南風のたよりNo76


    ドゥマゲッティー便り


       小さな、話題


     フィリピンパブ出現・・・?

     私は、フィリピンパブと言う所へ行った事が無い。噂では、たいそう楽しい所らしいが、どうしても行く機会に恵まれず、今だ未体験だった。
    そのフィリピンパブは昨今、日本国内では下火らしい。詳しい事は知らないが、入国管理法が変わって、タレントと呼ばれるフィリピン人女性の入国と就労が難しくなったからだと聞いている。
     フィリピンパブに行った事も無い私の感想だからあてにはならないかも知れないが、ドゥマゲッティーで、多分こんな感じなのかなと言うのに出会した。
    場所は「ミュージックボックス」のカラオケだ。勘違いしてもらっては困るのだが、店全体がフィリピンパブ化しているなどと言う事ではない。おっと、私はフィリピンパブをしらないのですが。
     カラオケの店内に、キュートな黒いミニスカートの制服を着た女性が沢山居るのは、ドゥマゲッティーを個人的に訪れている人なら良く知っている事だ。この店は男だけの店では無く、家族連れや夫婦でもやって来る健全な店なのだ。だが、男同士で行く方が、とても×10倍くらい楽しいのも事実である。その楽しさの素を作ってくれるのが制服の彼女達なのだが、その中に独り、片言の日本語が話せる娘を見つけた。
     彼女の名前は「クリスティーン」本名では無いと思う。年令は24才?25才だったかな?。まあ、そんなような年令だ。半年間、エンターティナーとして、タレントと称して日本に来ていた事があると言う。滞在先は戸塚のあたりだったそうだ。たった半年の間に良くもまあ、と言うくらいに日本語が上手になっている。これが私にはとても理解出来ない。  フィリピン人の言語が方言を含めて様々有っても、書き言葉はアルファベットだから英語に馴染みやすいのは理解出来る。しかし、日本語などドゥマゲッティーにいる限り接する機会はほとんど無いし、目に入る事も無い。そんな彼女がたった半年の滞在で、東北育ちの仙台弁の日本語まで聞き取れるのには驚だ。頭が良いんだろうか?一説には言葉の学習能力はリズム感に匹敵すると言うのを聞いた事が有る。確かに、フィリピン人のリズム感はアジア人の中では抜群だと思う。
     クリスティーンは歌が好きで、そして上手い。彼女は私の隣にピッタリと寄り添って座ると、日本語の歌ばかりを唄ってくれる。お得意は「尾崎豊」と「中島みゆき」のようだ。まあフィリピン人なのでリクエストすればタガログ語でも英語でも上手に唄うが、日本語の歌を唄える事が彼女の自慢なようで、たまに来る日本人を捕まえては尾崎を唄っているのだろう。彼女の日本語の歌のレパートリーで、いつ頃日本に滞在していたのか、だいたい想像が付く。しかし、日本滞在中の話はあまり好きでは無いようで、唯一積極的に話題にするのは東京ディズニーランドの事くらいだった。残念な事に私はディズニーランドに一度も行った事が無いので話題には乗れないが。
     クリスティーンは私の隣に座ってカラオケを唄い、そして私にも歌を勧める。ドゥマゲッティーで日本語のカラオケがなんとかなる店は少なく、こんな旧いのしかないの、と驚くこの店は、相当に充実している方なのだ。彼女の記憶力は素晴らしく、私が一度唄った歌は全て覚えていて、一月も間をおいて店に行っても頃合を見て勝手にリクエストしてくれる。イントロが流れ出すと「ホォーラァ、アナタ、マエニコレウタッタダカラネェ」などと言ってマイクを向ける。そのうちに手づまりになると、あれは唄えるか?これは?と聞いて来る。適当に返事をしていたら、坂本九の上を向いて歩こうが掛ったのには参った。
     彼女の収入は日給制で、出勤して来ると幾らか貰え、そして、レディースドリンクなるものの売り上げから某かの戻りを貰えるらしい。だから、気前良く飲み物をおごってくれるお客さんが一番の上客なのだ。しかし、勘違いしない方が良い。彼女達が一番大切にするのは「乗りの良さ」なのだ。大盤振る舞いしたからと言って、スケベな奴や、ひたすらムッツリではあまり歓迎はされないようだ。
     MDSのお客さんとスタッフで押し掛けて行って、クリスティーン他数名の女性とカラオケを怒鳴り捲って、ビールを一人3〜4本飲んで、レディースドリンクを4〜5杯おごって・・・さて、なんぼだったのだろう?お客さんが払ってくれたので確かでは無いが、日本円で3000円はしていないはず。
     彼女等は自由出勤制なのか、途中から抜け出す事も可能なようだ。おっとっと・・・そう言う事では有りませぬ。直ぐ隣のディスコに移動するのです。黒いミニスカートの制服は勤務中の印しなのか、同じ服を着ている娘がディスコにも居るのに、カラオケの女性は私服に着替えてから移動する。生バンドが入っている時には彼女等の方から「行くベしぃー」と誘って来る。ここでビールを飲んでタコ踊りをしてフラフラになって帰ると、翌日のダイビング絶好調であります。
    ああ、クリスティーンに会いたかったら毎週水曜日の午後9時からは外した方が良いでしょう。お馴染みさんの指定の時間のようですから。
    あっ・・・ひょっとしたら○Yさんにゴメンなさい、かな?このカラオケの話題は・・・。


