歴史で一番長い日の終わりに
 たくさんの男たちは、疲れきっていた 
 たくさんの男たちは、この地に残った 
 たくさんの男たちは、夕日を見ることがなかった 
                    「史上最大の作戦」


















 怒号がヴァチカンのあちこちに響き渡る。
「スティンガー持ってる奴は屋根に昇れ! アンチマテリアルライフルを用意
しろ! 降下してきた連中の迎撃をする!」
「マルタ聖騎士団が最後に確認された場所は? よし、バイクを使え!」
「……輸送機からパラシュートの降下確認! サン・ピエトロ広場で何者かが
銃を乱射しています!」
「ようし、お前等! 増援が来るまで何としても持ちこたえるんだ。
 第十三課は既に迎撃に向かっている、遅れを取るな!」
 マクナマスはオーバーオールを脱いで、黒いコートを着用した。コートの中
には六丁の拳銃といくつかの弾倉。両手で頬を張って気合を入れる。
「全員神のために命を捨てろ、この聖なる地、聖なる国を奴等の薄汚い足で汚
させるな! 一匹残らず駆逐しろ!」
「応!」
 儀礼用の偽物のハルバードを投げ捨てる、代わりに祝福を施された銃剣が、
槍が、剣が、拳銃と拳銃の弾丸が、ライフルが、彼等の手に渡される。
「スティンガーを装備した連中は?」
「全員屋根に上がりました、重機関銃及びミニガンも設置済みです」
「ようし、まだ吸血鬼が降下を始めてない機体から狙うように言っておけ」
 次々とヴァチカナンガーズの詰め所から聖騎士と化した男達が飛び出してい
く。入れ違うようにアルバ枢機卿が怯えきった表情で、リーダーであるマクナ
マスに声をかける。
「マクナマス」
「これは、アルバ枢機卿! 貴方は逃げ出さなかったのですか?」
 ニヤニヤと笑いながらからかう。アルバは途端に神妙な表情を浮かべた。
「私は神に仕える身、死は恐れぬ」
「そうですか」
 マクナマスは物分りのよい老人のように何度も頷いた。
「なあ、マクナマス。その、なんだ、勝算はあるのか?」
「勝算?」
 突然マクナマスは両手でアルバの襟を掴むなり、ぐいと引っ張って壁に叩き
つけた。
「ひぃ!?」
「いいか、クソジジイ。質問を質問で返すようだが、お前、俺が勝算がないと
言ったら逃げるつもりなのか? 勝算があれば残るのか? 貴様それでも神に
仕える枢機卿なのか? 勝算があろうがなかろうが我々は戦うんだ! 戦わな
ければならん! 分かったかアルバ? 手前は手前の溜め込んだ財産の心配で
もしてやがれ!」
 そこまで叫んでようやくマクナマスはアルバの襟を手放した。咳き込みなが
ら、アルバは彼を恨めしそうに睨む。
 が、場の雰囲気は全てがアルバを否定していた。
 豪奢な服、でっぷりと肥え太った体格、さぞかし脂肪を蓄えていると見える。
 ヴァチカンの寮に住む少年に手を出した、という噂すら立ったことがある。
(もっともこの噂の出所は彼の政敵であることが確認されたが)
 それでもヴァチカンの裏表を知り尽くしている彼は、絶大な権勢を誇ってい
たし、確たる証拠も一切残されていなかった。
 ――とは言え、所詮俗物というだけの男だ。
 マクナマスは彼の靴に唾を吐いた。
 戦場において最も不要なタイプの男だ――他人の足を引っ張るしか能の無い
男。
「失せろ」
 アルバは憤懣やるかたない、という表情で足音荒らく詰め所から出て行った。
 ――全く、戦闘前だというのに闘志を萎えさせる奴め。
 あんな奴でもヴァチカナンガーズは護らなければならない、と考えると情け
なくなる。
 誰かがマクナマスの肩を叩いた。
「ジャックか」
「アホは放っとけ、いくぞ」
 気を取り直し、マクナマスは笑顔を見せた。
「ああ、そうだな。……行こう!」

 輸送機が兵を降下させるために旋回しながらゆっくりと機体の高度を下げて
いく。
「よし、パニックになって輸送機が真上にある状態でパラシュートを開くなよ?
