南風のたよりNo59


    南の島の話し・・・小さな話題その9


       歴史から見るフィリピン人気質・・・(由緒正しい貧乏なフィリピンの)

     フィリピン人気質だなんて、そんな偉そうな事を言える立場で無い事は百も承知、二百も合点なのですが、どう言うわけか、私の周りのフィリピン人はとても消極的だと言う事から、この事について、いい加減な考察を一つぶち上げてみたいと思います・・・歴史も現実も全て私の知る限りのネタで書く、ほとんどインチキである事を念頭に置き、間違いが有っても笑って見逃してやって下さい・・・。

     フィリピンの歴史で、服従の道を歩まなかったのは僅かに、ミンダナオで未だに独立を目指して戦っている勢力の先祖だけだったと、私の浅い知識では理解しています。これ以外の部族はスペインの命を受けてやって来たメキシコ人に服従させられて行くのです・・・余談ですが、何故フィリピン各地にスペインの地名とメキシコの地名が入り交じって存在するのかの謎はここです・・・と、言ってもどっちもスペイン語で区別のしようもないかも。
    この時の最大の武器が宗教でした。実際の戦いよりもこの宗教による服従が功を奏したようです。イスラム教が強く、キリスト教による支配ができなかったミンダナオは未だに戦っています。昔からミンダナオの部族は、ルソンを中心とする地域よりもマレーシアとのつながりの方が遥かに強く、今のマレーシアのサバ州辺りの部族との交流が深かったのです。部族間の戦いもルソンなどは眼中に無く、主にマレーシアや遠く今のインドネシアの部族との戦いが主でした。この頃からミンダナオには、海賊で鍛えた、戦いの好きな部族がいました。・・・と、言う事で、ミンダナオは本来フィリピンに入るべきでは無いのかも知れません・・・脱線。
    そもそもフィリピン辺りの地域は、大航海時代以降の貿易の航路から外れていた為、西洋との接触が遅れた地域であったと考えられます。この頃、ルソンを中心とする平野部には大きな部族が有ったのですが、それ以外では少数の、部族とも言えない単位の集まりが散在していたと考えられます。部族の数だけ言葉が有ったと言われる事から、互いに独立した存在の、小さな集団で有った事が伺われます。地理的にも7000以上もの島からなる地域ですから当然の事だったと思われます。
    フィリピンは南太平洋の小さな島々と違って、雨に恵まれた豊かな地域で、水が有ります。そして、豊かな海に囲まれ、食べるのに苦労する事の無い生活が続いていたはずです。その事から、好戦的な部族が生まれる事は無かったと想像できます。スペインが今のマニラ近辺に最初の足場を築いたのも、水と、背後の平野からの作物が豊富だったからだと言われています。そして、ほとんど戦う事無くこの地を征服したと言われています。その後は、キリスト教の、宗教を隠れみのにした土地の搾取と、大地主と小作人の歴史が築かれていく訳です。
    さて、相当強引にかいつまんでフィリピンの歴史を書きましたが、これで言える事は、ミンダナオ地方のイスラム教勢力のしぶとさに引き換え、キリスト教(簡単に表現する為に便宜上こう言わせてもらいます)に宗旨変えされられた、今のフィリピン人の祖先のねばりの無さが伺えると思うのです。
    ねばりの無さ、と言うよりも、喰うに困らない生活で戦う必要も無かった彼らは、まったく純真だったのだろうと思うのです。純真を裏付けるものとして、信じたキリスト教の教会に簡単に土地を巻き上げられて行き、その後、今に続く貧しい暮らしの構造が出来上がるのです。その結果、約500年たった今でもまだ、騙され続けている事に気が付いていない訳です。・・・(その手の宗教を攻撃、叉は誹謗するために書いている訳では有りませんので悪しからず)
    争う必要も無く平和に暮らしていたのに、気がついたら征服され、搾取され、戦う術も無く従って来た歴史の中で育ったのは「諦め」の感覚だと思います。
    支配された立場で、諦めず、積極的に出ると言う事は戦いを挑むと言う事に他なら無い訳です。争いが苦手ゆえに簡単に征服されてしまったのですからこの感覚は生まれ難い訳です。これが由緒正しい貧乏人のフィリピン人の遺伝子なのです。
    ドゥマゲッティーの高校、大学の学生は、一見エネルギッシュで、日本の学生よりも遥かにパワフルです。将来の夢や希望を問えば明確なビジョンで答えてくれます。しかしそれは学校を卒業するまでの話で、卒業すれば彼らは、現実の前で口を閉ざし「諦め」の心境に入って行くのです。
    現実には、希望するような職につける可能性は限り無くゼロに近く、殆どの人は「諦め」るどころか、そんな夢が有った事さえ忘れ去るのです。
    ドゥマゲッティーでは沢山の大卒者が職も無く溢れています。あの有名なシリマン大学を主席で卒業しても、コネも金も無い人は、精々薄給の公務員(フィリピンの公務員の給料は安い)くらいしか職が無いのですから、「諦め」ざるを得ないのでしょう。
    相当に我慢強く、よほどの事が無い限り怒りを顕わす事も無い穏やかな性質を持ち、仮に喧嘩をしても永く根に持つ事は無く、少し時間を置けば何ごとも無かったように元に戻ってしまう、類い稀な友好的な性質を持つフィリピン人。しかし、その気質ゆえに略奪と蹂躙の歴史から未だに脱却できずにいるフィリピン・・・私はフィリピン人を愛します・・・・ああ、偉そうに言ってしまった・・・ああ、おしょすい。

     注 おしょすい・・・宮城県、特に仙台近辺で使う方言で意味は「恥ずかしい」

     

    ベルタワーの夜景

         ドゥマゲッティーの市内中心部にあるベルタワーの夜景です       。
         このタワーはドゥマゲッティーを支配したキリスト教勢力が建てたものです。
         ミンダナオからムスリムの勢力が攻めて来た時に鐘を鳴らした鐘楼と言う事に
         なっています。                            
         ベルタワーがライトアップされて奇麗に飾れたのは昨年の事です。     
         隣にはやはり昨年改修した立派な教会があり、日曜日は賑わっています。  
         今ではドゥマゲッティーの名所として沢山の人がローソクを捧げに訪れます。
         ここでお祈りをしたら貧乏から抜けだせると良いのですが・・・・・・。  
         

     

      ではまた。

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