南風の写真便り

       

〜なんでもない話し〜


   年越しパーティーに集まったサンタモニカビーチの子供達

 サンタモニカビーチ町内会の年越し兼クリスマスパーティーに呼ばれたので、照れながらも出席させてもらった。
何と言ってもサンタモニカビーチの住民は、辿って行けば全部どこかで親戚と言う、とても血のつながりと結束の強い所なので、ぽっと出の日本人のオッサンがこのような神聖な場所に参加して良いものやら、大いに迷った訳であります。
が、招待されて断る方が世程失礼と言う事で・・・ははは、そんな神妙な気持ちは嘘でありまして、死ぬ程飲まされるので出席するには覚悟と体力と胃薬が必要なのであります。
フィリピン人が呑むぞと言ったらホント−に呑みますからね・・・酒は物凄く強いですから、皆さん。



  お目当てのプレゼントの山

 神妙に座って、村の長老の年越しのお言葉を頂戴する子供達はホントーに可愛い・・・しかし、この数分後にはいつものガキどもに変身するのでありますが・・・とりあえず、プレゼントを貰う迄はお利口にしています。
このバランガイ(町内会)はフィリピンの庶民としては極々平均的で、貧しくもありませんが、豊でもありません。
それでも、年に一度のお祭りとして、こうしてお金を出し合って子供達にプレゼントを配るなんて、素敵ではありませんか?
気の利かない私は、本日の為に用意したものと言えば、自分が呑む酒ばかりで、なんとも恥ずかし限りでありました。
と、言う事で、少しは子供達にもと思い、急遽バイクを走らせて花火を買って来たのであります・・・けっこう盛大にであります。



今はもう幻のMDS-4

 私は酒が大好きですが、強くはありません・・・と、言う事ですぐに酔っぱらいます。
そして、酔っぱらうとすぐに調子に乗ってしまい、覚めてから地獄を見た事は数知れないのであります。 しかし、悲しいかな私は、経験を糧に成長しないタイプらしく、何度でも同じ過ちを繰り返すのであります。
と、言う事で、今回は酔っぱらった勢いで大型のバンカーボートを買うはめになりました・・・まあ、どこかで欲しいと思っていたからYESと言ったのですが・・・。
そして、この写真はMDS-4の、後にも先にもたった一回きりの航海の出発の朝の写真です・・・お客様がボートに向う様子を撮ってみました。
なんでこれが最後の航海なのかと言うのは、話せば長くなるのですが、簡単に言うと、この翌日にはボートは沈没してしまったと言う訳です。
これを読んでいる方にとっては、買ったばかりのボートが沈没って、何だそりゃぁーと思うのも無理はありません。
いやいや、私の方こそ驚き桃ノ木山椒の木でありまして、青天霹靂でありました。
早い話が・・・あまり程度の良く無いボートを掴まされた翌日に、これまた運悪く、近来稀に見る大波がサンタモニカビーチを襲ったと、そう言う事でありました。



  大荒れの天気はこんな被害も・・・

   船を沈めた大荒れの天気は陸でも暴れたのであります。
長雨が続いた後の強風と言う事もあったのですが、庭のマンゴーの木が倒れてしまいました。
もっともこのマンゴーは元々根っ子に問題があって弱かった上に、今年はどう言う訳か前代未聞と言う量の実を付けて重くて仕方が無かったのです。
そんな条件の所へ長雨と強風でトドメを刺されたと言う事のようですが、今年こそはマンゴーが大収穫だと思っていた矢先だっただけに残念でなりません。
しかし倒れても木も葉っぱも生きているので下になった実はダメだとしても、上の方は収穫迄行けそうなので切り取らずに居ました。
まったく・・・今年は年明けからずーっと弱り目に崇り目で、こちらでの暮らしを続ける気力が日に日に薄れて行くようであります・・・ハハ、冗談です。




 鶏小屋の巣をヤシの葉っぱで作るイシンさん

 もともと粗末な鶏小屋が長雨で被害を受け、鶏小屋の中に設置してある巣が二つ壊れてしまいました。
壊れた巣では雌鳥が卵を抱いていたのですがそれは地面に落ちてしまいました。
私がイシンさんに、新しい巣に拾って入れたらどうなのと聞くと、一度離した卵は二度と抱かないから無理だ、言われました。
イシンさんは庭のヤシの木の葉っぱを見繕って切り落とし、形を整えて陰干しにしました。
半日程干して少し軟らかくなったところで篭に編んで行きました。
フィリピンの鶏はこうやって作る巣が一番好きで、卵を良く産むのだと言っていました。
確かに、以前、ただの段ボールの箱を巣にしていた時に比べると、格段に多く卵を産んでいると思います。




 違法 炭焼き現場

 私の家の向かいの、ダニーさんの家が建て替えられる事になった。
長男に嫁が来たりして手狭になった事もあって建て替える事になったようだ。
家を建て替えるに当たってマングナオの敷地内に植えてあったジェミリーナの木を6本切り倒して板や角材を作った。
切り倒したジェミリーナは直径が50センチ程の木で、倒してみると枝もなかなか太く茂っていた。
しかし枝はどれだけ太くても弱くて建材には使えないので炭に焼くのだと言う事だった。
数日間晴れ間が続き地面が渇き、そして、雲の様子から姑くはまとまった雨も無いだろうと言う時を見計らって炭焼きは始まった。
適当な長さに切った木をやぐらに組んで周りをバナナの葉っぱで囲い、そして土を掛けて室を作った。
文章だと簡単だが、この作業を人力で、道具は山刀とスコップ一丁で仕上げるのはとても大変な作業だった。
見ているだけでも疲れてしまい、炭焼きは割の良い仕事らしいが、私にはこれは無理だと確信した。
土で覆った室に空気穴が空いてしまうとそこから炎が出て、炭では無く灰になってしまうので、炭焼きは一晩中寝ずの番をするらしい。
夜になると、ラム酒の瓶を抱えて、2〜3人が交代で見張るのだった。
火を着けてから炭が出来上がる迄一週間も見張り続けるのだそうで、幾ら割が良くても、やっぱり私には無理な仕事だ・・・金の問題じゃ無いよ、これは。
ちなみにフィリピンでは炭焼きは許可制で、無免許の炭焼きは違法との事ですが、これの仕掛人が警察官のロイだと言うのがどうにもフィリピンでらしいです。


  では、また・・・。           




南風の便りNo109へ