ドゥマゲッティーの少年の話


    エリック


     エリックは小学校中退の13歳。昨年の10月からMDSの雑用兼見習いダイバーとしてマングナオで寝起きしていた。
    しかし、いろいろ訳有って、自宅へ戻り、今はたまに遊びに来たり、ダイビングを手伝ってもらっている。

     エリックは形(なり)が小さく子供そのものに見えるが、あらゆる方面に既に大人だ・・・たぶん、だが。
    大人である彼は、金を稼ぐ事ができるし、彼女の面倒見もその金で賄っている。
    勉強は大嫌いだが、それもしっかりした理由が在っての事で、怠け者と言う事ではない。
    エリックは10歳から漁に出ていて、今では、いったん海に出れば父親に劣らない漁をして来る。
    こう言う仕事は持って生まれた勘が良ければ、あっという間に上達するのだ。

     ある日のこと、エリックは朝5時に家を出て行って漁をして来た。
    MDSでは客が無く暇だったので、漁に行って良いかと前の晩から聞いていた。
    私がくれてやったやった自転車を大事に修理しながら乗っていて、サンタモニカまでそれで行く。
    その日の漁はサカヤン(丸木をくり抜いて作った手漕ぎの船)に乗ってバーコンまで、バルー(ダツ)を求めて流して行った。
    距離にして直線で7、8キロは楽に在る。
    行きは仕掛けを投入して、潮と風に乗って流しながら下って行く。
    発砲スチロールの浮きに仕掛けを垂らし、小魚を餌にくっつけて流す。
    それを一度に数10個流して、バルーが食いついて浮きが走り出すのを見張りながら下る。
    沢山流せば効率は上がるが見失ったり、同時に魚が掛かって逃げられたりと良くない事も在り、難しい。
    海の状況を含めて総ての事が読めないと一人前の漁師にはなれない。
    最近ノノイが客の無い時の収入確保にと漁師の真似事をしているが、エリックには全く歯が立たない。
    魚が食い付くと走り出す浮きを見逃さないように海面を見張るのだが、波もあるし風もあり、光る海面は小さなサカヤンから見えにくい。
    浮きが走り出したら全力でサカヤンを漕いで浮きを回収に向かう。
    出遅れれば魚は針を振り切って逃げてしまうかも知れないので、とにかく急ぐ。
    ダツの口先はカミソリの様な歯が並び危険なため、魚をサカヤンに取り込んだら糸は切ってしまう。
    そうやってずんずんと潮に乗って下って行く。
    帰りは潮に逆らってパドルを漕いで戻って来なければならない。
    だから身体の小さなエリックだが、その掌は私よりも遥かにごつごつしていて力強い。

     エリックはこの日、早々と引き上げて来たが、サカヤンには7匹のバルーを入れて来た。
    サンタモニカの漁師のなかでもトップクラスの漁だった。
    数匹をマングナオの昼飯と彼女への土産に確保して、残りはチャンゲ(市場)へ売りに行った。
    チャンゲへは他の漁師の分もまとめて袋に入れ、浜で待機していた嫁さん連中がバイクで持って行く。
    この日はノノイのカミさんが、エリックのオフクロさんと二人でチャンゲへ向かった。
    エリックのオヤジさんが250ペソ、エリック200ペソ、ノノイが150ペソの収入だった。
    エリックは100ペソをオフクロさんに渡して、昼飯を食ってからデートに出かけた。
    浜の男達は口々にエリックを囃し立て、まだ日暮れまでには時間があるぞ、などと言う。
    エリックがガールフレンドを作ろうが、学校に行かずに漁に出かけようが浜の人達は誰も何も言わない。
    サカヤンを操って一人前の漁ができれば、それで立派に大人の証だからだ。

     エリックが居候していたマングナオには、まずい事に小学校の先生がいた。
    先生は、エリックを見つけると、せめて小学校に行って読み書きだけはなんとかしろ、としつこく言う。
    マングナオに居候し始めた頃はニコニコ笑って返事をしていたが、私は彼の返事を信じては居なかった。
    だいたいこう言う男は、建物の中で机に向かって何時間もじっとしている事など不可能なのだ。
    そして、エリックに学校の勉強が必要なのかどうか、私にも分からない。
    少なくてもエリックは、もう既に食う事には困らない男だ。
    読み書きはあやしいが金勘定は素早い。
    どういう頭の構造なのか、おつりの計算も暗算でちゃんと出来る。

     今年の6月から小学校に行く事に、予定ではなっていたのだが、やはり行かなかった。
    思った通り、学校が始まる6月を迎える少し前に自宅へ戻って行った。
    それからは毎日この界隈で一番若い、売り出し中の漁師として活躍している。
    私にしてみれば、どうせ数日で逃げ出すのが見えているから、無理強いしてもなぁ、と思っていたのでほっとしている。
    周りが寄ってたかって無理に学校へ押し込めても、彼は直ぐに逃げ出して、常識的な人達からは顰蹙をかうだけだろうと思う。
    そんなエリックに、敢えて目に見える挫折を与える必要は無いのだから、これが正解だったのだと思う。

     エリックのように自分の生き方を自分で決められる環境に日本人の子供が置かれたらどうなるんだろう?
    ふと、そんな事を考えてみると、貧しいと思われているフィリピンの子供の方が、楽しく生きているように思えてならない。
    学校にも行かずに(行けずにかも知れないが)そこいら中を駆け回っている小さな子供達は、なんたが常に笑っている。
    とても楽しそうに、他愛も無い遊びにふけって、笑い転げている。

     漁に出て手に入った金で暮らしを賄えるエリックに、明日の不安は無い・・・少なくとも私にはそう見える。
    こんな事を書くと、病気になったらどうするとか、将来はなんて事を言われたりもするが、彼らは今を楽しみに生きている。
    過ぎ去った過去にも執着しないし、まだ見ていない未来にはあまり期待していない。
    今日1日が楽しかった・・・さぁ、明日に備えて寝るとするか・・・と、未来なんて精々明日の朝の予定しか持たないのだ。
    海に出たエリックは、ドゥマゲッティーの海の事では私より数段上で、頼りになる。
    男って、本来はこんなシンプルな生き方が向いているのかな、なんて、少し羨ましくさえ思う。
    男、エリックの生き方でした。


    ではまた。


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