南風の便り

       

〜DINAGAT ISLANDへ行った〜


へへへっ・・・金はずいぶん掛かりましたけどね、とにかく、ボートは出来上がったんですよ。
それも、出来上がってみると、結構大きくて立派なんで、私が一番驚いてしまった訳であります。
まあ、しかし、遠目には立派ですけれども、近寄って見ればペンキもきちんとは塗切られていなかったり、随所に使い回しの古い材料が目立ったりと、立派な上にも何となく寄せ集め的な哀愁を漂わせると言う、いかにもMDSらしい、素敵な船なのでありました。
船体は、一番前からケツまで、80フィートですから、25メートル位も有るのです・・・長いでしょう。
それでも、船形はフィリピン特有のバンカーボート、アメンボータイプですから、一番広い所でも2.5メートルしか無いのであります。
しかし、そこに板を渡して横幅を広げて居住スペースを確保しているので、思いの他に有効に使えるのでありますよ。
拡張したスペースの一番広い所は4メートルは有るでしょうから、けっこう使い勝手は良かったです。
で、一番大人数を乗せた時には、スタッフとお客で総勢40人と言うのが有りましたから、まあ、大きい船なわけです。
ところで、エンジンなんですがね、これがまた中古のお古と言うやつでして、ええっ、日本なら間違い無くスクラップですね。
三菱の6-D14と言う、かなり年代物の6気筒ディーゼルエンジンであります。
このエンジン、ここフィリピンでは、高馬力で省エネ、そして耐久性が高い事でずいぶん使われて来ましたが、何ぶんにも製造されなくなってから時間が経ち、今では使っている船は少なくなっている代物であります。
インターネットで調べてみても6D-14は出てこなくて、この後の6D-24がかろうじて見つかるのであります。
推定排水量6トンの船に、付いているエンジンは140馬力ですから、速力は推して知るべし・・・と思うでしょ?
ところがぎっちょん・・・船と言うのは長さが長くて、幅が狭いとスピードが出る事になっているんですね・・・水船長と言うらしい。
で、この船は異様に長く、幅が狭いので、小さな馬力でも思いの他速いわけであります・・・いやいや、遅く無いと言うのが正しいか?
と、まあ、何とか浮かんで走った訳ですが、それまでの経緯は並大抵ではありませんで、それはそれは大変だったのです・・・。



  進水式は・・・?

 まあ、中古で買って、すぐに沈んで、それを元に作り直した経緯は前回書きました。
で、程よく中途半端に完成したところで海に降ろしてテストランニングをし、各部の微調整、と言う予定だったのですが、詰めの段階で悪天候が数日も続き、貴重な時間をロスして行ったのでありました・・・ディナガットへの出発日は16日と決っていましたから。
色々有りまして、それでも15日の午後には男の大人が50人程、船を海まで引きずって行く予定で集まってもらっていました。
いつものようにバランサーのアームにそれぞれが取り付き、船首と船尾にも人が着き、ジェフリーのかけ声で押したり引いたりしたのですが、船はびくともしませんでした。
動く気配は全く感じられず、これは重いぞと実感したのでありました。
さあーて、どうしたもんかねぇ、とそれぞれにああでも無い、こうでも無いとやりまして、テコの原理で船を浮かせて、その隙に下にコロを入れて押し出そうと言う事になりました。
で、太い椰子の木の丸太を数本と、丈夫な長い材木を数本用意致しまして、さて、それでは、と・・・しかし、やっぱりびくともしません。
ああだこうだを繰り返し、ああでも無いこうでも無いも繰り返し、いい加減薄暗くなって来た頃、皆がだいぶくたびれて来たときでした。
別段何の工夫もしていなかったのに、誰かが掛けた大きなかけ声につられて、えいやぁーとやったら、船がずずずーっと滑ったでは有りませんか。
そうなんです・・・かけ声があちこちでてんでに上がったりしていたものだから、50人の力が揃っていなかったのです。
それともう一つ、潮が上がって来て船首の部分は波に洗われるようになり滑りやすくなったのだと思います。
何であれ、とにかく動いたと言う事で、それでは一気に力を合わせて、と・・・しかし、なかなか合わずにまた動かなくなってしまったのであります。
しかし一度動いたのですから、意気さえ合えば動くのだと、いつもは無口で大人しい私が日本語で、イーチ・ニーイ・サン・うぉーっ・・・とやってみました。
ドゥマゲッティーでのかけ声はウノ・ドス・トレス、それぇーと言う感じで、カウント3の後で力を入れますので、私もそれに習って3まで数えてから、それぇーっと行って見た訳であります。
結果は上々でありまして、三度・四度と繰り返すうちに船は水に浮かびました。
半分浮かべばこちらのもので、後は子供でも押せる程に軽くなるのであります。
しかし、午後の早い時間に水に浮かべて、テスト走行と最後の調整をと思っていたのに、船が浮かんだ時にはほとんど日が暮れていて、とてもテスト走行は無理と。
従って、大事な機関の調整をする暇も当然なく、明日から長距離を走って大丈夫なんだろーか、と大いに不安を残しつつも、集まってくれた人達に酒など振る舞ったりもしなければならず、まあ、フィリピンだからと言う事でこんなものかと・・・。


