ペルー日本大使公邸占拠事件資料

     

        MRTAのエンブレム

  MRTAメンバー(85年) 

アメリカ政府テロ対策特別研究機関報告書より

ツパク・アマル革命運動(MRTA)

Movimiento Revolucionario Tupac Amaru

推定メンバー数  100から200人

活動地域  ペルー、特にリマ

リーダー  エルネスト・モンナス・アルアガ(ラウル・ベレツ)

闘争方針  MRTAのイメージをマルクス主義的国際革命運動に従った武装闘争組織であると強くアピールし,プロパガンダの着実な実行によってペルーの現体制にゆさぶりをかけること.また,アメリ力のペルーからの追放をめざす.その行動は同じ反体制組織SL(センデロ・ルミノソ)とは対照的なアプローチをとる.

沿 革  1984年,MRTAの名が浮上した頃には,ペルーの主力テロ組織SLの1フロントの名称と見られていたが,現実には力ストロ派マルクス・レーニン主義の過激な大学生からなる独自の組織である.

歴史は浅いが,活動はきわめて活発でアメリカ関連の目標をくり返し攻撃する.また戦術・技術もかなり高度の水準にある.M‐19などラテン・アメリカの他の革命組織とも明らかに結びついており,1970年代,当局による学生運動弾圧以来.一部のリーダ一は出国してキューバやソ連に住むようになった.1986年秋,MRTAは「革命左翼運動(MIR)」と呼ばれるペルーの過激派残存勢力と合併すると公表した.以来,組織は新体制を一般にアピールするためリマ周辺で爆破工作を重ねている.

規模の小さいMRTAは,多額の活動資金を必要としない.そのため強盗の他に企業家.麻薬関係者相手の脅迫によって入手する資金で足りるようである.当局の検挙の際に自動小銃などの近代的火器と各種の市販や自家製爆薬が押収されている.

84年から88年までのおもな事件

1984年3月. 元経済相宅を機関銃で射撃.

1984年9月. リマ海軍病院の哨所で下士官を射殺.

1984年10月. 米大使館の外側に放火.

1985年3月. ケンタッキー・フライドチキン2店に放火,3店目の放火は未遂.

1985年7月. リマ警察署6カ所に狙撃と爆破,市民3人を負傷.

1985年11月. テキサコ石油・リマ支社を爆破.

1985年11月.米大使館用地に強行侵入,爆破未遂(外側の歩道で爆発).

1986年1月.放送局2カ所を占拠,米ケネディ上院議員来訪に抗議の放送.

1986年4月.米大使邸に自動車爆弾,米関連の企業,銀行数力所を爆破(容疑)
1986年8月.ガルシア政権との一方的休戦解除宣言の5日後,政府のビル2カ所に仕掛最弾.犯行を声明.

1986年9月.反ピノチェト政権の左翼と連帯してチリ大使館を攻撃,犯行を声明.

1986年12月.米関連施設各所にダイナマイト爆弾攻撃.各施設の壁にMRTAとMIRの統合宣言をペンキで落書き.

1987年1月. ファンカヨにて陸軍の募兵担当官を射殺.

1987年1月. アメリカの航空会社・国連,オーストリア大使館の各施設を爆破,犯行を声明.

1987年2月. リマで放送局6カ所を占拠し政府非難の放送.

1987年2〜3月. ペルー大手銀行の各支店を連続爆破.

1987年3月. 放送局と企業各1力所を占拠,教会に侵入し革命のアジ演説と大衆の武装闘争参加を煽動.この種のテロはMRTA・MIR組織の新たな活動傾向.

1987年3月. コンテナ会社をダイナマイトで爆破,テロリストの1人を追跡中の管理人を射殺.

1987年4月. タクナ放送局を占拠・ ガルシア政府に対する武装闘争よびかけの声明を15分間のテープにより放送.

1987年5月. バス4両を爆破,犯行を声明.リマ放送局を占拠,MRTAの宣伝放送.

1987年6月. リマ放送局2カ所に侵入し,テープによる放送を係員に強要.べラウンデ大統領時代のMRTA弾圧2周年記念の声明.

1987年6月. ペルー系銀行リマ支店の近くで自動車爆弾が爆発,MRTAの宣伝文を表示.

1987年8月. 大統領官邸に手投げ弾攻撃(容疑).

