幸せを呼ぶ・・・



太正十六年六月十九日、自らの誕生日であるこの日の午後、マリアは神田神保町の街を歩いていた。
大帝国劇場のある銀座からは蒸気鉄道を乗り継いで約15分、神田区の西に位置するこの街は、大小数多くの書店が並ぶ日本有数の書店街である。
新刊・古書ともにあらゆる分野の書物が手に入るため、読書好きなマリアにとってもお気に入りの街だ。
しかしながら、今回用事があるのは書店ではない。
メインストリートから外れた裏道に入ると、マリアはその小さな店の扉を開いた。

「いらっしゃいませ」

店主の穏やかな笑顔に出迎えられる。
店の中には店主の他に見覚えのある常連客が数名いるだけだった。
朝からの雨のためか、客足はあまりよくないようだ。
会釈をしてカウンター席に座る。
手早くオーダーを済ませると、マリアは今までかけていた眼鏡―外出時のカモフラージュ用なのだが―を外してカウンターの上に置いた。
小さな紅茶専門店、良質の紅茶が手ごろな価格で飲めるこの店は、落ち着いた雰囲気とあいまって書店巡りで疲れた足を癒すのに格好の場所であった。
この街に来ると、マリアも大抵は立ち寄っている。

「今日は良い本は見つかりましたか?」

カウンターの中から店主が尋ねてきた。

「いいえ、今日は人と待ち合わせているの・・・」

マリアの答えに、そうですか、と店主は短く相槌を打った。
もちろん彼はマリアが帝国歌劇団のスタアであることを知っているのだが、あえてそれに触れることはしない。
馴染みの客として日常会話を楽しむ程度にとどめている。
常連客たちもそれに習い、無粋に話しかけてくるものはいなかった。
話をしながらも店主の手は休むことなく、てきぱきと仕事をこなしている。
この手際のよさをカウンター席から眺めるのがこの店での楽しみのひとつでもあった。

そういえば外で待ち合わせるのは初めてなのだ、マリアは思う。
彼女が待っているのはもちろん大神一郎、帝国華撃団総司令(見習い)にして直属の上官、また恋人でもある。
今日は誕生日デートの名目で横浜へ出かけるはずだったのだが、大神が陸軍省から急遽呼び出されたため、あえなく中止となった。
代わりにここで待ち合わせることにはしたものの、この後の予定は決まっていない。

「はい、ロシアンティーお待たせしました。」

ほどなくして、注文の品がカウンターに提供された。
ポットを傾けると、優しい香りと共に澄んだ水色が白磁のカップに落ちていく。
ロシアンティーは添えられたジャムを紅茶に入れて飲むものだが、マリアはいつも最初の一口は何も入れずに紅茶そのものの味を楽しむことにしている。
くせがなくジャム以外にもミルク、レモンなど、何にでも合いそうな柔軟な味。
それでいて主材料としての主張は忘れていない。

(なんだか大神さんみたいだわ・・・)

最初の一口が喉を通ったとき、マリアはふと思った。
花組の隊長として控えめながらもしっかりと芯を通し、素材(隊員)ごとに歩調を変えることの出来る変幻自在な様は、まさにこの紅茶そのものだ。そんなことを考えながらマリアはジャムをスプーンでひとすくいすると軽くかき混ぜ、再びカップを口に運ぶ。
先程までのシンプルな味わいから一転、一さじのジャムは紅茶を華やかに変えた。
紅茶とジャムが手を取り合っているかのように、カップの中で調和しているのがわかる。

(私たちはこんな風に調和できているのかしら・・・)

大神を紅茶にたとえるなら、自分という素材は彼の目からどのように映っているのだろうか。
 大久保長安との最終決戦、マリアは大神と共に双武に搭乗するパートナーとして選ばれた。
今までのことを思い出してみても、彼が自分のことを特別に思ってくれているのは間違いないだろう。
けれどこのところ、彼の様子がどこかおかしいのだ。
以前は忙しくとも二人の時間を作ろうと積極的に動いていたのに、この頃は仕事以外では自室に篭っていることの方が多かった。
しかも日ごと憔悴していくのが目に見えて明らかだった。
何か悩みがあるのだろうか。
それなら自分に相談してほしいと思うのだが、何となく聞けないままに日々を過ごしてしまっていた。

マリアは空になったカップに再び紅茶を注ぐ。
ポットの中に長く留まっていた分濃くなっているが、独特の甘みとコクが出ていて一杯目とはまた違った味わいになるのだ。
二杯目を口にしようとすると店の扉が開き、息を弾ませながら大神がやってきた。

