南風のたよりNo69


    ドゥマゲッティーのうわさ話(ガセネタかも?)


       手続きと、袖の下

     MDSの小さなパムボート・・・バンカーボートとも言いますが、あれの登録更新で難儀しました。
    このボート、中古なのですが、前の所有者がつけたBARODOYと言う名前をそのまま使っていました。その事自体は問題も無かったのですが、登録が漁船になっているのが問題だと言う事で、旅客船、パッセンジャータイプと言うものに登録を変更したのです。しかし、これがいつもの通り一筋縄どころか、二筋も三筋も縄が必要で、とんでもない手間と労力を使いました。
    ドゥマゲッティーにもマリーナオフィスが有って、契約の更新ならここで出来るのですが、今回は登録内容の変更と言う事で、新規扱いになり、セブのオフィスでその手続きをする事になりました。ドゥマゲッティーのオフィスの知り合いに手続きの方法と、セブオフィスの頼るべき人を紹介してもらい準備万端と信じて出かけたのが今年の五月半ば、手続きが終了したのが10月3日と、ほぼ五ヶ月を要してしまいました。
    その間のボートの不都合はと言えば、実際には別に何も無かったのですが、船名のペイントは「MDS DIVER`S」に変更されているし、船長も名前が変わっているし、母港もシリマンビーチからマラタパイに替えてあるので、万が一書類を出せなどと知らないコーストガードに言われれば、どれほどの袖の下をむしり取られたか、運は良かったようです。
    セブで書類が進まなかった訳は意外なところに有りました。
    ドゥマゲッティーの係員に500ペソ程書類の間に挟めと言われていたのでその通り500ペソをはさんで提出したら、係員はニコニコ笑って受理してくれました。「OK、この書類は間違い無く受理した」と言われて安心してマリーナオフィスを後にして、2週間後に来いと言われた期限の日を待ちました。
    2週間後にジェフリーがオフィスに証明書をもらいに出かけたのですが、彼は手ぶらで帰って来て、まだ調べる事が有るからもう少し時間が掛ると言われたと私に報告しました。
    いったい何を調べると言うのだと問いましたが、ジェフリーにも分からないと言う事でした。書類は事前にドゥマゲッティーでも見てもらっていて完璧なはずだったのですが。
    それから2度、セブのマリーナオフィスで空振りを喰らって、10月3日ようやく書類が出来上りました。
    この日、ドゥマゲッティーのマリーナオフィスの知り合いから電話をしてもらい、2度目の500ペソ札を挟んだら呆気無くサインが貰え、3ケ必要だったスタンプも、ポンポンポンと気前良く押されました。
    ここでの500ペソはまあどうでも良かったのですが、私はとても大切な事を忘れていたのに気がつきました。ドゥマゲッティーのオフィスの知り合いに渡すのを忘れていたのでした。
    10月3日、彼の口添えで事が進んだ以上戻ったらお礼が必要だな、と思った途端に事情が飲み込めたのです。結局、セブでの袖の下の払いが足りなかったのでは無く、ドゥマゲッティーでの支払いを滞っていたのが原因だったようです。
    何も聞かずに素直にセブに言っていたらとっくに終わっていたかも知れない手続きを、余計に複雑にしてしまったような気がしました・・・でも、これがフィリピンですから。

    ドゥマゲッティーのスクオッタ−街・・・これ、書いていいのかなぁ?