1987年9月. 銀行施設39力所の他,官公庁,大学,アメリカ系企業を連続爆破.

1987年10月. ボリビア大使館と米領事館の別館に仕掛け爆弾.

1987年11月. サンマルタン地方のジュアンティを80人以上の部隊をもって占領し,治安部隊に先立ち逃亡.

1988年2月. リマのシェル石油事務所,製薬工場,家具店,アラムコ・ペルー・プラントを連続爆破,物的被害甚大.1988年3月. シェル石油リマ支店を爆破,2人を負傷.物的被害も甚大.

1988年4月. 米情報サービスセンター2カ所を同時爆破,正面玄関を破壊し2人を負傷.

1988年6月. 米大使邸に60ミリ追撃砲3発を射ち込む.

外務省が入手した声明

(現地時間十八日午前に公表)仮訳は外務省。

ペルー政府当局へ

我々は、ペルー市民、政府関係者及び外交団等四百九十名を人質に取っており、次の諸点を伝える。

1  多数の人々が、一階及び二階の各部屋に詰め込まれている。

2  これらの部屋にはガラス窓があるので、銃弾や、爆発により多くの人が負傷することになる。

3  MRTA首脳部は、決意を固めている。対話と調整が不足しているため状況は一層緊迫している。もはや限界である。

4  けが人が手当てを要請しているが、昨夜からの要請にもかかわるす反応がない。早朝の爆発でさらにけが人が増えたかも知れない。手当ての要請にはこたえるべきだ。

5  状況を打破し人質を解放するためには対話と交渉が不可欠。

6 警察の包囲を公邸に近づけてはならない。MRTAは既に、公邸の前にあり、テレビの報道にあるような行動を計画している警察部隊を撤退させなければ、人質の一人の生命に危害が及ぶと警告した。期限は本日12時。


22日、225人の人質解放に際してフエンテス元労働相が読み上げたツパク・アマル革命運動(MRTA)の声明。スペイン語―英語―日本語の重訳。

翻訳 北のりゆき・死売狂生

「国内および国際世論へ」

 1. MRTAは、ペルー人民の大部分が社会の発展から置き去りにされているという問題で苦闘する国の中で生まれた。特にペルーの貧困を劇的に悪化させ、増加させているアルベルト・フジモリ大統領の政権期間中においては …(聞き取り不可)… そして我らの同志の解放を求めている。

 2. 我々は提案する。それゆえ人民は、我々が平和的に我ら人民の感情に敬意を払うような形で解決することを望んでいることを知るだろう。我々は人質を解放する用意がある。

 3. しかしながら、我々が真の平和を求めている一方で、12月21日におけるフジモリの発言は、役に立たない態度を取ることを示している。

 4.それにもかかわらず、受け入れ不可能な発言をし、ライフラインの供給を断つことによって人質の置かれた状況をさらに厳しくすることで事態を悪化させるだけの政府と異なった姿勢を示すために、我々はクリスマスを迎えるにあたって、政府の政策に無関係か、直接関係していない人々の解放に取り組むこととした。

 5. 政府と関係のある者−−大臣、次官、裁判官・国会議員、軍及び警察首脳、そして日本企業の代表者−−は解放されない。

 6. 同じ観点から、アジアとラテンアメリカの外交官を解放するかどうかはこれから検討するだろう。

 7. 我々は今日まだ解放されていない当局者の解放は、我々の同志を政府が解放することによってのみありうると明言する。もしフジモリが軍事的な解決を決意するならば、彼はツパク・アマルのメンバーが、人民の利益をまもるために、我らの労働の権利と闘争の中にある我らの兄弟の生きる権利を守るために、活動する用意があることを常に知るだろう。


MRTAヨーロッパ代表とのインタビュー

ここにアップする記事は、インターネット上のホームページ「MRTAに連帯するページ」からオリジナル翻訳したものである。スペイン語―英語―日本語の重訳である。

「公邸占拠はいつまで続くのか?」

1996年12月24日イサク・ベラスコ氏とのインタビュー

ツパク・アマル革命運動(MRTA)ヨーロッパ代表

英語訳  B 

日本語訳 北のりゆき/死売狂生

200人以上の人質が解放されました。大使公邸占拠の終わりは近いのですか?