「やあ、お待たせ。」

大神は隣の席に座ると手短に注文を済ませた。マリアは彼の呼吸が落ち着くのを待ってから話しかける。

「一度戻られたのですか?」

彼は外出着に着替えていた。
軍服のままではさすがに目立つので、彼なりの配慮でもあるのだろう。
だがそれならここで待ち合わせるのはあまり意味がないはずだ。

「うん、まぁ・・・この近くの店に用があってね・・・それについては後で話すから、まずはお茶を頂こうかな。」

大神は自分の前に置かれたセイロン風ミルクティーを口にする。
それに合わせるようにマリアもカップを口に運んだ。

「えっと、まずは誕生日おめでとう。」

大神はカップをソーサーに戻すと懐から小さな包みを取り出し、マリアの前に差し出した。
開けてもよいか訪ねると、彼は小さく肯く。
リボンを解き包装紙を開けると、しっかりした造りの白い紙の箱が出てきた。
その中からはベルベットに覆われた青い小箱、さらにそれを開けると現れたのは、カメオのブローチだった。

「これは・・・橘?」

シンプルな金色の楕円形の台に納められたそれは、赤地に白の小花が浮き彫りになっている。
材質は貝ではなくサードニクスだろうか。
台の裏側には帯締めが通せるように作られていて、和服にも合わせられるようだ。

「ちょっといい石が手に入ってね。
俺は装飾品のことはよく分からないから琴音さんにこの近くの店を紹介してもらったんだ。
それで、お店の人や琴音さんとも相談したら、ただ加工するよりカメオの方が面白いって言うんで・・・」

話によれば、何と大神が図案を考え、彫刻までをこなしたのだと言う。
よく見ると表面は滑らかに研磨されているのだが、花びらのところどころに削りすぎたと思われる箇所がある。
彼がこのところ部屋に篭りがちだったのはこのためなのかと、すべてに合点がいく。
慣れない作業は想像以上に困難だったのだろう、彼の傷だらけの手がすべてを物語っていた。

「・・・何とか誕生日に間に合ってよかったよ。」

照れくさそうに笑う大神に、マリアは目頭が熱くなる。
日常の業務だけでも忙しいのに、自分のためにこんな大変な作業までやっていたとは。
けれど彼はこういった苦労を苦労と思わないところがあり、それを話すこともない。
そんな姿に彼女はまた惚れ直してしまう。

「有難うございます。
世界でたった一つの宝物、大切にします。」

何も言わずに笑顔で受け取ることが彼の努力に一番報いることになるだろう。
もっとも、今のマリアにはそれ以上の言葉を紡ぐことが出来なかったのだが。



会計を済ませて店を出ると、予報に反して雨は上がっていた。
湿気はあるものの爽やかな風が吹いていて、それほど不快さを感じない。

「そうだ、九段下の公園で紫陽花が見ごろだそうだよ。
少し歩くけど、行ってみない?」

 大神に賛同し、二人は靖国通りを西へ向かった。





九段下・北の丸公園。
皇居の北側に位置する広大な緑地は、近年公園として整備され、四季折々の花を愛でに帝都市民が多く訪れている。
中でも春の桜と梅雨の紫陽花は見事なことで有名なのだが、二人が訪れたこの日はまさにガクアジサイを中心に多くの花が咲き誇っていた。

「実はさ・・・」

花を見ながら散策しているとき、大神が口を開く。

「あのサードニクスね、巴里のみんなが送ってくれたんだ。」

マリアは思わず歩を止めた。
巴里華撃団―大神が隊長を務めるもうひとつの花組。
先の戦いでは遠く巴里から駆けつけ、共に戦ってくれた。
在任期間は短かったものの、隊員たちの大神への信頼は厚い。
戦いが終わって彼女達は帰還したが、今頃は大神の不在を寂しく思っていることだろう。

「俺は・・・花組の隊長として誰か一人だけを選ぶなんて出来ないと思っていた。
誰かを選んでしまうことは他のみんなを傷つけてしまう、そう思っていたんだ・・・」

その気持ちはマリアにも理解できる。
人目を避けるように二人の時間を過ごしたのは、他のメンバーへの後ろめたさがあったからだ。
花組の皆が大神を好きなのは間違いないのだから。

「でも、あの石が教えてくれた。
花組のみんなの幸せを願うなら、まずは俺が幸せでいないといけないってことをね。
そして俺は、君のそばでないと幸せになれない・・・」

マリアはきょとんとしていた。
何かとても重要なことをさりげなく言われた気がしたのだが。
突然の出来事にどう対応したものかと戸惑っていると、大神はマリアのほうへ向き直り、その手を取った。

