〜結成、そして旅立ち〜

 中学生時代は、「軟式野球」というよりも、「球遊び」という表現が正しかったように思える。
庭球野球の延長として、5〜6人で投げる・打つという行為を繰り返しているだけであった。
やがてあっという間に中学卒業を迎え、6人はそれぞれ高校に進学することになる。
それぞれ市内同じ県立高校に進学する者もいれば、他の県立高校に進学する者、
または市外の私立高校に進学する者等、その進路はバラバラであった。
一般的にはこれを機に疎遠になるところであるが、より一層繋がりが強くなった上に、
何人かが県立北高校に進学した事が後々チームの生い立ちに多大な影響を与える事となる。
 高校2年時、中学時代に交友があり、やはり北高校に進学していたMASASHI、
北高校で一部メンバーと友人関係となったSATORYO、TAICHI、そして助っ人の友人を加え、
総勢9人超となり、ようやく「野球」という舞台に立つことが出来るようになる。
 そして、いよいよ旅立ちの日を迎える。インディアンズ前身「キタコーズ」として。
(注:「キタコーズ」の由来は読んで字の如く、北高校のメンバーが大多数であった為である。)
 記念すべき第1戦は江戸川河川敷。練習を行っているチームに声をかけ、試合を申し込んだ。
(後に「ゲリラ」と呼ばれる、最近まで試合を行う際最も高頻度で使用された手法である。)
相手は市内私立大学のテニスサークル。当時の守備位置を以下に記す。
 1TO-RU 2MASANORI 3MASATO 4SATORYO 5KAZUYA 6SHINGO 7MASASHI 8TAICHI 9友人
 試合は11-11の引き分け。軟式野球未経験者が多いメンバーでは健闘と言える部類かもしれない。
しかしこの試合をきっかけに、練習の重要さ、そして勝利への貪欲さを得る事となる。
そして、奴等に出逢った・・・。

02.創成期