はまた次の機会に。
 星野道夫の宇宙、独りで見てきました。見れば見るほど、アラスカ行きたい。
2003年6月14日 我が家のベランダの天井にこんなトックリがいつの間にかさかさまについておりました。ゲゲゲ...ヒメスズメバチの巣であります、たぶん...。どうしよう。

今日は昨日の予定どおり、妻子は私を残して潮干狩りにいってしまいました。子供に聞くと、他の家庭は両親同伴で来ていたとのこと。
明日は「星野道夫の写真展に行こう、できたらお母さんもいっしょに皆で行こう。」と(妻に直接言っても断られるだけなので)娘を誘うと、娘が妻に相談した結果、8月の神戸開催の写真展に妻子3人で行くとのこと。「明日は父さん独りで行ってきな。」とのこと。妻の父子断絶作戦は続く。
2003年6月13日 日本とは桁違いにメッチャ暑い国から無事帰ってまいりました...とは言ってもSARSの潜伏期は10日あるとのことなので無事か有事かはあと10寝なけりゃ判らない。近頃の家内情勢を考えると、、子供のことを考えると、延命しなければならず、高い高い貢物を買って帰ったのだが、全く気に入ってもらえなかった様子。明日は妻子で潮干狩りに行くという。子供は私にも参加して欲しかったようだったので、同行させてもらうように頼んだが、「職場で行くからアンタは来ちゃだめ。」とのこと。職場で行くんだったら夫も行けるはずなのに!貢物もこれで最後だ。
2003年6月6日 5月31日の日記で間違いを書いてしまった。ズッキーニはカボチャの仲間、つまり、ウリ科である。娘にも訂正しなければ...。
さて、私ガマヨはSARSの恐怖と戦いながら、明後日から東南アジアの某国へ出張であります。別に政府から注意勧告の出ている国じゃないから出張しても当たり前かも知れないけれど、石橋を叩いて割る日本の常識的企業だったら渡航中止するのが普通じゃなかろうか???会社からはマスク、消毒薬、うがい薬が支給された。日本国が私の帰国を許したとしても、我が国の女王陛下は帰国後10日間は帰宅は許さぬと言う。これはマジか冗談か?
2003年5月31日  一昨日の一言が効いたのか?今日は私が先に外出したので、朝食の後片付けは妻に残してきた(勿論自分の分はきれいに洗って片付けてきたことは言うまでもない)が、私が帰宅すると、皿は洗ってあった。多分この8年で初めての快挙...とはいえ、きっとフラストレーション溜めながら洗ったんだろうな...後が恐ろしそうだ。
 土日の夕食を作るのは当然ながら私の担当。夕食は色々な野菜を炒めてその上に焼肉を置き、肉汁と赤ワインをベースにしたソースをかけた。妻からはワンパターンと馬鹿にされるが、子供たちからの評判は良い。
この野菜の中にいつもは入れない野菜を隠し入れた。娘は気づくだろうか?
 すぐに下の娘が気がついた。「Bちゃんねぇ、この野菜、何て言うか知ってるよ。ビキニって言うんだよ。」上の娘が言った「ビキニは水着の名前でしょう。水着じゃないこともあるけどね。これは何って言うんだったっけ。エーとね、ズッキーニ。」
私が、炒めた野菜は、ズッキーニ、パブリカ(赤ピーマン、黄ピーマン)、ピーマン、ナス、ジャガイモ、トマト。さて、クイズ。これらの野菜に共通していることは何でしょう?
