君ができるすべての善を行え、
 君ができるすべての手段で、
 君ができるすべての方法で、
 君ができるすべての場所で、
 君ができるすべての時に、
 君ができるすべての人に、
 君ができる限り。
               ジョン・ウエズリー(神学者)















「うお」
 惣太は思わず感嘆の声をあげた。ベルナドットの言った通り、B−29が出
てくるのではないか、と内心心もとなかった。
 幸いなことに、彼等の眼前にあるのは紛れもない軍用輸送機AC−130H
ハーキュリーズだ。全長三十メートル、機体重量三十五トンの漆黒の機体。
 左側面のみに装備されたM61Aバルカンを始めとする強力な火器によって
特殊部隊の火力支援を行うこともできる、最優秀の近接航空支援機だ。
 惣太がううん、と唸っているのを見たベルナドットが口を挟んだ。
「スペクターじゃねぇか」
 へぇ、とセラスが感心する。
「隊長、詳しいんですねー」
「何を隠そう以前見たことがある。南アメリカのお仕事でな。……ま、これと
は少しタイプが違うけどよ。
 こいつから落下してきたロケットランチャー乗っけたジープのせいで危うく
死に掛けたからようく覚えてるぜ」
 ベルナドットはあまり自慢にならないことを自慢気に言った。
「……なあ、あれ何かな?」
 惣太が指差した方を、セラスとベルナドットが目を向ける。
 普通の輸送機の形状には、明らかに不自然な何か。
 輸送機後部に取りつけられた――いかにも急ごしらえという感じ――の銀色
の三つの……銃座だろうか? 確かに先端には機銃のようなものがちらりと覗
いているが、あんなライフルの弾丸のような形では回転して撃つ事などできや
しないだろう。
「あれ、何かな?」
 ベルナドットとセラスに尋ねたが、二人とも首を横に振るばかりだ。
「うーん……」
 あのいかにも急ごしらえ、という設置ぶりが惣太の不安を煽る。急ごしらえ
ということは、何か急に取りつけなければならない事態が起こったということ
だ、例えば王立国教騎士団が突然この輸送機を使いたがったとか。
「あ、ははは」
 セラスが突然乾いた笑いを発した。
「なんか、この変なもの見ていると、ものすごーーい不安に駆られるんデスけ
ど……」
「奇遇だなあ、俺もだよ……」
 あはははは、と惣太も一緒になって笑った。


 輸送機タラップの前で彼等をいかにも軍人らしい物腰の男達が待ち受けてい
た。彼等の姿を見るなり、最敬礼で出迎える。
 だが、アーカード以外の三人――ベルナドット・セラス・惣太に対してはか
なり露骨なまでに侮蔑したような、小馬鹿にしたような視線を送った。
「王立国教騎士団の皆さんで?」
「そうだ」
 アーカードが答えると、軍人たちを掻き分けるように一人の老人が進み出た。
「あ、ペンウッド卿」
 セラスが指差して声をあげる。名指しされた老人はびくり、と全身を震わせ、
おどおどと視線をあちこちに移動させながら、何とか言葉を紡いだ。
「イ、インテグラの言う通りの機体を用意しておいた。
 改造も突貫工事で済ませてある、い、いささか急ごしらえだけど問題はない、
はずだ」
「改造?」
 どうやら彼の言う改造とは例の三つの銃座らしかった。
 アーカードが応じる。
「了解した。で、パイロットは?」
「パ、パイロットは彼等だ。いずれも英国空軍最高の腕を持つベテラン揃いだ。
 君達のことは話してあるから多少のことでは驚かない、と思う」
 三人のパイロットが一斉に敬礼した。
「まことに結構。セラス! お前は私と自分の棺を運んでおけ」
 アーカードがタラップを昇り始める。セラスが、慌てて停めた車に取って返
し、棺を抱え上げた。
「よいしょ、っと!」
 パイロットたちは遠目からその様子を見ていて、今更ながら目を剥いた。
 まだ少女といってもいい彼女が明らかに重たい木材で作られた棺を二つ、軽
々と持ち上げている。
 どうやら自分達の上官であるこの男が言ったことは真実である、と今更なが
ら認識させられた。彼等の目つきがまた変わった、今度は侮蔑ではなく、畏怖
という感情に。
「よっ、はっ、とっ」
 いささか気が抜ける掛け声をあげながら、セラスは棺を運ぶ――が、二つま
