I am going in search of a great perhaps.
(私は偉大なる「もしかして」を探しに行くのだ)
                      ――ラブレー















 気分の良いツーリングだった。屍体の焦げる香ばしい匂い、屍体から流れる
血の芳しい匂い、屍体にたかる蛆虫達の匂い、全ての匂いがジグムンド・ウピ
エルの鼻孔を刺激し、破壊衝動を増幅させた。
 途中で出会った生存者達を、戯れに虐殺する。銃剣で首を叩き斬り、精密な
射撃で眉間を撃ち抜く、だが一番楽しいのは何と言ってもデスモドゥスで彼等
を纏めて轢殺することだった。
 バンパーの牙を突きたてられた哀れな犠牲者は内臓を引きずり出され、ある
いは肉片と化し、激痛に悶え苦しむ――極めて強いサディスティックな性格で
あるウピエルにとっては最高の悦楽だったろう、射精までには至らなくても勃
起くらいはしていたことは間違いない。
 アンデルセンが最後に確認された場所まで後少し、さすがに“遊び”は控え
て、彼は油断なく周りを索敵していた。少しでも動くものがあれば、ステアー
AUGの弾丸を打ち込み、少しでも気配がしたのならば、そちらの方向に存在
するもの全てを頭に叩き込んだ。
 今のところは徒労に終わっている。だが、いずれ彼が出てくることは間違い
ないはずだ。そう信じてウピエルは索敵を続けていた。
 そんな時だった、突如あの“門”が現出したのは。
 その時のことをもしウピエルが振り返ったのならば、何度悔やんでも悔やみ
きれないだろう。ウピエルは――これまでついぞなかったことだが――全長数
キロはあると思われる圧倒的なまでの大きさを誇る門に呆然としていた。
 デスモドゥスの速度を我知らず緩め、上空に停滞している門を仰ぎ見る。
 ――これが、あの貴族爺のやりたかった、こと、ってぇのか?
 ウピエルは呟いた。

