南風のたよりNo37


    南の島の話し・・平成16年の2 


     セブへ行く

    お客さんを迎えにセブに行く。友だちと遊びにセブに行く。役所に用事があってセブに行く。ドゥマゲッティーでは手に入らない部品を買いにセブに行く。
    とにかく良くセブに行くのである。
    セブは、少し前まで好きだった。好きだったと言うよりも私のフイリピンの始まり、原点とも言える街だった。フィリピン=セブのような日々が長く続いて、舞台がドゥマゲッティーに移ったのは今から6〜7年前の事だった。
    当時の方がセブとの連絡は良くて、飛行機でドゥマゲッティーまで来られた。スーパーキャット、デルタキャットなどの本数も多くて、セブからドゥマゲッティーまでの直行便だったので時間的にも条件は良かった。日本からドゥマゲッティーが最も近かったのは、飛行機が飛んでいた頃だったろうと思う。50〜60人乗りの双発のプロペラ機で、確かフッカー50とか言う飛行機が低空で、セブ島の美しい海岸線をなぞるように飛んで行った。
    この飛行機が廃止になった頃にスーパーキャットとデルタキャットの便数が増えたのだったと記憶している。
    飛行機の客がそれらに回ると期待しての事だったのだろう。
    その後デルタキャットは就航を取り止め、スーパーキャットも減便。しかもボホール経由ドゥマゲッティー行きの各駅停車ならぬ各港停船の鈍行になってしまった。需要は思ったよりも少なかったのだろう。
    そしてこの頃にもう一つ伸びて来た交通手段が、ヴィハイヤーと呼ばれる小型バンによるシャトル便の運行だった。
    これはセブの街中のサウスターミナルから、セブ島南端のリロアンまで死にもの狂いでぶっとばす小型の乗り合いバスだ。
    ハイエースやキャラバンクラスのバンに客を18人詰め込んで、道路事情の余り良く無いセブ島の海岸沿いを、クラクション鳴らしっぱなしで飛ばすのだ。フィリピン人は運転席の隣を最上席として争って座るが、私はなるべく後ろに座る事にしている。事故の確立はあまり低くは無いのである。料金が安いので学生を始め、庶民の足として伸びて来た。リロアンからは向側のネグロス島のセブランまで、バンカーボートの渡し船に乗る。
    このヴィハイヤーも値下げをしたくらいなのでそんなに儲かる商売でも無いのだろう。多分、初めの頃は儲かったが、猫もシャクシもヴィハイヤーに参入するものだから、便数過剰で儲からなくなったのだろう。
    そして私が一番安心して、常に利用するのがバコロドに本社を持つバス会社「セレスライナー」の路線バスだ。
    このバスはリロアンよりもう少し南の、本当にセブ島の南端のバトとセブシティーを結ぶ路線バスだ。
    料金はライバルのヴィハイヤーを睨んで、それよりも少し安く設定されている。ヴィハイヤーはスピードが命で運行されるが、セレスは快適さと安全性で運行されている・・・と思う。
    6〜7年前、まだヴィハイヤーが無かった頃のセレスは速かった。セレスも速さを売り物にしていた。しかし今では競合する小さなバス会社は駆逐され、残るライバルのヴィハイヤーが速くて危険と言われるに及んでセレスは、安全路線を前面に打ち出したようだ。
    セレスは、エアコン付きの大型バスにリクライニングシート、最新の映画を映すテレビもついている。大きな街の入り口で物売りが乗って来て、水やお菓子を売って行き、町外れで降りる。物売りは対向車線のバスに乗ってまた商売をして戻るのだ。3時間以上も乗り続けるので腹も減る。オタップと言うフィリピン人の好きなお菓子やバナナの葉っぱで包んだ餅米、BOD BODが良く売れる。BOD BODの発音をカタカナで書こうとしたら書けなかった。
    このバスもヴィハイヤーも始発と終点のターミナル以外は停留所が決まっていない。どこででも停まる。セブシティーまで後1時間と言うあたりまで来るとバスは大抵満員になる。フィリピン人は立つなどと言う事は大嫌いだから補助椅子が出される。補助椅子はプラスティックの丸イスだ。補助イスも出尽くすとどうなるのかはまだ見た事が無いので分からないが、たぶん二人掛けの席に、笑いながら、キャーキャー言いながら三人掛けするのだろうと思う。


    セレスのバス

    バトではがら空き・・・フィリピン人は前が好き?

    タンピ〜バト

    セレスがヴィハイヤーに勝るのはサービスや料金ばかりでは無い。ネグロス島とセブ島を結ぶ渡し船の安定度が最大の魅力だ。
    日本が冬の時期にはビサヤ地方も冬だ。冬と言うのだから寒い。そして海も荒れて船は難儀する事が多くなる。
    リロアンとセブランを結ぶバンカーボートの渡し船はこの時期時々欠航する。バンカーボートとしては大型なので航行するのは問題ないのだが、船着き場が貧弱なので接岸できないのだ。一昨年、リロアンサイドはコンクリートの桟橋が完成したがセブラン側は未だに浮桟橋で、時々荒天時に桟橋が流される。
    リロアンから船が出せてセブランに向かうが接岸が無理だとなると少し北のアホンと言う浜に船を着ける。
    ここはただの砂浜で、乗客は、ほとんどの人がびしょぬれになって下船する。が、ほとんどのフィリピン人は笑っている。
    大きな荷物は浜の住人が、にわかポーターになって日銭稼ぎに躍起となって運ぶ。一時のお祭り騒ぎが始まる。
    セレスの連絡船の着くタンピの港はこのアホンの浜からまだ北にある。昔から有る港なので風や潮の具合が良くて出来た港なのだろう。リロアンとセブランがダメな荒天時でもここは動いている。
    連絡船に使われている船は何艘か有って、一番大きなものはカーフェリーだ。フェリーと言っても300トン前後の小さなもので、オープンデッキの甲板に車は2〜3台しかつめない。
    カーフェリー以外はセレスの発車時刻に合わせて運行されていて、船とバスは時間的にうまく繋がっている。
    とくにドゥマゲッティー側から行く時には船から降りるとバスが待っていてすぐに乗れるので予定が立つ。
    しかしセブからの帰りにはバスを待って船が出るわけでは無いので、バスが遅れて間が悪いと待ち時間が1時間近くになる事も有る。待ち時間に関してはリロアンも同じ条件だが。


    タンピ〜バトの船

    窓にガラスは無い。荒れたらベニヤ板でふさぐ


    私がセレスを好きな理由は沢山有る。快適、安全、安い、時間が読める。しかし一番の理由は、隣の席に座った人とのバカ話しだ。その人が女性である確率は比較的高い。その女性がわりと若くてチャーミングな女性である確率がこれまた結構高い。だから私はセレスが好きなのだ。

    ではまた。

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