南風のたよりNo57


    南の島の話し・・・小さな話題その7


       生活の変化
       

    アイロン

     アイロンの写真です。中に炭火を入れて使います。日本でも戦後間もなくはまだ使われていたそうですが、私は日本でこのタイプを見た事はありません。
    この写真は昨年の秋頃にハイパーリーで撮ったものですが、今はもうほんの僅かしか売っていません。その代わりに電気アイロンが沢山並ぶようになりました。
    他に電化製品で勢力を伸ばしている物に電気炊飯器があります。これも近年急速に売り場面積が拡大され、売れ行きも伸びているようです。
    電化製品の普及が進む理由は電力事情の改善に尽きると思います。相当な山奥まで電気は送られるようになりました。そして、都市部では、頻繁に起こる停電が問題だったのですが、これも大分改善され、大雨や台風の時を除けば停電の回数も減りました。それでも土曜日には決まって停電していますが。
    フィリピンの米を電気釜で炊くのはけっこう難しくて、日本の米よりも沢山の水を必要とします。私は水加減が適当なので上手に炊けません。
    電器屋で良く見かける様になった物で、洗濯機も普及が進んでいる電化製品です。しかし日本の洗濯機のように全自動で、脱水どころか乾燥までなどと言う物では無く、主流は2槽式で脱水機が付いている物です。私が小学校に上がる前に家に有った、ローラー式の絞り機の付いた一槽式も売られています。洗濯機の有る家でも、一度洗濯機で洗ってから洗濯物をたらいに移し、襟首や汚れのひどい部分をもう一度手洗いします。生地が傷むと言って、洗濯機は基本的には好きでは無いようです。

     おいしい・・・?

     「おいしい」と言うのは、フィリピン製「カッパエビセン」のような物であります。味も姿形もほとんど全く、そのまんまカッパエビセンでありまして、美味しいのです。
    パッケージもどことなく本家カッパエビセンに似ている上に、ひらがなで「おいしい」と書いてあるので日本人なら嫌でも目に入ってしまう代物です。フィリピン人の多くは「おいしい」の文字が日本語である事とその意味も知っていて、オイシイとたどたどしく片言の日本語を言ってみたりします。日本のカッパエビセンにも有る小さな袋で5ペソ、10円だったと思います。
    私はそれに些細な味の違いを感じます。微妙に酢の匂いがするような気がしますが、ダイビングの後のビールのつまみに食べてもらって、ほとんど誰も気がつく事も無いようであります。私は半ば懐かしさと、食べなれた味を求めて良く買うのですが、様々なジャンフードが安く売られているフィリピンで、現地の人はこれが一番美味しいと言う訳では無いようです。
     

      ビールにはスルメ

     時々私の友人がドゥマゲッティーに遊びに来ますが、そんな時には自分達の酒のつまみと、フィリピン人スタッフへの土産に、スルメやサキイカを持って来て貰います。 凡そ口に入るものなら何でも喰うと言われる中国人に全く劣らず、フィリピン人も何でも喰います。ですからサキイカだろうとスルメだろうとタコ薫だろうと何でも喰います。そして、イカ類は大好きです。以前ブチョックの虫歯の事を書きましたが、しかし、殆どのフィリピン人の歯は丈夫で、ゲソの堅い物でもいつまでも噛んでいる事無く、いとも簡単に噛み切って食べてしまいます。スルメの類いをつまみに、ゆっくりビールを飲もうなどと思っていると、あっという間にほとんどやられてしまいます。
     スルメ、サキイカと来れば、次はカキのタネだと思うのですが、フィリピン人はこれも大好きで、ピーナッツは除けてカキのタネだけを食べます。日本のピーナッツは堅くて美味しく無いと言って食べません。食べ方は、豪快に手の平に握ってガバッと口に放り込みます。この食べ方では1キロ位の袋がすぐに無くなります。