 そんな彼の元へ真っ直ぐ駆け抜ける影がある。影は信じられないくらい高速
で、尚且つ足音も立てず、完璧なまでに気配を殺し、ウピエルの首を狙って真
正面から突っ込んだ。
 門の威容に見惚れていたウピエルは、一瞬反応が遅れた。前を見る、月光に
キラリと煌いた線があった。その線が何であるか思考する前に、そして肉体が
迫り来る危機に反応するよりもさらに早く、その線――極細のワイヤーがウピ
エルの首をいとも簡単に断ち切った。
 だが、ここでウピエルの超人的な反射神経が発動した。右手を上げて、後方
に吹き飛びつつあった自分の首を引っ掴む。デスモドゥスを左手一本でコント
ロールするのは骨が折れるので、ブレーキをかけた。そのまま半円を描くよう
にデスモドゥスの車体をスライドさせ、停止する。
 切断面からは血が噴水のように溢れ出している、右手に抱えられたウピエル
の首は怒りの表情を露にして、目の前の影に向けて怒鳴った。
「手前ェ――何者だ!」
 その黒いコートの男は蹲っていた躰をゆっくりと起き上がらせると、首だけ
になったウピエルに同情するかのように首を横に振った。だがその後で、ウピ
エルの神経を逆撫でするような笑顔を見せる。
「久しぶり……というほど時は経ってないよな、ロッカー」
 声に聞き覚えがあった。
 姿に見覚えがあった。
 ああ、決して忘れたことなどない愛すべき吸血鬼ハンター。
「お前も来てやがったか――ブレイド!」
 ブレイド、と呼ばれた吸血鬼ハンターは袖口にワイヤーを仕舞い込んだ。そ
れから髪を掻き上げ、ウピエルに向かって皮肉っぽく言う。
「まだ生きてるのか、貴様。首を吹っ飛ばしてやったんだから、大人しく死ん
でいてくれればいいものを」
 ウピエルはそんな彼のからかいには応じず、斬り飛ばされた首を持ち上げて、
切断面に押し当てた。あっという間に表皮が付着し、筋肉が融合し、神経が結
合する。
「生かして返さねぇぞ、中途半端な吸血鬼野郎」
「お前と一緒にするなよ、ダサい吸血ロッカー野郎」
 互いの視線が殺意を伴って絡む、互いにこの戦いは絶対に避けることができ
ないものだと理解している。そしてもちろん、避けるつもりがないことも。
 バイクの排気音、燃え盛り崩落する建物の音、にも関わらず、二人はとても
静かな処に居た。静かに殺し合おうとしていた。
 ブレイドはウピエルの全身をその目に捉えながら己の名の由来でもある、チ
タン製の刀を背中から引き抜いた。構える。
 デスモドゥスのエンジンが甲高く吼えた、爆発的な突進力でブレイドに襲い
かかる。だが、それでもブレイドが避ける余裕は充分に合った。ブレイドは突
進をギリギリのところで避けながら、返す刀でもう一度ウピエルの首を断ち切
ろうとする。
 キイン、と耳障りな金属の擦れ合う音。ウピエルが持つスクリーミングバン
シーの銃剣と、ブレイドの刀がお互いの力を相殺する。近距離ではほぼ互角と
見て取ったウピエルはデスモドゥスでもう一度Uターンし、中距離からの射撃
でブレイドを追い詰めようとする。ブレイドはそれに対抗して、ホルスターか
ら引き抜いた改良MACHの弾丸を雨霰と放ったが、デスモドゥスの前面の牙
に阻まれて、ウピエルまで届かない。もっとも届いたとしても、果たして銀の
弾丸なんてものが今の彼に効果あるのかどうか。結局、ブレイドの放った弾丸
はただの目くらましでしかなかった。
 ちっ、と舌打ちしながらブレイドはウピエルの放つ弾丸を躱そうと横に移動
する、建物の壁を蹴りながら疾走、彼の疾った後の壁に次々と弾痕が創り上げ
られた。
 ステアーAUGの装弾数は三十発。その三十発目が放たれ、そしてブレイド
が蹴り上げた直後の壁に突き刺さった。それとほとんど同時に、ブレイドが接
近戦を挑んだ、弾倉が地面に落下する、ウピエルは落ち着いて弾倉を再装填し
ようとしたが、ブレイドが接近して襲い掛かる方が恐らく疾い、と見当をつけ
た。
 ならば、とウピエルは瞬間的にデスモドゥスを発進させた。真っ直ぐブレイ
ドに向かって突撃する。ブレイドは先ほどと同じパターンを繰り返そうとした。
 即ち、ギリギリのところでデスモドゥスを躱して乗り手の首を斬り飛ばす。
 だが次の瞬間、ブレイドは戸惑うことになった。ウピエルがデスモドゥスの
車体を蹴って、跳躍したのだ。混乱、こちらに向かって真っ直ぐ突き進むデス
モドゥスに脳内が支配され、一瞬ウピエルのことを忘却した。もちろん忘却は
一瞬の出来事だったが、そのせいでブレイドはウピエルの居場所を想定するこ
とが不可能になった。
 デスモドゥスを避ける、デスモドゥスはそのまましばらく疾った後、乗り手
の不在に気付いたように道路に横転した。次の瞬間、ブレイドの脇腹に灼熱の
ような痛みが襲いかかった。見ればスクリーミングバンシーの銃剣が彼の脇腹
に深く深く突き刺さっている。
 ――くそ。
 肘打ち一発、銃剣は引き抜かれたが出血が酷い。手で抑えてはみるものの、
後から後から血が溢れ出す。どうやら相当の深手らしい。
 しかし、今は夜。吸血鬼のパワーを半分受け継いだブレイドにとっては然程
大したものではなかった。それよりもまず、ウピエルを倒すことが先決だ。傷
の痛みを神経から遮断し、ブレイドは刀を納めて接近戦を挑んだ。今の一撃で
己と相手の力量を見極めたウピエルは自信たっぷりにそれに応じる。
 ブレイドの攻撃はまず、左ジャブからスタートした。腕をそのまま伸ばしな
がら、さらに接近戦を挑むために踏み込む。ブレイドの躰がウピエルの懐に潜
った。右掌を広げたまま突き上げる、ウピエルの顎を掠めたがクリーンヒット
には至らない。逆にウピエルがブレイドの掲げた右腕を引っ掴み、そのまま脇
へ肘打ちを三連発で叩きこんだ。最後の一発で、ブレイドの肋骨を折ったとい
う手ごたえがあった。
 だがブレイドはその隙に左手を伸ばして、ウピエルの首を掴み一気に捻った。
 先ほどの傷が完全に修復してないせいか、あるいは彼の握力がとてつもなく
強かったのか、いずれにせよウピエルの咽喉は潰れた。更に反射的に自分の咽
喉を抑えたウピエルに回し蹴りを叩きこむ。これで一気に形勢が逆転した――
かのように見えた。
 ウピエルは咽喉を抑えて蹲ったかと思うと、そのまま大地に身を伏せながら
ブレイドの足元に襲い掛かり、右腕を振り回した。鋭く尖った爪がブレイドの
脚を切り裂く。ブレイドは一瞬苦悶の表情を覗かせたが、切り裂かれた足で大
地を一層強く踏み締め、下段踵蹴りでウピエルの右腕を押し潰した。
 肉と骨が纏めて潰れる厭な音。