答えは上の娘が当てました。すべてナス科。
2003年5月30日 この4月から下の娘が小学校に入学した。今までは妻が保育所にこの娘を連れて行ったため、妻の出勤は早く、私とほぼ同時刻だった。したがって、毎朝の皿洗いは私が担当していた。ところが、娘の入学により、妻はもう保育所に寄る必要がなくなり、家を出る時刻が遅くなった。それに従って、朝飯の時間も遅くなり、私はまだ皆が食事中の時に出勤するようになった。従って、私は毎朝の皿洗いから解放されたのである。
 私が皿洗いを担当していた頃、出勤に間に合わなくて、皿洗いを完了せずに出勤してしまうと、妻はいつも激怒した。「あんた、朝から晩まで洗わずに放って置く気?不潔じゃない。ちゃんと自分の仕事をしてから会社に行け!」それなのに自分が洗うべき事態になったにもかかわらず、4月から今までの間、妻は皿一枚とて洗うことはなかった。深夜私が洗わなければならないのは、晩飯と朝飯の2食分の食器だった。
それで昨日、ついに宣戦布告してしまった。「この皿、朝の皿だよね。ずっとこのままになってたんだね。」妻が激情した。「あんたなんか自分が洗わなくていいと思ったら勝手なこと言って、私にはあんたと違ってやることがいっぱいあるんだからね。もうこれからアンタの飯なんか作らんからね。」さて、今日私が帰宅すると...晩飯が作ってあった。珍しく皿も洗ってあった。我が愚妻にもまだ理性は残っていたか。
2003年5月23日 お気に入りリンクにボーンズ氏のHPを追加。とにかく可愛いから見てみて。
先週の話になるけれど、情熱大陸の横塚眞己人さん、感動しました。特に、全く餌付けしないで、野生動物をただ待つことと、よく理解してサポートしてくれる奥様がすばらしかった。横塚さん、原田さん、中田さん、皆奥様がしっかりと理解して協力してくれることが本当にうらやましい。
2003年5月20日 会社に献血車がやってきた。この1年、徹底的に運動療法をやってきたガマヨはこの時を待っていた。コレステロールがどの程度減ったのか確かめたかったのである。さっそく献血を申し込んだ。長い長い問診に書き込む(例:あなたはAIDS検査のために献血するのですか?勿論答えは「いいえ」だ。長い長い問診に嫌気が差したころ、あなたは海外に住んだことがありますか?答えは「はい」そこからは係員の人が質問してきた。「どちらにお住まいでしたか?」「ドイツ」「何年ごろですか?」「1989年から1991年まで」「それでは残念ですが献血していただくことができません。BSEの可能性があるため現在この国に居住された方には献血はお断りしております。献血車を見かけたら時々聞いてみてください。今後解除される可能性もありますから。」こうして私の28回目の献血は失敗に終わった。
2003年5月19日 武蔵のオープニングの最後に出てくる鳥。娘(姉)が言いました。「A、あの鳥何か知ってるよ。」娘(妹)「何て言うの?」「あの鳥はね、オズっていうんだよ。」そう言えば何年か前に娘に聞かれて教えたような気がする。ちょっと間違えていたけれど、まだ覚えていたんだ。
今週は夫婦間の戦いは冷戦のみ。夫婦間の会話は皆無。また浜崎あゆみの一節「ひとりぼっちで感じる孤独より、ふたりでいても感じる孤独の方が辛い事のように...。」そのとおり、辛いなぁ。
2003年5月17日 本日は能勢方面へ。N氏には逢わなかった。バードウォッチングではなく、学童保育の夏のキャンプの下見だったけれど、ツツドリ、ウグイス、ヤマガラ、シジュウカラ等の大合唱に、萌える青葉に、聴覚、視覚を刺激され心洗われました。初夏はやはり一年中で一番気持ちよいです。
表紙の氷ノ山、回転ズレに気がつき、ArcTANを計算し、2.84°回転して見ると春山と夏山はほぼぴったり一致しました(まだ拡大ズレがあるけれど)。
数学はすばらしい。
2003年5月14日 18日の情熱大陸は写真集「いりおもて」を出されている横塚眞己人さんのボルネオのオランウータンの話です。必見。
 今日(これを書いている今はもう昨日)は信州まで出張。仕事だけで日帰りでつまらなかった。娘達の寝ている早朝に出発したため、出張に出ているとは誰も知らず。娘が下校してくると駐車場には私の車があったため、私はもう帰宅しているのかと思った娘は家の中を私を探し回って(いないので)がっかりしたとのこと。やはり可愛い娘達に可哀想なことはできないなぁ。
2003年5月10日 ストレス発散はやはり重い荷物を担いでの山登りに限ります。
500mmを担いで、氷ノ山に行ってきました。ジュウイチが2回も射程に入ったけれど、写真は撮れず。モズが多く、コルリ、イカル、オオルリ、ウグイス等。雪は殆ど消えていて、わずかに残雪が残っていました。
2003年5月5日 今晩も帰宅途中にまた渋滞に巻き込まれるのかと憂鬱な気分で会社を後にしたものの、ごく普通に車は流れ、まるで普通の日のように家に帰り着きました。昨日の渋滞は何だったんだろう。家のドアを開けると中は真っ暗。誰もいない。終に三くだり半か?と思っていたら、妻子が帰ってきました。京都の行楽は楽しかったとのこと。
 人には買うなと言っときながら、私も終に買っちゃいました。デジカメ...。とは言っても10DとかD100とかではなく、O社 キャ○○ィア+水中ハウジングであります。衝動買いでは決してなく、去年の夏からずっと考えての計画買いです。(私のニコノスWAの中には去年の夏に石垣島で撮った我が娘達3カットだけ露光したフィルムがそのまま入っています。デジカメなら1カットでもプリント出来るもんね。)この夏こそはこれもってドルフィンスイムしたいんです。これで今後の近況報告はほぼリアルタイムで画像付きになる予定。
2003年5月4日 今朝、出勤途中、レンゲ畑の中に緑の鳥を発見、キジだった。絶好のシャッターチャンスなのに、むなしく出社。夕方、いつもだったら40分で帰ることができる道を大渋滞の中、2時間かけて帰宅した。周りの車は遊び帰りなのに、なんでただ働きしてこんな目に遭わなきゃならんのか?家庭を顧みず仕事して、これが離婚騒動の主要因なのに、割が合わない。明日はもっとひどいことになりそうな。
2003年5月3日  日中、家事をしていると窓の外に広がる谷からオオルリの美しい囀りが聞こえてきた。いつも止まるソングポストにはいなかった。例え家事をしていてもオオルリが見えるこの家が私はとても気に入っている。
 妻子がクッキーの素を買いに外出している時に妻の実家から電話がかかってきた。妻は一昨日から熱を出してダウンしていたそうな。それを心配しての電話だった。一昨日、そうではないかと思って聞いたのだが(下記)、何でいつもこんな風に妻のことは妻の母親や子供達に聞かなければ判らないのか?