 激突して死ぬほど痛いぞ」
 降下に慣れた吸血鬼達は笑ったが、これが初戦の吸血鬼はそれどころではな
かった、唇が青ざめている。吸血鬼になり、不死の力を得ても怖いものは怖い。
「じゃあ、お前からだ、行け!」
 そう言って小隊のリーダーが高所恐怖症の吸血鬼の肩を叩いた瞬間、屋根の
上の男が肩に担いだスティンガーから熱誘導ミサイルが発射された。
 そのミサイルは見事に機体を直撃して、中の吸血鬼ごと粉微塵に粉砕。
 歓声が上がり、それと同時に他の人間からも次々にスティンガーの熱誘導ミ
サイルが発射され、輸送機を地面に叩き落していく。そして輸送機の残骸が建
物に落下し、ヴァチカンの芸術的な建築物を破壊する。
 隕石雨のように。
 だが、破壊されるだけなら構わないとヴァチカナンガーズ達は判断した。大
事なのは吸血鬼を吹き飛ばして聖地を護ることであって建物を護るわけではな
い。
 また一機、スティンガーによって機体が破壊される。が、パイロットは最後
の力を振り絞って機銃を掃射。ヴァチカナンガーズの何人かの頭や胴体が吹き
飛んだ。
 怒りの声が上がり、返礼のようにスティンガーで次々とミサイルが発射され
る、遠方から見れば、花火のように美しい光景だったに違いない。
 明るい地獄に昇り狂う花火。
 最初の方は一機墜とすごとに歓声をあげていたヴァチカナンガーズのスティ
ンガー部隊も、それでも減らない輸送機の数と、徐々にすり減らされていく自
分達を見て、次第に口数が少なくなっていった。
 先ほどまで軽かったスティンガーが、熱誘導ミサイルをセットして、発射す
るという行為を繰り返す内に次第に重みが感じられるようになっていく。
 ――ちくしょうめ、奴等何人いるんだ?
 スティンガー部隊がそう思い始めたとき、輸送機の合間を縫うように紅の死
神達がやってきた。
 双眼鏡で空の様子を観察していた一人が叫ぶ。
「レ――レッドバロンだ! レッドバロン! リヒトホーフェンが現れたぞ!」
 ざわめいた。
 マンフレート・フォン・リヒトホーフェン。紅の男爵。空飛ぶ死神。
 年齢百九歳と比較的吸血鬼としては若く、死徒二十七祖に数えられない身で
ありながら――そんなものに興味はない故に――実力は彼等の内何人かを上回
る。どの組織にも属さず、自由に空を飛び回る。そのあまりにも禁欲的な性格
ゆえ、無辜の人間の血を吸おうとはせず輸血用血液か、もしくは自分に戦いを
挑んだものの血しか吸わない男。
 だが、彼は今、イノヴェルチのこの作戦に参加している。強制ではなく、完
全な自分の意思で。
 重機関銃を空に撃っていた男が、慌てて彼の姿を視認しようと回転する銃座
で空を見渡す。
 だが、彼が回転する間にリヒトホーフェンは急角度で銃の死角へ回り込み、
螺旋と軌道修正を繰り返しながら、次第に彼等の元に近づいていた。
 誰かが悲鳴をあげる。
 が、その次の瞬間には無数の殺人蜂のような弾丸が悲鳴を上げた男の躰もろ
とも吹き飛ばしたので、誰も聴き取れなかったに違いない。スティンガーが弾
丸を受けて破損する。パニックになって屋根から飛び降りた人間はそのまま地
面に激突死した。
 リヒトホーフェンが通り過ぎた。ゆっくりと上昇を始める。屋根に伏せてい
た人間が慌てて応戦を始めた。スティンガーが立て続けに発射される、熱誘導
ミサイルがリヒトホーフェンの体温を感知し、自動追尾――しない。
「くそ! アイツは熱がないんだ! アイツは、アイツは体温が低すぎる!」
 リヒトホーフェンはミサイルと正面から向かい合って突っ込むと、ガトリン