とりあえず出発

 結局、最後の調整もクソも無く、なし崩しに宴会へと突入してしまったわけであります。
日本式の進水式を予定していた私としましては、どんな小さな船でも安全祈願をし、お神酒を上げて進水の儀式をするものだと思っていたので、これは少し納得がいきませんでした、が、ここはフィリピンだし・・・。
あちこちで三々五々、知った顔の者どうしが寄り集まってはビールやらラム酒やらをやっていまして、アレレ、酒代は誰が?、と。
しばらくして、サンタモニカビーチに2軒有る酒販売人からそれぞれ、相当な額の請求書を突きつけられ、なんとまぁ、ぜーんぶ私のツケで勝手に飲んでいた訳であります。
ジェフリーは言っていたのであります・・・先にビールとラム酒を用意しておけ、無くなったらお終いと言えと。
そう言う事だったのでありますね・・・ツケで買えると分ると、際限なく、しかも、自分らのタバコなんかまで買う訳でありまして、結局はサンタモニカビーチの酒販売人の家の在庫が無くなるまでそれは続いたのでありました。
成る程、これが進水式のお祭りだと思えば良い訳で、これでまた私の気前の良さが知れ渡り、次の町会議員選挙の時には多分、大丈夫・・・?。

 四月十六日、早朝に出発する予定でありました。
しかし、昨夜からの大雨と、太平洋側サマールの方に大きな低気圧が有るため出発は一日延期、と決りました。
そんな訳で、一日しっかり調整などして、ちょうど良いなと言いながら、船旅で必要な鍋釜や食料、足りないロープなどを買い求めていました。
市場をウロウロしていた時、ディナガットから電話が入り、「とても良い天気だ、ところで、何処まで来ているのか?」との問いかけでありました・・・うひゃー、こりゃ急いで出発しなきゃ、と。

 市場で米を50キロ、と様々な調味料と、食料なども少々買って船に戻りました。
そして、水を20リットルポリタンクに10本、軽油をポリタンクに20本積み込んで、慌ただしく出港であります。
燃料は400リットル・・・うーん、一体誰が、どーやって割り出した数量なのだろう・・・正確な距離も、燃費も分らない船で?
そして、明日の出発とスタッフ全員に通達が行っていたはずなのに、船に戻ると全員が荷物を持って集合しているでは有りませんか・・・いったい誰が、いつの間に集合をかけたのか、私には分りませんでした。