 夕食の時、仲睦まじい夫婦がテレビに出ていた。娘が言った。「うちもこんな風にお父さんとお母さんが仲良くしてくれたらいいのに。」妻が答えた。「それは絶対にあり得ないわ。」
 今日で私のつまらない専業主夫のGWは終わった。明日4日からつまらないサービス出勤の始まりである。
2003年5月1日 朝6:30から飯を炊き、菜の花の味噌汁、目玉焼き、鯵の干物にサラダ、食後のデザートのグレープフルーツを半分に切り、中の薄皮を取り除き、子供と妻を見送ってから自分の分の朝飯を食う。その後、洗濯。銀行に行き、借金返済の話を聞き、晩飯のおかずを買うともう2時近く。急いで家に帰り、娘の帰宅を待つ。洗濯物を入れ、たたみ、晩飯を作るともう夕方。天気がよかったので野外に行きたかったけれど全くだめ。主婦の気持ちが良く判る。主婦は暇に見えても相当効率的に振舞わないと自由な時間は全く取れない。こんなに主夫しているのに帰ってきた妻は無言のまま布団の中へ。体調が悪いのかと心配して聞くと、「放っといて。」と一言。妻が何を考えているのかさっぱり判らない。ガマヨ家の政情不安はまだまだ続く。
2003年4月29日 昨日、今日と天気が良く、雪山には登りたかったけど、1週間続いた雨のことを考えると、諦めざるを得ず、麓のスキー場から目的の山を見上げながらのスキーでありました。
仲良くしていたニュウナイスズメの夫婦が羨ましい。我が家は何故こんなに仲が悪いのか?
調停委員とも相談して、やはり娘が18歳になるまでは離婚は我慢しようと思う。あと12年も冷戦を続けなければならないのか...。懲役12年を言い渡された囚人になった気がした。辛い。アユのDearestを聞いた。♪本当に大切なもの(私にとっては娘達)以外すべて捨てて〜しまえたらいいのにね、現実はただ残酷で...♪この唄は私を歌ったものではないか...と思っていると、風呂の中から母娘達の声が...「ねえ、お母さん。A達が結婚するまでは3人でいっしょに暮らそうよ...。」我が家は私も入れて4人なんだけど...。下の娘B子が風呂から先に出てきたので聞いてみた。「ねえ、Bちゃん。何で4人じゃなくて3人なの?」B子は何も言わず風呂場に戻って言った。「Aちゃん、さっき言ってたこと、お父さんに聞こえちゃったでぇ。」
2003年4月25日 「あんた達、憎み会っていっしょに生活するなんてやめちまいな。あんたらは即刻離婚すべきよ。」知人から強烈なアドバイスを受けました。「私の両親も仲が悪くてね。私が4歳の時に離婚したわ。でも私は離婚されてもちっともいやだと思わなかった。今でも両親は離婚して良かったんだと私も思っているわよ。」
私はどうするべきなのか?こんな時は独り雪山に篭り、雪洞の中で頭を冷やしながら考えたいのですが、今週の長雨、今日の土砂降りでは、明日は全層雪崩多発に違いなく自暴自棄での雪山登山は中止です。まだ理性の残っていた悩めるガマヨであります。明日は調停委員に相談しに行こ。最終局面はすぐそこのような気がします。
2003年4月20日 昨日も今日も仕事を片付けようと出勤はしたものの、皆が休んでいるかと思うと仕事は捗りません。このままではゴールデンウィークの決死行も没の可能性大。まだらの雷鳥もまた来年か? 話変わって、下の娘が言いました。「今日はお父さんといっしょにお風呂に入るの。」「時間も遅いからお母さんと入ったら?」と聞くと「絶対お父さんと入るの。お仕事の日はお母さんとばっかり入っているんだからお休みの日くらいお父さんと入ってもいいでしょ。」上の娘(小学3年)が言いました。「Aは絶対にお父さんと入るのはいやだからね。」「どうして?」「秘密!」いつまでいっしょに風呂に入れるかと思っていましたがその時は今来てしまいました。まだ全然幼児体型なんだけど...。風呂の中から娘がお母さんに聞いている声が聞こえました。「ほんとにここに突っ込まれると赤ちゃんができるの?」「そうしないとできないんだけれど、そうしたからといってすぐにできるわけでもないんだけどね。」とんでもない会話に私は大ショックであります。