 ブレイドが背中から刀を引き抜いた。
 ウピエルがスクリーミングバンシーの銃剣でそれに応じた。

 既にウピエルの右腕は再生している。吸血鬼の回復能力は凄まじいものだが、
さすがにこれほどの速度での回復は、ブレイドにとってはフロスト以来だ。
 火花が散った。ブレイドの刀とウピエルの銃剣がぶつかり合い、それぞれの
肉体の致命的な急所を狙い、狙われ、受け止め、受け止められる行為を何度も
何度も繰り返す。
 互角だった。
 ブレイドとウピエルの身体能力を考慮した場合、完全な吸血鬼であるウピエ
ルの方が明らかにスペックという点で勝っている。しかし、本来ギタリストで
本格的な格闘技を習っていないウピエルに比較して、ブレイドはウィスラーか
らちゃんとした武術を習い、それを実践している。もっともお互いに戦闘――
特に死闘と呼ばれる経験が豊富なために、武術の比較はあまり意味がない。む
しろ意味があるのは、彼等の武器だ。
 ブレイドの武器は刃渡り九十センチの刀、一方ウピエルの武器はスクリーミ
ングバンシーについた銃剣だ。ギターとステアーAUGを組み合わせているだ
けに、いかにも扱いにくい。
 長時間の接近戦と限定するならば、武器はなるべくシンプルで軽い方が良い、
というのが常識だ。だから、ここはブレイドが有利となっていいはずの場面で
あった。しかし、スペックの差がその有利さをあっさりと覆す。
 ブレイドの攻撃に慣れを感じ始めたウピエルが、次第に彼を追い詰め始めた。
「どうしたヒップホップ野郎! 足元がヤワいじゃねぇか!」
 銃剣で咽喉を狙いながら、同時に脚に蹴りを入れる。銃剣を捌くことに意識
を集中していたブレイドはウピエルのローキックをまともに受けた。先ほどの
斬撃で傷ついた脚とあわせて、両足のフットワークが極端に鈍った。
 こうなると、もうブレイドは防戦一方にならざるを得ない。ブレイドは焦燥
の念にかられるのを必死で押し止めた。ウピエルに焦っていると気付かれたく
はなかった、気付かれたら最後、彼は一気呵成にこちらの急所を狙い続けてく
るだろう、そうなると全ての攻撃を捌ききらなければならない。今、ウピエル
は牽制と急所への斬撃を織り交ぜるという緩急ある攻撃を仕掛けている。牽制
の攻撃なのかどうか見極めさえすれば、それなりに楽だった。
 もちろん、見極めを誤れば即座に地獄行きだ。ブレイドは焦りを殺し、己の
位置と意志をコントロールしながら、両足の回復を待った。完全回復までには
時間がかかりそうだが、一瞬でもいいからウピエルの懐に一気に飛びこむこと
ができるようになるには、それほど時間が必要とはしていないようだ。
 逆に、攻めに攻め切れないウピエルの方が次第に落ち着きを無くし始めてい
た、牽制と急所への攻撃のパターンが繰り返しに陥り、単調になる。
 両足が、瞬間的にならば全力の強さを出せるくらいにまで回復した。ブレイ
ドはここが勝負時だと考え、刀の柄にある仕掛けをそっと回した。それからお
ざなりと言っていいほどの斬撃――単純なまでの唐竹割り――を繰り出す。
 ウピエルが横にした銃剣でそれを受け止めた。
 ニヤリと嗤う。
 ウピエルも、そしてブレイドも。
 ブレイドは右手に持っていた刀を柄の部分から掌で押し出した。真一文字に
受け止めていたウピエルの銃剣が軸代わりとなって、くるりと回転し――刀の
柄がウピエルの顔面間近にきた瞬間、仕掛が発動。ウピエルの顔面に剃刀のよ
うに鋭い刃が直撃した。
 目の前が真っ赤になる、悲鳴をあげてスクリーミングバンシーからも手を放
し、両手で顔面を抑える。ブレイドは地面に落下するスクリーミングバンシー
を蹴り飛ばし、ギターを破壊するとウピエルの懐に踏み込み、篭手に装備され
た注射銃にセットしてあるEDTA――抗擬血剤を彼の首筋に撃ち込んだ。
 ウピエルは首筋から自分の体内に侵入した青い溶液のおぞましさに、もう一
度悲鳴をあげた。自分の肉体が、骨が、神経が、細胞が、分解してゆく様がウ
ピエルには感じられた。
 苦痛はほとんどなかった、それだけにそこには途方もない恐怖が存在した。
 痛みがなく、自分の躰が崩壊していく、というのは――想像したくもない恐
怖だな、とブレイドは瞬間的に思った。
 地面に突き刺さった愛刀を引き抜いた、くるりと回転させて未だ膨張を続け
てはいるものの、恐らく聴覚はまだ残存していると思われるウピエルに向かっ
て先ほどの返答を言った。
「あばよ、時代遅れのロック野郎」
 その言葉が耳に届いたか届いてないか、そしてウピエルがその言葉を理解し
たか理解していないかの内に、ブレイドの刀がウピエルの心臓を串刺しにした。
 次いでブレイドの回し蹴りが刀の柄に当たった、ウピエルは後方に勢い良く
吹き飛んで叩きつけられた。しかし、叩きつけられた瞬間にウピエルの躰は無
数の赤黒い液体、ただの血液ですらない存在へと分解していた。