 そんな訳で、私も家に戻り準備してあった段ボール箱を・・・私はディナガットの原住民にダイビングの講習をしなければならないので、教材などが多いのであります。
そこで、一番心配なのが、ノートパソコンであります・・・十日間も湿気と潮風の船の上でPCは大丈夫かと。
インストラクションと環境調査の道具一式を携えてサンタモニカのビーチに着いたのは既に9時を過ぎておりました。
4時に出発して、計算通りであれば、午後4時少し前には到着するはずでありました。
が、しかし、試運転もろくにしていない船の巡航速度をどうやって誰が割り出したのでありましょうか?・・・まあ、ここはフィリピンですから。
さて、出発間際になって大騒動であります。
キャプテンのイゴンが朝になって急に行くのを嫌がって、俺は降りると言い出したのです。
理由は言いませんでしたが、ジェフリーが説得しても、私が宥めてもダメの一点張りで・・・見かけも水牛並みですが、気持ちも頑固でした。
私は諦めてリチャードに、イカウ ナラン キャプテン・・・お前がキャプテンだと言い渡しました。
リチャードまでも「大型バンカーボートのキャプテンの経験がないから、俺は嫌だ」と言い出す始末であります。
ここで私はブッツンと来て、「ああ、もう、どいつもこいつも役に立たねぇなぁ、キャプテンは俺だぁ・・・」と宣言したのであります。
朝からゴタゴタしていたので見送りも無く、静かにひっそりと、しかし、MDSは、きっぱりと出港したのでありました。

スタートしてわずか20分、昨日急遽クルーに加わった、自称メカニックのキンキンが、オルタネーターが変だ、と言い出しました。
えっ?えええっ?だって、専門のメカニックがオーバーホールしたんでしょう、このエンジンは?、とジェフリーに聞くと、エンジンだけだ、との返事であります。
えっ?・・・ミッションや発電機やオイルポンプや、冷却水ポンプは、訪ねる私に・・・それはエンジンではないのでやってないと。
おいおい、エンジンのオーバーホールと言うのは、それじゃぁ何をやったんだよと問えば、シリンダーのオーバーホールと、噴射ポンプ系統の調整だと。
あっそぉ・・・私があれほど言った、クラッチとセカンドギャーのガタは?と問うと、ああ、それは見てもらったと。
へっ?・・・見てもらって、どーしたの? うん、クラッチ板は替えた、ミッションはグリスアップした、と。
セカンドギャーはすり減ってガタが出ていたし、ベアリングもガタが来ていたから替えなくちゃダメだよ、と言ってあったのに・・・。
で、その為に、オーバーホールの予算で20万円も渡したのに・・・どこへ消えたのか、その予算は、と。
ちなみに、このエンジンの上のクラスの日本からの中古エンジンは、整備済みで25〜30万円で買える・・・しかし、まあ、ここはフィリピンだから・・・ふぅーっ。
結局船は一度ドゥマゲッティーの海岸通に着けて、部品を買って交換し、再度調整をしてからで掛ける事になり、私は財布を握りしめ、自分が思いつく限りのパーツと、たぶん必要になるであろう工具を買いに走ったのでありました・・・こんな事でホントーに辿り着くのかしら、ディナガットに。




  蛇行と寄り道の航跡

 急遽クルーに加わったキンキンは漁船のメカニックをやっていた、と言うのだけれど、どーも、私にはプロには見えないのであります。
だいぶ器用なアマチュア・・・フィリピンにはどこにでもいる、「自称プロ」に見えて仕方が無いのであります。
何故かと言うと、プロは、工具を見て、この仕事ができるかどうかすぐに分るのでありますが、キンキンは、一応取りかかってみてから、工具が合わない、何が足りない、かにが足りないと言い出すのであります・・・これは、私と同レベルなのであります。
私だって昔は自動車屋でバイトしていたんですから、素人よりは随分詳しいのでありますが、それでも、やっぱり素人には違いないのであります。
結局、足りない工具を買いたいと言うキンキンを制して、私はベゼルの地下の工場へ駆け込みました。
ここは特殊溶接もできる設備が有る、ドゥマゲッティーでもちょっとレベルの違う仕事をしています・・・工具も当然揃っているのでありました。
たった一カ所の大きなナットを絞めるのに、レンチを一本買える程余裕は有りませんから、一度借りれば済む話しですから・・・。
軽油やガソリンと食料で随分な金を使ってしまった私は、財布にもう10000ペソ位しか無く、はたして、ディガットで金を貰えなかったらどうやって帰って来ようか?と少し心配でありました・・・が、しかし、ここはフィリピンでありますから。