グガンで容易に爆破させた。
 ここに至ってスティンガー部隊は自分達の圧倒的不利な状況を思い知らされ
た、彼等が相手にしているのは戦闘機でも輸送機でもない、自分で動いて自分
で思考する戦闘生物なのだ。彼にとって直線的に動くミサイルなど、何度発射
されても同じことだ。
 さらにリヒトホーフェンの増援が駆けつけてきた。十体前後のキメラヴァン
プが次々とスティンガー部隊に襲いかかる。統率を乱された彼等は最早目の前
に居る敵に向かってスティンガーを手当たり次第に撃ち込むしかない。何体か
のキメラヴァンプはミサイルの軌道の直線上にいたために直撃を受けて死んだ
が、大部分のミサイルは彼等の熱を感知するより先に、さらに上空にある輸送
機――今はもう中は空っぽ――に反応して次々と切り裂いていく。
 この時点で勝負は既についていた、ミサイルを再装填する時間は最早残され
ていない、キメラヴァンプは彼等に最接近する。スティンガーを投げ捨てたヴ
ァチカナンガーズはナイフや拳銃でキメラヴァンプに立ち向かった。
 肉弾戦。
 もちろん圧倒的に人間側が不利だった、キメラヴァンプがもつAK−74や、
M−16が次々と彼等を屠っていく。空を飛びながら再装填させる暇も与えず、
ナイフも弾丸も直撃させない。一人、また一人と射殺されていく。
 生き残った男が半狂乱になりながら、スティンガーを再装填。狙いをつける
こともせずに空に向けて発射した。
 が、発射された瞬間にリヒトホーフェンがミサイルを両手で抑え込み、それ
をくるりと反対方向へ向けて突進する。
 ヴァチカナンガーズは悲鳴を上げたが、避ける暇もなかった。ミサイルを発
射したその男の胸を、今だ噴射を続けているミサイルが貫いた。
 派手にヴァチカナンガーズは血を吐く。
 キメラヴァンプからの歓声を背中に、リヒトホーフェンは素早く飛び退いた。
 数瞬遅れて、男はミサイルもろとも爆破された。
 爆発の余波を受けて倒れ込んだヴァチカナンガーズの脳天を、キメラヴァン
プ達は歩き回りながら、的確に破壊していく。
 血を吸う猶予や、足をもいで楽しむ時間は残念ながら彼等には残されていな
い、そんな遊びで時間を失うことは許されていないのだ。彼等は全員を始末す
ると、すぐに飛び立った。キメラヴァンプも四体がミサイルの直撃を受けて死
亡したが、まだ七体も残っているし、増援も間もなく駆けつけるはずだ。
 キメラヴァンプ達は羽根を、あるいは翼を広げ次の標的、人間が沢山集まっ
ているであろう場所へ向かっていく。
 最後に、リヒトホーフェンは自分達の為した光景を見る。
 手足が千切れ、脳が吹き飛び、悔しさに歯噛みしたまま首は切断され、血の
匂いと火薬の匂いが彼の鼻孔を刺激する。だが、彼の理性と知性は、そんな性
欲のような吸血衝動など、あっさりと払い飛ばせるだけの力がある。
「……」
 最後まで絶望の中を戦い続けた彼等に心の中で十字を切ると、リヒトホーフ
ェンも翼を広げて飛び立っていった。虐殺は彼の好みではない、だからキメラ
ヴァンプ達が逃げ惑う観光客の元へ向かうのを見て、逆方向を選んだ。
 そちらからは吸血鬼の悲鳴が聞こえてくる、だが彼が向かおうとするとすぐ
に沈黙した。
 悲鳴が途絶える理由は、一つしかあるまい。
 ――そこに強者が居るということだ。
 口が耳元まで裂けて、牙を剥き出す。控えめな喜びの感情表現。翼が広がる。
 巨大な紅の蝙蝠が空へ羽ばたく。リヒトホーフェンの目が高速で動く何かの