いいえ。人質の解放は、我々の戦争に直接かかわっていない人のためのクリスマスの人道的処置だった。戦争捕虜のままで残っている人質は、フジモリ政権の国家テロ政策にかかわる人々だ。例えばこれらの人々は、国家警察のメンバー、および合法性のないテロ判決を下した裁判官が含まれている。これら罪のある者たちの運命は、現在フジモリの手の中にある。

大使公邸占拠の政治的目的は何ですか?

行動の目標のひとつは、ペルーの人権侵害に世界の注意を引きつけることだった。我々は長年、国際組織、人権団体、および政党にアピールしてきたが、無益だった。少なくとも現在、世界はペルー政府のテロ、拷問、反体制活動家の失踪について語っている。これがこの行動の最初の成果である。

フジモリが要求に応じたならば、MRTAが武装闘争を放棄すると申し出たのは本当ですか?

私にはそれを確認することができない。そのような情報はMRTAの指導部からもたらされていない。「ギブアップ」の概念はMRTAに存在しない。フジモリは、どんな平和交渉もありえないと述べた。我々は言う。国家テロ政策を続け多国籍企業に祖国の資源を差し出す政府とにいくらかの平和があるはずがない。

アメリカの精鋭部隊の支援などによって、公邸に強行突入される危険がありますか?

この点に関しても、MRTAコマントはすべての準備を整えている。そのような状況によっては、捕虜の人命は保証できないだろう。大使公邸の占拠自体が目的ではない。我々はここで現実状況について話している。それは戦争の状況であり、死があるかもしれない。そのうえ、政府によって大使公邸に軍事強襲が行われたならば、MRTAはペルー全域に渡り政治的、経済的な目標を攻撃する準備ができている。

MRTAの政治囚はどんな状態にありますか?

いま現在、MRTA政治囚300人がペルー全域の刑務所で無期限ハンストにはいっていることをわずかな人々しか知らない。彼らは液体ビタミンさえ拒否している。彼らの状況は非常に危険で、国際的な注意に値する。

また、300人の政治囚の解放と新自由主義政策の中止に加えて、コマンドは戦争税を要求しています。なぜですか?

500年間、ペルー人民は植民地主義者と新植民地主義によって搾取され、そのあいだ少数の金持ちが富を支配してきた。この戦争税は良き人民に返還され、大衆的な組織に寄贈されるだろう。少額はMRTAが闘争を続けるために使用される。

ピーター・ノワックによるインタビュー  1996年12月24日

 


このインタビュー記事は、インターネット上の「MRTAに連帯するページ」からオリジナル翻訳したものである。スペイン語―英語―日本語の重訳である。(1月9日アップ)

MRTAとのインタビュー 

19961230

「MRTAの行動はフジモリを弱体化させているか?

ツパク・アマル革命運動(MRTA)ヨーロッパ代表 イサク・ベラスコ氏とのインタビュー

英訳者より

イサク・ベラスコは 現在ペルーの日本大使公邸を占拠しているコマンド部隊 "Oscar Torre Condesu"の所属するツパク・アマル革命運動の活動家である。

1988年2月に、ベラスコは逮捕されて、拷問を受けた。彼が脱獄できなかったならば、おそらく獄中で死んでいただろう。1993年、裏切り者の手引きによって彼の家族の家が急襲された際、MRTAはベラスコをドイツに送ると決定した。1994年11月に政治亡命が認められた。

MRTA全国指導部の決定にしたがって、イサク・ベラスコはMRTAヨーロッパ代表 として活動することとなった。

Q マスコミのレポートによると、まだリマの日本大使公邸を占拠しているMRTAコマンドは、永続的で包括的な和平に関する対話を提案しました。もはやMRTAはすべての政治囚の解放よりも、むしろ刑務所の状況の改善を要求しているように思えます。行動の目標を変えたのですか?

まったく違う。議論と交渉の目標はそのままである。MRTAは最初と同じ要求で交渉に入るだろう。政治囚の解放を含むこれらの要求のもとでの政府との対面交渉で、我々は同意できる点を知ることができる。それは交渉の手段である。

Q ペルー政府は国家非常事態を宣言しました..