 11時・・・真っ黒に煤けたキンキンが、ぐったりした顔で、オッケーナ、と言いました。
ホントーかよ、エンジン掛けても油圧は上がらないし、アンメーターも動かないし、どこがオッケーなんだか?・・・でも、行かねばならぬのでござりまする、止めてくれるな、であります。
と、言う訳でニューMDSは一路、取り終えずボホールを目指して出発したのであります。
この時、無風快晴、ここ数日無かった好天で有りました。
ドゥマゲッティーの海岸通からボホールを目指し、舵を握るのは私でありました。
私はこれでも、外洋で結構な距離、時間を運転している、ボート乗りなのでありまして、まあ、はっきり言って、そこらへんのフィリピン人よりはまともなのです・・・ははは。




飯だけは美味かったMDS


 出港と同時にスパゲッティーなど茹で始め、昼飯は、スパゲッティーミートソースとライスでありました。
それと、サンタモニカビーチを出る時にトーピンのおやじのトトさんが持たせてくれた干し魚、ブラットでありました。
無風快晴も幸いして、バリカサグまで2時間半・・・これはかなり速い、とても速いのであります。
しかも、本来この船のプロペラは2速でベストマッチングなのですが、セカンドギャーはガタがあって振動が激しいのでサードで走っていました。
それで2時間半ですから、皆の者ドヒャァーと驚き、歓声を上げたのでありました・・・・がぁ・・・。
さて、バリカサグまでは何度も来ているので難無く勘で来られます・・・目印は右手に見えるシキホールです。
問題はこれからでありまして、さて、地図を持って来る係りになっていたノノイに声をかけ、地図を出してもらいました。
ガッビョーン・・・ドッヒャァーであります。
ノノイが持って来たのは、50万分の一程度の、フィリピン全土の地図であります・・・A四の紙にフィリピン全部が描かれているのであります。
これで300キロ先まで後悔するのですか?と、目が点になってノノイに問えば・・・まあ、方向はだいたい分るし、と、言うノノイで有りました。
まっ、そうだな、方向は分るな・・・確かに、だいたいの方向は分るのであります・・・そう、ここはフィリピンでありますからぁ、と。
私はコンパスを睨みながら一番始めに目標として現れそうな島を探しました。
私の記憶が正しければ、シキホールが見えなくなってしばらく行くと、一番先に現れるのはカミギンアイランドが遥か右手に見えるはずなのであります・・・がぁ?
随分ボホールの島よりに走っていたはずなのに、途中から強くなった北風に吹かれて沖に出ていたようで、カミギンがかなりそばに見えたでは有りませんか。
いやぁ・・・こりゃヤバイなぁ。
まっすぐディナガットへは行けないだろう・・・もうじき日没だぞ、と私が言うと、ジェフリーが、ボホールで一泊しようと提案して来ました。
そうだな、この後何マイル有るかも分らないし、エンジンも休ませたいから、今夜はボホールの何処かで一泊しよう、と私も賛成。
夜間航行に備えて、法定の航海灯は装備していたのだが、まあ、初航海だし、海図も持ってないで何重も島が重なる難所のチャネルを抜けるのは無謀と言う事で納得。
操舵をリチャードに譲り、北風が強くかなりの時化になった沖から、ボホールの海岸に向けて転舵したのでした。
我々は遠くから高いアンテナが見えた街を目指して船を走らせ、バレンシアと言う街のビーチへ船を着けました・・・やっとの思いでありました。
私としては、老体のエンジンに鞭打ちたく無いのでありますが、どう言う訳かフィリピン人は回転を上げたがるのであります。
エンジンの唸る音が好きなのでありましょうか?それとも、高回転の爆音に騙されて、船足が出ていると錯覚するのでしょうか?
舵を譲ったリチャードも、私がサードで静かに走っていたものをセカンドに入れなおし、うなりを上げて走らせたのであります。
まあ、それでも、波が高いので馬力を掛けたり、船足を落として波をやり過ごしたりする必要が合ってセカンドの回転が欲しかったのでしょう。

