武器庫にダークマンは飛びこむと、ソーニャに指定された物をすぐに見つけ
た。中央に鎮座していたそれは明らかに人ではなく、吸血鬼が使用するという
前提に立って作られたものに違いない。
 目算で背中に装備する部分だけでも、恐らく七十キログラムはあるだろう。
 両手で抱える銃身だって相当な重さがあるに違いない。
 だがしかし、一方でダークマンはこれなら、という確信を抱いた。
 迷うことなくダークマンは装備する。
 背中に弾薬パックを背負い、銃身を運ぶためのキャリングハンドルをしっか
りと握り締める。総計で約百キログラム。
 頭の中で数えていた時間を考えると、既に三分半を過ぎている。
 これを抱えて、残り一分半で戻らなくては。
 百キログラムの荷物を抱えているにも関わらず、来た時以上の早さでダーク
マンは走り出した。


                ***


 M79グレネードランチャーから発射されたグレネードは、完全にカインに
見切られていた。左手で弾くと宙空でグレネードが爆発した。
 隙があると見て取ったソーニャが左腕に日本刀を叩きつけようとした、切断
とはいかないまでも、一分でも使用不能になれば圧倒的にこちらに有利だ。
 しかし、その刀を血だらけの右手が器用に掴み取った。
「……再生……してるの!?」
 カインの右腕はぬらぬらとした桃色の液体に絡まっていたが、既に左腕と遜
色無い右腕が生えかかっている。完全とはいかないまでも、ソーニャの力では
とても抑えられそうになかった。
 刀ごとソーニャの躰が持ち上げられる、左手で彼女の首をもぎ取ろうと掴み
かかる。だがフルオートで放ったステアーAUGがそれを防ぐ。
 弾丸が切れた、再装填。連続的な精神の緊張を強いられているせいで、キャ
ルの呼吸は荒い。
 既に五分は過ぎているが、ダークマンの影も形も登場しない。
 ――頼むから、早く来いってんだ、まったく……!
 その隙に刀を放り捨てて脱出しようとしたソーニャの首をカインが掴んだ。
「あ……」
 キャルは慌ててステアーAUGを構えるが、カインはぐるりと方向転換して、
首を掴んだソーニャを突きつける。
「くっ……」
 撃てない。ステアーAUGを構えてはいるが、撃つ意志がないことはカイン
にも理解できた。
(アレは撃てないのか?)
 満足そうな笑い声。ソーニャはカインが甲板に転がった日本刀を拾い上げる
のを見て青ざめた。カインが次にやろうとしている事が理解できた。自分がカ
インならばそうする、間違いなく。
 キャルが硬直した。
「ダメ、逃げなさい!」
 だが、その声より一瞬早くカインが日本刀の柄を握って、槍のように放り投
げた。
 ほとんど遺伝子レベルでキャルの躰が瞬間的に反応する。だが、人間の限界
と吸血鬼の限界とではあまりにレベルが隔たりすぎている。
 横に跳んだ彼女の左肩を日本刀が貫いた。
 一拍置いてからキャルの全身に激痛が叩き込まれる。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
 日本刀は左肩を貫通し、鎖骨を切断し、大量の血を甲板に撒き散らしていた。
 キャルが呼吸するたびに、血飛沫があがる。それでも引き抜けばたちまち更
に血が溢れるに違いない。刀に手をかけた自分をキャルは押し留める。
 意識が圧倒的な濁流に飲まれそうになる、立つどころか目も開けていられな
い。
 だが、遠のいていく景色と、静寂に覆われていく音の中、キャルは確かに理
解した。自分はもう間もなくカインにとどめを刺される。