そうだ。この手段はあらゆる情報と人々をコントロールし続けるように考案された。日曜日以来、軍は警察の職務を引き継いで、誰でも理由なく逮捕することができる。すべての反体制派が逮捕で脅かされている。これは、交渉か軍事力による攻撃かどちらかについて必要な風潮を無理に造り出すために行われている。二つの選択肢ができた。

Q MRTAはなぜこの作戦の目標として日本大使公邸を選んだのですか?
  

今日の日本は主要な経済力である。それは、ウォール街の一部を購入する余裕があるほど強力である。多くの主要なアメリカの会社が主に日本の資本で設立されている。それは日本がラテンアメリカでますます重要な役割を果たす理由であるし、日本は、フジモリ大統領をその主要な支持者と見なしている。現在、アメリカと日本の間でペルーの利権の衝突がある。そこで日本はその地位を強化するため、汚い戦争に資金を提供した。日本政府は援助団体で働いていた二人の市民が準軍事組織によって殺害された件に関して部分的にせよ責任がある。日本はこの殺人を引きおこした政府を支持するのに深くかかわった。それがMRTA全国指導部がこの場所 ー独裁権力を深く傷つける場所― を攻撃すると決定した理由である。

Q この占拠はフジモリの今後にどの程度影響するでしょうか? 「階級の結合」の標語の下でのフジモリの基盤を強化するのを助けるでしょうか、あるいは政府内の分裂をまねくでしょうか?

フジモリ政府はその背後に壁がある。政府と協力するすべての人々(実業家、政治家、および軍人)は、彼らの状態が危険であることをとてもよく知っている。ある日、MRTAの戦争捕虜になったら、政府は彼らを助けるために何もしないだろう。それはラテンアメリカの歴史の中ではとても特殊である。ニカラグアのFSLNの同志たちは3回に渡りソモサ政権につながりを持つ政治家と実業家を捕捉した。彼らの要求が満たされるとともにこれらの事件は終わった。他方では、フジモリは人間の生命、彼のパートナーの生命にさえ完全に無関心である。政府を支持する実業家はそれについて考えるべきである。
 

Q 軍とフジモリ政権の関係はどうなっていますか?
 

過去両者が互いに与えた支持は、国家テロと腐敗をもみ消すために役立つだけであった。政府と上級軍幹部は非常に腐敗している。 例えば軍と結びついた麻薬マフィアの弁護士であるMontesinoが、有罪宣告された麻薬ディラーの証拠にもかかわらず、告発されないのは偶然ではない。政府は調査を妨げるためにあらゆる権力を使い、国の検察官はこのMontesinoを公職から退かせることでもみ消しを助けた。これはどれほど表面的な民主主義国であっても問題外のことだろう。しかし、そのような恵みはフジモリ政権の軍部には認められている。しかし、麻薬利権にかかわり軍と情報機関の間での争いがある。時々、彼らは互いに対抗して活動する。それが海軍船がコカペーストの輸送に利用されていたと発見されたように、大統領の飛行機が170キロのコカインを運んでいたと発表された理由である。しかし、このすべてが罰せられないで済まされる。そして政府は汚い戦争、拷問、人権侵害、老人、女性、子供に対する殺人については決して話そうとしない。

Q なぜMRTAは武装闘争を始めたのですか?

MRTAは1980年代前半に様々な政治グループの同盟として形成された。1970年代末には、互いに接触のある60か70の政治組織があった。この中で2つの傾向が現れた。ひとつは民主的な方法で国家的問題の解決を求めた。もう一方は、政治上の対話が妨げられており、他の方法に訴えるのが正しいと感じた。この事態は1980年代にも続き、MRTAは多くの軍事組織の重要な結集点となった

Q 当時のMRTAには、何人の活動家がいたのですか?

政治/軍事組織としてのMRTAの最初の会議の間、当時はまだ合法だったが、300人の活動家がいた。もちろん、一般メンバーはそれよりはるかに多かった。この会議にしたがって組織は地下活動を行い、武装プロパガンダ行動を実行するため最初の部隊が編成された。例えば、ラジオ局を占拠したり、武器倉庫を攻撃したり、、食物でいっぱいのトラックを押収して貧しい地域に分配したり、一連の組織資金調達行動を計画した。1984年にペルー南部で最初の軍事衝突があった。MRTAの部隊が農村ゲリラ地域で包囲された。長い戦闘の後、我々の活動家が12人捕らえられ、多くの兵器が捕獲された。彼らは刑務所に放り込まれ、拷問された。別の部隊は戦線を突破して、他のMRTA部隊と合流することができた。ペルー軍の戦術はペルーの一般市民を激しく攻撃することで特徴づけられる。

Q 現在、MRTAはどれくらい強力なのですか?

