南風のたよりNo53


    南の島の話し・・・小さな話題その4


     日本人増えたなあ・・・!

     ドゥマゲッティーは日本人が増えています。短期の旅行者はセブやボホールに比べてとっても少ないと思うのですが、長期滞在や永住者は確実に増えていす。私のような行ったり来たリの居るんだかいないんだかと言う半端な存在も増えていて、特に夜の海岸通では良く日本人に会うようになりました。
     理由は沢山有ると思いますがダイビングの仕事で来ている若い人以外はほとんどがリタイアした人たちのようです。マニラやセブに比べてとんでもなく治安の良いドゥマゲッティーが脚光を浴びない訳が無かったのですが、その事を宣伝する人もいなかったので知られていなかったのだと思います。
     日本人のには一部のダイバーの間でだけ知られていたドゥマゲッティーも、インターネットの発達と普及で誰にでも知られるようになり、ドゥマゲッティーを知っている人からの発信ばかりで無く、知りたい側の質問に答えている人も居て情報は多いようです。
     今バーコンのちょっと先にこの界隈でも噂の豪邸を日本人が建てています。豪邸と言っても日本でなら建て売りの一件も買えない金額なのですが、この地では正真正銘の豪邸です。噂ではフィリピン人の奥さんをもらった日本人の家と言う事になっています・・・世間話の噂では、幻の日本人の、人相、風体、職業、氏名、年令、全部語られているのですが。
     この家の他にも似たような立派な家は数軒あるのですが、時が経つとそこに住んでいた日本人はやがて居なくなります。全部とは言いませんがそんな例が多いようです。
     つまらない噂話しをしてしまいました。失礼しました。

    ある娘

     弁当の材料を買いに行く市場で時々会う娘がいて、最近、体調が悪くてすぐ疲れるのだと言っていた。彼女は妊娠しているらしかった。貧乏な家の娘なので少々体調が悪いくらいで病院に行く事は無い。妊娠くらいで仕事を休む事も無い。そもそも妊娠なんて病気でも何でも無く、お産も病院でする人が増えてはいるが、未だに産婆が活躍する事が多く、しかも妊婦はそこいら中にごろごろいたので周りもほとんど気にもしない様子だった。
     ある時その娘の有人から携帯にメールが有った。病院に連れて行きたいので500ペソ貸して欲しいと言うものだった。私はその娘の家族と特別な付き合いが有る訳でも何でも無く、昔、借家を借りていた時に家の修理に呼んだ大工の娘の友人と言うだけの、何の縁もゆかりも無い人であった。その娘が病院に行く金を何故私が貸さなければならないのか不思議に思うだろうけれど、他にすぐ500ペソを用立てられる人が思い浮かばないので私にお鉢が回って来るだけの事だった。
     私は夜仕事が片付いてから彼女の家に金を持って行った。そこは古いけれど綺麗に掃除が行き届き、清潔な感じで想像していたものとは違った。2階の屋根裏部屋のような部屋が具合の悪い彼女の部屋だった。この階段の傾斜が急で妊婦が昇り降りするのはどうかと思う、梯子に近い物で驚いた。彼女の部屋には本当に何も無く、寝床はゴザで、電気もつかない部屋だった。クリスマスのイルミネーションが明滅していて、それが唯一の明かりだった。
     この家には、学生が3人と40代の女性と家の持ち主だと言う年令が分らない少し知恵の遅れた男が住んでいた。全員余分な金は無いようで、苦しんでいる彼女を病院に連れて行ける人はいなかった。
     私はバイクで来ていて病院に運ぶ事は出来なかったので金だけ置いてすぐに立ち去ることにした。そもそも私に用事は無く、必要なのは金だけだから、絶対返して貰えない金を置いてすぐに立ち去るのが懸命だった。
     数日して彼女の友人からまたメールが来た。彼女が流産して容態が悪いのでまた金を貸して欲しいと言うメールだった。私はそれには返事を返さなかった。ここで入院でもして長引けば私の負担はとんでもない物になるし、私にはそんな金も答える義理も無かった。ただ引っ掛かるのは、これで彼女が亡くなるような事になれば、嫌な記憶がまた一つ増えるなと言う思いだった。

    借金の形

     私はけっしてお人好しでは無いが、集中砲火を浴びれば、総ての弾を避け切るのは、やはり無理だ。私は時に「借金申し込み」の集中砲火浴びる。これは辛い。断るのは精神的に辛く、貸せば、帰って来ない金の負担がこれまた辛い。
     ある日、親しくしている人の奥さんが重い病気になり入院した。集中治療室にかつぎこまれ、しかし、治療の甲斐があって快方に向かった。この時の緊急資金5000ぺソは私が用立てた。私は彼女を良く知っており、旦那のリッキーとは時折酒も飲む間柄でこの金は仕方が無いと思って覚悟した。  ところがほっとしたのは束の間で、容態はまた悪化してしまった。毎日の薬代だけで1000ぺソが消えて行く治療が必要になった。その薬を切らした時の彼女の苦しむ様は見るに耐えない姿だった。私は病院に来て彼女を見てしまった事を後悔し、彼女の手を握って涙を流す旦那の顔も忘れられなくなった。
     やはり来た。借金の申し込みが来た。日本円にして20万円の借金を申し込まれた。担保は彼の家と土地で、返済の方法も考えていあった。方法は、今住んでいる家を貸してその金で返すと言うものだった。借家からの収入の見込みは月に3000ぺソ、6000円である。確実に3000ぺソが入って来れば3年ちょっとで返済される事になるが、今いる家を出て借家に移ればそこの家賃が掛かるからこの計算には無理が有った。私はそのことを指摘して申し入れを断った。多分鬼のような形相をしていたと自分では思う。他に借金が出来ずに彼女が亡くなる事が有れば、また、だ。
     私はこの界隈の土地の数カ所を担保に持っている。書類には弁護士のサインが入ったものも有るが、日本人の私にはただの紙屑でしかない。だから高い金を払って弁護士に借用証を書いてもらう必要は無いと言って、便せんに署名してもらっている。それらの金の返済は今のところ未だ1ペソも無い。
     私は今回は本当に悩んだ。捨てる事になる20万円で精神的な苦痛から逃れようとも思ったが、止める事に決断した。その理由は、借金の集中砲火から逃れる為には、何時かどこがやらなければならない事だと思っていたからだ。  断りの話を始めた瞬間に彼は私の話を遮ったが、それは怒りや不満からでは無く、無理な話をして苦しめて申し訳ないと言うものだった。
     翌朝早くリッキーが家に尋ねて来た。私は悪い予感がしたが食べかけの朝食のテーブルに彼を誘って話を聞いた。やはり借金だったがそれは昨夜の蒸し返しでは無く、新たな話だった。先月買った大型の冷蔵庫の支払が滞っていてすぐに支払いしないと冷蔵庫を引き上げられると言う話だった。月々の支払い1350ぺソ、日本円で2700円の話は、総額でも30000円だった。
     彼が恐れているのは、冷蔵庫の支払が滞る事によって信用に傷が着き、新たな借金をする時に支障を来す事だった。
     私は冷蔵庫を持っていたし不自由を感じていた訳では無かったが、これ位なら良いかと言う気持ちになって借金の肩代わりを承諾した。
     午後にリッキーの家から新品の冷蔵庫が運び込まれた。私は今まで使っていた冷蔵庫をリッキーにあげた。

    ではまた。

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