 ブレイドが刀を背中に納める。既に両足は完全といっていいほどの回復レベ
ルに達していた。さて、これからどうするべきか――?
 ブレイドは空を見た、真っ暗な闇の空には巨大な門が浮かび上がっている。
 彼はその門がどんなものであるか、理解していなかったが直感的にその危な
さだけは伝わってくる。それを見て、彼は自分がこの先どこへ行くか決断した。
 ――よし、とにかくヴァチカンに行こう、ヴァチカンに行けば何もかもが理
解できるはずだ。
 ブレイドは路地裏に隠してあった、自分のバイクを取り出した。真正面から
ぶつかるのはあまりに勿体ないと思って隠してあったのが功を奏したらしい。
「よし」
 ブレイドは満足気に頷いて、バイクをフルスロットルで発進させた。
 ウピエルの残骸――ですらないもの――は、しばらく地面に付着していたが、
やがて風に浚われ、その血痕は消えて行った。
 哀れなる最高のハードロッカー、吸血鬼になってからは“ただの”楽士に陥
ってしまったジグムンド・ウピエル。彼がギターを弾く日は当分来ないだろう、
少なくとも地獄の門番がギターの演奏を認めてくれるまでは。


                ***


 ネロ・カオスは空を仰ぎ見た。ついに門が召喚されたらしい、あちこちで悲
鳴が上がっているのは、恐らくはこの黒い塊――殺された吸血鬼の怨念に当た
り負けした連中だろう。
 ――情けない。
 そう思う、こんなものは己が動じることなければ、とり憑こうとは考えない。
 手で掴めば拡散し、ただ気流に呑まれて消えて行くのみだ。だのに余計なこ
とを考えてパニックを起こしたりするから、心の隙間を突かれて容易に憑り殺
されてしまうのだ。
 もっとも、別段そのことに関してネロは同情や侮蔑といった考えを持ち合わ
せていたつもりではない――ただ、それが事実だ、ということを考えていただ
けだ。
 そんな愚にもつかないことを考えるのは、自分も気が焦っているのかもしれ
ない、ネロはそう考える。これもまた意味のない思考だ。
 光、即ち月下。
 黒、それを覆い隠すような巨大な門。
 紅、あちこちから上がる火の手は未だ収まることを知らず。
 闇、吸血鬼の怨霊は門を通って、世界中に拡散し続けている。
 ネロは己の場所をヴァチカンが見渡せるこの丘と定めた。無数の獣が彼の周
りを取り囲んでいた。どの獣も紅の瞳を爛々と輝かせている癖に、唸り声一つ
立てず、まるで聖者の説教を聞くように粛然とした態度で、座り、あるいは宿
り木に止まり、あるいは寝そべっていた。
 獣の数は、およそ三百以上を越えるだろうか。小さい獣から大きい獣まで。
 リスや鴉、犬や狼、熊や獅子、そして伝説上でしか現れないような怪物達。


