南風の便り

       

〜DINAGAT ISLANDへ行った〜


 今日こそはディナガットへ・・・

 4時起きの私が一番遅いと言う、恐るべしフィリピン人の早起きであります。
船尾にボケ−っと立って歯磨きなどしながら空を眺めれば、一面の星空で、天の川が乳白色に見えていました。
フィリピンの電力事情は、10年前にくらべれば相当に良くなっていますし、家庭の明かりも蛍光灯が主流になり明るくなっているのですが、まだまだ日本の街ほどの明るさは有りません。
街灯に灯るたった一個の蛍光灯がとても明るく見えるのは、周りが暗いからなのでありましょう・・・。

 朝飯もラーメンライスでした・・・と、言うよりも、早朝のスナックとでも言うのでしょうか、御飯を炊いて朝飯はこの後なのです。
取りあえずラーメンを昨晩の残りの御飯にぶっ掛けて、わらわらと胃袋に流し込んでお終い、と。
空は晴れているし、入り江になっているここは風も静かなのですが、これから向かおうとするレイテ島の方向では昨晩から引き続き雷が光っているのであります。
私がリチャードに、「なんか無気味な天気だな」と言うと「ああ、あっちはたぶん嵐だな」とさらりと言うでは有りませんか。
するとトーピンも、「レイテは嵐の島だからな」なんて言うし・・・。
私はすかさず、それは台風のシーズンだろう、と言うと、リチャードが、もう台風シーズンだから、と。
ドヒゃァ−・・・アメンボ船で台風に向かうのかよ・・・俺は嫌だなぁ・・・ベニヤ板の船で台風に突っ込むのかよ、と、空は晴れ晴れ、心は真っ暗になるのであります。
しかし、仕事の契約はすでに済んでいる訳で、先方は村人を集めてセミナーやら、調査を開始しているとの連絡が入っているのであります・・・今さら逃げるは日本男児の名折れ、と・・・参ったなぁ。

 天の川を眺めつつ感傷に浸る暇も無く、夜明けとともに出港・・・と行きたかったのでありますが、干潮で船が浮かんでいな訳でありまして、なんとも間抜けな話しです。
この調子ではまだ2時間やそこらは出られないな、と判断した私は「じゃぁ、顔を洗いに行って来るは」と言って、昨日の井戸へと向かったのであります。
そして、序でに、昨日噂に聞いた、街一番の総合スーパーマーケットを覗いて来ようと・・・でも、朝の五時じゃなぁ、開いてる訳もないか。
昨晩全部飲んでしまった缶ビールを買い足したかったのでありますが、サリサリストアーでは買えないし・・・しょうが無い、デポジット払って瓶を買うか、と、取り合えず井戸に向かったのであります。
井戸は朝の水汲みをする人達で賑わっていました。
ドゥマゲッティーから来た船が一宿一飯・・・と、言う噂は町中に広まっていて、何処へ何しに行くのかから始まって、ドゥマゲッティーには俺の妹が居る、とか何だとか。
そして、お決まりの、飯は喰ったか?よし、とりあえず俺ん家へ来い、となって、ドドンと言う男の家に呼ばれて美味い朝飯をごちそうになったのであります・・・そして、帰りも寄ってくれよ、と嬉しい誘いで有りました。

朝飯をごちそうになって船に戻るとキンキンが油まみれになっていて、昨日ドゥマゲッティーで修理したオルタネーターが働いていないと言うでは有りませんか。
私は、なんで?・・・メーターを直で繋いでみろよ、言うと、まあ、十分とは言えないまでも発電はしていて、これなら時間を掛ければ大丈夫だ、と判断。
仕事が終わってドゥマゲッティーに戻ってから直すから手をつけるな、と言うと、キンキンは、今は未だ良いが軸がガタガタだからやがて回らなくなる、と。
確かに軸受けがすり減っているらしくヨレヨレに回っている・・・うーん、じゃぁどーするんだよ、と。
キンキンはマシンショップに行って軸受けメタルを削り出しで作ってもらうと言うので、まあ、潮が上がるまで暇だし、と言う事で、街へマシンショップを探しに。
さて、マシンショップは程なく見つかって、オルタネーターをばらし、使い込んだノギスで寸法を測り・・・こんなんで合うんだろうかと、かなりの不安が脳裏を過りつつも、まあ、ここはフィリピン、しかも、ド田舎だし、マシンショップが在っただけ幸いだった、と言う事で大きな引っ掛かりは呑み込んだ・・・。
削り出した材料を見て私は驚いた・・・黄色っぽい金属は、ひょっとして真鍮?まさかぁ・・・職人が金属の硬度を知らないはずはないし、現に目の前でオルタネーターをばらして、何処に使うのかを知っていてやっている訳だから・・・でもなぁ、俺はあれは絶対に真鍮だと思うんだがなぁ、と更なる大きな疑問と不安が・・・しかし、まあ、ここはフィリピンだからな、と。
悲しいかな、私の言語能力は酔っぱらっている時にちょうど良い程度で、この様なシーンではとても心もとない訳であります。
真鍮と言う単語が分らないし、強度的に、しかも熱に弱い金属で大丈夫かと言う事を一応聞いては見たのですが、旋盤いじっているおやじも、キンキンも問題ない・・・と言うばかり。
私の経験では、ここフィリピンでの「問題ない」は「心配有る」が常に表裏一体でつきまとうのであります。
序でにマグネットブラシの電極のハンダが取れているところも、近所の電気メカ専門のおやじの所で着けてもらい、一見完璧風に直ったのであります。
潮もたっぷりと上がり、一宿一飯の恩義に預かった街の面々が見送ってくれる中、MDSは勇躍出港・・・いや、ようやく出港でありましょうか?、まあ、何であれ出港したのでありました。この時既に8時半でありました。