「キャル!」
 これ以上この吸血鬼女が何か叫ぶとたまらなく不快になりそうなので、カイ
ンは首を少し強く握って、声帯を潰した。
 蛙が潰れた時に出すような悲鳴。カインはますますいい気分になる。彼は、
まず目の前で蹲る奴隷の頭を踏み潰して、それを女吸血鬼に思う存分見せつけ
るつもりだった。
 そうすれば二度と歯向かう気は起こるまい。
 自身の考えにカインはほくそ笑むと、左手で掴んだ女吸血鬼の首をゆっくり
とキャルに近付ける。
(今から私が何をするか分かるか?)
「……まって。そうしゅうするから、たからやめて」
 口から血を吐きながら、再生しきれてない声帯でソーニャは必死でカインに
訴える。
 カインは嘲笑した。
(馬鹿め。初めから素直にそう言っておけば、この人間も死なずに済んだかも
しれんのだ。これは懲罰だ、貴様達の不遜な行為に対する報いだ。
 正統だろう?)
「やめて」
 カインはそれに答えず、足を高々と上げる。
(お別れを言っておけ、潰した後では遅いぞ?)
 そして一気に足をキャルの頭目がけて振り下ろし、


 轟音が、そして、


 右腕が弾け飛んだ。


「その二人から離れろ、この化物め」
 ダークマンはそう言った。
(な……ん……だ……!?)
 カインは踏み潰すどころか、右腕が千切れ飛んだせいでバランスを崩し、無
様に倒れ込んだ。
 ソーニャを握り潰していた左手を離し、呆然と血が流れ続ける右腕を抑える。
 オォォオォォォンォォン――。
 カインは絶叫した。
 ソーニャは左手の支配から抜け出るなり、キャルをしっかりと抱いてカイン
から離れた。カインは二人を見ようともしない、突然の激痛、突然のショック。
 彼は呆然と音の方向を見た。白い顔と黒い服、見間違えるはずもない、先程
逃げたはずの吸血鬼だ。
 両手にしっかりと握り締めた黒い火を吹く飛び道具。
 ――あれがこの私の右腕を?
 馬鹿な、とカインは思う。今まであの火を吹くものが、自分を傷つけたこと
など、一度とてなかったのに。


 カインは完全に見誤っている。
 人間は研鑚に次ぐ研鑚を経て大量の殺戮兵器を産み出してきた。より大量に、
より効率よく、より簡単に人を殺すことができるように。
 弓矢、剣、銃、大砲、ミサイル、核爆弾……。
 ダークマンが手に持っているのも、脆弱な人間を最強たらしめる為に作られ、
無限に枝分かれしてきた兵器の中の一つだ。
 ただし、本来ならこれは人の手で操るものではない。普通は車やヘリコプタ
ーに設置するものだ、七千発の弾丸と合わせて総計百キログラムの兵器を誰が
単体で持つものか。
 ジェネラル・エレクトリック社製M134ミニガン、別名“無痛ガン”。
 だがしかし、今カインの身に降りかかっているのは紛れもない激痛だった。

「遅く……なった……」
 息も絶え絶えという様子で、ソーニャに呼びかける。
「ギリギリセーフ、というところね……私はキャルの手当てをするわ」
「……大丈夫か?」
 ダークマンの声の調子が少し変わる。キャルへの気遣いが溢れたその声に、
ソーニャはうっすらと微笑む。
「大丈夫よ」
 ぽん、とダークマンの肩を叩いた。
「こっちは私に任せなさい……何とかしてみせるわ」
 ダークマンは頷くと、再びカインと向かい合った。カインが三人と相対して
から初めて一歩後退した……彼は子供を相手に恐怖を感じている自分に気付き、
憤った。
「待たせたな、神様にお祈りは済ませたか?」
 自分で言ってダークマンは笑った。
「忘れていた、お前は神様だったな。それでは――」
 六本の黒い銃身が回転を始める、
「パーティは終わりだ」
 カインは慌てて飛び退いて避けようとしたが、右腕を失ったショックが致命
的なロスを与えた。
 ぶぅん、と一千万匹の虫の甲高い羽音と共に吐き出されていく弾丸が、カイ
ンの躰をズタズタに刻み始める。
 カインは泣きじゃくった。
 肉体の再生能力など問題にならない、躰そのものが削られていく。逃げよう
と思ったが、真っ先に膝から下が吹き飛ばされた。
 反動を抑えるのに全力を傾倒させながら、ダークマンはずず、ずずと摺り足
でゆっくりとカインへ迫る。
 カインは必死で逃げた、残った左手で甲板を引っ掻き、躰を移動させる。だ
が彼の努力は音速ですっ飛ぶ7.62mmの弾丸達が遮ってしまう。
 身を起こした瞬間、彼の胸板に弾丸が襲い掛かった。
「くたばれ!」
 ダークマンが叫ぶ。
「くたばれ!」
 カインが泣き叫ぶ。
「くたばれ! くたばっちまえ! さあどうだ、美味いだろう!
 まだまだたっぷりあるぞ、ほうら!」
 ダークマンの叫びは恐らく当の彼自身の耳にも伝わっていまい。カインが目
から涙を流し始めた。ダークマンはそれを見て嘲笑う、ランゲヴェリツ・プロ
セスの影響で垂れ流される脳内麻薬、痛覚神経の遮断による奇妙な空虚感、そ
して火がついた嗜虐心。