姿を捕らえた、それが突撃して独楽のように回るたびに吸血鬼が一匹死んで行
く。
 ――アレだ。
 狙いを定める、その独楽が修羅の表情を魅せたのを垣間見る。女だ、だが日
本刀を振るって吸血鬼を斬るのに、男も女も、少女も老人も関係あるまい。
 確実なのは彼女が紛れもない強者であり、大事なのは彼女が紛れもない自分
の敵であるという事実だ。
 その二つの要素があれば、彼にとっては充分だった。空を滑る、翼と融合し
たガトリングガンが回り出す。筋肉の腱を引き金に引っ掛けることにより、彼
の意志をその兇器に自由に伝えることができる。
 そしてそれから、リヒトホーフェンは、
「……レッドバロン!?」
 笑った。

 ヴァチカン、そしてローマを破壊し続ける吸血鬼達は多くの地点で人間に対
し圧倒的有利に戦闘を進めていたが、ヴァチカナンガーズの詰め所、そしてヘ
リポートを急襲した部隊だけは、たった二人の女、高木由美江とハインケルに
よってほとんど全滅にまで追い込まれていた。
 地を這うように由美江が疾る。AK−74の唸りをあっさりとかわす、鞘か
ら抜いた刀が陽光を受けて煌き、
「秋水」
 呟きと共の斬撃、一瞬で三人の吸血鬼の胴体が切り離される。
「な、」
 既に両脚を斬られていた男が壁にもたれかかりながら叫ぶ。
「なんなんだ! なんなんだ! お前は、お前たちは、いった、い――」
 由美江は彼の口に日本刀を突っ込んで塞いだ。上顎から首筋を貫通する。
 激痛に彼は白目を剥いた。
「ただの狂信者だよ、ただの。お前達が吸血鬼を信じたように、全能なる神を
信じた、ただの狂信者」
 軽く腕を捻ると、吸血鬼の上顎から上が宙に舞った。ゆっくりと、そして柔
らかい動作でその宙に浮かんだ頭半分を縦に断ち切る。
 生き残った吸血鬼達が怯えて後退した。
 由美江の背後からマズルフラッシュがほとんど同時に二度、瞬いた。銀の弾
丸が彼等の肉体を浄化する。浄化といっても吸血鬼にとってそれは破裂と即ち
同義だ。
 ハインケルは二丁の拳銃を構えて、空に向けて乱射する。距離にして三百メ
ートル以上はあるというのに、弾丸は降下しかかっていた吸血鬼達を次々に屠
っていった。
 本当に、あっという間。
「こっちは片付いた」
「こっちも」
 見渡す限り、灰燼とべたべたした人工の皮膚。由美江は刀でその皮膚をひょ
いと持ち上げた。
「これが皮膚か……」
 彼女にはゴムラバーにしか思えなかった。ともかくこんなもので紫外線をカ
ットできるなんて、その科学者も罪なことをしてくれたものだ。無事に勝利し
た暁には異端審問に是非かけてやろう。
「ほっときなよ、そんなモン」
 ハインケルの言葉に由美江は刀の切っ先に引っ掛けていた皮膚を投げる。
「ここはもう大丈夫だろ。私達は――」
 次の場所に向かおう、とハインケルが提案しようとしたその時、サングラス
越しに空から何かが近づいているのを見た。
「由美江――!」
 その叫びにきょとんとした由美江の肩を引っ掴んで、地面に叩きつける。一
瞬遅れて由美江が立ち尽くしていた場所に弾丸の雨が吹き荒れた。
「なっ……」
 由美江は絶句する。
 サングラスをかけていたハインケルが、ほんのわずかその姿を目で捕らえる
ことができたのは非常に幸運な出来事だった。
 太陽を背にして襲いかかったそれは由美江の目には見えなかったに違いない。
 匍匐で進み、転がって横に移動しながら二人は必死に弾丸を避け続ける。
 壁を背にしてようやく一息ついた。
「な、な、な、何あれ……」