とめてくくりつけてある棺は、明らかに輸送機扉に適合しない大きさだ。
 ――しょうがない、一つずつ持っていきますか。
 セラスはくくりつけた紐を解くと、アーカードの棺を抱えた。これならギリ
ギリ扉から入れることができる。
「俺がもう一つ持つよ」
 惣太はセラスの棺を抱えた。ぱっ、とセラスの表情が輝く。
「ありがとうございます〜」
 棺を抱えてわざわざ頭を下げる彼女の姿に、惣太は苦笑した。
「いいよ、困った時はお互い様だ」
 セラスにとっては天地が引っ繰り返るほどの出来事である、ちらりとベルナ
ドットを見た、視線に気付いた彼が言う。
「何だ、お嬢ちゃん」
「べっつにー。ただ、どこかの傭兵隊長さんは一度たりとも『困ったときはお
互い様』だなんて言ってくれなかったなぁって、それだけ」
「黙れ嬢ちゃん俺は傭兵だぞパイナップルアーミーだぞこの野郎。
 人に情けをかけてるよーな甘ちゃんやってて生きられる世界かっつーの」
「五百メートル先の標的も当てられないのにですか〜?」
 セラスが頬に手を当てて悪戯っぽい笑みを見せる。
 だが、ベルナドットも負けてはいない。
「人質全滅させていいなら、スティンガー撃ち込むっつーの」
 む、とセラスがベルナドットを睨みつける。吸血鬼の癖にさっぱり迫力がな
いので、当然彼も視線に臆せず隻眼で彼女を睨む。
 セラスの棺を輸送機扉まで運んだ惣太は振り返り――。
「早くしないと、先に乗り込んだあの人が怒ると思うんだけど……」
 二人にそう言うと、彼はさっさと乗り込んだ。
 後に残るのはセラスとベルナドット、それにペンウッド卿達だけだ。
 虚しくそよ風が吹いた。
「……行きましょうか」
「……そーだな」
 二人は気まずそうに互いの視線を交わし、無言で頷くと二人してタラップを
昇り出した。
「ま、待ちたまえ!」
 ペンウッド卿の静止の声に、セラスとベルナドットは同時に振り向く。
「い、いや、君達に言ってもしょーがないかなー、とは思うんだけど、インテ
グラ卿はさっさと電話切ってしまうし、こ、こちらとしても電話ではちょっと
言いにくいことなんだが……」
「はぁ」
 セラスが片手で頭を掻きながら応じる。
「あ、あのね、君達……頼むから、それ壊さないでくれよ?
 その輸送機、少ない予算をやりくりしてやっと手に入った最新の機体らしく
て、しかもそれを不法に改造したもんだから、もう……」
 手をいじりながら、ペンウッド卿はおどおどとセラスに伝える。
 ベルナドットが肘打ちして、セラスは慌てて敬礼した。
「お任せください! 王立国教騎士団は必ずこの機体を(多分)五体満足で、
お返しすることを(それなりに)約束します!」
 だが、彼女の自信満々な発言にもペンウッド卿は懐疑的な目を崩さない。
「……本当かね?」
 セラスは胸をどんと叩いた。
「大丈夫です!」
 しばし、ペンウッド卿は彼女を見つめていた。そして、ふっと躰の力を抜く。
「……分かった。君達を信じよう。……どの道今更引き返すことはできん」
 おどおどしていた顔が引き締まり、軍人の表情になる。
 敬礼、先ほどの躰の震えが完全に止まった見事なものだった。
 セラスも、ベルナドットも輸送機扉の前で姿勢を正し、改めて敬礼した。
「では王立国教騎士団の諸君、武運を祈る」
「了解(ヤー)!」
 二人の後にパイロットが乗り込み、作業員によってタラップが切り離される。
 輸送機の扉が閉まり、エンジンが唸り声をあげ始める
 ペンウッド卿は輸送機が飛び立った後も不動の状態で彼等を見送っていた。
 そして輸送機の姿が見えなくなった後、ようやく敬礼を解く。やれやれ、と
ため息をつきながら考える。
 ――とりあえず帰って紅茶を飲んで寝よう。後の全ては彼等に任せた。
 よたよたと歩きながら、ペンウッド卿は自身のリムジンに向かった。


                ***


 玲二は日本を去ったときに、漫画本の一冊も持ってこなかったことを心の底
から後悔した。旅から旅を続けていたときは良かった、本を読む暇もなく、い
つでも走り続けていた気がする。
 しかし、こうしてローマのアパートの一室をヴァチカンのとある神父名義で