       山の人達は長生き

     なんと言う事も無い話なのですが、ネグロスオリエンタルの山に住んでいる人達は総じて長生きだそうです。理由は食べ物と水とのことですが、真偽の程はわかりません。しかし長生きなのは確かで、70才を超えても現役で畑仕事をしている婆さんを私も知っています。
    しかし一見生活環境は山の暮らしの方が過酷で、労働条件も街より随分きついと思うのですが、食べ物と水の違いだけでそれ程長生きするものなのでしょうか。
    私が何度か山の人の家を訪れた経験から推測すれば、その理由は生活のリズムとストレスの少ない暮らしではないかと思います。
    昨年、南風のたよりに山の暮らしの事を少し書きました。そこでは街の人が考える文化的な贅沢は望めませんが、食べて生きて行くと言う基本的な暮らしは保証されており、食べる事に関してはほとんど苦労する事が無い事を書きました。
    山の人達は、日の出とともに起き、畑仕事をで汗を流し、収穫した物を食べ、余分な収穫を売って得た金の内で買える物だけで済む暮らしを続けた。これが長生きの原因だったのでは無いかと思います。
    同じ山に住む人達でもミンダナオのバナナ農園で働く人などは恐ろしく短命だそうですが、その理由は長くなるので止めておきます。興味の有る方は鶴見良行の 「バナナと日本人」岩波書店を読んで見て下さい。

     シノログ(SINUROG)

    シノログの期間にセブの街中で宿を取るのは至難の技です。私はシノログの一ヶ月前に部屋探しをしたのですが既にいっぱいでした。
    どうにか見つけた薄汚い連込み宿も普段の2倍も吹っかけて来て、しかも前金だと言うからたまりません。この料金でお客さんをこの宿に案内したらきっと私が疑われると思ったのでその宿は止めました。
    私はタクシーを使って市内の心当たりの宿をくま無く回りましたが空きは見つかりませんでした。
    こうなったら料金云々は言っていられないと、予算を考えずに、とは言っても限度は通常の2倍までで探してみましたが、空きが有るのはマクタンの高級リゾートホテルで100ドル以上の部屋ばかりでした。
    しょうがないので自腹を切って赤字覚悟と当ったセブのウオーターフロントでさえもスタンダードは一杯で、高い部屋しか空いていませんでした。
    しかし、拾う神はやっぱり居るもので、まさかと思って聞いた有名ホテルでスタンダードの部屋が二つ見つかり、お客様の分はなんとか確保できて安心しました。
    私は当日の夜は定宿のホテルのロビーにでも寝転がっている予定でしたが、これも偶然にたった一部屋キャンセルが出た時にそのホテルのフロントに私が居たと言う巡り合わせの良さでベットを確保する事が出来ました。
     私はシノログの事は知っていましたが見た事は有りませんでしたのでこの機会に見ておこうと、コンパクトカメラを一台持って出かけてみました。市内のあちらこちらでローカルなダンスチームが踊っていると聞いていたのですが、どうせ行くならメイン会場へと、サントニーニョ教会へ出かけてみました。
    簡単に書けば、サントニーニョ(子供の頃のキリスト?間違いだったらご免なさい)の像を持って、チームが踊り、ダンスの出来を競い合うと言うもののようです。
    このメイン会場には、ビサヤ地方はもとより、遠くはマニラの大学も参加しており、ダンスチームは全国から集まっている様子でした。
    私の率直な感想は、同時期にカリボで行なわれるアティ・アティハンと言うダンスの方がローカル色が強くて面白いなと思いました。宗教行事の一環であると考えられるのですが、ダンスに順位がつき、御当地贔屓で大騒ぎする様は、単なるお祭りかとも思います。

    出番を待つ「女王様?」と一行

    会場入り口へ整列の一行

    お祭りに付き物の縁起物売りの子供

    ではまた。

    問い合わせ、質問のメールはこちらです ow807360@mars.dti.ne.jp


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