 由美江は未だに訳が分からない、という様子だがハインケルは心当たりがあ
った。ほんの一瞬目で捕らえただけだが、翼にガトリングガンを二機装備して
いる吸血鬼など彼女は一匹しか知らない。
「紅い……」
「アカ?」
 由美江の発音は微妙に異なっている。それは違う、とハインケルは思った。
「紅い男爵(レッドバロン)、リヒトホーフェン……」
 名前を聞いて由美江も空を見上げる、あれがそうか、あれが第一次世界大戦
から生き続けていると云われている伝説の空駆る悪魔か。
「ハインケル、アンタに任せた」
 由美江は迷わずそう言う、当たり前だ。自分の刀が届かない位置にいる吸血
鬼をどうやって倒せというのだ。
「無理!」
 ハインケルは即答した。
「なんで無理なのよ、なんで無理なのよ!」
「アンタ、あのスピード見たでしょ!? こっちの拳銃や散弾銃で仕留められ
る相手かっつーの!」
「そこを何とかするのが第十三課でしょうが!」
「……く、分かったわよ」
 ハインケルは壁から自分の躰を出して、目に映った影に向かって銃の引き金
を引いた。そしてすぐ隠れる。手応えもなければ、相手の悲鳴も地面に叩きつ
けられる音も聞こえない。
 代わりにハインケルが顔を出した壁を、ガトリングガンの弾丸が破壊した。
 慌ててハインケルは横に移動するが、壁の破片がぱらぱらと頭に落ちた。
「ゴメン、やっぱり無理」
「もっ、もっ、もう少し真剣に撃ちなさいよっ、アンタそれでも」
「仕方ないでしょ! 狙いを定めてたらその間に私の頭が7.62mmの弾丸
で吹っ飛ぶわよ!」
「吹っ飛んだって撃てるでしょ!?」
「アンタ……人事だと思って無茶苦茶言うわね……」
 壁からもう一度顔を出す。
「サングラス貸したげるから、よく見てみなさい。あの化物、きっちり太陽を
背にして動いてるでしょ? 狙いなんて付けられやしないわよ」
 由美江は借りたサングラスをかけて、そっと壁から顔を出す、確かに太陽を
背にしながら、彼は常に動いている。なるほど、と思っていると突然ハインケ
ルに服を掴まれて引っ張られた。
 もちろんそのすぐ後に、弾丸が由美江の顔があった地点を狙い撃ちする。
「うわっ、うわっ、うわうわうわっ」
「ぼけっと見てるんじゃないよ、このアホ」
 そう言いながらハインケルは煙草に火をつける、紫煙が由美江の鼻をくすぐ
った。別に煙草が好きだという訳ではないが、いつもハインケルから漂うこの
匂いが由美江を落ち着かせる。
「この壁から出たらまず間違いなく狙い撃ち。銃で闇雲に撃ってもまず無駄。
 そうかと言ってこんなとこで腐ってちゃ、夜が来てますます不利」
「……どうする?」
「ちょっとそれ貸して」
 ハインケルは拳銃をホルスターに戻すと、由美江の持っていた鞘を借り受け、
壁の端から慎重にそれを突き出し、灰燼の中からM79グレネードランチャー
とグレネードを挿し込んだ弾帯を引っ張り出した。
 息を吹きかけて穢れた灰を除き、ランチャーにグレネードを装填する。
「さて……」
 ――どれだけ素早くこのグレネードを何発撃ち込めるか、それが問題だ。
「それで倒せるわけ?」
「倒せるわけないでしょ、銃弾よりトロいグレネードなんて当たるはずない」
「じゃ、何でそんなもの――」
 ハインケルがニヤリと嗤った。由美江は厭な予感に身を震わせた。
「でも、まあ連発すれば目くらまし程度にはなるわね」
「……それで、目をくらましてからどうする?」
 ハインケルの指がつつっと動いてピッタリ彼女を指差した。
「……やっぱり、アタシ?」

