我ら使徒にして使徒にあらず
 信徒にして信徒にあらず
 教徒にして教徒にあらず
 逆徒にして逆徒にあらず!!
               ――平野耕太「ヘルシング」















 兵卒から報告を受け取った博士が恭しく少佐の傍らで耳打ちした。
「少佐殿、どうやら王立国教騎士団のご到着です」
 博士が伝える。
 少佐が応える。
「そうか、いいぞ、素晴らしい! ついに彼等にも反撃の時が来たという訳だ。
 見たまえ、このむごい有様を。今からリバーシのように勢力地図は塗り替え
られるぞ……今度はなかなかの健闘を見せてくれた人類側の順番(ターン)だ」
 怪訝そうな瞳。
「まさか、ですな。イノヴェルチの連中は後もう一押しというところまで来て
おりますぞ?」
 睨む。
 笑顔は変わらなくとも、少佐がいささかムッとしたことは間違いない。
「疑うかね?」
「いえ、決してそのような――」
 博士は慌てて弁解に走る。
 少佐は窓の外、ローマを一望できるそこからヴァチカンに向かって真っ直ぐ
指を伸ばし、つつっ――と移動させた。
「恐らくそろそろ来るぞ。あの聖堂騎士が、あの首斬判事が、あの――最狂の
アレクサンド・アンデルセンが!」


