子供たち
BEN・・・との闘い
私は良く「ベン」と闘う。ほんとうに長い年月闘っている。姓をゲリー、名をベンと言う・・・漢字で書くと「下痢・便」である。
2月26日、スーパキャットもオーシャンジェットも運休しているので選択肢は陸路以外には無かった。セレスであれブィハイヤーであれ、およそ3時間車に揺られて行かなければならない。
例えばいつも通りにスーパーキャットで行くならば、切符を買った後はすぐターミナルの二階に上がって朝食を食べる。ネスカフェとガーリックライスとコンビーフと片目の目玉焼きのセットで65ペソの朝食を食べるのが決まりの予定で、これを食べ終わってしばらくのんびりしていると「ベン」がやって来て私のトイレタイムとなる。スーパーキャットターミナルのトイレは奇麗で安心して座っていられるので嫌いでは無かった。
この日私は一応ホテルで用足しをして来たものの、少し不安が有った。スーパーキャットならば緊急事態にも対処できるトイレが有るが、セレスにはそれが無い。時折「イヒ−」と小声で言ってバスを停めてもらい立ち小便をする客はいるが「カリバン」・・・大をした人は見た事が無かった。
何か食べて、しかも少し時間を置かないといけないデリケートな体質の私だが、今朝はまだ何も食べていなかった。お客様が食べなくて良いと言うので私だけが食べてから行きますとも言えず、この事態となっていた。私の不安は走っている途中に「ベン」からお誘いがあったらどうするか、なのだ。
結果を先に書けば「ベン」は、やはりやって来た。その誘いはなかなかに強引で、時に私はバスを停めてもらおうかと思う事も有った。しかし私も伊達に長い付き合いをしている訳では無い。その切迫度は結構的確に判断できる。私は腕時計を睨みながらバトヘの到着時間を勘定していた。
バスがバトへ到着するや否や私は2ペソを握りしめて、勝手知ったる食堂のトイレに駆け込んだ。
靴屋の町
セブとバトの間をセレスに乗っているととんでもなく変な町が在るのに気が着いた。靴屋の町なのである。町の名前は分からないが、どちらから行っても丁度中間辺りか、ちょっとバト寄りの所だ。人口は少なそうで、町と言うよりも日本風なら村と言っても差し支えない。セブランなどよりももっと小さい町だが、靴の小売屋がやたらに多い。勿論私の事だから正確に数えた訳では無いが、人口1〜2000人も有るかどうかと言う町の国道沿いに10軒以上もの靴屋が有るように見える。
この事に気が着いたのはもう三年以上も前の事だった。しかしその頃はまだ、どうして靴屋が並んでいるんだろうと言う程度で、町中靴屋だらけとも言える程では無かった。その後何がどう言う訳でこうなったのか皆目見当もつかないが、道路の両側に靴屋が建ち並ぶようになったのである。
昨年の9月か10月頃だったか、この町の広場に巨大な靴の模型が飾られて、横断幕には「靴屋の町のフェスタ」と書かれているのを見た。町自体が靴屋の町を標榜しているのだが、この町が靴の生産地なわけでは無い・・・と思う。製靴工場らしきものは小規模なものも見当たらない。
眺めた限りでは、中国からの輸入ものを販売していると思うのだが、何ゆえこの町でこれほど大量に売られているのか、謎である。よっぽど暇な時に途中下車して謎解きをしてみたいと思っているのだが、私の感では住民に聞いても正解は得られないと思う。それがフィリピンである。
ドゥマゲッティー〜ラ・レイナの連絡船
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