 ――シヌ。
 カインは弾丸の嵐の中、ぼんやりと浮かび上がったその言葉に怯える。心臓
を覆っている金属製のプレートは銃弾を霰のように撃ち込まれ、既に防護とし
ての役割を果たしていない。
 死んでたまるか、とカインは足掻いた。左腕が手すりに引っ掛かる、躰を全
身全霊で持ち上げる、唯一の救いは体重が軽くなっていることだ、頭が吹っ飛
ぶ、意識が喪失する、躰がぐらりと揺れる。


 堕ちた。


 六本の銃身が無意味に回転し続ける。ミニガンは尚も弾丸を吐き出そうとす
るが、肝心のそれが品切れだ。
 大きく息を吸う、洗濯機の震動のような銃身の回転音だけが妙に耳に残る。
 ようやくダークマンはM134ミニガンを自分の躰から引き剥がした。背負
ったミニガンの弾倉が随分と軽い、気付けば甲板には山のような空薬莢。
 はぁ……と大きく息を吐いた。
 終わった。カインは頭を吹き飛ばされて、そのまま海中に落下した。数分で
血の匂いを嗅ぎ付けた鮫が彼の躰を食い尽くすだろう。諸井霧江と同じように。
 膝を突いた、今までちっとも感じなかった肩への重みと痛みでダークマンは
吸血鬼の癖にすっかり参っていた。
 休暇が欲しい、ダークマンはつくづくそう思った。
「ダークマン?」
「生きている」
 ソーニャの呼び掛けにそう答えた。
「あら、そ。キャルは大丈夫よ、輸血がすぐに出来たのが幸運だったわ。
 ここには……吸血鬼が山ほどいたからね」
 ――ああ、そうか。確かに吸血鬼の食料にも、人間の輸血にも事欠くまい。
「まだ吸血鬼化が解けてないみたいね……飲む?」
 ソーニャが輸血用血液パックを差し出した、ご丁寧にストローが差し込んで
ある。
 断ろうと首を振ったが、なぜかダークマンの手は無意識に差し出され、パッ
クを受け取っていた。
 くすくすとソーニャが笑い、ダークマンは顔をしかめた。
「無理よ。初期の吸血衝動は“若僧”には耐え難いものなの」
 飲みなさい、と言ってソーニャが自分のパックに口をつけた。やむを得ず、
ダークマンもストローを咥え、勢い良く吸った。
 例えるなら、砂漠をさ迷ってさ迷ってようやく辿り着いたオアシスで冷たい
水を飲んだ瞬間の衝撃というところだろうか。
 喉を通る甘く粘っこい感触、陶然とするほどの甘い匂い、そして強烈な味。
 ダークマンは今まで飲んできた炭酸飲料やウィスキーや水といったものがい
かに取るに足らない代物だということを思い知らされた。
 貪るようにダークマンはパックの中の血液を全て飲み干した。全然足りない。
 ちらりとソーニャが啜っている輸血パックを見た、その視線に気付いた彼女
は右手を広げてダークマンの眼前へ突きつける。
「ダメよ、これ以上啜るとどうしようもなくなっちゃうわよ。
 あなた今、自分がどんな目をしているか分かる?」
 はっ、とダークマンは自分の状態に気付いて頭を抱えた。
「なんてこった」
 ソーニャは薄暗がりの空を見上げる、もう二時間もすれば朝が来るだろう。
 脱出しなければならない。彼女は朝陽が射す中で、ヘリの運転を続けられる
自信はあまりない。
「キャルを連れてくるわ、それまでに立ち直ることね」
 ダークマンは蹲って答えない。……結局これは、彼がいずれ通らざるを得な
い道なのだ。吸血鬼のおぞましさを自覚し、人と共生する吸血鬼となる為に。
 まあ、それもあの白衣の吸血鬼女が死ぬまでのことだ。海に落ちたらしいか
ら、長くは生きられまい。
 ――生きられない?
 ソーニャの胸の中でわずかな疑問がくすぶったが、彼女はそんな事を考えて
いる暇はない、医療室のキャルを連れて来なくては。