                ***


 シエルは見た目とは裏腹にそれなりに長く、波乱万丈に富んだ人生経験を積
んでいる。
 だからまあ大抵の――人間には一生縁が無いような事柄まで――ことは経験
した、人も殺したし人以外のものも殺した、飛行機から墜落し、アニメのよう
に家々の屋根を飛び移り、聖書の文を諳んじ、“元”人体に白木の杭を打ち込
んで灰にして川にばら撒く。
 だが、さすがにこんな代物に乗り込むのは初めてだった。ほんの少し前まで
平凡な化学者兼大学教授であったペイトン・ウェストレイク――ダークマンも
同様だ。
 さらに言うならば数年間様々な特訓を積んだ最高レベルの暗殺者――ファン
トムであったキャルとてあんな訓練が実際に活用される日が来るとは思わなか
った。
「ちょっとキャルさんキャルさん。どうやって撃てばいいんですかコレ!」
「あ、コラ! 物珍しそうに触るんじゃねぇ、ただでさえこっちは慣れねぇ戦
車(タンク)なんて操作していてパニクってんだ! 下手なとこ触ってローマ
の建物ブチ壊しても知らねぇからな!」
 悪態を突きながらギアを入れ替え、更にアクセルを踏み込んだ。
 キャタピラが轟音をあげて石畳の床を踏み荒らして行く。イタリア陸軍制式
戦車、アリエテは時速六十五キロが限界である。さすがにスポーツカーなどと
は比較にならない鈍重さであるが、もちろん頑丈さから言えばスポーツカーな
ど紙屑同然のレベルである。
「お客さんが来たぞ」
 ただ一人、戦車の上から躰を半分突き出していたダークマンが身を屈めてそ
う告げた。ダークマンの瞳からは吸血鬼達の表情までもが窺えた。
 唖然というか呆然というか。そういう表情だ、素敵だ、愛しい愚者達よ。
 早速ダークマンは手元の重機関銃の威力を試してみることにした。引き金を
引くと、アサルトライフルなどとは比べ物にならない衝撃。あのミニガンを発
射した時と同じくらい躰が震える。
 重機関銃の威力は大変申し分なく、一瞬でローマを占拠した吸血鬼の躰を細
切れの肉片に変えた。だが、余りにも目立ちすぎるその姿と音に、あっという
間に吸血鬼が雲霞のように集まりだした。
「シエル、交替してくれ」
 ダークマンは言うなり、銃座からするすると車内に戻った。シエルは名残惜
しそうに主砲の発射装置を見ていたが、ダークマンに強引に銃座へと押し上げ
られそうになって、慌てて銃座へ駆け昇った。
 ダークマンと違い、彼女は重機関銃などという威力の低い代物を使うつもり
はない。戦車の上にバランス良く立つ。
 それはちょっとした悪夢だった。周り中の建物の窓から、そして屋上から、
さらに道路にも吸血鬼が溢れかえっている、それらの視線は全て戦車の上に立
つシエルに注がれていた。
 あちこちで嗤い、嘲り、侮蔑し、牙を疼かせる。
 素晴らしい、とシエルは思った。素晴らしい能天気さだ、全く吸血鬼という
ものは無神経で癪に障りすぎる、何が哀しくて吸血鬼なんぞに視姦されなけれ
ばならないのだ。
 ダークマンが持ち上げたそれを手に取る。弾丸――いや、銃剣が既に装填さ
れたソレ、対吸血鬼最強の概念武装、“セブン”の名を冠する彼女のみに使用
が許された外典にして聖典。
 間近で視た吸血鬼は明らかにたじろいだ、遠目から視ていた吸血鬼はどんな
武器を出そうがこの数に勝てるものか、と鼻で笑った。
「さあ――片っ端から消し潰してさしあげます!」
 彼女が第七聖典を構えるのを合図にしたかのように、遠巻きにしていた吸血
鬼が一斉に襲いかかった、上下前後左右、死角は一切無し。
 ――ああ、これはツイてる。どこに撃っても吸血鬼を倒せるじゃない。
 まず真上から遅い掛かってきた吸血鬼に、第七聖典を天に向けて発射。掠っ
ただけでその存在が否定された吸血鬼達は塵にすら還ることを許されず、滅消
させられた。
 ――第七聖典!
 周りの吸血鬼は残らず驚愕した。どんな吸血鬼でも、吸血鬼だからこそ第七
聖典が如何に恐ろしいものであるかは充分に知っている。銀など比較にならな
い殺傷力、迂闊に近づくと存在が――消える。
 押し進む戦車の周りの吸血鬼は一匹残らず動けなかった。シエルが挑発する
ように薄く嗤う。
「来ないのですか、それなら――」
 シエルは第七聖典より飛距離が長い黒鍵を両手に目一杯構えた。呼吸を整え
る、空気をゆっくりと吸い込み、軽く吐き出しながら全力で両手の黒鍵八本を