借り受け、日がな一日この辺りを離れないとなると、ヴァチカン観光以外には
何もすることがない。
 ちなみにテレビをつけてみると、いわゆる宗教番組――もちろん、カトリッ
ク限定――しか映らないようにリモコンを接着剤で固定していた。
 五分で寝ることができるので、最近は眠れない夜の為に活用している。
 本もあるにはあるが、どれもこれも難解な用語をフル活用した宗教関連のも
のばかりだ。
 そうなると、玲二のやるべきことはほとんどないことになる。掃除、料理、
洗濯、どれもエレンに比べてあまり褒められた腕ではない。
 日本に居た――アメリカに行く前のことを思い出す。あの頃の玲二はこんな
ことで悩む必要がなかった、やりたいことは山ほどあったし、見たいもの、体
験したいもの、それも山ほどあった。
 勉強はやりたくなかったが、テストで高得点を取れば嬉しかったし、複雑な
数学の問題を解いた時の喜びだってあった。
 そういうものをごっそりと奪われ、代わりに詰め込まれたのは人を殺す術だ。
 合理的に素早く確実に必ず相手を倒す術。
 しかしそれも人を捨てた吸血鬼というものにはまるで通用しない。
 玲二は日本に居た頃は恐らく一度たりとも感じなかった虚しさ、無力感とい
うものを味わっていた。

 まるであのメキシコでの出来事は夢だったように感じる。あの青白い禿頭の
吸血鬼も、いけすかないフリッツと大人びたモーラも、シエルも、そして……
クロウディアも。
 しかし目をつむると、すぐにあの時の情景が思い浮かぶ。
 吸血鬼、喰屍鬼、人でないもの。
 吸血鬼女(ドラキュリーナ)となったクロウディアの姿を思い出す。
 肉体的に彼女の動きは素晴らしかった。玲二はあんな速度で飛びかかる人間
を今まで見た事がない。
 いやそれだけじゃない、屋根でのシエルとの戦い、あれも凄かった。自分で
は到底辿り着けないものだ。
 ――人間の自分では。
「おいおい、お前は何を考えているんだ?」
 一瞬浮かんだ考えを嫌悪感と共に頭から振り払い、代わりに吸血鬼のことに
ついて真正面から考えようと玲二は思った。
 旅の途中、シエルから吸血鬼のことについてはいくつか聞いている。
「映画や小説でよくある弱点の内、十字架は全然ダメです、聖職者の私が言う
のもアレなんですが、これっぽっちも効果ないです。
 だってそうでしょ? 例えば日本人の吸血鬼が現れたとしてキリスト教の象
徴物である十字架を見せて効果あると思います?
 ガーリックは効果あります、ただしガーリックをいきなり投げつけてもダメ
ですね、体内に直接浸透させないとダメです。
 銀もいいです。銀は吸血鬼の体内の毒を洗い流す効果があるんですよ。銀の
弾丸を撃ち込むと死人に戻って派手に爆裂四散します。
 心臓に何かを突き刺すのもいいです。白木の杭がもっとも効果があると言わ
れていますけど、チタン合金でも銀の剣でも、私達によって祝福儀礼を施され
たものなら何でも構いません。
 あと、私は未だによく分かってないんですけどアメリカの血液学者が開発し
た吸血鬼の血液の成分を暴走させて破裂させる薬なんてのもあります、注射銃
のようなもので使うみたいですね。
 それから私はちょっと魔術を齧ったことがあるので、祝福儀礼を施した剣が
対象物に刺さると爆発する火葬式典なんてのも使ってますけど」
 玲二はちょっとばかり圧倒されながらシエルのまくし立てる様を見つめてい
た。シエルが息をついた後、素直に感想を述べる。
「弱点だらけだな」
 シエルは我が意を得たりとばかりに頷く。
「そうですよね、弱点だらけなんですよね。……でも、それでも強いから厄介
なんですけど、あの連中は。
 それはともかく玲二さんでもえーと……あのー……あの、ゴッツいピストル
はなんて言うんでしたっけ」
「デザートイーグル?」
 エレンが口を挟んだ。デザートイーグル、別名ハンドキャノンとも称せられ
る最高ランクの威力を誇る軍用拳銃だ。
「あれくらいの拳銃なら、心臓が、弱点がどうこうっていう以前に吸血鬼の頭
を楽に吹き飛ばせそうですから、あれでも倒せるといえば倒せますね。
 さすがに日本の警察が持っていた豆鉄砲みたいなピストルは効果ないと思い
ますけど……」