 ヘリは今までダークマン達がいた反対側にあったことと、防弾ガラスを完備
していたせいか、あれだけの猛攻の中ヘリの被害らしい被害は皆無に近かった。
 ダークマンはヘリを見上げながら、次のことを考える。まずは彼等にコンタ
クトを取らなければならない。コンタクトを取った上で信じて貰わなければな
らない。
 ポケットの中のMOディスク二枚、これが彼の主張を裏付けてくれるだろう。
 ……今は吸血鬼である自分を、そうでなくとも包帯だらけの化物の与太話を
信頼してくれればの話だが。
 キャルはモルヒネを注射されて、ぐったりとその身をソーニャの背中に預け
ている。眠るように目をつむるキャルの顔は歳相応のあどけないものだった、
そんなことを言えば、キャルは絶対に怒り出すだろうが。
「預けるわ」
 ソーニャの背中に抱えたキャルを、ダークマンが受け取った。
 体温を奪われないよう毛布にくるみ、しっかりと抱え上げる。
 ソーニャはヘリの操縦席に座り、燃料やスイッチのチェックを始めた。
 ――異常は見当たらないわね。
 スイッチを次々にオンへ切り換える、エンジンが駆動、ローターが回り始め
た。
 ダークマンはヘリの中で毛布ごとキャルを抱き締める、ライダースーツの下
から覗く血に染まった包帯が何とも痛々しい。だが、痛々しいと同時にダーク
マンは胸の内から沸き上がる何かを感じていた。
 頭を振って、その異常な考えを振り払う。馬鹿め……それ以上考えると、今
度こそお前は完全な怪物になってしまうぞ! ダークマンは自分に言い聞かせ、
キャルの躰から何とかして距離を置いた。
「……早くしてくれ」
 ダークマンの呟きには紛れもない焦燥が秘められていた。