2003年4月18日 先週、部屋の片付けを殆どせず、テレビを見ようとしていた私に対し、妻が「掃除もしないでテレビなんか見るなー。」と大激怒、テレビは消され、私は散らかった私の部屋へ強制収容。情熱大陸見逃しました。今週末は例により休日出勤だけれど、頑張って仕事をこなして、来週末はここ何年か夢に現れる雪山登山を敢行予定。子供が生まれてからは危険だから引退を決心していたのだが、独り雪山に篭り、頭を冷やしたくなりました。もしもの時を考えると無責任な親です。子供達よごめん。
2003年4月12日 4月13日(日)放送の「情熱大陸」はアフリカ象の研究を長年続けられた方の話です、
要注目。
表紙を2週間前に登った氷ノ山に変更。
ところで、氷ノ山に登った時、面白い自然の造形を発見。これ何だ?
2003年4月6日 昨日休日出勤で会社に行く途中、見ました、チョウゲンボウ。新興住宅地の庭先でホバリングしていました。こんなところで何を狙っていたのだろう。
更新情報:自己紹介現状追記
2003年3月30日 最近は残業・休日出勤が多くなり、ストレス溜まり過ぎ。たまの休みにはバードウォッチング兼山登り(平地のバードウォッチングではストレスが発散しない)に行きたいのだが折角の休日も雨のことが多かった。ところが、一昨日の天気予報で昨日は晴れとのことだったのでどうしても行きたかった氷ノ山ピークハントを昨日決行。ふもとのスキー場はまだ営業していたので(最後のリフトは途中下車させられたが)、標高1070mまではリフトで登ることができた。そこからスキーの裏にシール(何回も張って剥がせる粘着テープに前には滑るが後ろには滑らないように後ろ向けにアザラシのように短い毛が植えてあるので"Seal"と呼ぶ)を貼り、上向きにスキーを滑らせて登った。そこから頂上(1510m)まで3時間。
頂上までは霧氷のブナがきれいだったが、鳥も獣も全く見当たらなかった。しかしながら頂上で休んでいるとバカでかい猛禽が...。尻尾の形からトビではないことを確認したがその他の種別の断定はできなかった。(希望的推定ではイヌワシと思うのだけれど...双眼鏡さえあれば...)
頂上からはストレス発散のスキー滑降。大して飛ばしたつもりはなかったけれど、GPSで測ると最大速度は55.9km/hだった。その後、大急ぎで家まで帰り、ちゃんと夕食を作り、ウインドショッピング依存症の妻が爆発するのを防いだのであった。
 世間はデジカメ、デジカメと騒がしいけれど、雪山はやっぱりメカニカルシャッターじゃないと...と時代に逆行してFM3Aが欲しい私です。二からキに乗り換える方々。二の交換レンズは是非私めに...。
2003年2月16日 某国から無事帰ってまいりました。東南アジアへ行くのは生まれて初めて。のんびりしている国かと思っていたのだがさにあらず。制限速度はあるのだろうけれど、事実上無制限速度?対向車があろうとなかろうと無関係に過激に抜きまくるドライバー。父さん母さん爺さん子供に赤ちゃん5人のスーパーカブ。バイクはたくさんいたけれど、ヘルメットかぶっている人なんて誰一人いなかった。法律上は着用が義務付けられているのに!とにかく過激な国でした。
人のラジカルさには圧倒されたけれど、その中で心安らいだのはツバメたち、南へ去ったツバメたちはこの国で越冬していたんだ。越冬といても気温33℃暑い暑い国でした。
工場の屋根にはムクドリの代わりに九官鳥の仲間?のCommon Mynaがたくさんいました。南の国の朝夕は太陽が本当に真っ赤できれいだったけれど、仕事ばかりでシャッターは一度も切れませんでした。来週また行くけれど、出向にはなりませんように...。
2003年2月8日 私は仕事が忙しくて休めないのだが、妻子は4連休を取って北国へ。朝早く起こされ関空まで送って行った。その後、節分草を探して石灰岩の多い山中を歩き回ったが見つからなかった。節分草を探してもう何十年か経ったけれどまた来年に託すことになるのだろうか?