 全ての獣が、その男の方を向いた。


「来たか」
 ネロ・カオスの呟きは訪れた客に向けられていた。顔は向けない、顔を向い
て視覚情報を獲得したとて仕方がない。何故なら、今ネロの下へやってきたこ
の吸血鬼は、彼と同じように視覚情報に意味がない存在なのだ。
「何とも大層なお出迎えだ」
 皮肉っぽい言い方、皮肉っぽい笑い。自分のことをこれっぽっちも恐れては
いない、自分が負けることなど考えてもいないのだろうか。あのアルクェイド
・ブリュンスタッドですら、自分と相対したとき、これほどの余裕は持ってい
なかったというのに。
 ネロはようやく相手の方に向き直った。そこに居たのは、間違いなく彼が待
ち望んでいた男だった。吸血鬼にして走狗、魔王にして真祖、狂戦者(ベルセ
ルク)にして戦争狂(ウォーモンガー)。
 王立国教騎士団所属吸血鬼、アーカード。彼こそネロ・カオスが長い間――
ずっとずっと長い間――待ち望んでいた解答、なのかもしれなかった。
「ああ」
「何を言うべきなのかな」
「何も言うべきではないのか」
 ネロはそんなことを言う、アーカードが応じる。
「さあな」
「――いい月が出ている。いいにおいがする、向こうでは既に始まっているよ
うだな」
「月は怨魂に隠されて見えまい」
「あんなもの、道ばたの石ころも同然だ」
「――人は、滅ぶか」
 ネロの最後の言葉は問い掛けだった、果たして人は滅ぶのか否か。吸血鬼は
世界を支配できるのか否か。アーカードは止めるつもりがあるのか否か。
 アーカードは嗤う。
「莫迦奴、お前は知らん。人間のしつこさとしぶとさを全く知らん」
 アーカードは一歩ネロの下へ近付いた、それに呼応するかのように周りの獣
が迎撃態勢に入った。もちろん、ネロ自身も。
「百殺せば二百産み、二百討てば四百で襲い、四百倒せば八百で学習する、人
間は我々を化物と呼ぶが――フン、私に言わせれば人間こそがその化物にもっ
とも近い生物だ。あれほどしつこくしぶとく性質が悪い連中を私は知らん!」
「随分と人間を買っているではないか、アーカード」
「随分と人間を舐めているようだな、ネロ・カオス。
 そんなのでは、そんな態度では、いつかのお前のように足元を掬われるぞ」
 触れられたくない傷を、アーカードが抉り出した。ネロの眉が垂れ下がり、
いかにも気分を害した、という表情を浮かべる。アーカードの方はそんな彼の
顔を見て、ますます悪鬼羅刹の笑みを零す。
「与太話は済んだようだな――来い」
「もう、征っている」
 まず最初に動いたのは大型の猛獣である熊と獅子だった、左右同時に飛びか
かる。アーカードは懐から二挺、巨大な拳銃を取りだすと腕を交差させて熊と
獅子の頭に向けて引金を引いた。
 吹き飛んだ獣は即座に黒い塊となって、ネロの元に戻る。続けて大蛇がアー
カードを丸呑みにしようと大きく口を開いた。だが、背後から襲いかかってき
た大蛇の上顎と下顎をアーカードは掴むと、一気に上下に引き裂いた。もがく
大蛇を放り棄て、飛びかかってきた狼の首筋を噛み千切った。それでも獣は恐
怖も感じず、怯むこともなく次々と襲いかかっていく。
 ネロは以前、アルクェイドの戦いぶりを間近で観たことがある。次々と襲い
かかる獣、喰屍鬼をただの一撃で屠るその姿は、まさに真祖の姫君、吸血鬼を
打ち倒すための吸血鬼に相応しいものだった。
 アーカードは彼女と同じか、とネロは思った。
 その戦いぶり――例えば一撃で狼を握り潰し、大猿の心臓を手刀で抉り出す
その様はやはりアルクェイドを思わせるのだ。だが、それ以上でもそれ以下で
もない、初めて戦うのに所詮彼はネロの予測範囲内でしかなかった。
 ――失望した。
 そして今、この場に直死の魔眼の使い手は存在しない。つまり、アーカード
を助ける者は誰一人とて存在しない。
 鴉がアーカードの首筋をその嘴で抉った、大蛇が巻きついて彼の動きを封じ
た、そして巨大な鹿がアーカードの胸をその角で貫いた。それでも尚、ネロは
獣を止めることをしない。
 鴉達がアーカードの顔面をつつき、眼球を抉り出す。アーカードの攻撃は一
撃で確実に獣を一つ屠るが、何しろ数が多い。
 次第にアーカードの周りを二重三重と獣が取り囲み、次々と攻撃を繰り返す。
 世界中の獣が一度に会しているような、不思議な光景をアーカードは――観
て、まだ嗤っていた。ネロは決着をつけようと、前に進み出た。細かく刻まれ
ていくアーカードの周りの獣が黒い粘液に変わった。
 ――ほう。これが、この死徒の固有結界。創世の土か。
 アーカードはそんなことを考えながら、黒い粘液に全身を飲み込まれていっ
た。ネロはアルクェイドの時の轍を踏むまいと体内に残ったわずかな獣、しか
し恐らくは最強の獣である巨大な狼の顎(あぎと)を出現させ、アーカードを
自身の固有結界である“創世の土”ごと噛み砕き、呑み込んだ。
 ――。
 ――。
 ――。
 ここからが正念場だ、とネロは思った。何しろ数百年生きてきた最強の真祖
の意識すらも呑み込み、凌駕せねばならないのだ。ひょっとしたらアルクェイ
ド以上に骨が折れる仕事かもしれない。だが、それが何だと言うのだろう。
 もしかしたら自分は神をも越える存在になれるかもしれないのだから。そう
思うと、ネロは心が浮き立った。