 ヘリが浮き上がった瞬間、二つの事が同時に起こった。
 まずキャルが目を覚まして起き上がった。
 次に左手・首・心臓と肺と肋骨、残りはいくばくかの腸だけになったカイン
がヘリに絡みついた。
「何!?」
 ソーニャが操縦席から外を覗き込んで青ざめた。
 ――冗談でしょ!?
 どう贔屓目に見ても、カインは完全に死んでいる。死にそう、とか瀕死とか
いうレベルではない。
 既に躰の下半分が吹き飛んでいるのだ、なぜそれで動くことができるのだろ
う、いや、仮にも吸血鬼ならばなぜ灰にならないのだろう。
 ヘリの後部が引っ張られるような感覚にソーニャは一瞬パニックに陥った。
 中途半端に上昇を続けたせいで機体のバランスが完全に崩れた。ソーニャは
必死に操縦管を握り締め、ヘリの高度を安定させるのに四苦八苦する。
「……何……」
 キャルは起き上がってダークマンの顔を見るより先に、窓の外を見てしまい、
悪い夢が続いていることを確認した。驚愕と絶望、どちらの表情を先に浮かべ
るべきかキャルは迷う。
 殺してやる、というカインの殺意がソーニャとダークマンの頭に叩き込まれ
る。最早カインからは知性が吹き飛んでいる。
 純粋な殺意のみで構成された怪物、純粋にこのヘリを落とすことのみに専念
する化物。ある意味では先ほどと比べて、より最悪の手合いだった。
 カインの腸がローターに巻き付いた、それは切り刻まれながらもプロペラを
絡め取り、動きを鈍らせる。
 がくん、と機体のバランスが完全に崩れた。
「脱出するぞ!」
 ダークマンは叫んで、キャルを毛布ごとかき抱き、反対側のドアを開くと迷
わず飛び降りた。高さ十数メートル、今のダークマンにとっては楽な高度だ。
 キャルは本能的に目をつむった。両手が無意識にダークマンの襟を掴む。
 勿論怪我一つなく、ダークマンとキャルは着地した。
「ソーニャ! 早く飛び降りろ!」
 ダークマンが空に呼びかける。だが、すぐに彼はキャノピー越しに見えるソ
ーニャの様子がおかしいことに気付いた、腹部から妙なものが生えており、口
からは大量の血を吐いている。
「なんてこった」
 ダークマンの目はヘリの中の様子を完全に捉えていた。扉から中に乱入した
カインが操縦席に座っていたソーニャを座席ごと左手で貫いたのだ。
「ソーニャ……?」
 キャルにはヘリの中で何が起こっているのかまでは分からなかったが、確実
に理解できるのは、カインが内部に入り込んでいるということだ。
 そしてヘリはぐらぐらと揺れながら、尚も上昇し続けているということも。
 ソーニャはまさか、意識を失っているのだろうか。


 否。


 失敗した、と思った。
 一瞬このヘリを手放すのが惜しくなって、そして何とか高度を保とうと操縦
桿を握り締めたのは失策だった。
 ――最低よ、あんた。
 心の中のアイツが囁いた。
(ごもっとも、今回の私は本当に愚かだったわ)
 見捨てるべきだった。真っ先に脱出するべきだった。それが後ろの取るに足
らない人間を気にかけるなんて――。
 致命傷だ、長くは持つまい。
「だけど」
 今、ソーニャが握り締めているのは操縦桿ではなく、腹部を貫いたカインの
左腕だった。
「このくそ野郎も道連れよ」
 たった一つの武器である左腕を掴まれた今、いくら暴れてもカインに為す術
はない。
(なぜ――?)
 疑問、という感情がソーニャの頭に入り込む。カインの意志だ。
「なぜ、と来たわね」
 嗤った。
 口から血が溢れる。
「よくお聞きなさいな。神様。
 私はね、アンタみたいに自分を最上のものと考えて他の連中は自分の為に在
るとしか考えない馬鹿野郎に――」
 ソーニャは窓の外をちらりと見る、ダークマンとキャルはヘリから遠く離れ
ていた。これならこういう事をしても、二人に害は及ぶまい。
 片手をカインの左腕から離し、操縦桿を一気に前へ倒す。ヘリは空中で逆立
ちした。
「みっともない悲鳴をあげさせるのが大好きなだけよ」
 振り向いたソーニャの血に染まった笑顔を見て、カインは神としてもっとも
相応しくない行為で応えた。
 悲鳴をあげたのである。
 カインがじたばたともがく、ソーニャは全身全霊で彼を抑えつける。
 走馬灯を見た。
 ――ああ、くそ、死ぬのか。ソーニャの中のあいつ、ソーンからソーニャに
生まれ変わった時についてきたあいつが最後まで生にしがみつこうとする。
 ――ダメダメ、諦めなさい。
 ソーニャは嗤う。
 モーガンは死んだ、二人は無事、そして何よりこのクソのような怪物を綺麗
さっぱりこの世から消し去ることができる。
 ――ざまあみろ、だ。