 早朝には静かだった海が程なく鉛色の雲に覆われ、波が上がり、風が強くなっていました。
私は皆の者に、飛びそうなモノはキャビンに入れ、船首のアンカーロープは細引きでまとめ、屋根のテントはたたみ、総てのハッチを閉め、後ろから被ったときの為にビニールシートで覆いを、と荒天対航の指示を出したのであります。
これで一同の顔つきが真剣になり・・・ただ一人、炊事班長のボボだけが、これだけ揺れると飯が炊けない、と恍けた事を言っているのでありました。

 リチードに絶対にセカンドを使うなと指示して、私はじっと、遠くて未だ見えないレイテ島の影を探していました。
走り出してすぐには、海から唐突に突き出した三角山のようなカミギン島が遠くに見えていたのですが雨雲に隠れて見えなくなり、風にあおられた波頭が白く尾を引き、海面は鈍色でありました。
リチャードがパランサーのロープを点検するからと私に舵を変わった頃から、波は3メートルを越えていました。
船が長く、波長が短いので、波に向かっている時には、ピッチングは起きず、両側に張り出したアウトリガーでローリングも抑えられ割と安定しているMDSであります。
しかし、風向きが変わったり、進路を変えて斜め後ろから追われるようになるとダメなのです・・・ブローチングと言うのでしょうか?。
ケツを在らぬ方向に持って行かれ、波の谷に滑り落ちるようにしてバランスを崩すのであります。
この時は目一杯当て舵を切って耐え、ボートマンは山側(風上側)に全員が移動してバランスを保つのでありますが、何分にもMDSのボートマンは急遽の寄せ集めで、誰も緊急事態を察知してくれないのであります。
波を読んでバランサーに取り付いたリチャードが、必死で身を乗り出して体重を掛け船を支え、大声で怒鳴ったのであります、が間に合わず、船尾から大波を一発被り、推定1トン程の水が船内に入ったのであります。
が、しかし、かろうじてエンジンは回り続けました・・・ラッキーでした。
私は日本語で「ほらぁーお前らぁーパランス取れぇー、船沈むぞー」と怒鳴っていたのでありますが、緊急事態は言葉の意味よりも語気なのでありますね、全員が弾かれたように左舷に飛び出しました。

 これはまずいな、と思いながらも陽気をを装いつつ、しかし、沈む時には何を持って逃げるかな、PC、もったいないな、などと余計な事も考えるのでありました。
ありったけのバケツで排水を続け、皆が必死で船を支えているのですが、波は益々上がり、風はピューピューを通り越してビュービューとなった所で、私はボホールへ逃げ込む事を決めました。走り出してまだ2時間ちょっと・・・たぶん30マイルも進んでいないのでありますが、仕方が在りません。
私は斜め前から風を受けられるようにジグザグ気味にボホールを目指しました・・・がぁ、強い雨で島影が全く見えなくなり、さて、どっちだぁ?と。
とりあえずコンパスを見つめ、多分こっちだろうと言う方角に向かって何とか走っていると、エンジンルームに潜っていたキンキンから、オルタネーターが回っていない、との報告。
この船のエンジンは前のオーナーが改造して、冷却用のウオーターポンプとオルタネーターを1本のベルトで回すようにしてあるのです。
キンキンの話しでは、オルタネーターの軸がガタガタでテンションが掛けられない、と言うことでした。
と、言う事は、ウオーターポンプが回っていないと言う事で、いずれ冷却水は沸騰する、と・・・どーしましょう?
キンキンが真水は何本残っているかと、ポリタンクの数を数えました・・・6本、120リットル・・・足しながら行けばなんとかなるか?
とにかく今エンジンが止まれば間違いなく船は沈む訳でありますから、エンジンが焼けようがお湯が噴き出そうが、選択肢はない訳であります。
私はキンキンに、セカンドギャーでぶん回して逃げ込むから、いよいよヤバイとなる前に声を掛けろ、と言って、スロットルを開けたのでありました。
もともとセカンドギャーでセッテイングされているプロペラなのでギャーを変えると流石にパワフルで、波を乗り越すのもかなり楽でありました。
しかし、騙しだまし一時間も走っているのに全くボホールの島影が見えません・・・で、私は勿論、全員が不安なのでしょう、フィリピン全土り地図を広げ、コンパスを握って、あっだ、こっちだとやっているのでありました。
しかし、低気圧は通過して遠ざかっているのか、風向きが回っているのと、少しづつ風も弱まっている様子で、この頃になると、もう沈む事は無いな、とそっちの方は安心なのですが、何しろエンジンの冷却がパァーな訳ですから・・・。