 ――瞬間、突然視たこともない情景が現れた。


 そこはあちこちに血が飛び散った部屋だった。
 無数に切り刻まれた――いや、輪切りにされた兵士の屍体。
 部屋は古びていて、あちこちに銃弾の痕が残っている。恐らく兵士が持って
いる銃から放たれたものなのだろう。
 しかし、彼の目は部屋の真ん中に惹きつけられた。
 二人の男が取っ組み合い、一人が上に覆い被さってもう一人の首を強烈に締
め付けている。下になっている男――まだ少年のような顔――は次第に力が抜
けているようだ。恐らくこのままでは上の男に首をへし折られるか、さもなく
ば呼吸困難で窒息するに違いない。
 だが、ネロには全く関係がない。それより今の状況を類推する必要があった。
 関係がないのに。
 ――己の躰が勝手に動いた。
 いつのまにか己の手に銃を持っていた、ネロにはどんな種類の銃なのかまで
は分からない。だが、迷わずそれの引金を引いた。馬乗りになっていた男の腕
に当たり、千切れて吹き飛ぶ。
 下になっていた少年が転がって難を逃れた。
 おかしい、とネロは思った。自分はこの姿を、この少年を知っている。
「――――――」
 自分は、何かを言った。
 少年はこちらをぎろりと睨むと、助けてやったにも関わらず悪態をついた。
 酷い奴だ、と思う。
「遅ぇよバカ!!」
「貴様こそなんだその姿は。まだ寝ぼけてんのか」
「吸血鬼」


 アーカード!!