投擲した。
 時を同じくして、前方をうろちょろする吸血鬼達に向かって戦車の主砲が発
射された。弾頭の直撃を受けた吸血鬼達はその自慢の再生能力を生かすことが
できずに灰に化けた。
 シエルは鼓膜を抑えながら――主砲を間近で発射されて破れるかと思ったの
で――足で第七聖典の銃剣を装填、そのまま両足を使って器用にくるりと回転
させ、背後から忍び寄ろうとしていた吸血鬼達に発射した。
 銃剣は吸血鬼どもを片っ端から貫きながら、ゆっくりと元の姿である一枚の
紙切れへと変化していく。完全に紙となった銃剣を顔面に叩きつけられた吸血
鬼はまるで手品のように姿を消した。
 シエルはポケットティッシュを耳に詰めた、先ほどからのべつ幕なしに主砲
を――恐らくダークマンが――撃ち捲くっているので、全身にガンガン轟音が
叩きつけられる、とりあえず耳でも塞いでおかなければたまったものではない。
 シエルは少し遠くなった砲弾の音に胸を撫で下ろし、改めて第七聖典を構え
た、どうやら彼等は遠巻きにしての一斉掃射に切り替えるつもりらしい。
 ならばこちらは接近戦にするべきだろう。
 シエルは戦車から跳躍した、人間――下手すれば吸血鬼をも凌駕するその高
さに彼等は愕然とした。宙空でまず一発撃った、反動を上手く利用して建物の
壁面を掴む。
 だが、一旦固定したその手をふっと離すと、今度は立て続けに三発、空から
地上に向かって発射した。
 そしてシエルが先ほどまで掴んでいた壁面が吸血鬼達のライフルで粉々に破
壊された。これによく現れているように吸血鬼達の数を頼んだ攻撃は常にシエ
ルの行動より一歩遅く、無駄に建物や道路を破壊するだけに留まった。
 正面の吸血鬼が一人残らず消し飛んだか逃げたところを見計らい、ダークマ
ンも戦車から飛び出した。重機関銃を抱え、片っ端から撃ち捲くる、鉛の弾丸
は致命傷こそ彼等にもたらしにくいが、腕や脚をもがれれば一時間はまともな
戦力になりそうもない。
 戦車は無人の野を行くが如く突き進んだ、ダークマンの助けもあったかもし
れないが、大部分はシエルと、彼女の持つ第七聖典のお陰と言えただろう。
 それほど彼女の戦いは凄まじいものだった、馴染み深い古巣を荒らされたと
いう怒りがあったのかもしれない、吸血鬼が山ほど、腐るほどいる、というの
は一匹ずつ百回殺すよりもよほど彼女を憎しみに駆り立てたのかもしれない。
 いずれにせよ、シエルは間違いなく修羅と化していた。第七聖典の発射間を
狙って襲い掛かる吸血鬼を素早く袖口から抜き出した黒鍵で迎え撃つ、さらに
黒鍵を口に咥え、そのまま首を動かして吸血鬼の首を切り飛ばした。
 銃弾を何発その身に受けただろう、とシエルはふと考える。最低で七発、第
五及び第六肋骨の間、脇腹、左足、右腰骨、咽喉、右掌、そして肝臓にも受け
た。掠っただの、貫通したのを入れると恐らくもっとだ。
 だが、それがどうした。自分の躰はまだまだ動く、不死の肉体は失われたと
言っても、驚異的な回復能力は健在だった、おまけに彼女は回復法術を会得し
ている、自己再生能力が追いつかない傷だと判断するや否や即座にそれで躰の
修復を強化した。
 眼前の吸血鬼が恐慌を来たして、敵味方構わずライフルを乱射する、偶然そ
の銃口が彼女の方に向けられた。だが、彼女は真っ直ぐ突き進むことを選んだ。
 さもないと先を走る戦車に追いつけそうもない。やれやれ、頼むから少しは
止まって欲しいものだ、そんなことを考えながら両腕に、腹部に銃弾を受ける。
 フルオートで放たれる銃弾は十秒も我慢すればすぐに切れた、だのに吸血鬼
は未だ引き金を引き続ける、まるで無限の弾丸を求めるように。
 あまりにも哀れな姿だったので、心臓を黒鍵で貫いてやることにした。
 地上に着地、全力疾走で戦車に追いすがる。
 第七聖典の間合いからさらに詰め寄り、超接近戦を挑みかかる吸血鬼。鋭く
尖った爪でシエルの右上腕を抉った。ほとんど躊躇わずにシエルは第七聖典を
放り投げると、左人差し指と中指で吸血鬼の目を抉り、腹部に膝を叩きこんだ。
 絶叫して目を抑える吸血鬼の両腕もろとも首を刎ね飛ばす、そして第七聖典
を再び拾い上げる、抗議の声が第七聖典から聞こえた気もするが黙殺する。
 シエルの脚力ならば戦車に追いつくことは比較的簡単なことに思えたが、何
しろ彼女一人だけを狙って無数の吸血鬼が追跡してくるのである。戦車との距
