南風の写真便り

       

〜ドゥマゲッティー近辺そぞろ歩き〜


   山の別荘なのだ・・・私の物ですよ

 マビナイの山の中に別荘を持ってしまった。
いや、笑いたければどーぞ笑って下さい。ハイハイ、これを家と言うのか?別荘と言うのか?と
写真に写っている高床式の小屋が私の別荘であります。テラスがとても粋ですよね?中には、トイレもシャワーも有りません。ワンルームにベットが一台。当然電気なんて有る訳が無い。
敷地は国の物で、いわゆる不法占拠であります・・・おっと私も遂にスクオッタ−ですかな?
この辺は少し前までMPA(反政府ゲリラ)の多い場所でありまして、夜間通行不可の時代も有った場所であります。しかし、今はあまり騒ぎも無く、穏やかでは有ります。それでも先日、この近くの山でMPAに遭遇しまして、肝を冷やしました。車を停めていた場所が悪かったようで有りました。 手前で煙りを上げているのはヤシ殻の炭を焼いているものであります。炭焼き釜などは無く、その場その場で地面に穴を掘っては釜をこしらえて炭を焼きます。出来上がった炭はビニール袋に入れて日曜日に街のチャンゲで売ります。この辺りでは換金作物はほとんど作っておらず、自家消費の食料としての農業が主体です。荒れ地でサトウキビも植えられないのだそうです。炭を売った僅かな金が現金収入の全てです。




  ツバメの巣の養殖・・・?

ツバメの養殖ではなくて、巣の方を採る為にツバメを養殖している、のかな?
いやいや、ツバメは勝手に外に出て行って餌を捕っているので果してこれを養殖と言うのかどうか疑問であります。しかし、今、この界隈では注目のニュービジネスなのであります。元手も掛らなそうで良さそうな商売であります。苦労と言えば、精々夜間の猫対策に腐心する程度だとか。
本来は高い崖に巣を構える海ツバメ・・・岩ツバメだったかな?をどうやって家に呼び込むのかは謎でありますが、一ツガイでも入れば、後は自然に少しづづ増えて行くのだそうです。この辺りからパラワンは昔からツバメの巣の出荷地でありました。以前は海岸の崖に登って採集していたのだそうです。ツバメに軒を貸して巣を貰う。ツバメも安全が確保されてギブ&テイクでしょうか?
ああっ、場所は、サンタカタリナの少し手前の村で・・・酔っぱらってメモを無くしてしまいました。




   スルー海に沈む夕日

 夕日を見て感傷に耽るような感覚は、フィリピン人には無い・・・と言い切ったら反論されるかなぁ?
しかし、私が知るフィリピン人の中には、老若男女いずれにも、そのような人は見当たらない。なので、こんなに素晴らしい夕日を見ても物思いに耽ってみたり、況してや夕日に涙するような人はいないのである、断言する。
この日、この夕日の村ではフェスタがあって招待されて出掛けて行っていた。ドゥマゲッティーから車でおよそ2時間の村で、マングナオの近所の人達も数人見かけた。
夕日に映えるビーチを散歩する人の影は、フェスタで飲み過ぎた頭を日が落ちて涼しくなった海風で覚ましに来たのであって、感傷に誘われて夕日を見に来た人では無いのであります。
この村のフェスタで日本人に出会って吃驚しました。たぶん、向こうも驚いたろうと思うのですが、なんでまたこんな所でとお互いが思っていたようで有ります。この村が彼の嫁さんの実家で、フェスタに合わせての里帰りだったとか。嫁さん・・・美人だったなぁ。と、この嫁さんがMDSのスタッフのノノイの大学での同級生だとか。なんだよ、もっと早くに俺に紹介してくれリゃ良かったのに・・・なんてね。



  ヤギの頭の処理・・・拡大しない方が良いかも?

マタンがヤギの頭や足や内臓の処理をしています。
ヤギは角と蹄以外は全部食べるのですが、それの下処理は結構大変であります。
メイン料理のカルディレータ−は台所でジーマが料理していますが、調理以前の下処理は全部外で済ませます。
マタンはたき火に大鍋を掛け、何度も湯を湧かしては毛や皮を処理して行きます。時には皮をたき火に突っ込んで焼いてみたり、そり残した頭の毛を取り除く為にたき火にかざしたりしています。
マタンはまだ17才になったばかりです。フィリピンでは17才と言うともう大学生であります。17〜20才までの四年間が大学生であります。なので、短大卒と言うのは日本で言う高校卒業と同じ年令になるのであります。
おやじのマッツ以上に男らしい17才のマタンは既に大人扱いされています。高校を卒業して大人になると目上の人に欠かせない「ブレス」と言う挨拶をしなくなります。ブレスとは、右手を取って自分の額に持って行く所作で、たぶん、カトリックの習わしなのだと思いますが・・・?
マタンは一手に任されたヤギの処理を黙々とこなします。その傍らで弟のケビンがちょっかいを出しながら兄にあれこれ教わっています。とても楽しそうでありました。



