南風のたより・番外編

 

〜かこくなカコクな過酷なツーリングの2日目〜


  ラムズのバイクパンク修理の図

4時少し前に起こされて、サンボンギータ−を4時半に出発した。
昨晩は気が着かなかったが、ラムズの別荘は海に面して、浜からはアポ島が見えた。
敷地は3000坪は有るだろうか。
ラムズもそれなりの家の息子だったようだ。

朝飯は無かったが、コーヒー一杯飲めたのは幸いだった。
昨晩の嵐のような風雨は治まったが、いつ降り出してもおかしく無い様子だった。
厚い雲を通して満月の光りが時折見えていた。

ワニと大蛇の動物園のある峠を下って海沿いに出たところでラムズが着いて来なくなっていた。
戻ってみると後輪がパンクして走れなくなっていた。
走り出して1時間と30分、今日最初の修理が始まった。


ラムズのバイクパンク修理の図2

毎度の事ながら見事な修理の技だ。
だがこれで3度目のパンクだ。
パッツの魔法のデイパックはそれ程大きくは無い。
いったい何本予備を持って来たのかと聞くと、使った度にバイク屋を見つけては買っていると言う。
ドゥマゲッティーに戻ったら使えるものは張り直して使うのだと言った。
チューブは1本200ペソする。
3本買えば600ペソだ。
昨日はスロットルワイヤーとスロットルのパーツも買った。
そして、コーヒーやクラッカーやチョコレートも持って来ている。
昨晩の晩飯のヤギはラムズのおごりだった。
なんだかこの仲間たちは、MDSメンバー以外は金持ちなのではないかと思い出した。
私は昨晩ビールを買った時に500ペソ出したきり、一銭も出していなかった。
フィリピンでフィリピン人と遊んで、おごられっ放しと言うのは初めてだった。
今回誘われた時に私は相当額の出費を覚悟して来た、が・・・。




  遅れて来ない後続を待つ、の図

ラムズのパンク修理も運が良かった。
後輪をばらしている間には雨は降らなかった。
しかも、早朝だと言うのに通りかかった小学生に空気入れを貸してくれと言ったら15分も歩いて家に戻って取って来てくれた。
パッツが20ペソ札を握らせようとしたら要らないと言って立ち去ろうとした。
結局ラムズがビスケットを少しと20ペソを無理矢理握らせた。
有難うと小さな声で言い、照れた顔が印象的だった。
この2日間、私の中のフィリピンのイメージがまた変わって来ていた。

サンタカタリナを過ぎ、バヤワンの街で右折して山道へ入った。
ここからは終始パッツが先頭を走った。
途中の山の小さな街でパッツが地元の飯屋へ入った。
早朝でまだ食い物は出来ていなくて、ゆで卵と地元のコーヒーの朝飯になった。
ここの払いもパッツが出した。

山道は連日の雨で徹底的にぬかるんでいて走り難かった。
赤土は泥になり、水たまりに突っ込むと思わぬ深さにタイヤを取られた。
ここでもパッツは63才とは思えぬ走りをしていた。
勿論マッツの走りは別格だった。
それでもまだ、ラフロードでは有ってもオフロードでは無く、尻を振り振り滑るバイクを走らせる事を楽しむ余裕が有った。
そんな山道を山の住民の二人乗りのスクーターも、速度は遅いが、難無く登って行く。

やがて「道」は途絶えてサトウキビ畑の作業用の歩道のような「筋」に変わった。
筋は日本の田んぼのあぜ道程度の太さで、所々に大きな石が転がり、水たまりは深くえぐれている。
サトウキビの葉は鋭くて、日本の笹竹の葉のように皮膚を切る。
道に被いかぶさるように茂っているサトウキビが顔に当たって痛かった。
サトウキビ畑の農道は時々途切れて、サトウキビを刈り取った後の畑そのものを走る場面も有った。
サトウキビを植える時に畦(うね)を作って植えるのだから地面は畦って洗濯板だった。
マッツとパッツは何度もここを走っているらしく、スタンデイングで楽々乗り越えて行く。

サトウキビ畑を越えると今度は林に入った。
ここら辺りで後続のエンジン音が全く聞こえなくなっていた。
林の中で後続を待ったが10分経っても20分経っても誰も来なかった。

最後尾には麓の村から着いて来た、サトウキビ畑の管理人がDT125で着いていた。
後続の3人は彼の案内で本来の「道」へ戻って行ったようだった。
この管理人はスリッパ−(ゴム草履)でバイクを運転している。


