南風のたより・番外編

 

〜かこくなカコクな過酷なツーリングの初日〜


  街はずれのシェルで各自満タンの図

マングナオの家の近所にはバイク好きが多い。
いいや、ドゥマゲッティーは、世界一のバイク保有率の街なのだから、バイク好きじゃない奴を探す方が難しい。
(一つの市として、人口対バイク保有台数の比率で世界一らしい)
「ツーリグに行くぞ」と誘われて行きたく無い奴なんて、この街の男にはいない・・・はずだ。
行くぞと誘われて二の足を踏むとすれば、その理由は、バイクが有るか、ガソリン代は大丈夫かと言う問題になるはずだ。
我がMDSでは新人のノノイのバイクの都合が付かずに、残念ながら独り断念せざるを得なかった。
今回は私の街乗り用実用バイクでは乗り切れないコースなのだ。
私はXLR200に乗る「パッツ」から彼のサブのバイクである、XLR125を借りることになった。
それで私が乗るはずだったTS100をダダに回すことで、ダダが参加出来た。
メンバーはリーダー格の「パッツ」63才。メカニックの「マッツ」40才。
MDSの炊事班長の「ダダ」52才。MDSのお笑い芸人「J-POY」37才。
日本おやじの「ボンビー」50才。ヤギの提供者「ラムズ」34才の6名だった。


  自転車屋の前で修理の図

ガソリンを満タンにして、さあてそれではと気合いが入ったところで軽いアクシデントが私のバイクに発生した。
アクセルワイヤーが切れてスロットルがスカスカになったのだ。
他の全員が一斉に飛び出して行った中で、私一人が取り残された。
誰も戻って来る気配は無かった。
そりゃそうだ、天気は上々、ガスは満タン。
全車競って飛ばしているに違い無いのだから。

私は切れて引っこ抜けたワイヤーを右手の人指し指に巻き付けてスロットルを引いて走り出した。
市内ならば危なかったが、郊外に抜けていたので指の痛さを除けば大して問題では無かった。

セブランの街のカーブの手前でJ-POYが戻って来た。
ワイヤーの事を説明すると山に入る前で良かったなと言って大笑いをした。

セブランの街の小さな自転車屋兼バイク屋の前で停めてワイヤーの修理に取りかかった。
しかし、XLRなどと言う旧い高級車のワイヤーはこの店には無かった。
カワサキのKL系のワイヤーが有ったので試してみたが上手く付けられなかった。

J-POYとパッツがドゥマゲッティーのパーツ屋で買って来ると走って行った。
長ズボンにブーツ、上にはジャンパーやコートを羽織っていたのだからバイクから降りるととんでもなく暑かった。
残りの4人は近くのハンバーガー屋に日陰を求めて入って、ハンバーガーを喰って待つことにした。

30分程でワイヤーを持って戻って来て修理再開。
しかし、スロットルワイヤーを引っ掛ける部品もいかれている事に気が付き、修理は手間取った。
何だかんだで1時間30分程を修理に費やしてしまった。
それでもこれが日本だったら、誰か直せる人が居ただろうか、と思った。
道路脇の炎天下で、ああだこうだ言いながらも直してしまうフィリピン人の技量に吃驚であった。
まあ、この程度のアクシデントは「想定内」なのだと気付かされる事になるのだが。


  ラムズが登りに挑戦、ダダは下で眺めているの図

アムランの先から山道に入って行った。
始めの内は山の乗り合いバイク「ハバル・ハバル」も走っていたが、その内道は無くなり、ただの筋になった。
それは雨の時にだけ水が流れて出来る筋に、石が転がっている道のようなものだった。

昨日来の雨で粘土質の斜面は滑りやすく、ブロックパターンのトレール車でもタイヤのグリップはほとんど無かった。
借り物のXLR125のコンディションは上々とは言えなかったが、まずまずだつた。
クラッチが少し重いのと、フロントのセンターが少しずれていた。
後輪のブレーキシューがダメなようで、ブレーキングで張り付いて危険だった。
にわか修理のスロットルも遊びが多いのが気になったが、走る事には差し支えなかった。
ああ、タイヤの山もほとんど終わっていたが、借り物だから文句は言えない。
何だかポンコツのXLR125に思うかも知れないが、ドゥマゲッティーでは高級車で貴重品なのだ。
それにしてもオドメーターが78000キロを指すバイクのエンジンが全くへたっていないと言うのは驚異的だ。
この年式で一日回しても熱ダレさえしないホンダの短気筒は芸術品だなと思う。
写真ではたいした事の無いように見える斜面だが、結構な傾斜なのだ。



  ダダのバイクをマッツが押してラムズが引っぱり上げるの図

ダダは既にへこたれていた。
前の写真を拡大で見ると後ろの方に巨岩と川筋が見える。
ダダはこの坂の前の川で石に乗り上げひっくり返りびしょ濡れになっていた。
それでもダダを笑えないと思う・・・実際は腹を抱え、指を指して大笑いしたが。
ダダがクラッチ付きの乗り物を扱ったのは今日が初めてなのだ。
今朝、リターン式とロータリー式の違いとクラッチの使い方を簡単に説明して走り出して来たのだった。
ダダの乗るTS100は150CCにボアアップしてチューニングしてあり、乗り難い代物だ。
しかし、パワーだけなら6台中一番で、XLR200にも負けていない。
何よりも足の短いダダにはこのバイク意外に選択肢は無いのである。