 ダークマンとキャルの眼前で、ヘリは垂直に落下して甲板に激突した。
 激突の際のショックでガソリンがちょろちょろと漏れ出し、それがヘリの電
子機器のショートの花火によって引火する。
「あ――!」
 ヘリは突然の轟音と共に爆発した。機体は吹っ飛び、一部は海の中へ落下し
ていく。キャルは膝を突いた。だん、と甲板を両の拳で殴る。
「……ちくしょう!」
 手の甲の皮が破れて、血が滲み出る。甲板を殴るたびに骨がぎしぎしと軋む。
 ヘリが爆発したことなどどうでも良かった、ソーニャが死んだことがたまら
なく悔しかった、もう少しだったのに、もう少しで三人で脱出できたのに。
 ダークマンが肩に手をかけたが、キャルは反射的にその手を振り払った。
「っくしょう……」
 何度も何度もそう呻いて、蹲った。涙を出すのを忘れてしまうほどの呆気な
い死。
 たったニ時間半。
 たったそれだけの時間しか共有できなかった。それでもキャルにとってソー
ニャは疑いようのない“戦友”だった。

 ダークマンはうっすらと白ばんできた空を見上げた。躰がちくちくと痛む。
もう間もなく朝が訪れる。諸井霧江が完全に死ぬまで青空は拝めまい。
「……?」
 それを見つけたのはダークマンだった。火に照らし出されて、何かがキラリ
と光ったのだ。
 近寄って拾い上げる。
「これは……」
 ダークマンはそこに奇跡を見た。
「キャル」
 呼びかけて、それを放り投げた。
 受け止めたそれはずっしりと重たかった。見覚えのあるチーク材の柄。金箔
で形作られた竜と、その瞳の赤いルビー。
「ソーニャのスイッチナイフだ」
 扱いはすぐに分かった、ルビーを押して刃を出す、すぐに折りたたんだ。
 ほとんど無傷でヘリから放り出されたのは奇跡のようなものだろう。いや、
それともソーニャが咄嗟にポケットから取り出して、外へ投げたのかもしれな
い。
 自分の宝物を戦友に託すために。
 自分達に別れを告げるために。
 今となってはどちらが真実かは謎のままだろうし、二人にとってもどうでも
良いことだ。キャルがそう思えば、それが事実なのだ。
「持って行ってやれ」
「……うん」
 キャルは頷いた。
 剣呑とした空気が、二人の油断を呼び起こしていた。
 銃声。
 ダークマンの躰に無数の孔が開く。
「え――?」
 突然キャルは両肩を抑えつけられた。右肩から破裂するような痛みが沸き上
がる。
「くっ……」
 キャルは苦痛の絶叫を舌を噛んで必死で押さえ込んだ。
「動くなァ!」
 複数の叫び声。ダークマンは立ち上がったものの、ピタリと動きを止めた。
 キャルの頭に二丁のAK−74が突きつけられている。
(しまった……)
 人数は十人かそこら。
 イノヴェルチの残党の人間達。カインを恐れて、何処かへ閉じ篭っていたの
だろう。生き残りがいるかもしれない、とダークマンは考えていたが、これほ
ど存在するとは予想外だった。
「いいか、絶対に動くんじゃねぇぞ! この女の頭を吹っ飛ばされたくなかっ
たらなァ! 動くんじゃないィ!」
 ――何たる頭の悪そうな呼び掛け。
 だが頭が悪いということは、それだけ何をしでかすか分からないということ
だ。迂闊に動くのはマズい。
 焦燥にかられて走り出したくなるのをぐっと堪えた。
 躰の痛みがさらに激しくなっている。もう間もなく朝が来る。全身の力がど
んどん抜けていくのが分かる。
 朝が来れば連中がキャルに何をするか、ダークマンは楽に想像がついた。
 そうかと言って突っ込むこともできない、キャルの後頭部に突きつけられた
AK−74の弾丸よりダークマンは早く走る自信はない。
 矛盾。
 そんな事を考えている間にもどんどんと時間は経つ。
 くそ。
 二人が死ぬか、一人が死ぬか、しかもどちらにせよ死ぬのは彼女の方なのだ。
 彼が動かないことを理解した男達はニヤリと笑い、頷き合う。
 男達が次々と弾倉を交換する。鉛の弾丸ではなく、銀の弾丸だ。
「逃げて……逃げてダークマン!」
 彼女の右肩の傷口をAK−74の銃口が抉った。
「ッ!」
 うるさい、とか大人しくしろ売女、というような罵詈がキャルの頭の上で飛
び交う。しかし、キャルはそれよりもダークマンの足がピタリと動かないこと
に絶望していた。
 ――この上、アンタまで死んだら、誰がモーラを護ってくれるの? 頼むよ、
動いて、逃げて、アタシのことは放っておいてくれ!
 キャルはダークマンにそう叫ぼうとして、彼が呑気に空を見上げていること
に気付いた。