セキュリティー上の理由で述べることができない。しかし、我々の部隊はペルー全国いたる所に存在している。MRTAは多くの場所に存在し、様々な分野で組織化されている。地方部隊、特殊部隊、コマンド、民兵がいる。我らの見解では、MRTAのメンバーはプロパガンダ、組合、社会運動、ゲリラなどのさまざまな分野で活動している。
 

Q ペルー政府とフジモリ大統領はゲリラに対する勝利を宣言しました。それは本当であるとは思えません。1996年には、MRTAはいくつかの軍と警察の目標を攻撃しました。

そうだ、フジモリ政府は武装闘争に対する偉大な勝利を主張した。二つのことが根拠になっている。まず第一に、センデロ・ルミノソ(輝く道)の指導者(Abimael Guzman)が政府との平和協定にサインしたこと。第二に、MRTAの戦術的後退があった。ペルー軍の人民に向けた軍事攻勢の結果、さらに政府の新自由主義政策の結果、社会的な基盤が狭くされた。我々は中央ペルー Selva Centralの農村地帯に政治軍事組織を集結させることを決定した。残りの地域では、我々はコマンドと民兵組織を保持しているだけであった。その部分は都市の近郊で、農民と労働者に対する集中した政治化と組織化の活動を実行した。政府は自らをあざむき、自分自身ですらゲリラ、特にMRTAが破れたと信じた。現在、政府は新しい状況に直面している。我々は過去数年間政治活動を続け、戦士とカードル(訳注 幹部要員)の新しい世代に政治・軍事訓練をほどこした。我々は決して政府が思っているほど弱くはない。MRTAが国境を越えて行った軍に重大な打撃を与えるいくつかの行動はこの証拠である。政府はこのことを隠そうとしたが、失敗した。人民は政府がゲリラを打ち負かしてはいないことを知っているし、新自由主義政策が貧困を悪化させることも知っている。それは最近の暴動に多数の人民が参加したことによって証明されている。

(訳注 センデロ・ルミノソとはペルー共産党の中国派から発展した同国最大のゲリラ組織。極左的な毛沢東主義を行動原理としているためペルーのポル・ポト派ともいわれる。MRTAとの衝突も報告されている。)

Q 警察が通りの業者を排除しようとしたため、数週間前にリマの歴史のある地区で3日にわたる暴動が起きました。何百人もの人民と警察官が負傷しました。政府に対する抗議は増加しましたか?

そうだ。1995年の終わり以来、人民はゆっくりと自らの組織力と動員力を再建している。さらに多くの暴動がある。そこでは人民が自分達の生存する権利を防御する。また、しかし、弾圧体制は変化した。以前は、警察と兵隊はリマのいたる所にいた。今日、多数を見ることはない。それらは秘密警察と私服部隊に取り替えられた。私のドイツ人の友人は、最近リマの通りでカバンを盗まれた。数秒以内に、少なくとも20人の私服警察官が現場に現れ、残酷に泥棒を痛めつけた。

Q センデロ・ルミノソも再編成を行い、軍事的に活発化し、路線を変更したように思えます。

政府がグループのかなりの部分と調印した平和取引は、センデロの内部で深い亀裂をもたらした。武装闘争の継続を求める派は、武装プロパガンダを行い、MRTAが行うと以前は非難したのと同様の方法で人民と対話をし始めた。しかし、その政治手法のいくつかの修正にもかかわらず、センデロはまだ変わっていない。例えば、今年の3月に、労働運動家 Pascual Arozdaが殺害された。センデロは、彼らの路線から離れたり、考えを共有しない者すべてを攻撃し続けた。

Q あなたはセンデロとMRTAとの関係をどのように見なしますか?