 玲二はベッドに転がって手持ちの武器を思い浮かべる。
 自分とエレンがこのイタリアまで持ち出せた武器は四種類だ。エレンが持っ
ているコルトパイソンとチェコ製のサブマシンガンVz61、通称スコーピオ
ン、そして玲二が持つデザートイーグル、最後に二人がそれぞれ持つナイフ。
 デザートイーグルはともかく、エレンのコルトパイソンとスコーピオンでは
吸血鬼の足止め程度にしかならないだろう。いくら命中精度が高く、エレンの
射撃の腕前が超一流で、眉間に、心臓に確実に銃弾を撃ち込めるとしても、そ
れでくたばらなければ、何も意味がない。
 銀の弾丸があれば別だが。
 ……武器が欲しい、と思う。
 圧倒できるとまではいかなくとも、せめて彼等の恐怖に対抗できる武器が欲
しい。
 彼等は既に表舞台に登場しつつある。
 ニューヨークのことは調査に向かったシエルから聞き及んでいた。
「酷いらしいですよ……吸血鬼があっという間に広まっちゃって」
 ため息をついた。
「こんな事、おかしいですよ。こっちが対処できないくらい広まり方が異常に
早かったんです。普通、そこまで爆発的に広まると吸血鬼同士、喰屍鬼同士で
下手すると共食いが起きるのに。
 それに吸血鬼は自分の存在が表に出ることを嫌うから、隠しきれないほど眷
属が広まるのは絶対に避けるはずなのに……」
 おかしい、おかしいと何度も呟きながらシエルはニューヨークへ去って行っ
た。その時、エレンが言ったことを玲二は覚えている。
「……何かが起きているのかもしれないわ」
 多分、それはエレンの勘から来た発言だっただろう。だがしかし、彼女の鋭
敏な勘に助けられたことは幾度となくある。
「武器、か」
 幸いここはイタリアだ、武器に関しては日本より遥かに融通が利く。肝心の
金についてもまだ余裕がある。
 玲二はベッドから身を起こし、エレンが戻ってきた時のために置手紙を残す
と、アパートを飛び出した。

 以前日本を出国するために利用したロシアの仲介屋に電話をかけ、銀行から
彼の口座へ金を振り込み、代わりにイタリアの武器商人の紹介と、身元の保証
を受ける。
 元殺し屋の現逃亡者に身元の保証も何もあったものではないが、彼の保証が
ないと、まだティーンエイジャーにしか見えない玲二やエレンは取り合っても
貰えない。彼の保証は必須事項だった。
 雑音混じりの会話を何とかクリアして、玲二は仲介屋が信頼できるという武
器商人の紹介――といっても電話番号だけ――を受けた。
 そこに電話をかけ、仲介屋の言う通りの合言葉を述べる。電話口の人間から
住所だけを伝えられる。
 タクシーを拾うと、住所を伝える。運転手は行き先に慣れているらしく、鼻
歌混じりで発車した。
「兄ちゃん、観光かい? あそこを知ってるなんてなかなか通だな!」
「……ま、そんなとこだ」
 そっけなくそう言うと、陽気な運転手は肩を竦めた。話に乗らなかったこと
にがっかりしたらしい。
 ローマの古い町並みをぐるぐると周り、辿り着いた場所は驚いたことに古め
かしい作りのレストランだった。
 ドアマンが丁寧にお辞儀をして扉を開く、玲二はネクタイを着用していない
のだが、このレストランは別段その手のことに拘っていないらしい。
 真っ白い髪をしたいかにも、という感じのウェイターが玲二の前に進み出る。
「いらっしゃいませ、ご予約なさってますか?」
「ああ、個室を。十一号室で」
「……なるほど、承っております。こちらへどうぞ」
 ウェイターは玲二をいかにも他の食事客とは違う部屋に案内すると、椅子に
座らせ、「メニューをご覧下さいませ」と述べると、静かに彼の脇へ立った。
 頷いて、玲二はメニューを開く。
 予想通り、そこには料理の名前と写真の代わりに銃器・弾薬の類がぎっしり
記されていた。
「コース料理になさいますか?」
「いいや、単品で」
「左様で。お支払いの方は?」
「現金、ドルで」
「すぐにお持ち帰り致しますか?」
「そうするよ……あと、運ぶための車を貸して欲しい」
「かしこまりました。では、ご注文はお決まりですか?」
 玲二はしばらくメニューを見つめて沈思黙考する。
 吸血鬼にとってどんな武器が最適なのか? どんな弾薬が効果あるのか?
