五月雨の贈りもの
太正十五年・六月の初め、帝都は平年よりも早い入梅を迎えていた。
まるで、大神という柱を失った帝国華撃団・花組の涙雨であるかのように。
「まったくもう、こうも毎日雨ばかり降ると嫌になっちゃうわ。」
先ほど配達された郵便を分類しながら、由里がぼやいた。
「そうね、さすがに滅入るわね。」
仕事の手を休め、かすみも相槌を打つ。連日の雨で気分も湿りがちなのは確かだ。
「あらあら、事務局も梅雨入りかしら?」
入り口に現れた人物の声に、二人は慌てて襟を正す。
ふふ、と笑いながら部屋に入って来たのは、帝国華撃団副指令・藤枝かえでだ。
「いいのよ。ちょうど手が空いたから、何か手伝おうかと思って。」
「では、花組の皆さんへ手紙を渡していただけますか? もうすぐ分け終わりますので。」
手紙の分類を急いでいた由里が、あら?と声を上げた。
彼女は手紙の入ったダンボール箱の底から出て来たという小包を手にしている。
高さと奥行きは十センチ前後だが、幅が一メートル近くあるものだった。かすみが受け取って宛名を確認する。
「…えっと、副指令宛てです。消印はフランス・巴里市内となっていますね。」
「私に?」
かえでは手渡された包みを検分した。
「…差出人は、えっと…ノリミチ・サコミズ…?」
巴里からの郵便と聞き、パッと目を輝かせた由里だったが、聞き慣れたものとは違う名が読み上げられ、少々がっかりした様子だ。
だが、かえでは『サコミズ』という響きには覚えがある。
巴里で創設された新たな華撃団、迫水はそのプロジェクトの中心人物の一人である。
その彼から小包が届いたということは、何か機密に関するものなのだろうか。
だが、それならば自分ではなく、まずは米田のところへ届けられるはずだ。どうもおかしい。
「副指令? どうかしましたか?」
「あ、なんでもないわ。ごめんなさい、これ、部屋に帰って見てもいいかしら?」
かえでは慌てた様子で事務局を後にする。残された二人は何が起こったのかわからず、一様に首をかしげた。
それから約2週間後、六月十九日。
夜の見回りを終えたマリアは、かえでの部屋へ向かった。
終了後に自室に来るよう、声をかけられていたためである。
この日の帝劇はマリアの誕生パーティーのため、朝から大騒ぎだった。
といっても、彼女自身は何もしていない。
今回は主役なのだからと、皆が手伝うことを許してくれなかったのだ。
自分だけ手伝わないのも申し訳ない気がしたが、皆が自分の誕生日を祝ってくれるというその気持ちがとても嬉しかったので、言葉に甘えることにした。
花組の各隊員には、当分の間巴里への通信および連絡等を禁ずる旨の通達が帝国華撃団・総指令の米田から出されている。大神を新しい任務に集中させるためだという。もちろん花組の面々は反対したが、奴がいないと何も出来ないのかと言われては、反論の余地がなかった。
そうした状況下で、自分の誕生パーティーが開かれることになった。
大神が帝劇を去ってから最初のイベントでもある。
もともと賑やかなことが好きな彼女たちではあったが、何かに気を紛らわせていたいという気持ちはどこかにあるに違いない。
かくしてパーティーは始まった。
いつものように賑やかで楽しくはあったが、やはり皆どこか寂しげに見えた。
それをごまかすため、いつもよりもはしゃいでいたようにも思う。
マリア自身、寂しくないといえば嘘になる。
だから皆の気持ちが痛いほどわかるのだ。
ドアをノックすると、どうぞ、と明るい声が返ってくる。マリアは一礼して中に入った。
「見回りお疲れ様。ごめんなさいね、夜遅くに。みんなの様子はどうだった?」
「さすがに皆疲れたようですね。今頃はもう眠っていると思います。」
朝からの大騒ぎを思い返し、かえでも笑いながら頷いた。
「それで、御用というのは何でしょうか?」
マリアの問いに対し、かえでは白地の細長い箱を取り出した。
緑色のリボンがかけられ、手紙が挟まれている。
「これを預かっていたのよ。
誕生日に渡してほしい、ってね。」
かえでは二週間ほど前に届いた小包の話を始めた。
在仏大使の名で送られたそれを部屋で空けてみると、中には先ほどの箱と2通の手紙。
一通は自分宛、もう一通はマリアに宛てたものだ。
この小包の送り主は勿論大神だ。
彼は最愛の人へ誕生祝を贈ろうとしたものの、受け取ったマリアを羨むであろう花組の隊員たちのことを思い、秘密裏に事を運んだほうがよいと考えた。
二人の関係を知るかえでに協力を依頼し、ついでに差出人の名前を自分以外にすることで事務局の由里の目をもごまかすことに成功したのだ。
日ごろ世話になっている大使に事情を話して名前を使わせてもらった、とかえでの手紙には書かれていたという。
「隊長がこれを…開けてみてもよろしいですか?」
もちろんよ、かえではにっこりと頷く。
箱の中には傘が入っていた。
開いてみると、白地に南国風の植物が描かれており、葉の色の黄緑が鮮やかで美しく、縁を彩る紺色が全体を引き締めている。