「……?」
 罵詈が唐突に止んだ。
 周りのイノヴェルチの残党はポカンと口を開いて空を見上げている。
 ローター音にキャルも空を見上げた。
 MH−60Gベイブ・ホーク。アメリカの特殊作戦用の軍用ヘリが彼等の眼
前に迫っていた。
 呆然と見上げていたイノヴェルチの残党は敵とも味方ともつかないそのヘリ
をどうしたものか、対処しかねていた。
 ドアがスライドして開く。瞬間、黒い何かがドアから飛び出した。
 ダークマンの目には、その何かは命綱もパラシュートもつけてないように見
えた。
 キャルに銃を突きつけていた二人も、他の者と同じようにポカンと口を開い
ていた……そして、突然その口に刀剣が貫通した。
「え……?」
 驚いた顔のまま、二人は呆然と立ち尽くして死んでいた。だん、と黒いソレ
が着地する。ぎゅっ、と圧縮されたかのように蹲る。イノヴェルチの男達はこ
こに至ってようやく黒いソレが敵だと認識した。
「こ、この野郎――!」
 一斉にAK−74を構える。
 針鼠のようなシルエットは、薄明かりでよく見ると両手に余るほどの剣を持
った人間だった。そしてそいつが持っているのは紛れもない祝福を施された対
吸血鬼用の概念武装。
「黒鍵」
 ダークマンが呟いた。
「……なるほど」
 高い声だった、少なくとも男の声ではない。
「何があったかは知りませんが――」
 ゆっくりと男達に歩み寄る。キャルを視る、男達を視る、そして背後のダー
クマンを視る。
「女の子を人質に取るその行動、あなた達から漂う吸血鬼の臭い、何より私の
ことを言うに事欠いて“野郎”呼ばわりですかこの野郎。
 分かりやすいくらい安易な認識をしていい、ってことですよね、それ」
「殺せ!」
「やっぱり」
 女はにっこりと微笑むと、躰をひねった。きりきりと筋肉がゴムを捻るよう
な音を立てる。
「私の認識は間違ってないようですね」
 全身のバネを利用し、両手の黒鍵が一気に吐き出された。
 五人の顔面に黒鍵が叩き込まれ、吹き飛んで崩れ落ちる。
「ひぃ!」
 恐怖に悲鳴を上げながら、AK−74を乱射する。女は銃弾も意に介さずそ
のまま突っ込み、袖口からするりと出てきた新たな黒鍵で男達の首を刎ね飛ば
した。
 彼女が飛び降りて、おおよそ二分弱。
 最後の掃討戦は終結した。
「ふう」
 ぱんぱん、と服の汚れを払う。
 キャルは立ち上がっていいものかどうか迷っていたが、ダークマンが腰に手
をやって手助けをした。
「さて、あなた達は……」
 指を顎に当てて、首を傾げる。二人は近付いて、ようやく彼女の顔を見た。
 少女だった。恐らくキャルとほぼ同年齢だろう。だが、二人の目を引いたの
は彼女の身にまとう服だった。
 僧衣。
 明らかにクリスチャンのシスターだった。まさかこの格好でアメリカ海軍特
殊部隊ということはあり得まい。
 ダークマンはすぐに彼女が何者であるか理解した。
「第十三課(イスカリオテ)だな」
「あれ。分かります?」
「吸血鬼を相手にしていれば、嫌でも耳にするさ。
 ヴァチカンが誇る対吸血鬼用戦闘部隊。素人のハンターとは比較にならない
技術・経験・武装を誇るユダの名を冠する……またの名を“埋葬機関”」
「そんなに大層なものじゃありませんよ」
 少女は苦笑する。
「ただ、吸血鬼を殺したいって連中の寄せ集まりみたいなものです。
 あ、私の名はシエルと言います。洗礼名ですけどね」
 ぺこり、とシエルが日本式にお辞儀をした。
「ともかく礼を言う、シエル……助かった」
「いえ、これくら……ちょっとすいません、包帯のあなた、首を見せて下さい」
 笑顔が一瞬で引き締まった、キャルはぎくりとする。
 だがキャルが止めるより早くシエルはダークマンに近寄って、首筋の吸血痕
を見た。はっと驚きの表情を浮かべて、黒鍵を構える。
「待った!」
 シエルを突き飛ばすように、キャルがダークマンの前に立った。
「大丈夫だよ、もうこいつを噛んだ奴は死んだから……もうすぐ治る!」
「……本当ですね?」
 信用し切ってない顔で、シエルはダークマンの瞳を覗きこむ。
「一応はな」
 だが包帯越しに見える瞳は、自分の死にまるで無関心な自殺志願者のそれだ。
 吸血衝動に襲われているようには見えない。いずれにせよもうすぐ朝だ。
 朝が来れば、当然彼の吸血衝動も止まるだろう。もっとも朝の吸血鬼には同
時に睡眠衝動もやってくるのだが。
 ――まあいいか。
 シエルは手を振って、ヘリのパイロットに合図した。
 ヘリからするすると梯子が下ろされる。
「ともかく、二人とも載って下さい。……ああ、それから念の為に言っておき
ますけど、吸血衝動を止められなくなったら言ってくださいね」
 そう言ってからシエルはダークマンに微笑んだ。
「躊躇なく殺して差し上げますから」
「努力するよ」
 ダークマンはキャルをひょいと抱えると、梯子をつたい始めた。
「ちょ、自分で昇れ――」
「る訳あるまい。観念しろ」
 うー、と子犬のようにキャルは唸った。後から昇るシエルはそれを見てくす
くすと笑った。
 全員が梯子を昇りきり、ドアが閉まるとヘリが進み出した。