           リトル

     2月18日、リトルの葬式があった。
    リトルはMDSのエキストラガイド、ロイの末娘で、16才だった。
    MDSのお客さんにも、家の庭で一緒に踊った事のある人がたくさんいるので驚く人も多いと思うが、あのリトルだ。
    レイテ島では土砂崩れで大勢の人が亡くなったと言うニュースが流れていたが、ドゥマゲッティーもずっと雨続きだった。
    お客さんが途切れた日の朝、明日出棺だからお別れしてこようとジェフリーに誘われてロイの家に行った。
    菊の花と熱帯の花の入り交じった花束に囲まれた棺の中にリトルは居た。棺のガラス窓から見えるリトルの顔は化粧が施されて美しかった。
    ただ眠っているようで、死んだと言う事が実感出来なかった。

     マングナオのロイの家からカテドラルの教会まで(ベルタワーの隣の教会)棺を積んだ霊きゅう車を先頭に、チャーターしたペディキャブやジプニーやバイクを列ねてパレードした。
    交通整理の警察官も沢山出て、大きな、立派な葬式の列だった。
    カテドラルの教会の祭壇に納められてからは私は見ていなかったが、牧師が何やら長い事演説か説教をしていたようだった。
    どう言う訳かジェフリーも一緒に外に出て居た。

       ここから市内の外れに有る墓地までまたパレードして埋葬した。一時止んでいた雨がまた降り出した。
    埋葬は土葬で、棺のままコンクリートの箱に入れられ蓋をして墓標のプレートを貼る。
    今は墓地の土地が少なくなったのでコンクリートの棺を入れる箱が2段3段に重なっている。
    重なっているのは家族や血筋の者では有るけれど、それでも場所が亡くなると一番古いものを潰す事も有ると言う。
    空っぽの箱が幾つか目に付いたので聞いてみると、引っ越したり、盗難だったり、いたずらだったり、次への準備と、様々との事だったが、真偽は分らない。
    教会では泣いている人を見かけなかったのに墓地では皆が泣いていた。ここでも別れのあいさつがあった。
    ジェフリーと言う奴はおかしなフィリピン人で、親戚や一族の集まりが好きでは無いようだ。棺が納まったら帰ろうと言い出した。
    雨あしが強くなっていた。私らはバイクで来ていたのでそれを理由に帰る事にした。


    リトルのダンス


    上の写真は2003年の8月に、リトルの高校で撮ったものだ。ドゥマゲッティー市内の高校生が集まって、Miss.高校やMr.高校を選ぶイベントで、リトルが踊っている時のものだ。
    写真の中のリトルは14才だった。ドゥマゲッティーの高校生の中では噂の美人だったようで、ダンスが上手く、モテモテだった。
    2004年暮れ頃、リトルは高校を退学して、翌年の6月に15才の同級生が父親の、男の子を出産した。
    リトルはそれからずっと子守りをしながら家にいて、赤ん坊が乳ばなれをしたら高校に戻るんだと言うような事を話していた。
    高校を卒業してから正式に結婚するのだとも言っていた。
    見た目は派手だったが口数は少なくシャイな娘だった。
    赤ん坊の父親と私はけっこう仲が良い。時々ダイビングのタンク運びや後片付けを手伝ってもらっている。
    彼にこれからの事を聞いても仕方が無いと思ったが好奇心から聞いてみた。
    「赤ん坊の父親は俺さ」「何が有ってもそれは変わらない」と16才の男が言い切った。

    昨年、ドゥマゲッティーで、同じ病気で25才の女性が亡くなったのを見たばかりだった。
    そう言えば、本田美奈子もそうだったっけ。
    10万人に6人なんだそうだ、日本では。
    俺の回りでは随分確率が高いような気がするな。

    書こうかどうしようか迷ったのだけれど、MDSではリトルと手紙のやり取りをした事も有る人がいるので、お知らせと言う意味で書きました。
    南の島らしく無くて、すみません・・・いつもの事ですね。




    ではまた。


    問い合わせ、質問のメールはこちらです ow807360@mars.dti.ne.jp


    さいしょに戻る 南風のたよりNo77へ