「!?」
 頭を抑える、今のは何なのだろうか、と思考を巡らせる。わずか数十秒程度
だが強烈に心に焼きついた情景。まるで自分が経験した出来事のように、ネロ
は今の情景を思い返すことができる、夢などとは比較にならない強烈さだ。
 ズキン、と頭が痛んだ。
「何だ? くそ、また――」
 再び、視覚が支配された。


 昏い部屋だった。自分は吸血鬼なのに、何故かその部屋が暗闇だ、というこ
としか分からない。音、音が聞こえる。誰かが呟いている、何かを呟いている。
 しかし、それよりもネロが気になるのはこの胸の痛みだった。横たわってい
るネロはゆっくりと自分の胸元を見た。胸には白木の杭が突き刺さっていた。
「!」
 驚愕して、慌てて引き抜こうとする。が、まるで力が入らない。というより、
じたばたともがくという行動すら起こせない。あまりにも無力だった。
(莫迦な、いつのまに、こんな――)
「――――――」
 ネロはまた何かを呟いていた。
 すると自分の前に何者かが突然現れた。いや、先ほどから此処にいたのか。
 呟きは、彼のものだったのだろう。男の顔はよく見えない。だが、少なくと
も助けてくれる、という訳ではなさそうだ。それほどまでに冷然とした雰囲気
を目の前の男は漂わせていた。
「そうだよ、お前の負けだ。醒めない悪夢なんかないさ」
 男はそう言った。
 負け?
 自分はいつのまに、どうやって、どのようにして負けたのだろうか。
 だが、胸に突き立てられた白木の杭が、それは真実であると主張する。ネロ
はもがこうとすることも止めて、目の前の彼を見た。
 男は尚も言う。
「城も領地も消え果てて、配下の下僕も死に果てた」
「彼女の聖餅跡も消えて失せた、彼女はお前のものになんかならない」
 なぜか絶望感がネロの全身を包んだ。
 男が拳を振り上げる。
 まさか。
「やめてくれ」
 と声をあげようとしたが、口すらも動かせなかった。男は拳を白木の杭に叩
きつけた。瞬間、人間であったときも死徒と成ったときも味わったことのない
ような、燃え盛る業火の痛みがネロの全身を襲った。
「――――――!!」
 ネロは痛みで悲鳴をあげた。
 しかし痛みを堪える間もなく、男がネロの襟を掴み、ぐいと引き寄せる。
 男の顔を間近に観察する、だが、やはりその顔は朧でよく掴めない。
「お前にはもう何もない伯爵」
 伯爵、と男は自分を呼んだ。
「哀れな“不死の王”(ノーライフキング)よ。
 お前にはもう何も」


 ――ない。


 拷問のような情景がようやく終わった。気付けば胸の痛みはどこかに消え失
せている。ネロは自身の呼吸が荒いことと、汗をかいていることに驚いていた。
 今のは、今の情景は何か?
 落ち着いた途端、数秒で解答が導き出せた。
 今のは、自分が経験したものではない。たった今吸収したこのアーカードが
経験したものに違いない。だからこそリアリティに満ち溢れた情景が自分の視
覚に叩きつけられたのだ。
 だが、しかし今までどんなものを吸収したときもこんな現象は起きなかった、
とネロは思い返す。一方で「それが真祖の証だ」とも考える。
「ともあれ、もう終わったか」
 外見も、そして自分という存在も何ら変わったことがないように思う。
 果たしてアーカードは、ネロ・カオスという存在の中でどのような部分を占
めているのだろうか?


 疑問。
 そしてそれに関する解答が、人間ならば心臓がある部分のわずかばかり下か
ら出現した。
 ――吸収? 私はまだ生きているぞ。いや、吸収されているのは貴様の方だ。
 突然、アーカードの右腕がネロの腹の中から飛び出した。痛み、今度はただ
の仮想現実でない、正真正銘本物の痛みだ。
「な――――!?」
 ネロは絶句した。いつも獣が出現するはずの、己の体内からアーカードの右
腕が飛び出している、おまけにその右腕は拳銃を握り締めていた。
 右腕はゆらゆらと動いた後、拳銃――対化物戦闘用十三ミリ拳銃、通称ジャ
ッカル――をネロに突きつける。専用弾である炸裂鉄鋼弾が、ネロの顔面を直
撃した。
 たった一発の弾でネロの鼻から上の部分が爆裂四散した。またもや苦痛。


 ――シキ。


 ネロはもんどりうって倒れそうになるが、今度は背中から生えたアーカード
の右脚が、彼の躰を支えた。アーカードの右腕はまたゆらりと移動すると、ネ
ロの左膝にジャッカルを押し当てた。
 左膝の下の部分全てが吹き飛んだ。脚は転がり、黒い塊へと姿を変えるが、
その塊はネロに逆らうかのようにぶるぶる震えるだけで、ネロの元に戻ろうと
しない。