 世間は4連休または飛び石連休なのだけれど、私の休みは今日1日限り、明日からしばらく休みでない南の国へ。二日連続関空通い。日本の連休終了とともに夜行便で帰国予定。疲れるのう。それでも早朝等勤務時間以外に期待して300mmをカバンに忍ばせとこっと。
2003年1月19日 先週末の味を占めて、今週もスキーをしようと思ったのだが、土曜日は子供達のお稽古事の先生が風邪で倒れ、休講となったため、朝から妻子が外出しなかった。どうせウインドショッピング依存症の妻は昼前から外出するに違いないと予想していたところ、そのとおり、子供を連れて街に行くとのこと。では妻子を送り出してからスキーに...と思っていたところ、下の娘は「お父さんと一緒にいる。」と言い出したため、スキーは中止し、家で留守番となった。このため作戦を変え、土曜日はいつもより入念に掃除を行い、日曜日朝からバードウォッチングに行くということにした(スキーに行くというというよりは剣が立たないためバードウォッチングと言った。私はスキーをするときも赤い鳥等を探し、300mmを背中に背負っていることが多いため、まんざら嘘を言っている訳でもなかった。)ところ、上の娘も絶対に行くと言う。「ねえお母さん、いっしょに行っていいでしょ。お願いだから...。」「勝手にしたら...。」妻からお許しが出たため、バードウォッチングに行くと言いながら、娘をスキーに連れ出した。
双眼鏡を背負い、赤い鳥を探しながらスキーを教えたが、赤い鳥どころか、普通良くいる種類の鳥ですら、全く見つけることができなかった。帰り道も鳥を探しながら帰り、ジョウビタキ、セグロセキレイ、カワガラス、シロハラ、ツグミ、...珍しい種類はいなかったけれど、娘は大喜びだった。考えてみれば、これが娘と行く2回目のバードウォッチングだった。
2003年1月12日  遅くなりましたが明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今回の年末年始も毎年のごとく専業主夫をしていたため、忙しく、HPの更新もままなりませんでした。せっかくの10連休、子供が風邪を引いたため、どこにも行けず。10連休の内、妻が夕食を作ったのは1回限り、残りの9日間はすべて私が朝昼晩作ったのであります。
 私の得意な料理は私の先祖が長年住んでいた山形は米沢風の雑煮。餅、薇(ゼンマイ)、大根、鶏のササミ、ミツバにあとはダシしか使わない極めてシンプルなものですが、子供達には極めて好評。来年の正月までには作り方をアップするので、今年惨めな雑煮を食した方は是非トライしてみてください。

 話は変わって今は世間では3連休の中日。ところが私は昨日も明日も鬼のような仕事が...。出来高性だからいくら仕事をしても給料はまったく変わらない...お上にチクリたくなる衝動をぐっと堪え、一日しかない休日も専業主夫であります。「晩飯は鍋にしろ。」との一言を残し、妻子はまた私を残し遊びにいってしまいました。朝食の後片付けをし、掃除、洗濯をし、晩のおかずの材料を買ってくるとすでに昼を回りました。しかしこんな天気の良い日にこんなことで大切な一日を無駄にしてなるものか...。晩飯用に米を洗い、炊飯器にセットし、インターネットで積雪情報を確認し、スキー用具を車に詰め込んで出発しました。神戸からでも2時間も走れば行けるスキー場がいくつかあったのです。スキー場に着いたのが2時半、11回券も3時間券も値段は同じ2500円なり。1時間半で計13回滑り(元とった)、4時にスキー場発。韋駄天走りで晩飯の準備には間に合いました。来週からはもっと朝早く準備して毎週末スキーヤーじゃあ。
2002年11月9日  今日は近所の子供たちを連れて、畑仕事に。イチゴの苗を植え、雑草を取り、水菜を収穫しました。いつもこの畑を管理しているおばちゃんによると、昨日変わった動物が柿の木に登り捕まったとのこと。殺すのはいやなので、遠くに放してきたそうだ。話を聞くと、それはアナグマだった。こんな里山にもアナグマはいるんだ。
 さて、話は1ヶ月さかのぼり、紅葉が終わった山。紅葉は逃したけれど、無風快晴。昔からずっと狙っていたモチーフを撮る時がついにやってきた。水面に逆さに映る山と日周運動でそこに丸い軌跡を描く星。暗くなってからキャンプサイトを出発し、ヘッドランプを頼りに山がきれいに映る池塘へ向かった。
目的の池塘は予想通りの鏡となり、山も星もきれいに映っていた。カメラをセットし、シャッターを開放した。星は静かに水面に映っていた。微動だにしない。完全な無風だった。「完璧だ。」と思った瞬間、池の星が消えた。しばらくすると池にまた星が映った。何故見えたり消えたりするんだろうか?
