南風のたよりNo58


    南の島の話し・・・小さな話題その8


       子供たち
       

    子供達の写真

     今日到着のお客さんを迎えにセブに行くので、タンピで船を待っていた。 今年は二月中場以降雨が少ない。いつもの年よりも早く夏がきた感じがする。いやいや、昨年や一昨年の天候が不順だったのであってこれが本来のはずだ。高い山に入道雲がかかる他は雲も無く、日射しは暑い。しかし、一旦木陰に入れば風があり涼しいのがこの季節で、夏本番からはまだ遠い。
    真っ青な海をぼんやり眺めていた。船着き場の岸壁では子供が集まって遊んでいる。嬌声が時折り響き、水に飛び込む音も聞こえる。昔の日本の夏と少しも変わらない子供達の姿が有った。
    子供らは有り合わせのビニール袋や自分のTシャツで小魚をすくって空き缶やバケツに集めていた。覗いて見ると変な格好の魚が沢山入っていた。今の時期にだけ捕れるトビウオの稚魚だと教えてくれた。
    集めてどうするのか尋ねてみた。種類がいくつか有って、珍しくて美しいものを捕れば偉いのだと言う。私が子供の頃のクワガタ集めと同じだった。
    2月25日金曜日の午後1時50分、学校は午後の授業が始まっているはずなのだが・・・。

    トビウオの稚魚

     

     BEN・・・との闘い

     私は良く「ベン」と闘う。ほんとうに長い年月闘っている。姓をゲリー、名をベンと言う・・・漢字で書くと「下痢・便」である。
    2月26日、スーパキャットもオーシャンジェットも運休しているので選択肢は陸路以外には無かった。セレスであれブィハイヤーであれ、およそ3時間車に揺られて行かなければならない。
     例えばいつも通りにスーパーキャットで行くならば、切符を買った後はすぐターミナルの二階に上がって朝食を食べる。ネスカフェとガーリックライスとコンビーフと片目の目玉焼きのセットで65ペソの朝食を食べるのが決まりの予定で、これを食べ終わってしばらくのんびりしていると「ベン」がやって来て私のトイレタイムとなる。スーパーキャットターミナルのトイレは奇麗で安心して座っていられるので嫌いでは無かった。
     この日私は一応ホテルで用足しをして来たものの、少し不安が有った。スーパーキャットならば緊急事態にも対処できるトイレが有るが、セレスにはそれが無い。時折「イヒ−」と小声で言ってバスを停めてもらい立ち小便をする客はいるが「カリバン」・・・大をした人は見た事が無かった。
    何か食べて、しかも少し時間を置かないといけないデリケートな体質の私だが、今朝はまだ何も食べていなかった。お客様が食べなくて良いと言うので私だけが食べてから行きますとも言えず、この事態となっていた。私の不安は走っている途中に「ベン」からお誘いがあったらどうするか、なのだ。
     結果を先に書けば「ベン」は、やはりやって来た。その誘いはなかなかに強引で、時に私はバスを停めてもらおうかと思う事も有った。しかし私も伊達に長い付き合いをしている訳では無い。その切迫度は結構的確に判断できる。私は腕時計を睨みながらバトヘの到着時間を勘定していた。
     バスがバトへ到着するや否や私は2ペソを握りしめて、勝手知ったる食堂のトイレに駆け込んだ。  

      靴屋の町

     セブとバトの間をセレスに乗っているととんでもなく変な町が在るのに気が着いた。靴屋の町なのである。町の名前は分からないが、どちらから行っても丁度中間辺りか、ちょっとバト寄りの所だ。人口は少なそうで、町と言うよりも日本風なら村と言っても差し支えない。セブランなどよりももっと小さい町だが、靴の小売屋がやたらに多い。勿論私の事だから正確に数えた訳では無いが、人口1〜2000人も有るかどうかと言う町の国道沿いに10軒以上もの靴屋が有るように見える。
     この事に気が着いたのはもう三年以上も前の事だった。しかしその頃はまだ、どうして靴屋が並んでいるんだろうと言う程度で、町中靴屋だらけとも言える程では無かった。その後何がどう言う訳でこうなったのか皆目見当もつかないが、道路の両側に靴屋が建ち並ぶようになったのである。
     昨年の9月か10月頃だったか、この町の広場に巨大な靴の模型が飾られて、横断幕には「靴屋の町のフェスタ」と書かれているのを見た。町自体が靴屋の町を標榜しているのだが、この町が靴の生産地なわけでは無い・・・と思う。製靴工場らしきものは小規模なものも見当たらない。
     眺めた限りでは、中国からの輸入ものを販売していると思うのだが、何ゆえこの町でこれほど大量に売られているのか、謎である。よっぽど暇な時に途中下車して謎解きをしてみたいと思っているのだが、私の感では住民に聞いても正解は得られないと思う。それがフィリピンである。

       ドゥマゲッティー〜ラ・レイナの連絡船

    ラ・レイナの風景

     リロアンとドゥマゲッティーの間に新しい航路の連絡船が出来たと昨年書いたが、やっとこれに乗れた。セブ島側の地名は「ラ・レイナ」と言うらしい。リロアンのパムボートの桟橋まで歩いて2〜3分程度の距離でも地名は違うようだ。しかし、ラ・レイナと言う地名はフィリピンにいくつ有るのだろうか。とにかく、そこいら中に在る。
     この船とセレスバスの接続は当初言われた程の本数も無く、間が悪い時には待ち時間が2時間以上になる事も有って、なかなか利用でき無かった。しかしセブのサウスターミナルを7時のバスに乗ればベストのタイミングで接続すると言う事を聞き、試してみた。
     7時のセレスと聞いていたがバスが発車したのは7時15分頃だった。ラ・レイナに到着したのが10時15分。船の出港が10時30分。船の切符を買って「カリバン」を済ませたところで出港の汽笛がなった。
     ここのターミナルは今、建設が続行中で今後だんだん充実して来るのだと思う。船着き場の前にセレスの駐車場も整備されたので将来的にはここがキーステーションになるのかも知れない。もう日除けの簡単な屋根と50人分程度の椅子と、奇麗な水洗トイレは出来上がっている。
     ダイビングの時に遠目にこの船を見ていた時には船足が早いと思っていたが、実際には大した事は無く、ドゥマゲッティーまで35分掛かっていた。船の定員は日本風なら60〜70人程度だが、フィリピン流だと120人は乗れそうだ。料金は55ペソと競合の他の船より10〜20ペソ高い事になるが、直接ドゥマゲッティーの街に入れる事を考えれば、かえって割安かも知れない。
     この船も当然のように日本の中古船だった。私の座った座席の脇にオレンジ色の救命胴衣があったが、それには「第18天神丸」と書かれていた。
     出航して大分時間が経過してから改札が回って来た。切符を確認して、隅っこを小さくちぎって行った。タンピ〜バトの連絡船は乗船の時に切符を渡す。リロアン〜セブランのパムボートでは切符にもぎりの点線が入っていて出港と同時に半券を回収する。三者三様のシステムの上に何の説明も無いのだから、現地の人でさえ戸惑うばかりだ。
     船内は性能の悪いエアコンが動いているらしく、閉め切っていれば蒸し風呂状態になるはずが、それ程暑くは無かった。しかし誰かが余計な事をして正面のハッチを開けたものだから暑い外気が入り込んで来た。船は追い風になっていた。通り過ぎる風のスピードの方が速く、開けたハッチから涼しい海風は入って来なかった。お陰で船内は余計に暑くなっただけだった。

    ラ・レイナの桟橋

      ではまた。

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