 なんとか、かんとか風の静かな岸寄りに辿り着きましたが、辺りはもう既に薄暗く、海岸線の深さもほとんど分かりませんで、おっかなびっくりビーチに侵入したのであります。
どうにか船底をぶつけずに舫いを取った時には、我々は相当にくたびれていました・・・が、仕事はまだまだ沢山あったのです。
まず、ノノイとボボンとベイビーが晩飯のおかずを取りに素潜りで海に入って行きました・・・米以外は基本的に自給自足ですから。
ボボは早速飯炊きに掛かり、トーピンとポギーとキンキンが水汲みに出掛け、私とジェフリーが燃料の買い足しに出掛けました。
リチャードとエドモンドはアンカーロープや舫の縛り直しなどをしていました。
私はガソリンスタンドで水浴びが出来るかも知れない、と思い、ポケットにシャンプーと石鹸を忍ばせていたのであります・・・へへへへっ。




  初めての船の夜

   ガソリンスタンドで軽油を買い、水を汲み、そして村人の好意で水汲み井戸でシャワーを浴び、スッキリして船に戻りました。
帰り道、氷を売っている家が有ったので20ペソ分買い、今夜のラムコ−クは冷え冷えだぁ、なーんてね。
船に戻るとボボがすでに晩飯の支度を整えて待っていました・・・おかずは、ノノイが刺して来た、キンチャクダイの丸焼きと、ヒメジのティノーラです。
私は沢山買って来たインスタントラーメンにキャベツと卵を入れて作り、ラーメンライスにして食べました・・・キンチャクダイはどーも馴染めませんでした。
昼飯にミートソースの缶詰めを気前よく使い、私の非常食にと持って来た魚肉ソーセージも食べ、トトさんが持たせてくれた干し魚も食べてしまう程に豪華に食べて、夜には11人で焼き魚一匹とは、どう言う食料計画なのでしょうか・・・いつまで経ってもフィリピン人は分からない。

 バッテリー節約のため船上の明かりは、私が持って来たLEDライト一本でしたが、この夜は見事な月夜で、デッキでは本が読める程の明るさでした。
食事を終え、食器も片付け、それぞれがここぞと思う場所に寝床を作り、ラム酒を飲みはじめたのでありましたが、まだ8時前でした。
雰囲気はすでに深夜のようで、小さなトランジスターラジオからはバラードが、静かに切なく流れておりました。
私は寝袋の上に横になり、ジェフリーが家から持って来たタオルケットを掛けてラム酒を舐めながら、明日の事を考えていました。
たぶん、遠くレイテ島の方角だと思う当たりで稲妻が光っているのですが、不思議に音は全く聞こえて来ません。あくまで静かでした。
が、しかし、それは本当に束の間の静けさでありまして、食事後シャワーを浴びに行ったボボンとノノイとベイビーの3人が戻ると、ラムコ−クを片手に本日の反省会が始まり、そして、まだ見ぬディナガットへの思いに話が弾み、結局寝たのは酒が無くなった10時過ぎでありました。

 臭い話でありますが・・・11人も乗っている訳ですから、トイレも集中したりする訳であります。
トイレは一つしか有りませんから、誰かが使っている事も多い訳ですが、そんな時にはその他の衆は、それぞれ闇にまぎれて静かに用を足すのであります。
船の最後尾で闇に隠れてしゃがみ込む影、ダイビングのエキジットに使う階段に掴まって隠れる者と、それぞれが思い思いの場所に陣取るのであります。
それが、風向きによっては、全く無関係なデッキで酒を飲んでいる面々の鼻先に臭気の猛攻撃を仕掛ける事になってしまうのであります。
そう言う私も暗闇に紛れて、はるか沖の方で瞬くパヤオ漁の明かりなど眺めつつ、しっかりと用達しなどする訳であります。
 BR>

  では、また・・・。           




南風の便りNo112へ