ともあれ。
 吸血大殲はひとまず終結を迎えた。だからこれ以降の物語はどこまでも蛇足
に過ぎない。しかし一方でその後の彼等がどうなったか、これを記さないまま
ではこの物語に決着をつけることもできないこともまた確かである。
 まずは、世界の変容から語ろう。


 各地に飛び散った吸血鬼の怨念は、伝説だった吸血鬼を蘇らせ、世界を支配
するとまではいかないまでも、ニューヨークや上海、パリといった都市に空前
規模の吸血鬼支配地区を作り出すことになった。
 吸血鬼の存在がマスコミに公開され、世界がパニックに陥る中、九割以上の
人間は彼等の存在を恐れたが、一割以下の存在――オカルトマニア、チンピラ、
富豪の老人、良家の不良子女らは彼等に憧れ、吸血鬼の奴隷となる人間が次々
と増えた。
 ヴァチカン率いる第十三課とて、ブームというものは止められない。まして、
それが政治家にコネを持つ連中となると、また余計に厄介だった。駆逐する吸
血鬼は増えたが、それ以上に吸血鬼になりたがる人間も増えた。いずれにせよ、
彼等の戦いは当面――ひょっとしたら永久に――終わらないだろう。
 日本も、少々変わりだしていた。対吸血鬼部隊が組織され、元自衛隊、元レ
ンジャー部隊らの屈強な人間が吸血鬼ハンターの指導を受けて、ちらほらと増
え始めた吸血鬼を狩り出していた。
 とはいえ、所詮平和国家の日本にそう大したことができるはずもなく、そし
てそう大した吸血鬼が生まれるはずもなく、強いて変わったことと言えば、遠
野秋葉の髪が紅くなる回数が少しばかり増えたくらいだろう。
 世界が激動する中、島国である日本はわずかばかり平和だった。
 その他の国は多かれ少なかれ犯罪が増え、特に血生臭い事件が増えた。
 次に組織について語ろう。


 インテグラとウォルター、それにベルナドットはアーカードとセラスと合流
して英国に戻った。世界の惨禍は理解しているが、それよりも大英帝国の防護
が優先されるのは当然だろう。インテグラも世界の激変を噛み締めていた。
 そして――しばらくして後、戦力を立て直したミレニアムが、今度こそ悲願
である大英帝国への侵攻を開始した。
 もっとも、第二次吸血大殲とも呼ばれることになったそれはまた別の話、別
の殲争だ――。
 第十三課は、ヴァチカンの復興もさることながら、世界中に飛び散った吸血
鬼を滅ぼさんとあちこちを飛び回る羽目になった。第十三課だけではなく、ヴ
ァチカンが秘匿していたありとあらゆる軍事力が総動員され、世界のあちこち
で吸血鬼との激闘を繰り広げることになった。
 イノヴェルチは――ほとんど瓦解していた、数少ない幹部も散り散りになっ
て世界へと逃れ、また眷属を増やしていくが、今度は旧イノヴェルチ同士で争
いが巻き起こる始末。いずれにせよ、イノヴェルチという組織は完全に解体さ
れた。
 インフェルノもまた同じ。幹部も頭となる男も存在しない今、ただの烏合の
衆に過ぎない。やがて彼等はまた別の組織へと吸収され、今ではその名前のみ
が残る伝説の組織と化している。
 最後に、人について語ろう。