離は縮まったと思えば、また離れて行った。
 その間も彼女は休まず、黒鍵の攻撃で一本あたり最低で吸血鬼を一体、第七
聖典の一撃で最低三体の吸血鬼を屠り続けた。
 戦車が立ち止まった。
 シエルは追いついた、後部から砲塔へ駆け昇る。一瞬の愕然。バスが通りを
占拠している、バイクなら渡れそうな隙間はあっても戦車が渡れる隙間はない。
 おまけにバスは綺麗なほどの焔をあげて燃え盛っている、漏れたガソリンに
火がついたのだろう、内部のガソリンが熱で気化すればこのどでかい図体の鉄
屑は巨大な榴弾へと生まれ変わる。
 それはそれで派手で面白いだろうが、今この状況でやられては困る。くそ、
ダークマンはいいだろう、彼は何発弾丸を食らおうが生きてこの場を逃げるだ
けのパワーとタフネスさを兼ね備えている。
 後の問題は、戦車を操っていた彼女をどうやってバスの隙間を潜り抜けさせ
るか、ということだが――。
 アサルトライフルを遠巻きに撃ち捲くりながらこちらにゆっくりと詰め寄る
吸血鬼を見て、一つため息。ひょっこりとキャルが戦車のハッチから顔を出し
た。
「シエル、どうにかなりそう?」
「……キャル、頑張ってあのバスの間を通り抜けることができます?」
 やってみようかと思ったのか顔だけでなく、半身をハッチから抜け出したキ
ャルにあっという間に弾丸の雨が襲いかかった。ハッチに弾丸が跳ねる音に背
筋を寒くする。周りの二人が銃弾を平気な分、何となく自分も平気なのではな
いかと思ったが、それは間違いなく妄想でしかない。
 足手まといなのが少し哀しかった。
 しかし、一方でダークマンが自分の力に、自分の置かれた状況に苦悩してい
ることも知っている。だから彼女はあまり吸血鬼になる、ということに魅力は
感じなかった。
 よし、人間ならば弾丸に当たれば死ぬのだ。
 覚悟を決めたキャルは、シエルに外へ出るというジェスチャーをした。彼女
は驚いて開かれたハッチからキャルの顔を覗きこんだが、そこに在るのは狂気
に満ちた瞳ではなく、極めて理性的で力強い意志を持つ光だった。
 ダークマンがキャルが何か言う前に先行してハッチから飛び出す、そして戦
車の重機関銃で闇雲に撃ち捲くった。
 バタバタと吸血鬼が倒れる。ほとんどの吸血鬼が死には至らなかった。
 さらにシエルの第七聖典が追い討ちをかけた。吸血鬼の動きはさすがに止ま
らざるを得なくなった。
「今です!」
 攻撃が途切れたのを見計らって、キャルがハッチから獣のような勢いで飛び
出した。あっという間に復活した吸血鬼の放つ弾丸が、一歩遅れてハッチに弾
かれる。
 右腕一本で宙をくるりと回転して華麗に着地する、同時にバスと建物の隙間
へと飛び込む。未だ燃え盛るバスは文字通り死ぬほど熱い、脱水症状どころか、
軽い火傷が既に彼女の皮膚を侵し始めていた。
 だが彼女の意志を遮るまでには至らない、彼女の歩みを止めるまでには至ら
ない、些細なダメージだった。バスの隙間を潜り抜ける、だが彼女の運もそこ
で尽きた。
 咄嗟に後方、バスの隙間に飛び退いた、一瞬遅れてバスに弾丸の雨が降る。
 掠り傷一つ負わなかったのは僥倖と言えたが、これで彼女は進むも退くも絶
望的に不可能になった。こんな時こそ両腕で頭を抱えて蹲りたいものだが、キ
ャルの腕は勝手に弾倉を再装填し、勝手に狙いをつけ、勝手に引き金を引いた。
 だが、追い込まれているのは間違いない。ちらりとシエルとダークマンを見
た、二人とも追撃してきた吸血鬼を捌くのに手一杯という状況で、こちらにか
まっている暇はなさそうだ。
 そうかと言って進むには、特攻するには余りに敵の数が多すぎる――と、ま
た一匹仕留めた。
 弾雨が再び襲いかかる、このバスの鉄板が果たしてどこまでアサルトライフ
ルの弾丸に耐え切れるものか。
 銃声が一際激しくなった、キャルは身を竦めた。だが先ほどのように銃弾が
跳ねる音が聞こえない。
「……?」
 それどころか銃声は次第に遠のき、散発的になり、時に間奏のように悲鳴と
絶叫が入り混じり、やがて音らしい音が何もかも消えて行った。
 ゆっくりと、キャルはバスの隙間から這い出て様子を窺う。そしてそのあま
りにも荒涼な風景を見、さすがに呆然とした。今しがたまで、キャルに向かっ
てライフルの引き金を引いていた幾百もの吸血鬼達。
 彼等は、一人残らず消え失せていた。