撮影を終え、キャンプに戻る途中、電池切れでヘッドランプが消えてしまった。星明かりだけで何とかキャンプには戻ったものの、非常に危険だった。怖かった。
翌朝、またその池に行ってみた。水面はヒルムシロのような植物で覆い尽くされていた。その隣の池にはこのような植物は生えておらず、完全な鏡になっていた。残念。
2002年10月15日 3連休は予定どおり一昨年登った山にまた登った。山の上では快晴、無風が2日続いた。
信じられない位青い空。登る途中ですれ違う登山客たちは口々に言った。「上は素晴らしかったよ。きっとアンタもいい写真がいっぱい撮れるよ。それにしてもすごい荷物だね。」
35mm一眼レフ2台、645一眼レフ1台、広角ズーム、単眼広角、標準、100mmマクロに300mm、三脚2脚、ストロボ1台、テントにシュラフ、食料、燃料、水たくさん。暴力的な重量に喘ぎながら急坂を登った。若いころはどんなに重い荷物でも、背負って立ち上がられれば、どんなところでも登れると思い込んでいたのだが、今の私にはもはやその法則は当てはまらなかった。一歩登るたびに足に脱力感を感じた。足が動かない!標準時間からかなり遅れ、目的の山が見える峠につき、その山が視界に飛び込んできた。愕然とした。無い。すべての広葉樹に葉は全くついていなかった。紅葉は完全に終わっていた。
2002年10月6日 今日、午前中は団地の周りをお隣さんたちと共同清掃。「こういうのはアンタの仕事でしょ。」こういう時、妻はいつも寝たきりになり全く手伝わない。汗だくになり、枯葉、雑草等と奮闘した。喉がからからになり、腹が減った。昼飯を食うと気持ち良くなり睡魔が襲ってきたが、妻が「掃除掃除。」と怒鳴り始め、掃除機を持ってうろつき始めた。こうなると昼寝などしようものならギャンギャン喚くのは判りきっていたのだが、眠たかった。古新聞を束ねていたのだが、それを枕にしばらく転寝した。それが妻に見つかり、予想どおり大激怒。
もう来週の連休はどこにも行かないという。「そうだ。お父さん抜きで3人で行こうよ。」2人の娘達が自分達にまで被害が及ばないように進言した。「そうだそうだ。3人で行こうか。」妻子は私とは別行動となった。よって、久しぶりに来週は1人用テントを持って山登りだ。
どこに行こう?一昨年のすばらしい紅葉が脳裏をよぎった。
Aug. 16. 2002 リンクに「エミおばさんの沖縄料理バンザーイ!」追加。リンク内容更新。
Aug. 13. 2002  近くのガキンチョ達を連れて大山登山してきました。山頂は気温16℃。山麓の気温は約36℃だったため、温度差20℃。寒かったけど、とにかく全員無事でやれやれ。久しぶりの筋肉痛です。
 やっと八重山の写真をラボから取ってきました。くわえていたのはヤモリではなくキノボリトカゲでした。バックは朝焼けのピンクがかった空でした。予想以上のできに満足。
July 3old_revise_info.htm へのリンク0. 2002 憧れの島々、八重山へ行ってきました。お目当てのアカショウビン、予想通りホイホイ遭ったけれどなかなか写真は撮れませんでした。しかしながら、最終日、最後の最後にやっとアカショウビンに向けてシャッターを切りました。オキナワナキヤモリをくわえたところ、夢中だったので、構図も背景も考えていません。ただ中央に鳥を配置した日の丸写真です。光の加減も考える余裕なく、今は祈って現像上がりを待つばかり...。詳しくはまた近日中に。
July 14. 2002 表紙を裏山で会ったセンダイムシクイに変更。撮った時は手ごたえを感じ、ポジを見ても結構きれいだと思ったのだけれども、スキャンしてパソコン画面で見てみると全然大したことありませんでした。
それでも僕の脳裏に刻み込まれたセンダイムシクイはとっても可愛いです。
June 1. 2002  大山に行って来ました。夕方会合があって早めに帰る必要があったので、ふもとのブナ林帯の中しか歩かなかったけれど、林はとでも清清しかったです。林床にはクルマムグラ(?)、チゴユリ、ユキザサが咲いていて、見た鳥は、モズ、アオゲラ、アカゲラ、シジュウカラ、ヒガラ、ウグイス、コジュケイ。もう既に新緑から深緑に替わりつつあり、姿が見えないことが多かったですが、確認できた鳴き声はトラツグミ、コルリ、コマドリ、ミソサザイ、カッコウ、ホトトギス、ツツドリ、ジュウイチ。まだ修行が足りないため、種類は判らなかったけれど、そこここからいろいろなさえずりが絶え間なく聞こえた気持ちのよい1日でした。