 玲二とエレンは、ケイティと合流した。幸いにも大人しく隠れていた少女は
二人の姿を見るなり、泣きながら飛びついた。そしてそこでエレンが、ハッキ
リと両親の死を彼女に告げた。
 ……だが、彼女はそれに関しては涙を見せなかった。
「もう、泣きすぎちゃったから」
 とは彼女の弁だ。ケイティは決してエレンと離れようとはしなかったが、玲
二たちとのしばらくの旅の後、ブレイドの旧知である骨董品屋の老人の養女と
なった。
 時折来るエレンと玲二からの手紙を待ち望みながら、悪夢に怯えることもな
く、日々を幸福に暮らしている。
 そして、その玲二とエレンはモーラやキャルと別れた後、エレンの数少ない
手がかり、漠然とした夢を頼りにモンゴルへと飛んだ。もうインフェルノに追
われることもない、という安心感からだろうか。
 二人は飽きるまでモンゴルを巡ることに決めた。同じくモンゴルの草原を旅
する遊牧民達が、家族の一人として二人を迎え入れた。何処までも続く草原で
両腕を一杯に広げながら、エレンはモンゴルを享受する。
 そして、毎夜星空にモーラの無事を祈る。
 彼女が無事でありますように、彼女が幸福でありますように。
 玲二はそんなエレンを優しく見守っていた、いつまでも……いつまでも。

 伊藤惣太とリァノーンは、デスモドゥスを拾ってヴァチカンを脱出し、リァ
ノーンの体力の回復を待って、ローマを離れた。彼等は決して人の血を飲まず、
また人の前に出ることも極めて稀であり、いつしか生きた伝説と成り果てた。
 だが、そんな彼等でも暗号めいた絵葉書を日本に送ることがあった。住所は
別れ際に彼に教えてもらっていた。
「――今度、機会があったら一緒に飲もうぜ」
 そんなコメントがつけられた世界中あちこちからの絵葉書が遠野家に届く。
 無論差出人は無い。遠野志貴様、とだけ書かれているそんな絵葉書を出すこ
とが、唯一惣太と現世との繋がりだった。
 彼等が人前に再び現れるのは、そう――後、七十年以上は後だ。

 ブレイドと、そして日本刀を拾い上げるなりいずこともなく消えてしまった
Dは、やはり第十三課と同じように世界のあちこちにふらふらと現れては吸血
鬼を斬り、また闇へと消えて行く。恐らく、彼等はその行為を繰り返すことを、
決して止めることはないだろう。――死ぬまで。

 遠野志貴と、アルクェイド・ブリュンスタッドは無事に日本へと――何ヶ月
もかかって――帰国した。帰国するなり、秋葉の般若のような形相に出迎えら
れた……が、志貴の左腕を見て、彼女は即座に卒倒した。
 ……結局、左腕は戻らなかった。恐らく、ヴァチカンのあの場所の何処かに
白骨となったそれが見つかっている頃合かもしれない。だが、志貴は別段気に
した風もなく、ポルシェ社製の凄まじく精巧な義手を掲げて笑った。
 それは――戦いを勝ち抜いた男の誇りだからだ、と志貴は言いたかったが、
恐らく彼の周りの女性は誰も理解してはくれまい。
 ついでに世界を救ったのだ、と志貴がいくら説明しても秋葉は聞く耳を持た
なかった。
 それからアルクェイドと秋葉の口論が激化したり、翡翠と琥珀に真剣に無鉄
砲ぶりについて説教されたり、普段だらしない有彦がさすがに真剣に左腕につ
いて心配してきたり、と志貴の普段からはちょっとズレた生活が続いたが――
やがてそれも落ち着いた。
 志貴は結局一年留年して、有彦の一年後輩となったものの学校にはしっかり
と通い続けている。そんな彼を追いかけるアルクェイドも変わらない。秋葉は
なぜか志貴と同じ学校に転校し、志貴と同じクラスになった。
 そんな彼が無くしたのは左腕と、それから――。
 それから、温かく見守ってくれる姉のように優しかった先輩だけだ。

 そして最後に。
 キャル・ディヴェンスとモーラについて――。





 トラックに潜り込んでローマから脱出し、夜闇に潜んでさらにヨーロッパか
ら抜け出て、吾妻玲二やエレン、ブレイドに別れを継げた後。
 アフリカ大陸の名も知らぬ小国の名も知らぬ土地の名も知らぬ崖。
 キャルは、腕の時計をちらりと見て眉をひそめていた。時刻は午前五時、ま
だ薄暗いものの、恐らくはあと三十分もしない内に太陽が昇る。できれば、モ
ーラの躰のためにも、何処かに息を潜めて隠れておきたい。