パッツの山の家に到着の図

日本ではいつも一人で山を走っていたので踏み込める限界が有った。
ここではメカニックと案内人と、いざと言う時の助っ人まで同行している。
万全の布陣に助けられていなければ絶対に入り込む事の無いトレールロードばかりを走った。
日本ならスクラップだろうと思うボロバイクは、意外に粘り強く、熱ダレも無く山を登った。
マッツとパッツに着いて行くだけで精一杯だったが、なんとか転けずに走り切った。
パッツの山の家に到着した時に、マッツが一人前のオフロードライダーとして認めてくれた。
この時、マッツとパッツが200ccで自分が125ccで有った事を思い出した。
同排気量ならもう少し追い込めたかも知れないと思った。
しかし、非力な125だったからこそ怪我をせずに済んだのかも知れなかった。
13馬力のXLR125で無く、30馬力のバイクでも走破性と言う事では無意味かもしれない。
性能的に望むのは、まずタイヤと軽いクラッチと、使えるリヤブレーキだ。

パッツの山の家に着いたのは10頃だった。
これから12時まで、休憩して昼食をとって、ドゥマゲッティーへ帰る予定だった。
パッツはしきりに山に泊って行けと誘うが、私には明日の都合がすでに有った。
パッツが家の中から段ボール箱を持って来て開けた。
中からラム酒と缶ビールとクラッカーを出して皆に配った。
マッツにパッツとラムズがまたトランプを始めた。
私は缶ビールを飲みながらドゥーヤン(ハンモック)に身を横たえて休んだ。



  本日のお昼の御馳走の図

山の家は、曇り空だった事もあってとても涼しかった。
私は缶ビールが効いて、ドゥ−ヤンの揺れも手伝って微睡んでいた。
家の外で、何だか聞き覚えのある切ない鳴き声がするのに気が付いた。
うとうとしながら「ああ、あれは昨晩聞いたヤギの声と一緒だ」と思った。
それから間もなく、ヤギの切ない鳴き声は、断末魔の鳴き声の後に途絶えた。

ああ、またあの料理かと思うと気が重かった。
昨晩に引き続き、またヤギ料理だ。
カンディンと言うのはビサヤ語かタガログ語かは知らないが、ここでは御馳走なのだ。
日本人を歓迎する意味も込めて二人はヤギをつぶしてくれたのだった。
しかし、フィリピン料理で、私が唯一苦手なものがこのヤギ料理なのだ。
今日は丸焼きでは無くカルディレータ−と言う煮込みだった。
ダダがチリをたっぷり入れた、食べやすい辛みの煮込みを作ってくれると言ったのに少しだけ期待した。
が、ヤギのざらついた脂の感触はやはり苦手だった。

私は昨夜からまともに食事をしていなかった。
ああ、マッツの山の家で食べたティノーラマノックを喰いたいと、心底思った。



  なだらかな丘に見えるサトウキビ畑の図

昼飯を喰いながらパッツがサトウキビ畑とシュガーケインの事業の話をしてくれた。
この山の家から見渡す限り、約20キロメートル四方がパッツの畑なのだそうだ。
と、言う事は、麓の村辺りから上はもうパッツの私有地を走って来た事になる。
パッツがトレールバイクに乗るのは、畑の見回りで、仕事なのだった。
毎週一度はこの山の家に来て一晩泊って仕事をして行くのだそうだ。
どうりで自由自在に道でも無いところを走り回れる訳だ。

マッツはマンゴー農園の地主だった。
ラムズは、何をやっているのか分らないが、金持ちの息子だった。
パッツはサトウキビ農園の大地主だった。
日本人の懐の小銭等、端から当てにしていない人達だったのだ。

ダダが転倒して破損したブレーキレバーも予備を使って修理した。
フェンダーに溜まった泥の固まりも落として少し身軽になった。

12時丁度に出発した。
バヤワンまで20キロ。
バヤワンからドゥマゲッティーまで101キロ。
順調に行けば3時間程度で着くはずだったが、そうは行かなかった。
途中でパッツのフロントタイヤがパンクして修理した。

バヤワンでポツポツと降り出した雨はサンタカタリナから本降りになっていた。
ドゥマゲッティー、マングナオに到着したのは3時30分頃。
私とJ-POYは夕方予定が有ったので、サンボンギータ−でパンク修理をしているパッツ他を残して帰って来た。




ツーリング2日目・・・終わり

本日の走行距離210キロ
2日間の走行距離400キロ

パンク4回
アクセルワイヤー切れ
クラッチレバー破損

XLR125Rが呑んだガソリン・20リットル

写真はクリックすると拡大します。

どこでもドァー