天高くマリア肥ゆる秋!?
10月に入り、帝都もすっかり秋めいてきた。
巴里へ行ったレニと織姫の帰国を待っての秋公演。
もうしばらくは稽古もなく、のんびりした日々を過ごすことになるだろう。
そんな休日。
マリアは少し伸びてきた髪を切りに美容院へと向かった。
帝劇のすぐ近く。馴染みの美容師。
「いつも通りでお願いします」
そういうとマリアはひざの上の雑誌に視線を落とした。
あらかた読みおえた頃、美容師から声がかかる。
「終わりましたよ。いつもどおり、と言いたいところなんですが……」
そう言って言葉を濁す美容師。
「いつも通りじゃないんですか?」
視線を鏡に移し、確認するように見つめるマリア。
――どこがどう違うの?
「いえ、髪型は同じなんですが、今までのマリアさんのイメージと少し違うかなって」
「私のイメージ?」
「どう言えばいいのかしらねぇ…… 雰囲気が柔らかくなった? 角が取れたって言うか……」
美容師は必死に言葉を探すが、どうも見つからない。
その間もまじまじと鏡を見続けるマリア。
――太ったってこと?
そんな考えがマリアの脳裏をよぎる。
腑に落ちないまま、マリアは美容院を後にした。
帝劇へ帰る道すがら、ガラスに映る自分の姿を見ては、
――太った
――太ってない
そのことしか頭に無かった。
気づけば帝劇の前。
考えても仕方が無いと、結論を出して中へ入る。
2階へ上がると、サロンからカンナの声が聞こえてくる。
「マリアのヤツ、初めてあった頃に比べたら丸くなったよなぁ」
――丸くなった!?
忘れようとしていたフレーズが頭の中でリフレインしている。
――太った……
その日は夕食も進まず、機械的に箸を動かしていたマリア。『食欲の秋』なのだろうか、気づけば残さずキレイに食べ終えていた。
――このままじゃいけない
そうは思うものの、風呂上りに測った体重は変化がなく、気のせいだと思うことにした。
消灯時間が近づき、劇場内の見回りにでかけた。
正面玄関の戸締りを確認するところから始まり、劇場内をいつもより念入りに回っていく。
衣裳部屋の前を通った時、ふと思いついて中へ入ってみる。
――オンドレの衣装が入れば、太ってない
一瞬、脳裏に浮かんだ名案。早速、衣装を探す。
奥の方に仕舞い込まれていると思っていた衣装は、かなり手前にあった。
――この時間なら、誰にも見られないはず……
衣裳部屋の隅で、そそくさと着替え始めるマリア。
フランスの近衛兵の軍服。その白いズボンが入らない。
――うそっ!
おしりにひっかかったズボン。もがくうちになんとか通ったものの、前をしめることはできない。
――やはり、太っていた……
ショックを覚えながらも衣装を元通りになおし、見回りを続けるマリア。
――どうしよう……
ダイエットをするにしても、みんなに気取られたくは無い。何かいい方法はないだろうか。
体は勝手に劇場内を歩き続ける。しかし、その意識は『ダイエット』に支配されていた。
翌日。
朝食前にフントの散歩に出かけた。
「珍しいですね。マリアさんが連れて行くなんて」
驚くさくらに、
「そうかしら? レニがいないと誰も連れて行ってあげないでしょ?」
そう応えておきながら、内心では不自然だったかと焦った。
戻ってからの朝食。朝からどんぶり飯を豪快にかきこむカンナを尻目に、トーストとコーヒーですませる。
昼食までの数時間、さくらが大道具部屋の片づけをするというのを手伝う。
――いい運動になったわ
しっかり動いた後の昼食。それでも意識して少なめにしておく。
カンナが走りに行ったのを確認し、鍛錬室へ向かう。
器具を使って軽い運動。予想外に息が切れた。
――運動不足だわ
久々にかいた汗を流しに風呂へ向かう。誰もいないと思ったのに、中にはすみれがいた。
浴槽に椅子を持ち込み、雑誌を読むすみれ。マリアが入っていくと、あわてて出て行く。
忘れられた雑誌。湯気に当たって波打った誌面には『半身浴』の文字が。
すみれと入れ替わるように椅子に座り、その記事を読む。
――なるほど、美容と健康にいいみたいね
夕食後は『読書の秋』。
いつしか日課になってきたサロンでの読書。
気づけば、お菓子を手に花組のメンバーが集まってくる。
「マリアもどうぞ」
アイリスがクッキーの缶を差し出す。
――断ったら、傷つけるかしら?
そう思いながらも、『食欲の秋』は遠ざけたいところ。
丁度読み終わった本を手に立ち上がりながら、
「ありがとう。今日中に仕上げなきゃいけない書類があるから、部屋で食べさせてもらうわね」
我ながらいい口実だと、にっこり笑いながら2,3枚のクッキーをもらって立ち去る。
――隊長がたまに部屋に篭ってたのも、こういう理由からかしら?