 ――よし、玲二。落ち着いて考えろよ。


                ***


「ん――」
 久しぶりに玲二の夢を見た。ファントム・ドライとしてインフェルノで過ご
していた時は父親の悪夢と合わせて、毎日のように見ていた夢だ。
 夢の中身は自分の欲望と願望を深層意識から掻き出してきたようなみっとも
ない代物で、嘲笑ってこちらに拳銃を向ける玲二の眉間を自分の乾坤一擲必殺
の銃弾が貫くというもの。
 夢を見るたび玲二への憎悪が増し、明日への活力となったことを覚えている。
 しかし、今回は夢の内容が若干異なっていた。
 夢の中の玲二は紅い瞳で、おまけに犬歯が嫌というほど尖っており、涎を垂
らしつつ飛びかかってきた。
 おまけにこちらは何発何十発何百発(拳銃でどうやって? 多分香港製だ)
撃っても、銃創がすぐに塞がり、あっという間に追い詰められる。
 そして玲二が自分の喉に思いきり牙を突き立てて――。
 最悪の気分で目を開いた。

「……またよく眠ったなお前は」
 その声にキャルはがば、と猫のように跳ね起きる。
 雀のちっ、ちっと囀る声。温かみのある陽光、全身の血管に詰まった気だる
さ、久しぶりの朝だ。
「……ええと、今何時?」
 聞きたいことが山ほどあったが、なぜかキャルはその疑問をまず口にした。
 部屋の隅の闇が答える。
「午前九時二十七分」
 ふむ、と時間を頭の中で計算する。最後、昇り行く朝陽を見ながらヘリの中
で眠り込んだ記憶が残っている。となると、あれから四時間ほど経ったことに
なる。
 そう考えると、急激に眠りたくなった。いくら若いと言ってもあれだけの激
闘の後で四時間程度の睡眠というのはあんまりだ。疲れが取れる訳がない。
「……四時間しか眠ってないじゃんか」
 もう少し寝かせてくれたって、とキャルが抗議しようとするのを声が阻んだ。
「それに七十二時間足せ」
 キャルの眠気はたちまち吹っ飛んだ。
「アタシ……三日も……眠ってた!?」
 ようやく夢うつつの状態から脱出し、自分と周りの状況を認識しようとする。
 どうやら自分が眠っていたのはホテルの一室らしく、ベッドの質素さと、窓
から見える風景から判断して、一階のダブルルームだろう。
 ついでに言うと、先ほどからキャルの声に応じていたのは言わずと知れた闇
の男、ダークマンだった。彼は部屋の隅、光に当たらないところに蹲り、じっ
と彼女を見ていた。
「ちょ……何が、結局、どうなった訳?」
「大雑把に言えば、私達は生き残ったってことさ」
「それだけじゃ分からないだろ! もっとちゃんと、順序良く、説明してくれ」
 いかにも面倒くさい、という風に彼は肩を竦める。
 だがそれでもダークマンはキャルが眠ってからのいきさつを説明し出した。
 彼によると、ヘリを降りた後キャルは闇医者に連れて行かれたらしい。彼女
の血に染まった包帯を取り替えられ、鎮静剤と栄養剤をブチ込まれた。
 その後ヘリに同乗したあのシスターに何やら怪しげな行為――本人は治癒行
為だと自称していた――をされた後、ワシントン州の空港近くのホテルに宿を
取り、「自分で起きるまで起こさない方がいい」という彼女の言葉に従い、今
の今までキャルが起きるのを待っていたらしい。
「あのシエルって奴は?」
「ああ、ちょうど電話したいらしくてな。さっき出て行ったところだ」
 ようやく自分の周りの状況を飲み込んだキャルは、再び枕に顔を埋めた。
「まだ寝る気か?」
 呆れたように言うダークマンにキャルは首を横に振った。
「違う……考え事をしたいだけ」
 考える。
 まず最初にモーラのことを考える。結局、あの部屋で彼女と別れてから一度
も逢うことがなかった。脱出した、とは思うがもしかしたらあの艦に置き去り
にしたかもしれない。
 もしそうなら彼女は一生自分を恨むだろうな、とキャルは思った。
 ――そうだ。
 次に死んだ三人のことを考えようとしたが、それよりも先に思い出したこと
があった。ダークマンの言葉、「後で話す」といったあのこと。
 ベッドから転がり出て、ダークマンに詰め寄る。
「どうした」