「いい!? 私が合図したらアンタは万歳突撃を敢行! あれは太陽を背にし
ながらゆっくりとこちらに下降してくるはずだから、タイミングを合わせて建
物を使って跳ぶ!」
「オーケー! サングラス借りるよ!」
 由美江はサングラスをかけると、鞘に刀を納めた。息を深く吸い込み、浅く
吐き出す。
「よし……いつでも行ける!」
 ハインケルはその返答に頷くと、ゆっくりとカウントを開始した。
「一……二の……三!」
 壁から頭を突き出したハインケルがグレネードランチャーを発射した。同時
に由美江が勢いよく飛び出す。
 噴出されて空を舞うグレネードは慣性の法則に従い、ゆっくりと落下を始め
る。建物の屋根にぶつかったそれは爆発し、コンクリートの欠片をばら撒く。
 ガトリングガンが唸る、ハインケルは間一髪で頭を隠した。
 ランチャーを折ってグレネードを再装填。もう一度頭を出して撃つ。ランチ
ャーが焼けるように熱い、だが温度が下がるのを待つ余裕はない。さらに再装
填、撃つ。
 その間に由美江は最短距離を駆け抜ける。リヒトホーフェンが彼女の姿に気
付き、ガトリングガンをそちらに向けた。
 ――来たな。
 壁を蹴った、弾雨は由美江の右側を通過していく。由美江はさらに地に躰を
伏せながら走る、翼と融合しているガトリングガンはある一定以上の角度を越
えて上下に動かすことはできない。こうなるとリヒトホーフェンには自分の有
効射撃範囲外に入り込んだ由美江の狙いがつけにくくなった
 さらにハインケルがグレネードランチャーで由美江の前方を狙う。爆発する
たびに煙とコンクリートと土くれが彼女の姿を掻き消す。
 勢いよく壁を踏み込んで跳ぶ、疾走の勢いを殺さずに二度、三度と跳ぶ。
 最後に屋根を走りながら、ほとんど足を叩きつけるようにして跳んだ。いや、
翔ぶという方が相応しいか。
 鞘から刀を引き抜く。
「島原抜刀流居合――震電」
 リヒトホーフェンはまるで空でブレーキをかけるかのように止まった、見上
げる、こちらに向かって刀を振りかざして躍り掛かる女。
 リヒトホーフェンは、先ほどと同じように、
「嗤……っ!?」
 嗤った。
 口が裂ける、そこから暗い空洞が見える。そしてその中から急に何かが飛び
出してきた、生物ではない、無機物だ。
 生物が吐き出すはずのない無機物、ロケット弾がごぼり、と勢いよくリヒト
ホーフェンの口から飛び出した。完全に斬撃体勢に入っていた由美江は宙空で
そのミサイルをかわそうとする、いささか無謀な試みだったが躰を螺旋ってい
たことと、彼女は落下していた――つまり、リヒトホーフェンに接近しようと
していたことが功を奏した。
 ロケット弾は由美江の後方で爆発を起こした、爆風が彼女の躰に襲いかかる、
さすがにこればかりは避けきれない。猛烈な衝撃は彼女の内臓や骨、筋肉をこ
っぴどく痛めつけ、熱は彼女の躰を焼いた。
 だが、意識がブラックアウトする寸前のところで彼女は自分が爆風の勢いで
目指す敵の間近まで接近したことに気付く。
 ゆらり、と刀が揺れた。慌ててリヒトホーフェンは翼を止めて後退しようと
するが、既に遅い。彼女の刀はリヒトホーフェンの表皮とわずかながら筋肉を
斬っていた。
 もう一太刀深く食い込ませることができれば、リヒトホーフェンはもしかす
ると灰燼と化していたかもしれない、だが、由美江はそこまでが限界だった。
 ここでリヒトホーフェンは後退して、由美江の刀の間合いから外れるという
戦術を選択することもできた、だが彼は危険ではあるものの確実に獲物を仕留
める方を選んだ。