 輸送艦チェルノボグで生きているものは一つ残らず死に絶えた。アメリカ海
軍はやがて漂流するそれを発見して、困惑するに違いない。
 人間の死体、巨大なゴキブリの死体、ところどころに落ちている灰、甲板に
叩き付けられて完壊したヘリ。
 そして、その事件は今までと同じように「詳細不明」の事件として封印され
るのだ。真実を知るのは一部だけとなる。


 キャルは包帯を交換され、毛布に包まって安らかに寝息を立てている。ヘリ
の震動が何とも彼女には心地よかった。夢は見ていない、モーラのこともダー
クマンのことも、ソーニャのことも、その他色々なことも考えず、ただひたす
ら眠りを貪っている。
 ダークマンは暗がりで傷口から弾丸を抉り出していた。痛くはないが、痒み
が止まらない。なんとも嫌な現象だ。
 シエルはダークマンの様子を慎重に窺いながら、彼から事件の一連のあらま
しを聞き出し始めていた。
 インフェルノのこと、キャルのこと、カレンのこと、ダークマンのこと、セ
スのこと、ソーニャのこと、ユダの血統のこと、諸井霧江のこと、イノヴェル
チのこと、そして――カインのこと。
 彼女がダークマンとキャルがニューヨークで体験した全てを知り、ダークマ
ンがポケットからMOディスクを取り出した時、全ての終わりが始まるのだ。
 人類の破滅。
 吸血鬼の始まり。


 ともあれ輸送艦チェルノボグでの戦いはこれにて終了。










 ――そして。
 吸血大殲、開戦。





                                Fin






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