隊長代理を引き受けたマリアは、遠い巴里の空の下にいる大神のことを思った。
部屋に戻っても、仕上げるべき書類はない。
昼間、買ってきた婦人雑誌を真剣に読み始める。読みながら、体を左右にひねる。
今、目で追っているのは『ウエストの引き締め方』。
――ウエストもだけれど、下腹の引き締めも必要よね
普段は読まない雑誌をめくりながら、夜はふけていった。
翌日からもマリアはフントを散歩に連れ出した。
朝食には、『カーシャ(蕎麦の実のお粥)』。
鍛錬室での運動に半身浴。そして、劇場内の掃除。
そんな日がしばらく続き、忙しく動き回るマリアの様子に、ひとり、またひとりと違和感を覚え始めた。
そして――
レニと織姫が帰って来た日の晩、風呂上りに倒れてしまった。
丁度居合わせたカンナが医務室に運び、かえでを呼んできた。
医療ポッドの診断結果は軽い貧血。
最近の挙動不審をかえでに訴えるカンナ。
「巴里から戻ってから、様子がおかしいんだ」
その声にマリアは目を覚ました。
「……カンナ? かえでさんまで……」
状況判断に戸惑い、呟くマリアに、
「お風呂上がりに倒れたそうよ。最近、様子がおかしかったようだけど……」
横になったマリアを見下ろしながら、かえでがやさしく言う。
「もしかして、巴里で隊長と何かあったのか?」
こちらは慌てた様子のカンナ。
――巴里? 隊長?
突然言われた言葉を頭の中で反芻するが、答が見つからない。
「水臭いぜ、マリア。考えるのは苦手だけど、話を聞くくらいならあたいにだってできるんだからな」
「そうよ、マリア。ひとりで何でも抱え込むのは、貴女の悪いクセよ」
ここしばらくのマリアの行動について、原因を追求するふたり。
大神とトラブルがあったのではないかと心配している様子に誤解を解かなければとは思うのだが……
逡巡した結果、
大神とは何のトラブルもないこと。
最近、遠まわしに「太った」と言われたこと。
久しぶりに着たオンドレの衣装が入らなかったこと。
だから、こっそりダイエットしていたのだということ。
頬を染めながら、説明するマリア。
黙ってそれを聞いていたふたり。
「誰に太ったって言われたんだ?」
驚いた表情で聞き返すカンナ。
「美容院でもいわれたけど…… カンナ、貴女もサロンで言ってたじゃない」
少しきつい口調で言い切るマリア。
「え!? あたいがか?」
「ええ…… 『初めて会った頃より丸くなった』って……」
一瞬、間が空いてから、カンナは笑い出した。
「なにがおかしいのよっ!」
「ははは・・・はぁ・・・ マリア、それは性格の話。最近、優しくなったって話してたんだよ」
目に涙を浮かべながら、カンナが言う。
「でもっ! 衣装は入らなかったのよ」
必死に訴えるマリア。
「衣装ってコレのことかしら?」
いつの間にか衣裳部屋からオンドレの衣装を持ってきたかえで。
「はい、そうです」
その言葉に、ニヤリと笑うかえで。
「入らなくて当然よ。コレは織姫のサイズで作ってあるんだから」
「織姫の?」
「今度、持ち歌の交換をして歌うでしょ。その時のための衣装なのよ」
その説明に合点のいったマリア。
「ズボンの丈が短い時点で気づけよなぁ」
かえでの持った衣装を見ながらカンナが呟く。
「仕方ないのよ。ブーツの中でゴロゴロするから短く詰めちゃったんだもの」
消え入りそうな声で応えるマリア。
「マリアにはダイエットは必要かったのよ。なのに、無茶をするからこうなったのね。明日からは普通にすること。いいわね」
かえでがそう宣告し、医務室を後にした。
取り残されたマリアとカンナ。
「貧血には肉が一番だ」
苦笑を浮かべるマリアにそう言うと、カンナは不器用なウインクをして出て行った。
――夜食を食べようってことね
ため息をひとつつくと、マリアは食堂へ向かった。
差し向かいで食べる夜食。
以前、大神にも食べさせたカンナの特製どんぶり。そのピリッとした刺激にマリアの箸もすすんだ。
季節は秋。
『読書の秋』を楽しみつつ、『スポーツの秋』『食欲の秋』も満喫したマリア。
ほどよい運動によって、体重は維持されたが、その容貌はふっくらとしてきた。
先日のダイエットのリバウンドでなければいいのだが……
後日、『太った』と鏡を見てため息をついたかどうかは定かではない。
―― fin ――