〜物足りない安定、そして事件と決断〜

 前年100%の力を出せずに敗退という辛酸を舐めたメンバーであるが、
この頃から安定した試合運びが出来るようになっていた。
それぞれが自分の役割に徹し、打順や守備位置も適正を見極めた上で固定した事、
それが主な理由としてあげられるだろう。
 順風満帆に物事が進むかに思われたが、残念ながら市民大会では取りこぼし的な敗戦を繰り返し、
上位進出もままならない状態であった。 1996年は2回戦で敗退する。
 勝てる試合を落とす、これは実践不足に起因するものかもしれない。
当時は練習試合の数も少なく、グラウンド確保自体あまり芳しくない状態であった為、
市民大会にほぼぶっつけ本番で望んでいるようなものであった。
 1997年、そんなジレンマに苦しむチームを嘲笑うかのように、メンバー激震が走る。
多数のメンバーが1997年に就職を迎えたが、当時主力メンバーであったISHIDA、TAICHIの2名が、
地方での就業を余儀無くされたのだ。
人数的にあまり余裕の無いチームにとって、彼らの脱退はあまりにも痛手である。
 その悪夢も覚めやらぬまま迎えた1998年市民大会では、
ギリギリのメンバーで前年同様健闘するも3回戦で敗退する。
 このままではチーム存続の危機という状況で、更なる試練が訪れる。
正捕手のMASANORIが健康上の理由によりチームを脱退、メンバー減少に歯止めがかからない。
 「解散」という最悪の結末が実しやかに囁かれる中、チームはある決断を下す。
それは今まで「同期」のメンバーで約6年戦ってきたチームにとって、あまりにも勇気の要る決断であった。

06.安定期