 リヒトホーフェンが間合いを詰める、由美江はわずかな風の流れでそれを感
知し、ほとんど無意識に鞘を盾にするように突き出した。
 鉄拵えの鞘をリヒトホーフェンの爪がバターのように断ち切る。斬撃自体の
威力もほとんど殺せず、由美江は地面に叩きつけられた。右前腕骨及び第五、
第六、第七肋骨、それから左大腿骨が落下の衝撃で折れ、内臓の一部が破裂し、
頭蓋骨にもひびが入った。
 常人ならば――いや、そもそも常人ならばあそこまで跳ぶことはできないの
だが――とうに死んでいるだろう。鍛え上げられた人間なら、もうすぐにも死
ぬだろう、しかし高木由美江はある一定下の条件――例えば死の点を突かれる
など――に陥らない限り、絶対に死ぬことはない。
 そう、彼女もまた、あのアレクサンド・アンデルセンと同じ再生者だ。
 回復法術及び自己再生能力、そして祝福儀礼を施された銀の鎖帷子を内部に
仕込んだ尼僧服。これらが彼女の身をほぼ完全に護ってくれる。
 しかし再生にも限度がある、腕が切られた脚が切られた眉間を撃ち抜かれた
程度ならまだしも、内臓器官の修復には時間がかかるし、何より――。
「由美江!」
 リヒトホーフェンがまだ生きている彼女を見逃すはずもない。表皮と筋肉を
斬られた痛みを堪え、もう一度空へ羽ばたく。
 ハインケルは叫ぶなり飛び出した、ベレッタM93Rとショットガンを両手
に構え、空に向けて撃ち捲くった。
「由美江! 起きろ! 由美江!」
「……ぅ……」
 呻き声。そう簡単に再生できるものではない、さらに速度を上げる。弾丸の
切れたショットガンを投げ捨てる、距離はまだ遠く、ガトリングガンがゆっく
りと回転し始め、しかしこちらの弾丸は当たらず、由美江は起きない、ベレッ
タも投げ捨てて走ることに全神経を集中する、由美江の服を掴み、一気に持ち
上げる、ガトリングガンが唸り、弾丸が空気を切り裂き、地面を抉る、由美江
の肩も抉る、しかしそのままハインケルは走る、リヒトホーフェンは旋回して
狙いをつけようと、しかし二人は消える。
「!?」
 慌てて先ほどまで彼女達を視認していた場所に向かう、微かに見える足跡を
辿ると、ある部分で唐突に消えていた。

 呼吸が荒い、銃を構える。しかしこんな拳銃が果たして通用するものかどう
か、いや銀の弾丸ならば一発必中だ、しかしこちらは無造作に撃ち込まれれば、
無造作にあのロケットを撃たれればそれで終わり。

 久方ぶりに地面に降りる、周りを観察する。何かおかしい、あの二人が瞬時
に消えたトリックとは何か?
 ――答えは単純だった。

 幸運とはこのことだろう。ヴァチカンの地下墓地に間一髪で潜り込めた。だ
が別にこの入り口は偽装している訳ではない、ただ一見では分かりにくいとい
うだけだ、リヒトホーフェンが見逃すような甘ちゃん吸血鬼だとは思えない。
 入り口に向けて二丁の拳銃を構えて、しゃがむ。
 恐怖と興奮がほど良くミックスされた感情がハインケルの全身を震えさせる。
 冷や汗を流し、歯はカチカチと音を立てて鳴っているにも関わらず、彼女の
唇の端は吊り上がっていた。
 嗤っている。
 ――さあ来い、来い、来い、来るんだ化物(フリークス)。

 リヒトホーフェンはしばし考え込んだが、あっさりとその場からの撤退を決
断した。先ほどの由美江に対するいちかばちかのスリリングな攻撃とは違う、
今わざわざ踏み込むのは勇ではなくただの愚だ。
 踏み込んだ瞬間、こっちの躰が吹っ飛ぶ量の対人指向性地雷(クレイモア)
が仕掛けられていたら?
