南風のたよりNo61


    ドゥマゲッティーから・・・小さな話題その11


       スイカ 

     私はスイカが大好きなのです。
    マンゴーが美味い?パパイヤが美味い?マンゴスティン?ランソーニス?と、美味い果物はいくらでも有りますが、私はスイカが一番好きです。2番目はバナナです。
    好きな理由はたぶん、ドゥマゲッティーで売っている果物の中で一番馴染みが深いのがスイカだからでは無いかと思っています。そして、それを証明するように2番目がバナナです。
    日本にいても夏は断然スイカなのです。夏と言えばスイカ、スイカと言えば夏、という風に、暑い時にはスイカを喰うものであると刷り込みが出来上がっているのかも知れません。
     ドゥマゲッティーではスイカはスイカ屋で買います。果物屋ではありません。チャンゲ(市場)のフルーツコーナーではスイカは売っていないので買えません。果物屋でも少しばかりスイカを置いているところが無くはないのですが、ここでスイカを買うのはシロウトです。玄人はスイカはスイカ屋で買うものです。逆にスイカ屋に僅かばかり置いてあるマンゴーを買うのは、マンゴーのシロウトです。玄人はマンゴーはマンゴー屋で買うものです・・・疑っていますか?
    写真を見て頂くと、スイカの中に真っ黒いのが数個見られます。ほんの2〜3年前まではスイカと言えば真っ黒い、縞の無いスイカだったのです。大きさは人間の男性の頭位のものでした。中身は縞のスイカも同じで、味も一緒なのですが、表面は真っ黒・・・と、言うよりも、相当に濃い緑色でしたが、最近では日本と同じ、縞模様のスイカが勢力を伸ばしています。

     

    スイカ屋の店

    1キログラム15ペソ、一玉6キロくらい

     バイクツーリング

     在る日の事、バヤワンにドライブに行く準備をしたのだが事情があって流れた。私は一日空いたと思って喜んだが、皆がしょんぼりしているように見えた。お祭り好きの彼らが久しぶりのドライブをどれ程楽しみにしていたかは準備の段階で分っていた。
    軽トラのAUX端子に外部スピーカーを繋ぎ、軽トラの荷台にはコンポのスピーカーを積んでいた。ジェフリーは持って行くCDの選曲に余念が無く、ブチョックはアイスボックスの準備を早々と終えていた。
    時計を見ると未だ9時だつた。ジェフリーにバイクのツーリングに行かないかと誘うと二つ返事だった。あっという間に軽トラを片付けてバイクの準備をした。ディパックに水のボトルを数本入れ、長そでの上着とタオルを入れて準備完了。行く先は私がマビナイの温泉に決めた。ドゥマゲッティーから約80キロ。2時間弱の行程だった。私の目論見では、マビナイでお昼御飯を食べて、あわよくば温泉に入って帰って来るつもりだった。
    ジェフリーのスズキの2ストロークオフロードバイク以外は全部ホンダの100cc、スーパーカブタイプである。そうそう遠出は無理だろうと言うと、ブチョックは何度もこれでバコロドまで行っていると言う。しかも、軽トラより全然早いと言う。なんならバコロドまで行くか?と聞いて来るが、最年長のダダが「ガァーポイ・カァーヨ」を連発する。とてもじゃ無いが疲れてダメだとダダが言うので、取りあえずマビナイの温泉まで行ってみる事にした。
    ドゥマゲッティーで全員のバイクを満タンにした。4台のバイクで10リットル。290ペソだった。
    バイスまではいつもの国道をひた走る。私以外は全員Gパンに長そでTシャツ。ブチョックとジェフリーは毛糸の目出し帽までかぶっている。確かに大型の排気の中の粒子や巻き上げる小石で顔が痛い事もあったが、照りつける太陽の割には暑く無く、私には快適なツーリングだった。サングラスは必需品で、頭に捲くバンダナも欠かせなかった。
    バイスでネグロス国道1号を左折してマビナイへ向うと道は急な上り坂になる。交通量は少ないがブラインドカーブはサトウキビを積んだ大型が突っ込んで来るので要注意だった。時々誰かが狂ったようにスピードを上げ先行車を追い越す。あのダダでさえ時折バトルに加わるのだから、フィリピン人のバイク好きはただ者では無い。そう言う私もダダと3つしか違わないのだが、私は筋金入りのバイク乗りだったから、仕方が無いのだ。
    マビナイまで80キロと言っていたが食堂のパーキングに入ったところで90キロを超えていた。ドゥマゲッティーのスタンドからぴったり2時間、11時半だ。昼飯時にはちょうど良い。ここで昼飯にした。冷たいコークが喉にしみて美味かった。自分で思っているよりも発汗していたのかも知れない。一度水気を口にしたら、急に喉が乾いて来て、飲んでも飲んでも満たされなかった。