「なかなか素敵じゃない。それに、あなたによく似合っているわ。」
プレゼントに見入っていたマリアは、かえでの声で我に返った。
慌てて表情を取り繕うが、嬉しさは隠しきれない。
「やっぱり男の人って、好きな女性のこととなると一生懸命なものね。」
そう言われるとますます照れくさくなって、途端に顔が赤くなってくる。
「あ、あの…、ご協力ありがとうございました…。隊長に代わってお礼を申し上げます。」
「そんなことは気にしなくていいの。さぁ、もう夜も遅いわ。あなたもそろそろ休まなきゃ。手紙は部屋でゆっくり読むといいわ。」
促されるままに傘と包みを抱え、マリアはかえでの部屋を出ようとしたが、入り口近くまで来たとき、思い出したようにかえでが言った。
「そうそう、あとでこの件について報告書を作成しておいてね。大神君に送るから。」
えっ、マリアは自分の耳を疑った。
感謝の気持ちを彼に伝えたいとは思う。
だが、自分が筆を取ることは米田の通達に反するのではないだろうか。
戸惑っている様子の彼女に、かえではさらに続けた。
「だって、お礼くらいは伝えなきゃね。
だ・か・ら、報告書。
用紙、書式は自由。
封はしておいていいわ。
出来たら私のところへ持ってきて頂戴。」
「あ、ありがとうございます。
…で、では、失礼します。
おやすみなさい、かえでさん。」
かえでの心遣いに思わず涙が出そうになるのをこらえるながら、マリアは深々と頭を下げ、部屋を辞した。
部屋に残ったかえでが一人呟く。
「まったく、相変わらず真面目ねぇ。
まぁ、そこがいいところでもあるのだけど。」
いつもは冷静なマリアが大神のことになると取り乱す、そんな様子がかえでには微笑ましく思えた。
部屋に帰って大神からの手紙を開くと、懐かしい文字が綴られていた。
親愛なるマリアへ
誕生日おめでとう。
本当は会って直接伝えたいけど、今年もそれがかなわないのがとても残念だ。
誕生日に傘を贈るのってちょっと変かな? 気に入ってくれるといいけど。
今俺が住んでいる巴里には梅雨がないらしい。でも俺は君の誕生日の季節を、
帝都を忘れたりはしない。
どんなに遠く離れていても、五月雨の地に住まう君のことを思っていたい。
そんな気持ちで街を歩いていたらこの傘と出会ったんだ。
それから、こんな方法でしかプレゼントを渡せなくてごめん。堂々と贈りたい
のだけど、他の花組メンバーの反応が目に浮かんで、怖くなってしまってね。
結構小心者かもしれないな、俺って。
実はこちらで新しい任務に就くことになったので、あまり連絡できないかもし
れない。お互いつらいけど、俺はいつか帝都に帰る日が必ず来ると信じている。
その日までがんばろう。
それでは、また逢える日まで。
大神一郎より
愛をこめて
手紙からは、無骨ながら温かい気持ちが伝わってきた。
手紙を持つ手が震え、視界が滲んでくる。
「隊長…」
秘密裏に事を運んだのは、自分たち花組の調和を乱さないためだろう。
羨望あるいは嫉妬という感情は、ときにチームワークの乱れを産むことがある。
舞台や戦闘の場においては、そうした人間関係のもつれが大きなミスを呼ぶ。
それを考慮に入れた上での選択だったに違いない。
マリアは大神の巴里での任務を知っている。
巴里華撃団―賢人機関の都市防衛構想のもとに創設される新たな華撃団。
その隊長となる彼は、帝都と同様に若い女性隊員たちを率いて平和を脅かす者達と戦うのだ。
おそらく彼は隊員達の信頼を集めるべく、日夜奔走することになるであろう。
帝都で自分達に対して行っていたように…。
そのことを考えると少し胸の奥が痛んだ。
あらためて彼からの贈り物を手に取ってみる。
きっとこの傘は大神の気持ちを表したものだろう。
遠く海を隔ててなお自分を思ってくれている、彼の気持ちが嬉しかった。
手紙を手にしたまま両手で傘を抱きしめ、その柄に頬を寄せる。
閉じた瞳からは涙が一筋、静かにこぼれた。
「ありがとうございます、隊長。
この傘、大切にします…」
思えば自分は大神からいろいろなことを学んだ。
花組の仲間たちを家族のように思えるのも、彼のおかげだろう。
いつの日にか、この感謝の気持ちを彼に返したい。
とりあえず今は彼の愛した花組を、みんなを守っていこう。
いつか彼が帝都に戻るその日まで。
マリアは決意をあらたにする。
そんな中で、彼女にとって年に一度の特別な一日が終わろうとしていた。
終
あとがき
マリア誕生日ネタです。
その割には後半にならないとマリア出てこないけど(^^;)
「遠く離れた恋人に、彼はどんなプレゼントを贈るんでしょう?」というのがテーマ。
プレゼント選びの話もそのうち書けるといいなぁ、と思っています。
当時の輸送手段から考えて、大神はおそらく巴里に到着してまもなくこのプレゼントを選んだのではないかな。
巴里華劇団としての出撃は1回あったかどうか位の時期に。
戦闘が激化している時期では、彼の性格からいって忘れてそうだし。
6月生まれでよかったね、マリア(!?)。