     ドゥマゲッティーには二つのスクオッタ−街があります。一つが「ティナゴ・バイバイ」。これは海岸通の道を南に行った海沿いで、中華料理店のメイヤンがあった方です。もう一つは「ロオック」でドゥマゲッティーの港の北側、トシノプラザの前から未舗装の海岸沿いをラブ・アスに向って行く道の右側です。
    ロオックには地元のフィリピン人でも近寄らないと言う人が居て、治安は良く無いと言われています。しかし、立ち入ったからと言って何か起きる事も無く、見知らぬ人はただじろじろと見られるくらいですが、見られた側は無気味な思いにかられる事は間違い有りません。
    スクオッタ−と言うのは、国の土地を不法占拠して勝手にバラックを建てて住んでいる家の人達の事です。ストリートチルドレンやバジャウなどとも一線を画し、家のような形を持っている人達の最下層をスクオッタ−と呼ぶのだと私は解釈しています。他人の土地では無く、国の土地に住み着くのでそのほとんどが海岸沿いになるのだろうと思います。フィリピンでは海岸線の水際から5メートルだか6メートルが全部国の土地だそうですから、そこの隙き間に住み着くのだと思います。
    少し前はティナゴがドゥマゲッティーの危険地帯と言われていたようで、麻薬の取り引きや違法賭博、売春婦の巣窟でした。現在2期目の現市長が当選した時に、ティナゴ・バイバイの悪種(あくだね)の一掃を計って以来、その場所はロオックに移ったそうです。ちなみにバイバイと言うのはビーチの事です。しかし、ティナゴ・バイバイは今でも横綱のロオックに対して関脇位の位置には有るのですが。
    ロオックでは昨年、警官とシャブの密売人が銃撃戦をして、売人が数人殺される等の事件があり、その後取締と警戒が厳しく、表立って事件は起きていません。
    ドゥマゲッティー名物のトシーノプラザ(バーベキュー屋台が連なる所)が全盛だった昨年までは、夜11時頃になると売春目的の女性と、それを目当ての男性で賑わっていました。しかし、銃撃戦の後は危険地帯と目されて一般の市民が遠ざかった事と、売春に対しても取締が強化され、女性が集まらなくなってからはロオックも静かになりました。トシーノプラザは今でも警察の巡回が有り、夜遅くに頻繁に出入りしていると、シャブに関係が有るのかと疑われてしまいます。短期の旅行者ではそんな事は無いと思いますが、私が時々トシーノを食べに行っているのを知っている友人の警官は、他で食べろよ、と言って来ます。
    私は興味の有る所には何処へでも入って行ってしまうのでロオックの中心部にも時々入って行きます。先にも述べましたが、突然日本人が知らずに入って行っても、追い剥ぎに会うとか、危ない目に会う事は多分無いと思います。でも、そこの雰囲気は道路側から眺めただけで、十分に危険な、特別な雰囲気が感じられるので普通の旅行者が間違って入り込む事はあり得ないでしょう。
    私は昭和40年代の一時期、仙台駅の裏側、空襲で焼けなかった古い街並みが残る所に住んでいました。そこは駅裏と呼ばれ、あまり良い環境の場所では無かったようです。ロオック程酷くは有りませんでしたが、トタン屋根のバラックが残る家並の雰囲気は良く似ていました。子供だった私には危ない人達も関係なく、普通に路地裏で遊んでいました。私は、ロオックに入り込むと子供の頃の記憶が瞬間で蘇ります。そこにたむろする人達の目には、国の違いを超えて、似たような危ない濁りを感じてしまいます。
    ロオックは道路と海岸に挟まれた50メートルくらいの幅で、横に5〜600メートルも有るでしょうか。薄暗い路地がつながる中は迷路になっています。無秩序に隙き間隙間に立てられた小さなバラックの家の軒先きがぶつかり合いながら、その軒の下が通路になって迷路を形成しています。面の道路に沿っても家がびっしり建っているので、ロオックの中への入り口もそれらの家の軒の隙き間からになります。バイク1台がやっと入れる通路ですが、大抵は中にちょっとした広場が有って、そこからはバイクも通れません。
    その広場にはどこのバランガイや道路脇にも有る、竹で出来た椅子とテーブルのような台が有り、昼間から夜遅くまで人がたむろしています。そこは簡易博打場で、升目に数字を書いては金をかけるゲームに興じています。しかし、不思議な事に博打は淡々と行なわれ、勝っても負けても嬌声も落胆の溜息も聞こえません。皆、無言なのがとても無気味です。
    25センタボのコインを3枚投げて裏表の組み合わせで勝負を決める博打も路地の隅で見掛けます。これの掛け金はたった1ペソですがここでも無言の真剣勝負が行なわれています。
    最近はロオックでも機械仕掛けの博打が流行っていて、20年〜30年前に日本で流行していた電気仕掛けのスロットマシンのようなものや、コンピーュータ−と呼ばれているけれども単なる機械仕掛けの丁半博打の機械が軒下の囲いの中に置かれています。これに1ペソコインを数枚入れて掛けるのですがここでも声はほとんど聞かれません。私が見ていた限りでは勝っている人は居ず、どうしてこんな単純な分かりやすい機械に、なけ無しの金を吸い取られてしまうのだろうと不思議でなりませんでした。
    ロオックの迷路の路地を歩いて行くと数軒のサリサリストアーが有ります。小さなサリサリですが生活の必需品は一通り有ります。冷えたビールも買う事が出来ます。私は1軒のサリサリでビールを買いました。ここで商売をしていると言う事はスクオッタ−なのだろうと思うのですが、店の人の目つきはロオックの他の住人の雰囲気とは違い、普通の目をしているのが私には驚きでした。30代の女性でしたが、愛想が良く、表通りのサリサリの店主と違いが有りませんでした。こんな場所でも某かの財を持っている人の顔は違うものなのかなと思わされました。