 いや、そうでなくともこの向こうにあの二人だけとは限らない、一人か二人
増えるだけでこちらの有利な状況はあっさりと覆されることになる。ましてや
この戦場(フィールド)は自分の利点である空を飛ぶという能力を全く活かす
ことができない、地下の狭苦しい洞窟だ。
 ――得るものは少なく、失うものは大きい。
 どの道あの女はほぼ仕留めたといってもいい、いくら再生者といえども復活
するにはさすがに刻が必要だろう。大切なのは刻だ、この殲争は刻の取り合い
であり、取った方が即ち勝者である。
 翼をはためかせて、一声吼えるとリヒトホーフェンはその場を飛び立った。

 咆哮に反応してビクリと躰を震わせる。いよいよ来るか、と全身を硬直させ、
どんな些細な変化も見逃すまいと視覚に全神経を集中させる。
 一分。
 由美江はまだ昏倒しており、戦力にならない、グレネードも品切れ、ショッ
トガンもベレッタM93Rもない、この二丁のベレッタM92Fだけが頼りだ。
 二分。
 緊張が切れそうだ、できればもう少し来ないで欲しい、できればさっさと来
て決着をつけて欲しいという相反する願いがハインケルの内部で攻めぎあう。
 三分。
 ……沈黙。
 ハインケルはゆっくりと地下墓地から顔を出した。
 そこには誰もいない、気配もない、サングラス越しに空をぐるりと見渡した
が、彼の姿はどこにも見受けられない。
 どうやら、自分と由美江は、
「……くそ!」
 完全に敗北したらしい。

 悔しさのあまりガンベルトを叩きつける。云い様にあしらわれた、という感
覚が抜けきれない。なんてことだ、くそったれ、情けをかけられたのか? そ
れとも向こうが腰抜けチキンだったのか? いずれにせよ、自分達はみすみす
リヒトホーフェンを見逃した、そして見逃された。
 由美江の刀を拾い上げて、再び地下墓地に戻る。腹立ちまぎれにハインケル
は昏倒している由美江の頭を蹴り飛ばした。
「あぎゃ!」
 怪獣のような悲鳴をあげて、由美江が目を開いた。
「あいててて……って、ハインケル! 何すんのよ何すんのよ!」
 くしゃくしゃの泣き顔で由美江が抗議する。
「だまっとれ! ……って、おい、アンタ、もしかして由美子?」
「…………うん」
 ――逃げやがった。
「由美江は?」
「不貞寝」
「……っのアマ」
「尼じゃなくてシスターだよ、ハインケル」
「やかましい!」
 ハインケルは頭を抱えた。


                ***


 一時間が経過した。
 由美子は苦痛に顔をしかめながら、ゆっくりと起き上がる。
「いけそう?」
 由美子は自分の躰のあちこちを触り、あるいは関節を曲げて状態を確認する。
 まだ痛みが残留している、自分ではとてもマトモに動けそうにない。しかし、
由美江ならば何とか人並みの動きはできるだろう。
 ――人並み。
 それでは無理だ、今戦っているのは人並みの動きではとても追いつけること
ができない化物。だが一方で時間がないのも事実だった。
「大丈夫、由美江ならいける」
「そうか」
 ハインケルは胸を撫で下ろす。
「由美江を起こしてくれ」
 由美子は頷いて、由美江を起こす――心の内に巣食う彼女に呼びかけ、居場
所を交替してもらう。由美江は渋っていたが、構うものか、とばかりに無理矢
理叩き起こして場所を入れ替わった。
「……」
 眼鏡を外してたちまち不機嫌そのものの顔をする、それでハインケルは由美
江が起きたのだと分かった。
「今度不貞寝したらブッ殺すよ?」
「……分かってる」
 ギリ、と由美江は歯噛みした。
「この借りは必ず返す、千倍に万倍に兆倍にして返してやる、のしもつけてね」
 躰中の痛みが教えてくれる、自分はあのバットマン野郎に殺されかけたのだ。
 許せない、化物ごときが自分を、この高木由美江を上回るなんてことは絶対
に許せない。
「そうね……あのクソ蝙蝠やクソ吸血鬼に自分が何に喧嘩を売ったのか、とこ
とん思い知らせてやらないとね」
「とことんね」
「とことんよ」
 復讐などといった大層なものではない――彼女達の頭にあるのは、左の頬を
叩かれたのだから、右の頬をブン殴ってやる、というような極単純で明快なも
のだった。
 二人はお互い視線を見合わせて嗤うと、再び戦場へと向かう。
 神の為に。
 借りを返す為に。
 この世から化物の一切合財を駆逐する為に。















                           to be continued






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