 カラバオと親子

 日が暮れて、日中水場に繋いでおいたカラバオ(水牛)を家に連れて帰る親子の姿です。
この辺りは車で来る事は出来ません。
当然、電気もガスも水道も無く、生活様式は自然そのままです。
それでも我々が山の家に泊る予定の時には、パッツが24ボルトの大きなバッテリーを準備してくれて、食事をするテーブル周りだけは小さな蛍光灯が点灯されます。
乾電池が高いので、電池式のラジオさえ持たない彼らの生活では、自然の音以外には何も聞こえません。動物と家畜の鳴き声、虫の声と人間の声や、風が鳴らす草木の音意外には何も聞こえない。この家での楽しみは、食べる事と他愛も無い会話です。
今日、一銭の金が無くても全く困らない生活が普通に営まれています。でも、彼らがそれを心の底から受け入れているのかと言うとそうでは無いのかも知れません。山の家の夫婦の長女はマニラの大学を出てマニラで就職し、ほとんどここには戻らないと言っていました。





  MDS-3を水から揚げる。

 一週間もお客さんが途切れるとなるとバンカーボートは陸に揚げておかなければなりませぬ。いえいえ、揚げられるサイズのボートだから上げるのであって、もっと大きなやつはそんなに気軽には上げたりしません。特にMDS-3はサンタモニカ前の他のバンカーよりも小型なのでビーチの浅い所に係留してあります。浅い所と言うのは藻が付きやすく、直ぐに汚くなってしまうのであります。したがって、とっても閑でお客さんがたまにしか無いMDSではバンカーは陸置きが普通なのであります。
さて、軽いとは言っても、推定で1トン半は有ろうかと思う目方のボートでありますから上げるのは中々骨が折れます。ちなみに、隣に揚げてあるMDS-1は目方が1トンでだいぶ軽くて、大人8人でなんとか上げる事が出来ます。しかし、MDS-3は500キロ余計に重い分、人数も最低12人は必要になります。
サンタモニカビーチは結構静かで、水浴びやホテルの客などを除くと大人の男はそれ程多くは見当たりません。なのでMDS-3を上げようと思う時には、前日から風の噂を流す必要が有るのであります。そして、上げる頃合は昼飯時の少し前が良いようで有ります。その頃になるとビーチには、漁師を含めて14〜15人は集まっているのであります。




 揚げ終わったら・・・宴会です。

 この日は午前中に2ダイビング、と言う予定でありました。しかし、お客さんが1ダイブで良い、と言う事なので、さっさと宴会の準備に取りかかりました。
1本目のダイビングでスピアフィッシングのエキスパートのラモンとヘボの私が銃をもって潜り、昼飯の宴会に肴を添える予定でいたのでありました。ラモンは他所のダイビングサービスのガイドなのですが、丁度休みだし、仲好しなので魚捕りを手伝ってもらいました。
さて、予定は大当たりでありまして、約5キロ弱のハタが1尾捕れてしまったのであります。ええ、その通りですよ・・・捕ったのはラモンで私ではありませんがね。しかし、サンタモニカから程近いあんな場所で、と言う所に、居るものなんですねぇ。と、言う事で、肴が捕れてしまった事もあり、お客さんも早くそれを食いたくて2本目は中止になったのであります。そして、ダイビング終了後にボートを上げた姿が先の写真なのであります。
仕留められたハタは、半身がキニラオと言うフィリピン刺身になり、半身がティノーラと言うスープなりました。その上、焼き魚にキトンの大物も添えられました。そして、万が一の押さえに買った豚の炭焼きが3キロとチキンが2キロ。焚いた米が2キロとマイスが1キロ。ビールがグランディーで4ケース(24リットル)とラム酒が2本・・・昼前頃から始まった宴会は、サンタモニカのビーチ三ケ所でそれぞれに、早い組で4時頃、中の組で6時頃、一番最後の我々は8時近くまで飲み続けるのでありました。酒はね、私が買った分がその位と言う事で、他の人がどの位買い増ししたのかは、私は知りません・・・フィリピン人は酒は強いよ、皆さん。




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