 シエルが第七聖典を直に吸血鬼の躰に叩きこんだ。ダークマンがモーラのハ
ンマーで吸血鬼の頭を横殴りに吹き飛ばした。形勢不利と見た彼等は「態勢を
立て直す」という名目で――実際にはただの撤退だ――二人を打ち倒すのを諦
め、逃げ去って行った。
 ほっと息をついて、バスの隙間を潜り抜ける。少し離れたところでキャルが
呆然と壁に手を突いて立ち尽くしていた。
「どうした?」
 ダークマンが尋ねる、キャルはうわごとのように呟いた。
「いたんだよ」
 いたって何が、という問いにキャルは「吸血鬼」とやはりうわごとのように
応えた。それがどうした、という言葉が二人の表情に出る。
 キャルは振り返って二人を見る。
「確かに、ここには、百匹以上いたんだよ吸血鬼が! つい、さっきまで――」
 それなのに目の前に広がるのは燃え盛る建物と、無人の道路、それから吹き
荒ぶ風に飛ばされる土埃だけだ。
「……」
 シエルが壁に突き刺さった“銃剣”を拾い上げた。
「それは――?」
 怪訝そうな顔でダークマンがシエルの背後からそれを覗き込む。シエルはそ
の銃剣をしばらく弄んでいたが、すぐに興味を失ったように放り投げた。
「拾い忘れたんですね、きっと。心配ありません、この場の吸血鬼は一匹残ら
ず全滅しました」
「なぜそんな事が分かる?」
「あの銃剣の持ち主が来たからです。この持ち主が来たからには、この場に居
る吸血鬼は一匹残らず掃討されたと考えていいでしょう」
「第十三課の吸血鬼ハンター……か?」
 シエルはダークマンの呟きとも取れるような疑問に、薄く嗤う。
「ハンター? 狩人? アレはそんな生易しいものじゃないですよ、ああいう
のはね、ダークマン」
 死神とか化物とかって呼ぶんです、とシエルは言った。