これまで、センデロはMRTAを攻撃してきた。センデロは非常に横柄にふるまう集団である。彼らは、真理の唯一の所有者でペルー革命の唯一の旗手であると主張する。それが彼らがペルーの他の革命組織の存在を受け入れない理由である。少なくとも彼らは「武装した改革主義者」そして「反逆者」として我々を述べている。しかし、センデロはまた、これまで主な敵として我々を描き出して、多くのMRTA活動家を殺害した。彼らはMRTAに待ち伏せ攻撃をしかけることさえした。これらはどんな方法でも正当化することができない犯罪である。彼らは革命家に値しない。

Q あなたはMRTAの将来をどのように描いていますか?

MRTAは運動として起こった。多くの社会部門がMRTAに代表される。都市と農村地帯からの男女、知識人、宗教人、社会全体。もちろん社会を変えるために旧い国家を打ち破り、新しい国を建設しなければならない。それは我々が権力を持たねばならないことを意味する。しかし、誰のための権力なのか? 何のために? そして終わりは? それは主要な問題である。答えは以下の通りだ。権力は都市と地方の労働者の手になければならない。参加民主主義がなければならない。人民の権力機構が発展しなければならない。そして、我々は長年それを行っている。

  Darrio Azzelliniによるインタビュー 1996年12月30日

  日本語訳 北のりゆき/死売狂生


ここにアップした文は、獄中にあるドイツ赤軍政治囚からMRTAへの連帯ステートメントである。インターネット上のホームページ、Arm The Spiritの「MRTAに連帯するページ」にアップされている英文から翻訳した。あるいは原文はドイツ語かもしれない。日付は1997年1月10日となっている。

MRTA獄中者へドイツからの連帯ステートメント

ドイツにおける赤軍派(RAF)政治囚関係者からの連帯ステートメント

1996年12月16日以来、ペルーのMiguel Castro Castro刑務所のツパク・アマル(MRTA)政治囚は無制限のハンガーストライキを行っている。

我々、ドイツにおけるRAF政治囚の関係者は、これらの政治囚たちの要求を支持する:

ー隔離拘置とC. Victor Polay Campos(*訳注 ビクトル・ポライMRTA最高幹部)やその他の MRTA幹部に対する差別処遇の中止。そしてこれらの者のため、刑務所の状態を知ることができるように公衆に視察させること。そして彼らを一般刑務所に移すこと。

ー覆面判事と軍事法廷、そして弁護権のない即決裁判などの反テロ法Nr25475の即時撤廃。

ー国際的な基本的人権と国内法に違反する特別拘留状態の即時撤廃。そして国際的な人道主義の水準を守ること。

ー政治囚の人間的な処遇と刑務所状態の改善のため留意すること。(ディフェンスカウンセリング、より良い食物、健康管理、および仕事を得ること)

我々は、ペルーの政治囚が何を経験しているか知っている。 我々は、彼らの生命が危険であることを知っている。1986年には、何百人もの政治囚が1日で虐殺された。そしてフジモリ政権下では、政治囚の刑務所状態はますます残忍になっている。Victor Polay Camposや他の政治囚は、 海軍基地内の刑務所に投獄されており、監房は8mの地下にある。彼は1日24時間隔離されている。

ペルーのいくつかの刑務所は3,000mから4,000mの高所にある。そこで政治囚たちは、暖房もなく窓にガラスの入っていない監房に閉じ込められている。夏にさえ、この場所の温度は摂氏12−15度より上がらない。通常、気温は零下である。

政治囚の食物はネズミの糞と他のゴミで汚染されている。政治囚のためのどんな医療もない。面会は一ヶ月30分に過ぎない...

我々はペルーの政治囚の生命に危惧を感じる。多くが重病であり、すでに何人かが非人間的な刑務所の状態によって死んだ。

RAF政治囚同志の生命と自由のための闘いの経験から、我々はそれが政治囚のアイデンティティーと生命を破壊しようとする国家権力のこころみに立ち向かうことと同様であると知っている。

我々は政治囚とその家族に同情を感じている。我々は、政治囚の生命を保つための唯一適切な要求は、彼らが自由になることであると知っている。また、それはペルー・リマの日本大使公邸を占拠したMRTAゲリラコマンドの目標でもある。

我々、RAF政治囚同志は、以下の要求を支持する:すべてのMRTA政治囚と、すべてのMRTA被告の自由!

全世界のすべての政治囚の自由を!

1997年1月10日

RAF政治囚の関係者

日本語訳 北のりゆき/死売狂生


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