「約束したよな? 落ち着いたら何もかも話すって」
「……お前が起きたら、そうしようと思っていたところだよ」
 ダークマンは立ち上がり、微妙に光の当たっているところを器用にすり抜け
ながら、ポットのコーヒーをテーブルに置いた。
「長い話になる、こっちに来い」
 キャルは頷いて、始めて自分の今着ている服を見た。最後に着ていた愛用の
ライダースーツではなく、どう見ても病院の入院患者が着ているような代物だ。
「ちょっと待って……その前に着替えさせてくんない?」
 ダークマンは頷いて、親指で隣の部屋のクローゼットを指した。
「向こうのクローゼットにお前の服がある」
 キャルは頷いて、隣の部屋に入るとドアを締めた。
 服を脱ぎ捨てて床に放り投げ、自分の服を手に取って始めて気付いた。
 きっちり下着も替えられていた。
「――――!?」
 心臓が一段高く跳ねた。思わずしゃがみ込んで自分の躰を隠す。
「まさか……アイツ………………」
 莫大に嫌な予感が全身を走り抜ける、下着がきっちり新品(安物のようだが)
に替えられている、ということは意識を失っていた自分の躰をまさぐって、下
着を脱がし、さらに履かせた人間がいる、ということだ。
 となると、該当する人間は一人しか――。
「あ、待てよ」
 思わず独り言を呟いた。そうだそうだ、ここに居るのはあの男以外にももう
一人いるじゃないか、赤の他人に下着を履き替えさせられたのは大層な屈辱だ
が、見知った男に替えさせられるより、数千倍はマシだ。
 自分の無駄な思考に苦笑いを浮かべつつ、キャルは着替えた。

「悪い、待たせた」
「淹れたコーヒーが冷めるぞ、さっさと飲め」
 キャルは頷いて椅子に座り、テーブルに置かれたコーヒーを飲む。久しぶり
に摂取する飲み物に、胃が空腹を訴え出した。
「もうすぐ朝食が来る」
 キャルの考えを読み透かすかのように、ダークマンが言った。
 ほっ、としてキャルは改めて彼と向かい合う。
「では、最初から話すぞ――」
「あ、ちょっと待って。その前に質問があるんだけど」
 キャルが手を待った、という風に突き出す。
 なんだ、という風にダークマンが眉をひそめた。
「……アタシを着替えさせたのはまさかアンタって言う訳じゃ――」
「ない」
 ダークマンはキッパリと断言した。
 ほっ、と心の中で胸を撫で下ろしつつ、キャルは誤魔化すように笑った。
「そ、それならいいんだ、続けてくれ」
「分かった」
 ダークマンはキャルの瞳をじっと見据えて語り出した。
「お前達がさらわれた時、私とセスはディスクのことを聞いていた」
「ディスク?」
「例のインフェルノの本拠地で手に入れたやつだ。五枚の内、三枚は私の研究
のデータを盗み出したものだった……まあ、これはどうでもいい。
 問題は残る二枚で、これには厳重にプロテクトがかかっていた。
 そのプロテクトをくぐり抜けることができる凄腕のハッカーが、バールって
吸血鬼でな。
 そいつがプロテクトを打ち破ったデータを提供してくれた」
「中に何が入ってたの?」
 はぁ、と重苦しいため息をついた。
「今更言うまでもないだろうし、その気もないだろうが念の為言っておく。
 後戻りはできんぞ」
 ダークマンの真剣な表情に、キャルは茶化すのも忘れてじっと彼の瞳を見た。
「……大丈夫、戻る気なんてない」
「だろうな」
 ダークマンはやれやれ、というように首を振るとディスクの内容について語
り出した。
「そこにはイノヴェルチの極秘計画の詳細が記されていた。
 計画を実行するための数々の作戦内容及び必要人員及び装備品、その作戦が
計画にどのような影響を与えるかから作戦失敗した際の立て直しまで。
 綿密に厳密に記されていた。
 ニューヨークで吸血鬼が跳梁跋扈し始めたのもその原因の一つだ。
 ……もっとも、本来はニューヨークだけではないようだが」
「……ニューヨークだけじゃ……なかった?」
「上海、モスクワ、ロンドン、パリ、東京……各国の主要都市も占拠する予定
だったらしい。
 だが今の今までニュースらしいニュースは飛び込んできてないから、恐らく