 ――拘束制御術式。


 左膝から、アーカードの左足が生えてきた。まるで多間接の昆虫を思わせる
ような異形さに、ネロは混乱を来たし始めていた。
「これは、一体、なんなん――だ!」


 ――第三号第二号第一号発動、状況C、クロムウェルによる承認認識。
 目前敵の完全吸収までの間、能力使用限定解除開始。


 背中から、全身が目で覆われた犬のような獣が飛び出した。獣は涎を垂らし
て、己の躰に巣食っているネロ・カオスを観察する。
「まさか、そんな――」
「そうだ、お前は吸収したのではなく」
 獣が、自身の躰をがっつくように喰い始めた。容易に食いちぎられる己の躰、
容易に意識が消し飛んでしまいそうな激痛、ネロは吸収される恐怖というもの
を今、味わっていた。
 ――私は、私は、どこに。
 アーカードの顔が、獣の口からずるりと出現した。ふう、とため息をついて
次第に人型の姿を取り戻していく。右腕で肩を抑えながら、首を捻る。まるで
ネロ・カオスの存在を忘失したかのように。
「混沌の闇。その果てを知りたいそうだな、ネロ・カオス」
 ――なぜそれ……を……?
 ネロ・カオスを吸収したアーカードに、彼の記憶と想いを覗くのは比較的容
易いことだった。
「教えてやろう、そんなものはない。混沌は絶え間ない変化をもって混沌と解
釈される。だから、混沌の果ては混沌ではないものだ」
 そんな答えをネロは全く認めたくはなかった。
 だが、同時にそれを受け入れなければならなかった。何しろ、今の自分は混
沌ですらなくなりつつあるのだ。
 解答を得ずして、死にたくはなかった。だが、ネロは思った。
 ――それが、私の問いと解答か。何たる、愚答。何たる、愚問。
「さようなら、ネロ・カオス。猛き混沌よ。私の内で、せいぜい己が命題を考
え続けておけ。ひょっとしたら私とは別の解答が見つかるかもしれんぞ」
 ネロ・カオスはそれっきり現世との接続が途絶えた。どちらを向いても闇だ
け、というより視覚という情報そのものが存在しないようだ。いや、視覚だけ
ではなく、何も聞こえないから聴覚も存在せず、何かに触れることもないから
触覚もないだろう、当然のように匂いも、味もない。五感全てが断ち切られて
いるのだ。
 困った、と思ったがネロは自身で考えているよりも遥かに適応力が高かった。
 ――せっかくの申し出だ、せいぜい己の命題を考えていよう、幸い思考能力
だけは存在するようだ。
 いずれにせよ、思考しかネロに行えることはない。


 かくしてネロ・カオスは己の命題を永遠に問い続ける哲学者と成り果てた。


 空を見た。黒い怨念は世界中に拡散し出している。イタリアからヨーロッパ
に広がり、アメリカ、アフリカ、アジア、ありとあらゆるところに吸血鬼が現
出するだろう。
 最早この殲争に終わりはない。終わりがあるとするならば、どちらが完全に
死滅するか否か、だろう。吸血鬼が人間を食い尽くすか、人間が吸血鬼を完璧
なまでに叩き潰すか。
 いずれにせよ、もう吸血鬼はこそこそと人間の闇に暮らすことはままならず、
夜の世界は最早人間のものでもなくなる。人間と吸血鬼はお互いの平穏な夜と
昼を賭けて殺し合い続けるのだ。
 アーカードは笑いが止まらない。


「ふ、フふフ。アハ、あハハははハハハ!
 くっ、カカかカカかははははははハハアハははは!」


 楽しい。
 アーカードはそう思う。
 そう、殲争は楽しい。本当に楽しい。実に楽しい。
 では自分も参じよう。向こうではきっと、きっと阿鼻叫喚の世界が待ち受け
ているに違いない。ミレニアム、イノヴェルチ、第十三課、カイン、その他諸
々の連中で、まさに魔女の釜の底のようになっているに違いない。
「向かうとしよう、あの予言の丘(ヴァチカン)に」
 アーカードは死地に向かうには、いささかのんびりとした歩調で歩き出した。















                           to be continued






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