    このサリサリから少し行くともう海岸に出てしまいます。じめじめして薄暗い迷路の路地から突然太陽の光の中に飛び出すと目が眩みます。海岸に出て後ろを振返ってみると路地の入り口が洞穴のように黒く浮かんで見えました。海岸もほとんど水際までバラックが建ち並び、満潮時には歩ける場所が幅1メートルも無いと思える密集状態です。この水際はごみと汚物で汚く、微かに異臭も感じます。この海岸にうす暗い早朝に来ると、水に入って身体を洗う人、水中で用便をする人の影が見えます。
    ロオックのバラックでは数軒に一つ程度で水道が見られます。多少収入の有る家が水道を曳いているのだと思いますが、違法の住居の集合体でも電気や水道が引かれていると言うのが私には理解出来ない事です。が、しかし、これがフィリピンなのでしょう。電気は、正規にメーターを通して引かれていて、以前のように盗電している家は無くなったようです。電気を引けない家も多く、夜は手製の石油ランプで灯りを取っている家が多く見られます。
    ここに住む人の多くは定職が有りません。何をやって生計を立てているのか、昼間からたむろしている不思議な人達ばかりです。もっとも昼間からぶらぶらしている人が多いのはロオックに限った事では無く、フィリピン中の当たり前の風景なのですが。
    私の知り合いは大工だと言っていますが仕事は少ないようでいつも家に居て、闘鶏の世話をして1日を終わります。時折鶏の小屋を作ったりしている所を見ると、大工だと言うのは嘘では無さそうで、シロウトには出来ないしっかりしたものを作っています。フィリピンでは大工はとても多くて、仕事は少ないのだそうです。
    大工の彼の家は水道も電気も有ります。トイレと呼んで良いのかと言う代物ですが、それも有ります。ロオックの中では裕福な方なのでしょう。その彼の家でも壁は竹で編んだアマカンで屋根はトタンです。家の建築材料のほとんどは竹で、拾い集めて来たような不揃いの材木で柱や梁が組まれています。一応二階建てになっています。二階のトタンの屋根は日中は焼けて熱く、吹き抜けの隙き間だらけの家でもそこにいる事は出来ません。二階の壁の一部は段ボールで、床は竹です。窓はただの四角い穴で、扉は有りません。薄いカーテンが扉の役目をしていますが、この部屋には盗られる物は何も無く鍵の掛るドアは無用とも言えます。
    私はこの二階に時々泊めてもらっています。普段は彼の嫁さんの妹が寝泊まりしているのですが私が泊る時には空けてくれます。私はここの竹の床にゴザを敷いて、アポ島で買って来たパレオのような布切れを一枚掛けて寝ます。電気扇風機は必需品で暑さ対策と言うよりも蚊を寄せつけない為に一晩中廻し続けて寝ます。ほとんど吹き抜けの、屋根しか無いような家では蚊取り線香等たいても全く無意味なのです。
    ここの家の前は路地の中の集会場のようになっていて夜昼無く人がたむろしています。狭い路地に板っぴら一枚を置いてタバコとトゥバ(ヤシ酒)を売っている人が居て、時にはレッドホースの大ビンとコップを置いて立ち飲みをさせている事が有ります。夜には豆電球のような街灯がポツンと灯るので余計に人が集まって来ます。
    この大工の友人は夜の間中小さな懐中電灯を持って外にいる事が有ります。私が表通りから路地に入って行くと彼が懐中電灯を点滅させる事に気がつきました。何度出入りしても同じ事を繰り返すので不思議に思っていました。ある日、彼が不在だった時に、同じ懐中電灯を点滅させた人が居ました。この時やっと私は、これは外部から人が入ったと言う合図だと言う事に気がつきました。
    ロオックはドゥマゲッティーのシャブ密売のメッカです。路地を歩いていると密かに小さなビニール袋をやり取りしているのを見かける事が有ります。部外者の私がたまに出かけて行っても簡単に目にする事が出来るのですからシャブのやり取りは日常茶飯事なのでしよう。
    そんなロオックで外部からの侵入者に警戒しない訳が無く、その連絡手段が懐中電灯だったのです。これに気が着いてから、入り口で懐中電灯が光ると路地の奥の曲がり角にも同じ役目の人が居て、また奥の人にも知らせる仕組みになっている事にも気がつきました。
    ちなみにロオックのシャブは偽物も多く、日本と同じようにMDMAなどの新手の薬も流通しているようでした。これらの薬の買い手は一般の市民では無く、ここロオック内部の人が多いと聞いています。
    ロオックではフィリピンの貧困が生み出す問題の全てが見られます。マニラのトンドが余りにも有名ですが、ドゥマゲッティーに限らず、フィリピンではどんな街でもこの縮図を見る事が出来ます。
    治安が良くて、外人旅行者が安心して酔っぱらって歩けて、誰もがフレンドリーなドゥマゲッティーで、私のような不良外人が若いフィリピーナを拾って「一時の恋ごっこ」に耽っては去って行きます。その相手の彼女達の多くはロオックやティナゴ・バイバイ辺りに暮らす娘達です。
    ロオックにもティナゴにも子供も赤ん坊も沢山います。この子らがここで育って表の通りを歩けるようになるのは絶望的に低い確率だと思います。でも、屈託の無い笑顔は、直ぐ近くのシリマン大学の付属のベ−ビーズスクールに通う子供と何も変わらないのです、が。

    ではまた。

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