何らかの要因で予定が変更されたのだろう」
 たまたま傍にあった新聞をキャルは覗き込んだ。一面は尚も続くニューヨー
クの伝染病についてのニュースが大半を占めている、既にアメリカの経済に相
当の被害額が計上されているらしい。
 内容は後手後手に回る政府の対応への批判がもっぱらだった。
「さて、だ。問題はだな、この計画にモーラが含まれていたことだ」
「モーラが!?」
 ようやく身近な存在がダークマンの口から出たことで、キャルはようやく話
の内容が見えてきた。
「そもそもニューヨークも、本来襲うらしかった上海やモスクワも、実はただ
の囮に過ぎない。ヴァチカンの第十三課や吸血鬼ハンターの勢力を分散させる
というただ一点だけの為の作戦だ。
 連中の本当の狙いは大きく分けて二つ。
 一つ目、最終目的のための必要な生贄。
 二つ目、とある“国”への襲撃作戦。
 この二つによって連中は計画を達成させるハラだ」
「生贄? 襲撃作戦? まだるっこしい言い方は止めろよ、ダークマン」
 そうだな、とダークマンは呟いた。
「まず、生贄はモーラを含めたある種の吸血鬼だ。
 産まれついての吸血鬼、人として産まれてから吸血鬼となったもの、それか
ら……人と吸血鬼の間の混血児」
 三本指を立てて、ダークマンは説明する。
「モーラの他残り二人を彼等が手に入れたかどうかは私には分からん。
 だが、余計な希望は持たないに越したことがないだろう」
「ちょ、ちょっと待ったちょっと待った! モーラが生贄として連れて行かれ
たってことは……大変じゃない! こんなとこでモタモタ――」
 慌てて立ち上がろうとするキャル。
「できるんだよ。生贄にする刻はまだ来てない。連中の目的のために行われる
儀式は相当大掛かりなもので、時間と、場所と、必要な物全てが揃い、尚且つ
その儀式を行って完全に成立させないと、どうしようもないのだ」
「儀式って……」
 ダークマンが尚も疑問を口に出そうとするキャルを手で押し留めた。
 仕方なくキャルは椅子に座り直す。
「何もかも順番に説明してやる。落ち着け。
 場所については、最初“我等の聖地”としか記されていなかった。吸血鬼の
遺跡らしいものがいくつか見つかっているからそこだと思っていたのだが――」
 言葉を切る。そこで始めてダークマンは目を伏せた。
「実際私もまだ信じられんのだが、連中が襲おうとしている場所は、イタリア、
ローマ市内にある世界最小の国だ」
「ヴァチ…………カン?」
 さすがに途方もない与太話になってきた、とキャルは思った。
「だって、まさか、そんな」
「ディスクにははっきりとヴァチカンの名が記されていたよ。
 俺も見るまでは……見てからも、そしてまだ信じられないがな」
「いくら何でも……吸血鬼があのヴァチカンに?」
「私も信じられませんけどね」
 唐突に声が割り込む。
 二人が同時に振り返ると、シエルがいた。
 ルームサービスで頼んだらしい朝食も一緒だ、キャルはいい匂いがするスー
プやパンの匂いを思う存分嗅いだが、衝撃のあまり食欲は失せかけていた。
「食欲がなくても食べるんだ」
 ダークマンの言葉にキャルは頷いて、シエルが運んできた朝食からパンを一
つ掴んで強引に口の中にねじ込んだ。それが胃への刺激となって、失せかけて
いた食欲が取り戻される。
「それでその――吸血鬼達の目的は?」
「カインという神の降臨と、人類絶滅……ですよね?」
 シエルが言う。
「ああ。ディスクにはハッキリとそう書かれていたよ」
 ダークマンも熱いスープを猫のように慎重に啜りながら、答えた。
 はぁ、と気の抜けた返事でキャルは応じた。
「神様と人類絶滅……ね」
「ほらやっぱり、キャルさんだって信じてないじゃないですか」
 シエルは強烈な香りのするこげ茶色のスープにパンを浸しながら言った。
「私に言うな、私はディスクに書かれていることを伝えただけだ」
 四、五度程度スープを啜っただけでダークマンはもうスプーンを置いてしま
った。
「だってさ、あいつ等ってアタシ達の血が無ければ死んじゃうんじゃないの?」