「マリア、俺と結婚してほしい。」

意を決した大神の言葉とその真剣な眼差しに、マリアは自身の胸の鼓動が早まり、頬が紅潮していくのを感じた。
心のどこかでずっと待っていた言葉。
嬉しさのあまり胸がいっぱいで、思うように言葉が出ない。
舞台では百戦錬磨の自分が何としたことだろうか。

「・・・はい。」

少しの沈黙の後、短くそういうのが精一杯だった。
それを聞いて安心したかのように、大神が表情を緩める。

「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ。
とにかく、これからもよろしく。」

すぐに返事しなかったことで大神に不安を与えたのだろうか、マリアは慌てて釈明しようとしたが、やはりたどたどしくなってしまう。

「あ、いえ、えーと、その・・・よ、よろしくお願いします。」

ようやく言葉を継いだ後、マリアは溜息をついた。
普段の自分ならもっと冷静に答えることが出来たはずだった。
思うようにならない自分の気持ちが恨めしい。
そんな彼女を大神は優しく見守った。
ようやく落ち着いた頃になって、彼が切り出す。

「・・・さて、そろそろ帝劇へ帰ろうか。」

マリアも頷き、二人は紫陽花の咲く道を引き返し始めた。

「そういえば、“石が教えてくれた”ってどういう意味なんですか?」

先程のやり取りを思い出し、道すがら尋ねると、大神は答えた。
曰く、花に花言葉があるように、石にも石言葉があるらしい。
それによると、サードニクスの石言葉は“夫婦の幸福”なのだそうだ。
おそらく祝福の気持ちがあるからこそ、彼女たちはこの石を彼に送ったのだろうとマリアは思った。

「・・・巴里のみんなが背中を押してくれた、ってところかな。」

今まで事をはっきりさせなかったことへの反省なのだろうか、大神が照れくさそうに言う。
そんな彼の様子を見て、マリアはくすっと笑った。

「みんなの分も幸せにならないといけませんね。」

彼に選ばれたからこそ、自分には彼を幸せにする義務があるとマリアは思う。
けれど同時に自分も幸せでなければおそらく意味がないのだ。
二人で生きていくということを彼女は改めて噛み締めていた。

「マリア・・・一緒に幸せになろう。」

大神の言葉にマリアは、はい、と今度はすぐに答えた。
どちらからともなく絡み合った手が、しっかりと結ばれる。
そんな二人の後ろ姿を紫陽花の花たちが見送っていた。







あとがき

いやー、すごく久しぶりに作品書いた気が(殴)
それはともかくとして・・・。
今回書きたかったのは、待ち合わせデートとプレゼントのカメオです。
結婚前から一つ屋根の下で暮らしている二人(ぽっ)、たまには外で待ち合わせるのも新鮮でいいかと。
ただ、外出するとなると、顔の売れているマリアは何らかの手段で素顔を隠す必要があるのかな、と思って伊達眼鏡なんかも用意してみました。
ちなみにサングラスではありません。
フレームの形や色などはご想像におまかせします。

サードニクスって、何???と思われた方へ。
日本人には紅縞瑪瑙(べにしまめのう)と言ったほうが馴染みがあるかもしれません。
8月の誕生石ですね(ペリドットじゃない方)。
キラキラした感じがない分地味な印象を持たれがちですが、落ち着いた味わいがあると私は思います。
瑪瑙の仲間は硬くて丈夫なのでカメオなどの装飾品の他、工芸品にも使われたりしているそうです。
また、カメオというと貝を材料に使ったシェルカメオを連想される方も多いと思いますが、こういう石に彫ったものをストーンカメオというのだそうです。
残念ながら私も実物を見たことはありませんが(^^ゞ 
某マンガで父親が娘のためにカメオを彫る話があって、素敵だなぁ、と思ったのでそちらを拝借&アレンジして使用しました。
でも硬いから彫りにくいだろうな・・・。

作品中に登場する北の丸公園は戦後に造成されたもので、戦前は近衛隊の詰め所などがあったようです。
神保町から歩いていける花の名所なので、時代を捏造しています(^^ゞ
紫陽花(花言葉:移り気)の前でプロポーズするなんて縁起でもない!と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
フランスでの花言葉は「辛抱強い愛」なのだそうです。何となく二人にピッタリな気がしませんか?

あとがきも久しぶりなので、つい長くなってしまいましたね(^^;
ここまでお読み頂き、まことに有難うございました。
それではまた次の作品でお会いしましょう。

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