  マッツ、くたびれて座り込むの図

結局自力でなんとか登って来たのはパッツにマッツとボン(私、BOMBEEの略です)の3人だった。
他の3台は皆で引っぱったり押し上げたりして乗り切った。
しかし、ほとんどマッツが乗り切ったようなもので、流石にばてたようだ。
私は久しぶりの本格的なトレールにワクワクして乗っていたが、マッツにはどうして離される。
借り物のバイクであること、年代物の貴重品であることも忘れて全開で回していた。
そして、なによりもチームワークの良さに感激していた。
フィリピン人と一緒に遊ぶと、なんとも温かくて、そして楽しい。
63才のパッツの驚異的な体力には目を見張った。
パッツは相当に乗り込んだベテランライダーであることが伺える。
ライディングテクニックではトレールロードのガイドと言うマッツがずば抜けていた。



 キャップが無い?の図

マッツが座り込んで小休止となった。
この間に何となく各自がバイクを点検する。
そこでダダが奇声を発した・・・ワラ・ナァ・オイルキャップ。
TS100のクランクケースに付いているはずのキャップが無くなつていた。
この下の川で転倒した時に無くしたのだろうと言うことになった。
しかし、誰も探しに行こうとはしなかった。
マッツが道ばたのサトウキビを1本引っこ抜いた。
パッツが工具袋からナイフを取り出してサトウキビを適当に削った。
J-POYがTSのクランクケースの穴にそれを差し込んで修理は終わった。
実にスピーディーで無駄の無い、的確な修理だった。



  マッツの山の別荘で休憩の図

登り切って少し行くとマッツのマンゴ-農園の敷地に入った。
ここに農地の管理の為の別荘が有りそこで昼食と休憩になった。
昼飯が出来るまでは小銭を掛けてのトランプゲームで暇つぶし。

マッツの畑には400本のマンゴーが植えてあり、輸出専門の高級品種だそうだ。
マッツを私は「マッツァン」と呼んで気安く付合っていたが、何だかけっこうな名士だと分かった。

炊事班長のダダが「ティノーラ・マノック」を作っていた。
パッツのバックパックはまるでドラエモンのポケットだった。
彼がテーブルに投げ出したインスタントコーヒーがとんでもなく美味かった。
山の家の水は沢水だった。
流石の私もヤギや水牛が水浴びするのを見た沢の水は飲みたく無かった。
お湯を湧かしてもらい、ネスカフェを入れて飲んで生き返った。



 午後の部、出発前の図

ダダの作ったティノーラ・マノックを腹一杯食べて2時間程休息。
本来はここをベースにマッツの案内で山を回るはずだった。
コースには滝や自然の岩のトンネル等も有る雄大かつテクニカルなコースだ。
しかし、残念な事に雲行きが悪くなり、雨粒がポツポツと来た為に早めに山を降りる事になった。

昼飯のニワトリは我々が到着すると同時にシメられたビサヤチキンで美味かった。
この食事を最後に私は食い物に難儀する事になるのだ。
もっと食べておけば良かったと言うのは、後の祭り。



  おっさん、真剣に川を渡るの図

マッツとパッツが渉れるかどうかを相談していた。
私は川渡りには少し自信が有った。
20年前、DR250Sで峠越えと川渡りを趣味にしていたからだ。

マッツが石の上を伝って向こう岸へ渡った。
カメラを持って行って私が渡るところを撮ってくれると言った。

転びたく無いなぁと思いながら、できればクリーンで渡りたいと思った。
走り出してみて直ぐにクリーンなんてとんでもないことに気が付いた。
両足ペタペタでもやっとの徒渉だった。

この後、後続が川への下りを降りられないと言うので戻る事になった。
何でも戻る時の方が大変なことが多い。
深みにはまってスタックして倒れそうになった、が持ちこたえた。



 パンク修理の図

大雨が降ってずぶ濡れで下って来た。
このまま一気にラムズの別荘が有るサンボンギータまで走るはずだった。
しかし、またアクシデントがあって足が停まった。
私のバイクのケツがやけに滑るなと思って停めてみたら後輪がフラットだった。

マッツが閉まっている車屋の鉄の扉を勝手に開けてバイクを入れた。
パッツが魔法のバックパックからタイヤレバー等の工具と予備チューブを出した。
この間にラムズがバイクを支えるウマを探し、J-POYが後輪を外しに掛っていた。


運良が良いのか悪いのか、この時には物凄い降りが来てパンクで無くても走れなかったろう。
皆が強力してパンク修理をしている間、私は何も手出しが出来なかった。
私が日本で乗っていたバイクはチューブレスでビートストッパーが付いていた。
このタイヤは優秀で、パンクしてもほとんど平気で走れてしまう代物だった。
私はこんな超人的スピードで、しかも有り合わせの工具でのパンク修理等、手伝う事は出来なかった。



     このヤギが晩飯でしたの図

この修理が済んでノースロードの国道に出てまた雨脚が強くなった。
そうしたら今度はパッツのバイクがパンクした。
これも運良くパンク修理屋の近くだったのでそこにバイクを入れた。
パンク屋の軒先きは借りても修理はマッツがする。
パンク屋に払うのは高圧の空気入れを借りる時の10ペソだけだった。

この後弱い雨に降られはしたが、70キロ先のサンボンギータまで、なんとか日没と同時に到着した。
マッツのバイクとJ-POY、ラムズのバイクにはヘッドライトが無かった。

本日はラムズの海岸の別荘に到着して終了。
晩飯は「ヤギの丸焼き半生風味」と「ヤギの皮の湯引き刺身風」だった。
日没とともに嵐の様相になった野外で焼いたヤギはレアで軟らかかったが、油が気になって私はほとんど喰えなかった。
私はパッツが投げてよこしたピーナッツとクラッカーを少し食べて、ビールをガブ飲みして寝た。





ツーリング初日・・・終わり

本日の走行距離190キロ

写真はクリックすると拡大します。

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