    峠の飯屋を後にするブチョック

    奥の白シャツがシェフリー

    ガソリンスタンドで

    独り半袖の日本おやじ

    ここは峠の食堂で、日本で行けば長距離相手のドライブインと言う所だつた。バコロドから来る車、ドゥマゲッティーから来る車、昼時になると皆ここへ入るので繁昌していた。たいした食べ物がある訳でも無いのだが、何故か流行る。
    私らが食事を終えて出発しようとしていると、4ストの野太いエクゾ−ストが聞こえて来た。音の主は大型バイクのツーリング集団で、大は1200のツーリングバイク、小と言えども750の集団で、総勢10台位の一団はバコロド方面へ向う様子だった。フィリピンでも大型バイク、特にハ−レーはアメリカの白バイの真似をしたがるようで見ていて可笑しかった。
    私らは突然現れた大型バイクに囲まれて、なんだか意気が下がったが、見ていてもしょうがないので出発した。
    温泉を探すはずだった。しかし、私がバヤワン行の交差点の看板を見つけてしまって、そこの角でたむろしていたフィリピン人に距離を聞いたのが地獄への一歩だった。彼らはおよそ70キロメートルと答えた。私の頭の計算では1時間と30分と出ていた。
    もともと温泉に興味の無いジェフリー等は直ぐにバヤワン行を承知した。ジェフリーはこの道は初めてだと言い、ダダもブチョックも初めてだった。
    マビナイを出て10分もしないうちに道は砂利道になった。始めはたんなる砂利道だツたのだが、やがてそれはラフロードになり、そしてオフロードになった。
    そんな道だから走る車もほとんど無く、時折山のバイクタクシー「ハバルハバル」が人と荷物を満載して駆け抜けて行く。
    私の、スークータ−に毛の生えたようなバイクのサスペンションはストロークが短く、穴に入る度にガッツンと打っていた。硬い事は良いのだが、如何せんストロークの無さは致命的で、ちょっと本気で飛ばすとぶち壊れそうな感じだった。こんな時古いとは言えジェフリーのバイク流石にオフロードタイプ。楽しそうにケツを振って走り抜ける。私は後塵を吸い込むのは嫌なのでむきになって抜き返す。しかしスクーターはニ−グリップが出来ないので押さえが効かず恐ろしい。ときどき穴にタイヤを取られてこけそうになり、足で地面を蹴っ飛ばして立て直して走って行った。

    気持ち良い砂利道

    ここはほんの序の口です

    木陰で休憩

    水が欲しくてたまりません

    私とジェフリーは抜きつ抜かれつしながら面白がって飛ばして走る。初めのうちはブチョックも加わっていたのだが、どうしても遅れるダダを待つようになってブチョックは見えなくなった。ダダはバイクも人間も一番のオールドモデルだつた。
    私とジェフリーは時々程良い木陰を見つけてはバイクを停めてダダを待った。
    ジェフリーは美味そうにたばこをふかし、私はぬるくなった水を飲んで辺りの景色に見とれる。砂利道の風景が子供の頃のそれにそっくりなのだ。
    砂利道、ラフロード、オフロードを走る事3時間、わずか70キロの距離に3時間近くかかって、やっとバヤワンに到着したのは3時頃だった。
    パン屋に入り、コーラとパンで腹ごしらえをして、本日3度目の給油をしてドゥマゲッティーへ向った。ドゥマゲッティーまでは90キロ、2時間弱だった。

    田舎道を歩く人

    遠い記憶の中の風景とそっくりでした



    ではまた。

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