 そしてその死神、もしくは化物と呼ばれる神父はヴァチカンに向かって真っ
直ぐ突き進んでいた。拳も弾雨も銃剣もスコップもものともせず、ただひたす
らに真っ直ぐ、そしてたった一人で、道の真ん中を押し進んでいた。
 その死神は時に首斬判事と呼ばれることもあり、その扱う得物から銃剣と呼
ばれることもあった、あるいは天使の塵、殺し屋、聖堂騎士(パラディン)。
 様々な異名を持つ第十三課のツイン・ジョーカー。

 名はアレクサンド・アンデルセン。
 


                ***


 ん――?
 ヴァチカンへの入り口の一つ、サン・ピエトロ広場から少し離れた場所に一
台の大型トレーラーが停まっている。真っ黒な車体、そして真っ黒なコンテナ。
 異形なものではあるが、今それを見咎めるような人間はいない。――存在し
ないので。
 中では吸血鬼達が不眠不休でこのローマの情報処理を行っていた。イタリア
軍やローマ警察署が態勢を立て直してはいないか、ヴァチカナンガーズの残党
達や、たまたまヴァチカンに居た第十三課の人間達が潜んでないか。
 ローマ中に取り付けられた監視カメラの映像がモニターに映し出されている。
 もちろん、エレンとケイティが車でローマをひた走る映像や、シエルとダー
クマン、そしてキャルが戦車でローマを踏み荒らしてヴァチカンに突撃しよう
とする場面も映し出していた。
 情報は閲覧され、処理され、対抗策を練られ、全部隊に――ミレニアムも含
めて――伝達される。
 彼等がこなさなくてはならない役目は儀式が終わるまでヴァチカンに何者を
も侵入させないこと。儀式の邪魔をする不逞な輩を追いやること。
 さて、冒頭の呟きはモニターの映像処理を担当する吸血鬼の発した呟きであ
った。吸血鬼は妙なものを見かけた、と思ったのだ。ちらりと影が見えた、と
いうのも充分におかしい出来事であったが、そもそもこの一帯には一個中隊程
度の吸血鬼が先ほどまでいたはずなのだが――?
 しかし監視カメラには何も映らない、人も、吸血鬼も、動くものは何も。
「こちらヘッドレス、ローマ南B地区に駐屯している部隊、応答せよ。
 ……アルファ? ブラボー? チャーリー? デルタ?」
「こちらブラボー、我々はA地区だ……得に異常はない」
「おなじくアルファ、我々はC地区で特に異常はない」
「チャーリーです、異常なし……こちらはD地区です」
「……デルタ? デルタ? ……応答しないか、応答せよ、デルタ!」
 デルタへ必死に彼はコンタクトを取り続けた――が、応答は既にない。代わ
りに聞こえるのは状況をハッキリと掴むことができないノイズだけだ。
 クソ、と呟いて残りの部隊――ローマ南を担当している部隊に通達を出す。
「デルタの反応が消えた! 全員警戒態勢に入り、ブラボーはデルタのいたB
地区の調査――」
「ヘッドレス! こちらブラボー! て……敵だ! 侵入者だ!」
「こちらヘッドレス! 侵入者は何名だ!」
「こちらブラボー! 侵入者は……侵入者は一名! あ、ああ……アンデルセ
ンだ! アレはアレクサンド・アンデルセンだ!」
 ぶつり。
 強制的なノイズが介入して、繋がっていた世界を強引に断ち切られる。それ
でも最後の彼等からの連絡は間違いなく彼の頭に叩きこまれた。早速インカム
を通して部隊に再び伝達する。
「こちらヘッドレス! アレクサンド・アンデルセンの出現を確認! 南方面
の全部隊はA級警戒に切り替えよ!」
 全部隊、全吸血鬼への伝達。
「……おい、ヘッドレス――聞こえるか?」
 無線から返答が入る。聞き覚えのある、実に良い響きを持つ声。
「は、はい。ウピエル様、何か――」
「アンデルセンの野郎は、南の何処にいるって?」
「B地区ですが――」
「よし、俺も行く。他の連中にはせいぜい俺が行くまでの時間稼ぎをさせてお
け、いいな?」
 返答を待たずに――待ちきれなかったのか、即座に無線は切れた。
「アーカードは何処に消えたのかね?」
 代わりにネロ・カオスの重苦しい声がした。その迫力ある声にごくり、と吸
血鬼は唾を飲んだ。
「申し訳ありませんが、北地区の何処かへとしか――」
「それでいい」
 無線が切れる。
 ――北地区、といってもローマ市全体の北という訳だから相当に広い。果た
して今ので充分なのだろうか?
「……ま、俺が気にしてもしょうがないか」
 気を取り直して彼は映像モニターの南地区に注視することにした。今からこ
こで、恐らくは一対数百の戦闘が展開されることになる。そして一つだけ分か
るのは、圧倒的数量と物量を考慮しても、この戦闘で果たして自分達イノヴェ
ルチが、あるいはミレニアムが勝利するかは不確定だ。
 それほどアレクサンド・アンデルセンという人間は予測がつかない化物なの
だ、人にして人にあらず、吸血鬼を打ち倒すためだけに生きている死神なのだ。
 ふと気付くと、他の映像処理担当の吸血鬼達も南地区の映像に注目していた。
 恐ろしいと思う反面、絶対的な安全圏にいる彼等は何かショウでも見るよう
な気分で映像モニターを見守っていた。