 だが、不可解なことにそれをモーラが許さなかった。
 この名も無い崖で、モーラは真っ黒いコートとフードを目深に被りながらじ
っと太陽が昇り来る東を見続ける。
「モーラ、もうそろそろ行かないと」
 だが、彼女は黙って首を振った。数日来、彼女は自分の躰に異変が起こって
いることに気付いていた。
 最初は鍵として集められたパワーが溢れているのだろう、と解釈していたが、
纏っていた光が完全に消えても尚、拭い去ることのできない違和感に頭を捻っ
ていた。
 これをキャルに相談しなかったのは、その異変が――何故か好ましいものに
思えたからだ。そう、例えるならば。手を広げて羽ばたけば、どこまでも飛ん
でいける、というあの気分。世界の法則全てを支配下に置いたようなあの高揚
感。
 そしてある日、モーラは「もしかして」という仮定を結論とさせるために、
この崖に来ていたのだった。
 ゆっくりと崖に近付いて行く。キャルの押し留めようとする声も聞こえない
かのように、一歩一歩。
 下は海、落ちてもモーラは死なないかもしれないが、崖に叩きつけられるか
岩に突き刺されば重傷は免れまい。
「モーラ! もういいだろ、帰ろうよ!」
「そうはいかない……わ」
 震える。
 自分の仮定が合っていることを願う。
 一歩、近付く。
 とうとうキャルがモーラの肩を掴む。だが、コートのフード越しのモーラの
表情に気圧される。
「お願い、手を離して」
 従わざるを得ない、キャルはモーラの肩から手を離した。
 モーラにとっては、地獄のような待ち時間だった。焦燥と希望が複雑に絡み
合い、恐怖と勇気が心の中でぶつかり合う。
 やがて、水平線からゆっくりとそれが姿を現わした。そう、太陽だ。万物に
恵みと希望を、闇の眷属に苦痛と絶望を与える光。
 モーラは目を瞑り、それを受け入れる。
 するりと、頭からフードを脱いだ。あっとキャルが口の中で悲鳴をあげるが、
構わずモーラはコートを脱ぎ捨てる。
 キャルは慌てて彼女に駆けよろうとして、動きを止めた。


 モーラは、両腕をまるで磔にかけられたように横一杯に伸ばし、
「まさか……モーラ……」
 太陽の光を享受していた。
 彼女は克服したのだ、ついに。神が与えたご褒美か、彼女に流れ込んだ二人
のパワーが彼女に留まり続けているせいなのか。
 二人にとって理由はどうでも良かった。ただ一つ確実なのは、彼女が陽光を
受け入れることができる、という事実だ。
「知らなかった」
 モーラが呟いた、嬉しそうに、哀しそうに。
「太陽が……こんなに……こんなに、美しいなんて……知らなかった……。
 なんて――なんて、綺麗なんだろう………………」
 モーラは静かに――もう零すまい、と思っていた涙を流した。
 その陽光のあまりの美しさ、荘厳さにこみあげるそれを止めることができな
かった。キャルもまた目尻から涙が流れ出すのを感じてはいたが、止める術が
存在しない。
 ただもう後から後から溢れる涙を拭い去ることも忘れ、絵画のように美しい
その光景を、一生忘れまいと目に焼きつけていた。
 モーラがキャルの方を振り向いた。儚げな金髪が陽光に煌き、背中から射す
光はさながら聖女の纏う後光を思わせた。
 キャルは泣きながら、ゆっくりモーラに近づく。モーラもゆっくりとキャル
に歩み寄り――二人して、しっかりと抱き合った。















                                Fin







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