May 29. 2002  パキスタン人にインド人、ユダヤ人にパレスチナ人...、いがみ合い方からすると全く別の種の生物ではないかと思うこともありますが人類はやっぱり1つの種なんだなとつくづく思うことがあります。それは赤ちゃんのお母さんへのねだり方。どんな人種の赤ちゃんでも同じようにわざと泣いて母親を困らせます。鳥の世界でも同様に雛の親へのねだりかたは種を超えて共通しています。
翼を少し広げて下にたらし、細かく震わせ、ピヨピヨと可愛らしい声をあげます。こんな風にねだるのは雛かまだ独り立ちできない若鳥だけだと思っていたのですが、例外がありました。それは今ごろの季節に高山へ登ると遭うことができるイワヒバリ。初めて会った時はそれはそれはびっくりしました。メスがオスに、他の鳥の雛が親にねだるように翼を少し広げて下にたらし、細かく震わせ、ピヨピヨと鳴くのです。それも尻尾を上に突き上げて尻をオスに向けてしきりにラブコールを送るのです。
この尻を見てさらにびっくり。尻の回りは鮮やかな蛍光オレンジでドーナッツのように膨れ上がっていたのです。山のあちこちでオスに向かって誘惑しているのでした。なんと羨ましい鳥なのでしょう。
こんな状況を見てから初夏になるとその光景を撮りたいと高山に登るのですが、未だにまともな写真は撮った事がありません。あれからもう20年が経とうとしています。
表紙をイワヒバリに変更。
May 8. 2002 ゴールデンウィーク、皆さんはどう過ごされましたか?ガマヨ家は久しぶりに信州へ行って来ました。 今シーズンは寒いところが嫌いな妻の策略に遭い、子供達をスキーに連れて行くことができなかったけれども、ついに娘をスキーに連れて行くことができました。
娘にとって今シーズン初めてで多分最後のスキーでした。
標高1500m以上では十分雪が残っていてスキーができたけれど、低いゲレンデは完全に雪は消えており、ある所ではツクシが山ほど生えていました。今春娘達をツクシ採りに連れて行くことも妻の意地悪に遭いできていなかったので、子供達は大喜び、季節外れのツクシ料理を楽しみました。
まだ芽吹いていない白樺の林床にはシラネアオイ、エンレイソウ、キバナイカリソウ、カタクリ等が咲き乱れ、心安らぐ休日でありました。
Apr. 14. 2002 何回かスタートボタンを押していると林檎は復活し、このページも4ヶ月振りの更新となった。
本日は天気が良いことは昨日から判っていたのだが、妻はどこにも行くつもりがなくいつものように「掃除せい!」というばかり。今朝もいつものように寝坊して起きてくる気配がなかったので、放っておき、会社に寄って宿題を簡単に済ませたあと、私は兵庫・岡山・鳥取の県が重なるところに近い若杉原生林に向かった。若杉原生林はブナ、ミズナラ、サワグルミなどの高木がたくさんあって気持ちのよいところだった。木々はまだ芽吹いておらず、林床にはまだ残雪もわずかに残っていた。
しかしながら、最奥の若杉峠まで行くと愕然とした。ここまで来て、初めて回りが見通せるようになったのだが、原生林は本当にこの一角だけで、ここから見通せた風景はことごとく一面に伐採されたり、苗木が植えられたりした区画ごとの模様がはっきりした杉か桧の人工林だった。
遠くに残雪がわずかに残ったなだらかな笠型の山、氷ノ山が見えた。これだけがここから見える風景の救いに見えた。ウグイスがすぐ目の前でさえずり、アカゲラがキョッキョッキョと飛び、ミソサザイがブナの高木の上で声高らかに複雑な曲を奏でた。まさに箱庭の原生林。
Mar. 17. 2002 やっと今年になって初めての更新です。さて新しく写真を入力しようと林檎を立ち上げよう(ソフトの関係で画像入力は古い林檎、インターネットは窓を使っていたのです。)とすると...キーガッシャン...林檎から交通事故の音が...致命的エラーを起こし、林檎はご臨終...あまりに古い林檎だから修理する気にもなれないし...ああああああ。
Mar. 10. 2002 窓が壊れてしまって初の更新です。復活なるか?