「餓死する吸血鬼がほとんどですし、生き残った吸血鬼もパワーが保てないで
すね、動物園のゴリラやグリズリーの方がまだ強くなりますよ」
「神が願い事を叶えてくれるのかもしれんな」
「……そう聞くと、なんだか全ての計画が胡散臭く感じられちゃうんですよね
……」
 シエルがため息をつきながら言った台詞に、二人も頷いた。
「でも、モーラがさらわれたのは事実だし、ニューヨークが占領されたのも事
実、そして残り二人の生贄が確保されたのも事実なんです」
「この際計画が成功する失敗するは問題じゃない」
 ダークマンが言う。
「問題は、間違い無くその三人が、モーラが生贄として捧げられるという事実
だ。生贄になって具体的に何をされるかまでは書かれてないが、生存の確率は
低いだろうな」
 キャルはスープを啜るのに使っていたスプーンを思わず握り締めすぎ、使用
不可能なほど折り曲げた。
「……冷静にそういう事言わないでくれる?」
 生贄、という単語から薄々気付いていた事実を突きつけられ、思わずキャル
は彼に八つ当たってしまった。少し後悔する。
「すまん」
 ぼそぼそとした声でダークマンは応じた。
 自分も悪かった、と言おうとしたが、気まずさのあまりスープを飲んでタイ
ミングを逃してしまった。
 しばしの沈黙。
 二人が朝食を大体胃の中に納めたことを見計らって、シエルが言った。
「ともかく、これから私は超特急でヴァチカンに戻る予定です。
 貴方がたはどうなさいますか?」
 ダークマンが応じる。
「……今のモーラの居場所がどこかは、我々には分からん。
 だが、ヴァチカンを襲撃するとなると相当の大事だ。恐らくイタリアの何処
かにでも相当数の吸血鬼が潜伏しているはずだ。
 そしてそこに、恐らくモーラもいるはずだ」
「つまり、私についてくるってことですね……」
 やっぱり、という風にシエルは困った表情を浮かべた。
「頼む」
「アタシからもお願い、シエル。……あの娘を、助けたいんだよ」
 キャルが懇願する。
 ああ、とシエルは大袈裟にため息をついた。やはり自分は「人から頼られる」
タイプらしい。ただこのタイプというのは男ならば大抵「○○っていい人よね」
と、女なら「○○って性別関係なくいい友達って感じするな」と評され、肝心
の自分の幸せがなかなか掴めないものだ。
 ――私は絶対に幸せになってみせます。
 そう固く決心しながら、シエルは作り笑いを浮かべて頷いた。
「分かりました」
 もっとも彼等は自分が拒めば、別の方法でヴァチカンに来るだけだろう。彼
等を一緒に連れていくのは単に時間の節約をしているに過ぎない。
「空港で特別オーダーのジェット機が出発準備中です。
 ……荷物を纏めてください。行きましょう」
 二人は頷き、立ち上がった。
「あ」
 荷物を纏めていたキャルが思いついたように言う。
「ところで……拳銃は持ってっていい?」
「どうぞ」
「ライフルは?」
「別に構いませんよ」
「じゃあ、このハンマーはどうかな?」
 ダークマンが布に包んであった馬鹿デカいハンマーを持ち上げた。もっとも
真の所有者は彼ではなく、モーラだが。
「アンタまだそんなゴツいの持って来てたの?」
 呆れたようにキャルが言った。
「持ち主に返さなきゃならないだろう、こういうのは」
「……この際何でも持って行ってください」
 こめかみを抑えながら、シエルは言った。一応あのジェット機の名目は中南
米からヴァチカンへ帰還する特別慰問団という振れ込みなのだが、この二人は
どう見たって慰問という柄ではない。
 慰問の原因を作り出す側にしか見えなかった。
 特に服装を替えれば何とかなりそうなキャルはともかく、ダークマンは致命
的だろう。
 荷物はともかく、彼等のことをどうやって税関に言い訳しようか?
 シエルの頭は全力で回転し始めた。












                           to be continued




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