                ***


 風が吹き始めた。南地区に集合した吸血鬼達はアレクサンド・アンデルセン
が最後に確認された通りをうろつきまわっていた。
「いたか?」
「いや……こっちにはいない」
 そんな会話があちらこちらで交わされる、何としてでも彼を見つけて始末し
たい。彼等は必死だった。もちろん彼等は勝利を確信している、どんな化物で
もこちらは数百人からの数がいて、向こうはたった一人だ。殺し続ければいつ
かは勝てる、そう思っている。
 しかし、それまでに一体どれだけの吸血鬼が彼に打ち滅ぼされるのか。果た
して百? 二百? あるいは半分以上が塵に化すのかもしれない。
 不安と焦燥に追い立てられながら彼等はアンデルセンを探し続ける、とにか
く一刻も早く彼の姿を捉えたかった。
 路地裏を捜索中の吸血鬼がいた。彼もまた半ば怯えながらアンデルセンを探
している一人である。しかし彼はいささか幸運だった、そして最高に不幸だっ
た。ふと路地の角から人影が見えたと思った瞬間、生きていた頃からいささか
十分に活用しているとは言い難かった脳味噌が強烈な痛みと共に吹き飛んだ。
 だが、怯えていたその吸血鬼は人影が見える直前までずっと手持ちのアサル
トライフルの安全装置を外し、引き金に指を掛けていた。
 吹っ飛んだ拍子に、指が引き金を引いた。仰け反りながら空に銃弾を放つ。
 音が鳴り響く、人影は無造作に近寄って小うるさいアサルトライフルを蹴り
飛ばした。路地裏から表通りへアサルトライフルが回転しながら飛び出る。
 しん。
 静寂が支配した。吸血鬼達は銃声が鳴った瞬間から集合している。路地裏か
らアサルトライフルがくるくる回って出てくるのを見て彼等は確信した。
 ――見つけた。
 ただちに整列が始まる、一列二列三列四列五列、安全装置を外す、狙いを路
地裏から表通りに出る部分に定め、呼吸を止める。全員が押し黙る、だが彼等
の意識は一つだ。
「さあ来いアンデルセン……細切れにしてブチ殺してやる……」
 誰かがぼそりと呟き、周りの全員が同意した。

 一気に飛び出してくると思ったが、彼等の予想を裏切ってアンデルセンはゆ
っくりと路地裏から姿を見せた。表通りの広い道路の真ん中まで歩くと、吸血
鬼達の方へ顔を向ける。
 アンデルセンは地獄の悪鬼もかくやというような嗤いを見せた。彼の両手に
はその異名通りの銃剣ではなく、二本の戦斧(ハルバード)が握られていた。
 ハルバードの長さはおよそ彼の身長を上回る長さで、先端の槍と斧にあたる
部分には黒々とした血や、桃色の肉片がこびりついている。