Dec.3.2001  昨日は久しぶりの低山ハイク兼バードウォッチング。標高1300あまりの低山だったが、記録を見ると12月にして今年初めて、1年2ヶ月振りだった。鳥はエナガ、アトリ、ヤマガラ、静かな山だった。9年前の登山地図を持っていったが、地図とは全く違う登山道だった。昔の道はもう存在していなかった。帰路、人通りの少なそうなルートを選ぶと、本当に人が通った気配がしなかった。落ち葉をラッセルするという表現でも誇大ではないと思った。落ち葉の深く積もった急斜面では滑落するように滑り落ちた。半袖Tシャツで過ごした気持ちのよい小春日和の一日だった。
Nov.23.2001  秋山に登りたいと思っていたが、それも終に叶わず、先々週は北の国へ出張。飛行機は北アルプスに沿って北上したため、立山がよく見えた。室堂ターミナルにミクリガ池、黒部ダム、はっきりと見えた。先週帰ってきたが今週もまた繰り返しの出張。同じ北の国へ。疲れるの
 5歳になった下の娘が言った。「うちのリーダーはお母さんだよ。お父さんがリーダーになれない訳わかる? お父さんはいつもはっきりしないからだよ。」こんなチビなのに的確な分析に驚かされた。
Nov.5.2001 今夜の晩飯は鰆でホイル焼きを作れとの妻からの命令。アルミは嫌いな私は代わりに紙を使おうと考えたのだが...そこで思い出したのが、TBSで堺巨匠がやっていた「チューボーですよ。」TBSのホームページから探し出した「魚のカルトッチョ」。ホームページhttp://www.tbs.co.jp/chubaw/old.htmlでレシピを確認。それにしたがって紙に包む一歩手前まで作った。そこで時間がなくなったので、魚を煮汁を作っていたフライパンにつけ、そのままふたをして蒸し焼きに。できあがったのはブイヤベース。うまかった。
いままで食わず嫌いで貝を食べなかった娘もガバガバ食べ、私の分まで食べてしまった。寒かった1日、こころまで温まる一鍋。
ウェールズで一番高いところ〜スノードン追加。
Oct.22.2001 イングランドで一番高いところ〜スカーフェル・パイク追加。
Sep. 30. 2001  訳あってDTIに引越ししました。以前と比べて接続に差があるようでしたらメールください。
 昨日で、このHPを立ち上げてから丁度2年が経ちました。その間のアクセスは延べ約1200回。面識のない方で感想をメールしてくれた方はわずかに1名(Tさんどうもありがとう)。
 閑古鳥の鳴くHPではありますが、これからも細々とマイペースで更新してゆきますので、もしよかったら、時々はご覧ください。
Sep. 28. 2001 志賀高原・横手山で初雪。北アルプスも白化粧。
Sep. 23. 2001 表紙を「新雪の大雪山」に変更。
大雪・旭岳では先週の木曜日(9月19日)に初冠雪だったとか。思えば、私も15年ほど前、このころ大雪に登りました。初雪の1週間後に登ったところ、表紙の写真の光景が...「なんて美しいのでしょう。」なんて思ったのは初日だけ。1泊2日のつもりだったのが、翌日からは大吹雪に見舞われ5泊6日に...。2日目からは非常食のカロリーメイトとチョコレートだけで食い繋ぎ、6日目朝の天気予報で午前中だけ天候が良くなるというので、必死で下山。天候が良いと言っても下の写真のように強風が吹き荒び、時々やって来るつむじ風に飛ばされぬよう耐風姿勢でそれをしのぎ、命からがら逃げ帰ったのでした。

いつ帰ることができるか判らなかったため、ぎりぎりの食事制限をしていたので、下山後の体重は8kg減。フラフラになりました。(山で人に見せると大抵は馬鹿にされる1kgのチョコレートとカロリーメイト10箱のおかげで私は助かったのです。)
 北海道は冬型になると、オホーツク海に低気圧が停滞してしまい、中々天候が回復しないことが多いので、秋山は要注意です。
 それにしても、この時に見た光景は綺麗だったなあ。
悪いことは忘れ、良かったことだけ記憶するガマヨの脳はまた今の大雪に登りたくなるのでした。(しかし今度登るときは非常食のチョコレートは少なくとも2kgは持って行かないと...チョコエッグだと1個20gだから丁度100個か!)
この3連休、予想通り専業主夫しています。ああつまらない。