 暢気なとうさん・・・ボボが、なんと、あの大揺れの中で飯を炊いていたのであります。
波が収まって来て、バランサーに取り付く重りの役目も要らなくなった所で「飯だぁー」と叫びました。
これはとても良いタイミングでありました・・・一同に笑顔と活気が戻ったのであります。
これまたビックリでありまして、ボボはなんと、街で手に入れて来た卵で、オムレツを作っていたでは在りませんか・・・偉い。

 リチャードと交代で舵を取り、私が昼飯を食べ終えた頃、ボホールの海岸線が見えて来ました。
またしても風に吹き流されて相当に沖を走っていたようで、しかも、ボホールに転進したはずの進路は、相当に斜めに走っていたようで、どうりで見えない訳だわい、と。

ところで、ここは何処だ?と私が言うと、まあ、たぶんボホールだ、と、当たり前の面白くも無い冗談をトーピンが言った・・・うるせぇー、黙ってろ、と私。
ジェフリーが何やら街の名前を真しやかに言うのでしたが、奴とても、立った一度観光で島を走った事が在るだけで、海から海岸線を眺めて、ここが何処だか分るはずも無いのです。
キンキンが明るいうちに岸に着けて、オルタネーターをもう一度修理して来るから、と言うので、昼少し前に遠浅の砂のビーチに接岸。
岸はかなり遠く、サカヤン(小さい船)で陸に行くしか無い所で水も汲めない、酒も買えないと言う、決して条件の良い所ではなかったけれど、エンジンが既に限界ですから・・・。
ジェフリーが一緒に行くか、と問うのだったが、操船で疲労困憊していた私はとても行く気にはなれなかった・・・ビールの誘惑でもダメなほど参っていたのであります。

昼頃に出掛けて行ったジェフリーとキンキンが帰って来たのはとっぷりと日が暮れた、午後の六時過ぎでした。
結局彼らは、朝に出発した街までハバルハバル(バイクタクシー)で戻り、あのマシンショップで軸受けにベアリングを入れて来たのだと。
で、マシンショップのおやじも、やれと言われたからやったが、無理だろうな、と思っていたと、ドヒャァーと驚きつつも・・・まあ、これがフィリピンですから。

 待っている方もやる事も無いので、そうなればやっぱり魚捕りに行く訳で、晩飯のおかず採りに、と。
で、若くて力の有るポギーとエドモンドがサカヤンで水を汲みに行くと言うので、じゃぁビールとラム酒を買って来てくれ、とお願い。
我々は、一見して砂地で何も居なそうな海に大型の水中銃を持って、素潜りしたのでありました。
いやぁー入ってみるもんであります・・・小さなサンゴが点在する所に、必ずそこそこの大きさの魚が居て、これまた狙われた事も無いようで、近づくと固まってしまって、撃って下さいと言わんばかりでありました。
小一時間でかなりの魚を確保・・・晩飯どころか2日分の干し魚や煮魚も作れたのでありますから、大収穫です。
夕方には出港して・・・と思ったのですが、水汲みに出たポギーが、ディナガットへまでは夜にはとても通り抜けられない難所がいくつか在ると聞いて来て、今夜も目出たくボホール泊まりと決定でありました。
本日走行距離推定で、40マイル・・・その割には燃料は120リットルも使って・・・ああ、もう、本当に行けるのでしょうか?
この夜も満天の星でしたが、やはりレイテのほうでは音の聞こえない稲光が在って、何だかなぁ・・・昨日に似ているなぁ、嫌だなぁ・・・と。
私は寝る前に、明日の朝水深は大丈夫か?起きたは良いけれどまた潮待ちじゃ冴えないだろう、とリチャードに言うと、ひと言オッケーナ、と。
ホントーかよ、今満潮だから良いとして、朝には絶対に腹を擦るぞ、と思いつつも、ポギーが買って来たビールを飲んで行くうちに、まっ、ここはフィリピンだからな、と納得するのでありました。
 


  では、また・・・。           




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