| 教育改革は教育実践から 第2回 知育こそ教育の原点 「知育軽視」の進行 教育問題が話題になるとき、いつも批判の俎上にのせられるのが受験教育で ある。これは、学歴社会のなかで展開されてきた日本の学校教育の特徴とみな されてきたものへの批判である。受験教育批判で代表的なものが「今の教育は 知育に偏りすぎている」という主張である。そのような批判を背景にして、「ゆ とり教育」「新しい学力観」「学校のスリム化」などのマジックワードで進行 しているのが現在の教育改革である。 1977年に「ゆとりカリキュラム」という名の学習指導要領が告示されて から四半世紀になろうとしている。学力低下の問題が大きな話題になったのは 大学の数学学力調査(1988年)によってであった。「トップ・レベルの大 学生の10人のうち2人が小学校の分数計算ができない」という衝撃的事実は 30年前には想像もできなかったことである。90年代の大学生は、小学校か ら高校まで「ゆとりカリキュラム」のなかで学習してきた学生である。また、 1989年から小学校1・2年の社会科や理科を統廃合して「生活科」が新設 された。その教育課程で学習してきた中学入学者の社会科や理科の基本的知識 の欠落は急激に拡大している。 「知育偏重」の知育とはなにか、知育のどこにどのような問題があるのかも 吟味・検討もしないで教育内容の削減を進めている。今の教育のなかで知育偏 重と言われている知育は、受験に合格するための知育に偏重しているのであっ て、「よりよく生きるため」「人間として生きるため」の知育は軽視する方向 に傾いている。「知育軽視」はファシズムの温床をつくりだす危険がある。2 002年からの新指導要領による学校五日制と学習内容3割削減は、さらに学 }力低下を招き、それが日本の将来を危険な方向に進める可能性がある。20 02年から使用される教科書をよく吟味してみると、一層その感をつよくする。 一人ひとりの国民が社会の一員として幸せな人生を生きるためにも、基本的 知的能力を身につけることが不可欠であることを忘れてはならない。 知育と徳育は一致する 現在、展開されている「第三の教育改革」のなかで、「知育より徳育」をと いう考え方がある。「ゆとり教育」論のなかでは、「今の子どもたちは勉強ば かりして頭でっかちになっている」「勉強よりも躾や道徳に力を入れてほし い」などと知育が「心の教育」を妨げているかのような議論が展開されている。 「知育偏重」の教育から豊かなこころを育てる「心の教育」が必要であると言 うのである。知育と徳育が相反するかのような主張であるが、これは明らかに 誤りであり知育と徳育は相関関係にある。 教育現場でのいじめ・学級崩壊や電車内での携帯電話は、他人の人権を侵し たり、他人に迷惑をかけることは悪いことであるという知育の問題である。人 間性を育てる知育の教育が徹底していれば、ほとんどの徳育の問題は解決でき るのである。知育で解決できないのは、大人や社会が子どもたちに人間のあり 方(モラル)を態度で示していないからである。徳育と一致するところに本当 の知育があるのであって(「知徳一致」ソクラテス)、そこに人格の完成を目 指した教育の原点がある。民主主義教育の目標は人類普遍の道徳の実現である ことがそれを物語っている。まさに、知育こそ教育の原点である。 |
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