南風のたより  


南風のたよりNo109


    ドゥマゲッティーから、の便り


       四方山話です。

       明けましておめでとうございます、と言ったばかりだと思っていたら、もう今日はひな祭りですね。
    光陰矢のごとし、オッサン老いやすく・・・ふけたなぁ、と実感しております。

     昨日、隣の家の大学生が我が家の日陰で勉強していた折に、傍らに置いてあった歴史の教科書を読んでみました。
    私はフィリピンについて、学校で何かを教わった記憶が全く無いのですが・・・さぼっていたからでしょうか?
    大人になってフィリピンに関わりを持ってから、歴史や文化についての本は随分読みましたが、学校でそれは無かったと思います。
    私が手にした教科書の目次には日本に関わる事は第二次世界大戦の事以外は有りませんでした。
    そしてその内容は、客観的な事実と思われる事を、日時を追って書かれているだけで、感情的な記述は一切有りませんでした。
    とくに日本でも有名なバタアン死の行進についてはページ数も多く、詳しく書かれていましたが、それも事実のみの記述でした。
    特に英語が堪能な訳でも無い私が読んだのですから、正しく理解したのか怪しいのですが・・・。
    日本軍の統治について書かれていたところに、ミッキーマウスマネーと言う単語が有りました。
    日本軍の軍票を、おもちゃのお金と言う意味でミッキーマウスマネーと呼んだようです。
    私としては、戦争前に大量に移入したミンダナオの日本人についての記述があるだろうと思っていたので意外でした。
    日本人村もアバカの栽培も、ハロハロも一行もありませんでした・・・見逃したのかも知れませんが。
    ただ何となく、全体的にミンダナオについては触れないようにしているのか、そんな感じを受けました。

      突然の来客。

       昨日は日曜日で家中皆暇でした・・・ええ、一年中暇だろうと言う指摘は当っています、が、一応日曜日は特に、と言う事で・・・。
    夕方、マッツの一家が車でやって来ました。
    じゃぁ一杯やるか、と言う事で、とりあえずボラカイでもと、ラム酒をニ本とライムジュースを買って来て呑み始めました。
    そこへ、スク−バーライダークラブの面々もやって来て、何だかんだで30人程にもなりました。
    酒は買って来れば良いのですが、晩飯を突然30人分と言うのはなかなかに厳しいものがあります。
    じゃぁ、良さそうなのを二〜三羽潰すか、と言う事になりました。
    暗くなったので鶏はそれぞれの宿へ戻っていて、高い木に寝ているのは止めて、捕まえやすい鶏小屋のにしようとカロイが言いました。
    するとジェフリーが、鶏小屋のは卵を生む雌鳥ばかりだからダメだ、闘鶏用に大きくしている雄鶏にしろ、と言いました。
    今度はマッツとカロイが、大きくなった雄鶏なんか固くて食えないよ、と騒ぎました。
    結局は捕まえやすくて美味しい鶏小屋の雌鳥を三羽潰す事になりました・・・これらは本当に良く卵を生む鶏なのですが・・・。
    カロイが鶏小屋に入って雌鳥を捕まえた途端に、外に繋がれている雄鶏が一斉に騒ぎだしました。
    その泣き声は、普段とは全く違う声で、鶏小屋の雌鳥に向かって叫んでいました・・・逃げろーと言っているような気がしましたが、どうなんでしょうか?
    その後一時間程で、とても美味しいアドボに変身した三羽の鶏は、あっという間に皆の胃袋に納まったのでした。
    食べ残しの鶏の骨は周りで涎を垂らして待機している犬達が片付けるのですが、先程あんなに切ない声で雌鳥に叫んでいた雄鶏達も、骨に残った雌鳥の肉を啄みます。
    弔いの意味で食べるのか、単に美味いからなのかは分りませんが、その時の泣き声は、いつもの餌を食べる時と同じでした。

     レインボーの家出・・・?

     先月の半ばにクリーシャが突然に逝ってしまいました・・・ああ、飼っていた犬の名前です。
    その前にはシュノーケルが逝っていました。
    そして、数日前から、レインボーが家出をして戻って来ていません。
    と、言う事で、レインボー・クリーシャ・シュノーケル・ジャバと4匹もいた犬が、一匹になってしまいました。
    そのうちジェフリーがどこからか貰ってくるか、拾ってくるかですぐに増えると思いますが、何だか庭が寂しくてなりません。
    家出したレインボーですが、近所の人からの情報では、すでにカルディレータ−で食べられた、と言う事でした。
    この辺では雨が続く寒い季節に犬を食べると元気になる、と言われているとか・・・。

     MDS4・・・はできるのか?

     高波を受けて浸水し、その後沈んだMDS4は解体され、キールだけを利用して造り直す事になりました。
    MDS4を陸にあげるのには、50人もの人手が必要でした・・・降ろす時にはどうするのか、私には思い付きません。
    その後、船大工が使えそうな部材の場所を残して取り壊して行きました。
    船尾と船首の一部以外はリブ(骨組み)も組み直しで、ほとんど新造船と変わり無い仕事になりました。
    当初二週間で修理すると言い切っていた大工達も手を着けてみて余りの傷み具合に声が小さくなり、凡そ三週間を経過している現在の仕上がりは五分と言うところです。
    エンジンも水に浸かった為にオーバーホールの必要があり、船体をばらした序でに降ろしました。
    エンジンのオーバーホールだけでも大きな出費になり、ビンボーダイビング屋には手痛いパンチでした。
    二月〜三月の頭は例年お客さんが少ないので・・・へいへい、一年中少ないですよ・・・小型のボートで間に合うのですが、4月からはどうしても大きい船が必要です。
    4月からはディナガット島での環境調査などと言う仕事も請け負っており、なんとしてもボートは造り上げなければなりません。
    しかし、依託した親方に前金を半分払ってあるにも関わらず、材料もきちんと揃っていない状態で、本当にどうなるのか、とても心配です。
    まあ、しかし、ここはフィリピンですから・・・毎度の事で、予定通りに事が進むのは奇跡のような国ですから・・・と、言いつつ、分かっていても焦ります。

     螢が飛んで、夏へ・・・。

     数日前、サンタモニカビーチで酒を呑んでいたら、イピルイピルの木のそばに沢山の螢が舞っていました。
    螢はビサヤ語でアニニポットと言い、風の無い穏やかなヒに限って群れて飛びます。
    螢について何かロマンチックな言い伝えでも無いか聞いてみましたが、何もありませんでした。
    随分以前、バニラドのレンタルハウスに住んでいた頃、庭に沢山のアニニポットがいました。 その時に聞いた話では、螢は白いオゴ(妖精)の生まれかわりなのだ、と言っていました。
    彼等はミンダナオの山の方の人たちだったので、ドゥマゲッティーとは違うのかも知れません。
    螢の乱舞が見られるとドゥマゲッティーは夏到来です。
    日中の陽射しは半端ではありませんから、外を歩く人もほとんど見られなくなる程です。
    来月、4月からが夏本番で、学校も6月まで夏休みに入ります。
    海は安定して、強い風が吹く事は稀になります。
    ダイビングにはとても良い季節になりました・・・どーぞ、ドゥマゲッティーにお出で下さい。

       ではまた。


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