「お前達は」
 アンデルセンが口を開いた。
「ここで何をしている?」
「……?」
 唐突にそんな疑問を投げかけられ、吸血鬼達は困惑した。アンデルセンはハ
ルバードを持つ両手をゆっくりと広げる。
「再度問う」
「お前達は、ここで何をしている?」
 ぎり、と彼等の牙が疼いた。吸血鬼の一人が立ち上がり、絶叫しながらアサ
ルトライフルの引き金を引いた。アンデルセンは疾り出す。銃弾が神父服を滑
った、銃弾がこめかみを掠め、あるいは頬を貫通した。しかし、彼の全力疾走
は停まらない。
 他の吸血鬼達も慌てて一斉掃射に参加した。アンデルセンは地面を蹴って跳
躍し、吸血鬼達の群れのど真ん中に降り立った。
「え?」
「あ?」
「な!?」
 アンデルセンに飛び越された吸血鬼達が慌てて振り向こうとする、振り回さ
れたアサルトライフル同士ががちゃりという音を立てて引っかかった。後方に
いた吸血鬼も、突然目の前に出現したアンデルセンに思わず硬直した。
 シィ! と鋭い呼吸音がしたかと思うと、アンデルセンの上半身が捻られな
がら屈みこんだ。筋肉のバネが溜まり、それを吐き出すようにハルバードを振
り回した。
 一瞬で十の数の吸血鬼の首が吹き飛んだ。
「殺ッ――――――――――――!」
 アンデルセンが吼えた。下から上へハルバードを振る。一番手近にいた吸血
鬼の股間から脳天までが真っ二つに引き裂かれた。アンデルセンはそのままハ
ルバードを宙空に放り投げる。ハルバードは回転しながら落下し、その間にア
ンデルセンの空いた手には銃剣が三本握られていた。
 アンデルセンが銃剣を投擲する。首に突き刺さった者、顔面に突き刺さった
者、心臓を貫かれた者、いずれの犠牲者も即死した。
 ――ハ。
 アンデルセンはとうとう笑い声をあげ始めた。
 ――ハハハハハ!
 その笑い声を聞いた吸血鬼達は混乱と恐慌に陥った。先ほどのなけなしの勇
気など、何処かへ消え失せていた。
「どうした吸血鬼!? 恐ろしいか? 憎いか? さあ、銃を握れ! 引き金
を引け! 脳を破壊し、粉微塵に叩き潰せ! できないか? できなくば――」
 落下したハルバードを受け止めると、アンデルセンは回転させながら吸血鬼
の心臓を貫いた、たまたまその後ろにいた二人の吸血鬼もまとめて串刺しにさ
れる。
「己らが打ち滅ぼされるだけだッ!」
 アンデルセンは恐ろしい怪力でハルバードを三人ごと持ち上げた、そして横
薙ぎにそれを振るう。串刺しにされた吸血鬼達は放り投げられながら、灰燼と
化した。
「駄目だ! 銃では歯が立たん!」
 そう言うと、一人の吸血鬼が手榴弾のピンを口で引っこ抜いて放り投げよう
とした。だが手から手榴弾が今にも離れようとした瞬間、腕を投擲されてきた
銃剣で切断された。
 アッと悲鳴をあげて、慌てて吸血鬼は地面に落ちた自分の腕を捜し始めた。
 混戦状態の最中、腕はあちらの吸血鬼、こちらの吸血鬼と蹴られ、やっと見
つけたと思った時には手榴弾が吹き飛び、彼の顔面と周囲の吸血鬼の腸を抉っ
た。
 アンデルセンは疲れを知らないように――いや、実際に彼は呼吸が荒くなる
ことなど一度としてなく――ハルバードと銃剣を振るい続けた。確かに物量的
には吸血鬼が圧倒的に有利だった。例えアンデルセンでも細切れになれば(恐
らくは)死ぬはずだ。吸血鬼数百人分の命と引き換えにして。
 吸血鬼達が勘違いしていたのは、その数百人分の命に自分が含まれないと思
い込んでいたことだろう、最終的な勝利は計算できても、その際に自分の命が
失われるなど全然考慮に入れていなかったのだ。
 例え吸血鬼達が一千人いても、この心理状態では恐らく勝てなかっただろう。
 誰かが犠牲になって自分の露払いをしてくれる、などという極めて身勝手な
思考では。
 三分の一が打ち滅ぼされたあたりから、吸血鬼は恐慌を来たし始めた。落ち
着いて銃弾を撃ち込み続ければ勝利の目はあったが、恐れて逃げ惑うようにな
ったところでそれも潰えた。
 残り三十人になったところで、血糊で切れ味が悪くなったハルバードを放り
投げ、地面に十数本の銃剣を横一文字に突き刺した。銃剣の柄の部分には穴が
空いていて、そこには長さ三メートルはある鋼製のワイヤーが通って、銃剣を
連ねている。ワイヤーの終端はアンデルセンの右手に握られていた。
 アンデルセンが右手を大きく振りかぶった、突き刺さっていた銃剣が一斉に
地面から離れる。手首の微細な動きに応じて、ワイヤーで連なった銃剣の群れ
は残党の吸血鬼達に襲いかかった。
 首を斬られ、眼球を抉られ、咽喉を突かれ、心臓を貫かれ、そして躰中を刺
され、吸血鬼達はあっという間にこの世から文字通り姿を消した。
 彼が五百人は下らなかった吸血鬼を仕留めるのにかかった時間はおおよそ一
時間と三十分。おおよそ十秒に一人の割合で彼は吸血鬼を滅ぼしたことになる。
「刻は無いか、急がねばならんな」
 月を見てアンデルセンが呟いた。懐から合図に使用するための信号弾を取り
出した、どの道既に自分が何処に居てどうしているかなど、彼等には先刻承知
のはずだ。
 だから、これはヴァチカン中に散って雌伏し、刻を窺っているはずの己と同
じ神の使徒への合図であると同時に、吸血鬼達への宣戦布告でもあった。
 アンデルセンは突き進む。不浄なる者が入り込んだ清浄なる土地、ヴァチカ
ンへ向けてひたすら突き進む。


「さあ行くぞ。
 塵は塵に、灰は灰に。
 ――不死にして傲慢たる反逆者達に、滅びの刻を与えたまえ。
 Amen!」














                           to be continued






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