南風のたよりNo50


    南の島の話し・・・山の暮らし2とその他


     スラムの話し

    MAMBULODの山からドゥマゲッティーに戻って山の友人と話しをしていたら、彼が突然「山の暮らしに戻ろうかと思う」と言い出した。

    彼は山で生まれ育ち、小学校を卒業してすぐにドゥマゲッティーに職を求めてやって来ていた。
    ドゥマゲッティーに来て8年になると言い、その間に定職と呼べる仕事につけた事はなかったと言う。
    彼は港のそばのロオックと言う地区のビーチ沿いに住んでいた。そこはドゥマゲッティーにいくつかあるスラムの一つだった。ドゥマゲッティーのホームレスとも言うべき「バジャウ」が暮らすのもロオックだ。
    彼の住まいはバンブ−ハウスで、四畳半ほどの広さの、家とは呼べないバラックに3人で住んでいた。家賃は一月500ペソ。そこには家財道具と呼べる物はほとんど無く、竹の床にそれぞれがゴロ寝する、なんとか雨風が凌げるかと言うような家だった。トイレは共同の、私にはとても使えない物が有るには在るが、彼らもそこは使用せずに、早朝、まだ暗い内に海に入り用を足す。
    彼の今の仕事は港の雑用で、ポーターや荷役が主な仕事だったが、収入は日によってまちまちで、多くても200ペソをこえる事は稀だと言う。仕事にあぶれる日も多く、収入がゼロの日も有ると言う。米が買えない事もしばしばだが、この地区に住む知り合いの、誰か彼かが喰わせてくれるので何も食べられない日はほとんど無いと言った。

    山の暮らし

    彼は山へ戻りたくなった理由を言わなかったが、聞きもしないのに山での暮らしぶりを喋り続けた。
    山で暮らすのには現金がほとんどいらないのだと言う。
    電気、ガス、水道、何も無いのだから、毎月決まって支払わなくてはならない生活費と言うのは皆無なのだ。
    主食はトウモロコシの粉「マイス」が有るので、普段は少しの灯油と米と干し魚を買う金があれば良いのだそうだ。
    それらを買う現金は山の畑で収穫される野菜やバナナを、毎週日曜日に立つ市場で売って十分に得る事ができるのだと言う。
    電気の無い山の暮らしは太陽の動きに支配され、日の出から日没までが活動の時間で、日が暮れて食事が終わったら寝てしまうのだ。
    私が接するドゥマゲッティーのフィリピン人はお喋りが好きで、電球がほんのり灯る街灯の下で夜遅くまで世間話をしているが、山の人たちのお喋りの時間は昼間、畑に出ている時間や山道で行き会った人との立ち話しなのだそうだ。
    山の人たちは、ほぼ週に一度町へ下りて野菜やバナナを売り現金収入を得る。手にした現金で食堂で昼食を食べ、市場で生活に必要な物を買ってまた山へ帰る。その時に行く市場は地域の最大の社交場で、普段会わない人や気になる人の消息もすぐに分かるのだそうだ。
    野菜やバナナを売った収入は200ペソ〜300ペソだが、まとまった現金が必要な時にはヤギや牛を売るのだそうだ。普段の200〜300ペソの収入は、往復のハバルハバルの運賃に50〜60ペソを払っても、十分生活できる金額だと言う。
    彼は、手の届かない物が溢れるドゥマゲッティーでそれらを眺めて暮らしていると、欲しくても買えない自分が惨じめに感じるが、日本人の、何でも買えるお前にはこの気持ちは分からないだろうと私に言った。私は、何も言わずに黙っていたが、彼の私に対する本音の一端を見たような気がした。
    ドゥマゲッティーでまともな仕事につく為には学校を出ていなければならないが、自分は小学校しか出ていないからほとんどチャンスは無いと言い、もう何年もこの暮らしを続けているが山に居た時よりも生活は大変で、僅かな金に追い掛けられる生活が嫌になったと言った。
    そして彼は、自分は山に帰る家が有るからハッピーだと言って黙った。


    山の家の若い牛

    まだ角が生えていないのか?雌牛なのか?



    牛の角のあたりが盛り上がって来ています

    ゴムゾ−リの切れ端が鼻輪の留具になっています



    荒れ地でヤギを飼っている

    山では少しのスペースも活用する



    雨上がり、海に光が反射して輝く

    対岸はセブ島のトレドあたりか


    フィリピン人にも色々な人がいる。
    20年も昔だが日本で漫才ブームと言うのが有った。その時のいわゆるノリの良い漫才師は、上方、大阪の人たちが多くて、私のように仙台の田舎に住む者は関西人は全員が面白い事を言うものだと信じ込んでいた。そしてそうあって欲しかったのだが、その後仕事で頻繁に関西に出かけるようになって、陰気くさい関西人や理屈っぽい関西人も当たり前にいる事を知って私の持っていた関西人へのイメージは崩れた。
    私の関西人への勝手な思い込みと一緒で、日本人は全てのフィリピン人は陽気でノリが良いと思っている節が有るが、それは違う。
    ある時日本人の旅行者から唐突に「フィリピン人は自殺なんてしないでしょう」と言われた事が有るが、フィリピン人の自殺はけっこう頻繁に有るのだ。都会のマニラやセブの事は知らないが、ドゥマゲッティーではテレビのニュースは当然、ローカルのラジオもそれは流さない。自殺は、大衆紙のローカル版に小さな記事が掲載されるくらいだ。放送しない理由は亡くなった人と残る家族への思いやりだろうと思う。あれ程噂好きのフィリピン人でも自殺の話題は避けて通る。
    私の性格が周りを大人しく、ジェントルにしてしまうと言ったら、私を知る人は大笑いをするかも知れないが、私は元来、はしゃぎ過ぎの馬鹿なノリは好きでは無く、そんなシグナルを知らず知らずに出しているのだと思う。だから私の周りに集まるフィリピン人も良く言われる「東洋のラテン」のノリばかりの人たちでは無いのだと思う。
    私が接するジェントルな彼らは、時に真剣に生活の向上を願って私に様々な相談をして来る。日本人ならとっくに自殺してしまう程深刻で悲惨な話をしばしば聞く。
    山の友人は終止静かに語ったが、大抵は彼らが興奮して話し出すとただでさえ拙い私の語学力が破たんしてしまう。しかし、どうせ静かに話しても、熱く語っても、最後の一事は「だから金を貸してくれ」なのは話が始まる前から分っているので聞き取れなくても問題は無いのだ。
    そして語る彼らは、私の返事がいつも決まって「アンボット」・・・(知らない)なのを承知でほとんど暇つぶし、ダメモトの話なのである。
    当然山の友人の彼も、長い前置きの末に借金の申し込みをして来たのは言うまでも無い。

    ではまた。

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